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    さんじゅうよん

    @kbuc34

    二次創作の壁打ち。絵と文。

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    さんじゅうよん

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    歌の術式を見て急に歌に惹かれ始める五の話。下書きです。(二人とも学生設定)

    ##五歌

    徒花に恋う 歯牙にかけるどころか、路傍の石ほどにも意識はなかったのだ。
     なのに。



    「──────、ッ」



     宙を游ぐ、白い手足。靡く黒髪。
     空高く溶け込む歌声の響きに合わせて拡がる柔らかな呪力に、知らず、息を呑む。
     …………綺麗だと、女に見惚れたのは、それが初めてのことだった。





     お疲れ様でしたと、どことなく平坦に間延びした同期の声が聞こえる。
    「センパイの術式、初めて見ました。あんな感じなんですねえ。ていうか歌、めっちゃ上手くないです?」
     今度カラオケ行きましょうよ、と誘う硝子に彼女は少し複雑そうな顔をして、「ごめんね」と断った。
    「普段は歌わないようにしてるの」
    「あー……縛りですか」
    「うん。ちょっとでも効力上げたくて────おい、そこの馬鹿共。何よその顔は」
     何か文句でもあるのかと、こちらを睨んで拳を握る様を見ても咄嗟にいつもの軽口が出てこない。奇妙に固まって、それでも何とか取り繕って、無理矢理動かした顔で辛うじて笑い返す。
     その様を見て、不審そうに眉を顰めた緋袴姿の彼女が口を開くその前に、隣の相方がすっと半身一つ割り込んだ。
    「やだな先輩。文句なんてないですよ、良かったです」
    「……あんたの口からお世辞が出ると、余計に馬鹿にされてる気分になるんだけど」
    「えー、酷いなあ。それは流石に被害妄想だと思うけど」
     へらりと柔らかい物腰に揶揄を混じらせて、細かなニュアンスにもあっさり沸騰した女の怒りの矛先を一身に受けている親友が、惚けて動けない自分の為に時間を稼いでくれているのはすぐにわかった。
     切り替える。
     普段通り、を務めて装って、強張った顔に満面の笑みを貼り付け直す。
    「まーまー、そう怒んなよ。ぱっと見、ミスとか無さげだったし、歌姫にしては良かったんじゃね? 結界の張り直しも上手く行ったみたいだし、ちゃんと強度も上がってるしさ」
     まあ俺なら一人で全然余裕だけど、と余計な一言を敢えて添え、更に胸を張ってけらけら笑う。
     既に傑の台詞で沸点を越していた歌姫は眉間にきゅうっと皺を寄せ、吊り上げた目元を赤らめ、「あんたって奴は……喧嘩売ってんのかコラ」と低い声で唸った。
    「五月蝿いわね! そんな心配しなくても、誰に頼まれたって、ぜーったいにっ、あんたの手助けなんかしないわよ馬鹿!!」
    「あーいらね。歌姫の手とかマジ必要ねー。まだ猫の方がマシだろ」
    「ッてめえは……ああいえばこう言って!!」
    「ちょ」
    「どうどう。落ち着きましょーセンパぁーイ」
     突然キレて暴れ出した年上の女を硝子がさっと羽交締めにし、少々慌てた様子で傑もフォローに回るものの、普段が普段なので宥めるつもりでかえって怒りを煽っていた。
     それをけらけら間近で眺めて笑って、一方内心では、真っ赤な顔で拳を振り上げる彼女に何一つ悟らせなかったことに深く安堵していた。





     目で追うことが、増えた。
    「また見てるね」
    「……あー、まあなー……」
     窓の外、眼下に伸びる石畳を、おさげ髪の女が肩を怒らせて昇降口の方へ歩いてくる。
     何やら腹に据えかねることがあったらしい、というのは見ていてわかったがそれにしたってあんなどしどしと足音を立てて歩くほどかと笑ってしまう。馬鹿というわけでもないのだが、礼儀なんてものを重んじる割には単純明快でわかりやすい、なんて可笑しな女だろう。
     ただ────あの術式は、美しかった。
     出来るものならこの身で味わいたいと思うほど、奏でられる楽の中、健やかに、軽やかに、決め事通りに印を結んで舞う姿と広がる呪力を、飽きもせず何度でも目の奥で再生している。
    「……」
    「もしかして、惚れちゃった?」
    「ん〜、どうだろ……歌姫、雑魚だしなあ……」
     揶揄するように尋ねる傑に、呻くように返した。
     揶揄うのは面白いし、やめられそうにもない。そうやって、放っておけば良いと思うのに構うのをやめられないのは出会った頃から変わらない。そして、彼女の術式展開する姿を見て、別の余計な感情が芽生えた自覚もある。
     だがこれを、単純に色恋に絡めるのは何となしに違和感があった。
    「もし、歌姫が俺に術式使ったら、どのくらい威力上がるんだろーな?」
    「やめておけよ。それでなくともこの間、実技で運動場抉って怒られたばっかりだろ」
    「はは、だよなーっ。…………はー、あーあ」
     つまんねえ、と口先だけで冗談めかして笑ってみる。
     傑には、通用しなかった。それでもそれ以上踏み込んでくることはない。
     親友ならではの丁度良い距離感に安堵しつつ、更に思案する。目で追うだけでは物足りない。何なら近くで触れてみたい。それは、馴染みの良い柔らかな呪力だけではなく、吊り上がってばかりの黒い瞳に形が定かでなくなるくらい大きく映り込むくらい傍に寄って、脆弱そうな女の体を抱きしめてみたいとも欲している。
     きっと彼女は許さないし、無断で手を出せば烈火の如く怒り狂うこと間違いないだろう。どこまでも予想の域を出ない反応。その凡庸さまでもが、退屈ではなく愉快に感じる。
     だが、きっと、恋ではない気がした。
     得体の知れないこの執着を、好意と単純に篩い分けることすら、今はまだ躊躇われている。



     あれで歌姫は面倒見がよく付き合いもいいので、実力云々はさておき、上からも下からも評判はいいらしい。
    「せんぱーい、今日、どっか寄ってきませーん?」
    「いいわよ。どこ行く?」
    「駅前にクレープ屋出来たんですよ。そこ行きましょー」
     授業終わりでそそくさと四年生の教室に向かった硝子が、一人で教室にいた歌姫に声を掛けている。
     歌姫は歌姫で笑顔で頷き、二つ返事で行き先の相談を始めているのが何とはなしにもやもやとした。俺が相手ならああはならない。自分が悪いのはわかっているが、それにしたって、ちょっと、ムカつく。
     きゃっきゃと柄でもないのに花を飛ばす、女子二人の間に割り込んだ。
    「はいはーい! クレープなら俺も行く〜っ」
    「っちょ……何よ急に!! 間に入ってこないでよ!!」
    「えー、五条も行くの? てかあんた、夜蛾先生に呼ばれてなかった?」
    「んなもん秒で済ませたし。除け者にすんなよ、クラスメイドだろぉ? さびしーじゃん」
    「殆ど毎日顔見てるし、ありがたみないわ」
     基本面倒事に巻き込まれるだけだし、と肩を竦めた硝子は、俺をぐっと脇に押し退けて背中に隠していた歌姫を覗き込む。
    「センパイ、どうします? クレープじゃなくて、ハンバーガーとかにします?」
    「こいつのいないところだったらどこでもいいわよ……ッ」
    「ひっでえ。意地悪言うなよ、先輩だろぉ? ──なあ、傑も行くよなー?」
    「……まあ、悟が行くなら、行こうかな」
     巻き込むなよ、とでも言いたげな呆れ顔で、通りかかったばかりの傑が廊下からひょいと相変わらずの妙な前髪を覗かせた。態度はともかく、付き合ってくれる気はあるらしい。流石は親友。しかし、硝子もそうだが俺への扱いがやや雑ではないか。
     むっとしながらも表面上には機嫌良く笑い、ぽんぽん、と上から歌姫のつむじを軽く叩く。
     やめろ馬鹿、と歌姫は唸ったが顔を顰めるだけでそれ以上強固には反対せず、舌打ちしながら「仕方ないわね……」と悔しそうに呻いていた。



     結局、クレープになった。
     俺と傑が取り敢えずで定番の苺を選ぶ隣で、女二人は何故か惣菜系のクレープを頼んでいた。何しに来たんだこいつら。
    「甘いの食いたいんじゃなかったわけ? なんでピザ味?」
    「甘いのそこまで好きじゃないし」
    「生クリーム苦手なのよ」
    「はあ〜?」
     真面目に理解が出来ない。
     しかしまあ本人たちがいいのならそれ以上言っても仕方がない。自撮りを始めた二人を横目に眺めながら、クレープを一口齧った。うん、悪くはない。果物の酸味とクリームの甘さが口の中に広がる。
     まあもうちょっと甘くてもいいかもな、と口の端についたクリームを指で拭って舐めていると、歌姫がちらりとこちらを見て、「行儀が悪いわよ」とどこからともなくポケットティッシュを取り出した。
     素直に受け取り、指を拭く。
    「準備いい〜。お母さんみたい」
    「誰が母親よッ」
    「センパイ、私も一枚貰っていいですか?」
    「あ。私も」
    「いいわよ。……ていうか、このくらい、持ち歩きなさいよ……」
     誰が相手でも小言を零さなくては気が済まないらしい。眉間に皺を寄せて、それでも素直に世話を焼いて、そういうところが世間一般でいう「母親」の像そっくりそのまま。
     鬱陶しいな、面倒だな、とは思うのだが何故だろう。嫌な感じでは、ない。
    「……」
    「貸しだからね、今の」
    「…………、は?」
     歌姫からそっと離れて隣にやってきた硝子が、クレープに齧り付きながら言う。
     怪訝な顔で見下ろすと、硝子はこちらに一瞥もくれずこう言った。
    「意識してもらいたいんだったら、余計なこと言って茶化すの、やめなよ。歌姫センパイ、反応いいから楽しいのはわかるけど」
    「……」
    「やり過ぎると嫌われるよ。……いや、もう手遅れか。あはは」
     挽回する気ならもうちょいなんとかしなよ、と言い残し、小さい口でちまちまクレープに噛みつきながらまた歌姫のところへ戻っていく。
     言いたいことだけ言いやがって。
     言い返そうにも反論の隙もなく逃げられてしまいむっとするのを、食べかけのクレープで隠す。別に、俺のこれは、そんなんじゃない。惚れた腫れたなんて、そんなもんじゃ。
     ────まだ、今のところは。
    「…………なあ、傑」
    「ん? 何?」
    「俺ってそんなにあからさま?」
     自分では、全く、そんなつもりはないのに。
     けれども周りからすればそのように映るのだろうか。俺自身がわかっていないだけで、実はもう、沼に嵌ったあとなのか。
     綺麗にクレープを食べ終わった後の傑に顰め面で尋ねたところ、傑はそれでなくとも細い目を可笑しそうに細めて笑った。
    「認めたくない?」
    「それは……ある、かも。わっかんね」
    「じゃあ、それが答えなんじゃない?」
    「……」
    「悟。零すよ」
    「っ、わ」
     ぐ、と強く握りすぎた。
     半分も食べ進められていなかった薄手の皮が、包装紙ごとぐしゃりと潰れ、握った拳の上から絞り出されたクリームがべたりと手を汚した。
     今にも溢れてしまいそうなものを、滑るでも、落ちるでもなく、ぬるりと皮膚にこびりついて動かない。
     ……中途半端にへばりつくその様に、何故だか呆然としてしまった。
     その時だ。
    「あー! 勿体無いわね、もう……何やってんのよ、馬鹿っ」
    「ぁ」
    「ほら、早くしないと全部下に落ちちゃうでしょ。食べないんだったらさっさと拭きなさいよ」
     馬鹿だ馬鹿だと罵りながら、歌姫は、自分の手に戻ってきたばかりのポケットティッシュを一枚取り出して、今度は直接俺の手を拭う。はみ出た分だけ綺麗に拭き取って、丸めて、既に食べ終わっていたらしい自分の分の空の包装紙と一緒にゴミ箱へ捨てに行く。
     そして、もう一度戻ってくると、店からもらってきた紙ナプキンを俺に手渡し、鼻を鳴らす。
    「まだベタつくでしょ。使いなさいよ」
    「あ、うん」
    「まあ、手、洗いに行った方が早いと思うけど。取り敢えずね。気になるんなら、後でお手洗いにでも行ったら?」
    「ん……わかった」
     ありがと、と返すと歌姫は一瞬怪訝そうな顔をして、けれども何を言うでもなく口を噤んだ。
     何処か物言いたげな表情にむしろ俺の方が引っ掛かってしまい、声をかけようとしたのだが、歌姫の肩越しに傑と硝子が二人してにやついているのが目に入り、咄嗟に歯を剥いて返し、その場はそれきり流れてしまった。
     ────手は、もう一度丁寧に拭いたが、洗わなかった。



     俺より頭一つ小さなおさげ髪の女を思い浮かべて、一つ一つ、思いつく限りの悪口を並べていく。
     弱い。口煩い。ビビリ、小心者。短気。不器用。要領悪い。感情的で考えなし。特別可愛くもないし頭も良くないし飛び抜けて身体能力が高いわけでもない。術式も、取り立てて珍しくもなければ強力ということもない。
    「……悪口ってか、まあ、ただの事実だな。これ」
     本人が聞いたら「嫌味か!!」と瞬時に沸騰しそうなものだが、つらつらと浮かべた欠点に対し、だから嫌い、という感情はなかった。弱くても、俺を相手に、怯むことはない。口煩いがまあそれは取り合わなければいいだけで、説教じみた憎まれ口も衝動的な馬鹿の一言も聞かされていて苦にはならない。
     生き辛そうだな、と思うことは多々あるが、他に選びようもないのだと貫く姿はかえって好ましい。容姿が整っている訳ではないものの、ころころ変わる表情は見ていて飽きないし。戦闘中はあれで割と動けるようだし、術式の性質を考えれば、過度に前に出てうろちょろされるよりは後方支援に徹してくれた方が遥かに役に立つ。結局、歌姫はあれくらいの出来がちょうどいいのだろう。
     ……何だか、貶しているようで誉めているような気がしてきた。これでは傑に図星を突かれたも同然だ。
     認めたくない。
     そういう訳ではないと、自分では、思っている。怒らせるとわかっていても構いたいし、自分以外の奴に感けているのは見ていて面白くない。一番に、俺を、見ていて欲しい。得体の知れないこの執着を言葉に表すのならば、好き、の一言が単純明快に当て嵌まる。
     ただ、どこか、腑に落ちない。
     術式展開する歌姫を見て以来、急速に惹かれている自覚はある。あの女の一挙一動が気になって仕方がない。いっそ囲い込んでしまいたいと、独り占めしたいと欲するこの感情は、果たして、愛や恋の類と呼べるのか。
     わからない。
     だが、やはり、欲しい。
     一体どんな手を使えば、あの女は、この腕の中に望んで堕ちてくれるのだろうか。
    「…………え。ねえ、五条ってば」
    「あ」
    「ぼーっとしてないでさっさと返事しなさいよ。夜蛾先生が探して────いや、ちょっと待って」
     何よこれ、と吊り目の歌姫が唇を戦慄かせながら指さしたのは、今の今まで俺が歌姫の悪口を書き連ねていたノートである。
     鬼の形相、というにはやや負け犬感の滲む表情で俺を睨む女に、態とらしいくらいにっこりと笑って見せる。
    「ああ、これ? 歌姫の嫌いなとこ、ないかなーって考えててさ」
    「はあ!?」
    「けどこれが、ぜーんぜん、浮かばねえの。困ったもんだよ、ははは」
    「……何が全然浮かばない、よ寝言言ってんじゃないわよこんなに人の悪口並べ立てといて……ッ!!」
    「や、これは悪口の範疇になんないから。全部本当のことだから」
    「ッ…………もう……ほんっとに失礼なんだからあんたはァ……!!」
     案の定、の反応である。
     ふざけるな、と顔を真っ赤にして怒鳴り付けるところまで頭の隅で思い描いていた想像そのまま同じで、どこまでも想定を越えてこないこの小さくまとまった小者感も、本来ならばつまらないと唾棄する場面のようにも思うのだがこの女に限って言えば一周回って面白い。
     これも、特別、なのだろうか。
     そう言えば、俺が目の前で術式を使って見せても、その場その場で驚いたり血の気が引いたりはあったが次の瞬間には元気よく「あんたいつもやり過ぎなのよ馬鹿!」と怒鳴っている。
     高専の連中は気のいい奴らばかりで好きだ。それでも、俺が凄めば容易く身を引く。そうでないのは傑や先生くらいのもので、弱い奴らは蟻の子を散らすように離れていく。硝子ですら、少しでも身の危険を感じればあっという間に退散する。
     歌姫だって、同じだと、最初はそう思っていた。
     高説垂れて結局は口ばかりの弱虫だと思っていたのに、この女ならば、無力なままでも俺が嫌いな綺麗事を掲げて全力で噛みついてくると今は確信している。この女にとって俺は何ら特別なところはなく、寧ろ普通よりも劣っているような位置付けで、どうしようもなく愚図で可愛くない後輩なのだろう。
     歌姫は、俺が脅威だと知っていても、なお離れない。
     愚直なまでに真正面から向かい合う姿勢に何故だか初めて見た彼女の術式を思い出した。より速く、かつ強く、効率と最適化のバランスが求められる呪術師においては大凡真逆の術式展開。縛りを科し、何一つ手順を省くこともなく、決め事通りに丁寧に熟す。
     拒むでも、拒まれるでもなく、柔らかく肌に沁みて馴染んだ彼女の呪力を、改めて思い返す。
     ──────あの時俺は、俺も同じように、あの術式をこの身で味わいたいと強く願った。
     もっと、深く、触れたかった。
     誰にでも平等に祈りと祝福を希って唄う、真摯な眼差しに、俺一人だけを捉えて欲しかったのだ。
    「っ、ちょ……な、何よ急にっ」
    「なあ……歌姫ってさ、どんな男がタイプなの?」
    「は……はあ!? 藪から棒に何なのよ、意味わかんないっ、ていうか、そんなのあんたに関係な」
    「ある。まあ、聞いたところで、多分絶対確実に、その通りには振る舞わないけど。でも、参考くらいにはなるし」
    「……あ、あんた……なに、言ってんの……?」
     腕を掴んで、軽く引いて、少し顔を寄せただけなのにこの焦りよう。上擦った声と泳ぐ視線、僅かながら徐々に紅潮し始める頰を見ていると可笑しくてならないのと同時に、妙な気分になってくる。腹の奥がぐらぐら茹だって背筋が震えた。
     ああ、もしかして、ついつい揶揄いたくなるのもそういう理由だったのだろうか。頗る反応が良くて楽しいからだと思っていたのだが、どうやら、術式云々以前よりも前からずっとこの女に夢中だったらしい。
     よく考えたらよく考えなくても、俺ってお気に入りは壊れるまで構い倒すタイプだったな、と今更気付いて苦笑する。
     一方で、何が何だかわからないなりに珍しく雰囲気で察したらしい普段は物分かりの悪いセンパイが、すっかり逃げ腰で顔を赤らめているのを抱き寄せる。想像よりも、細く、柔らかい。甘いものは好まない筈だが、花のような香りがする。
     びく、と震えてから突如びたりと動かなくなった女の、丸い耳の先に唇を当てて囁いた。
    「何って、本当に、言わなきゃわかんない? ここまでしてんのに?」
    「ぅ、え」
    「……好かれたいんだよ、歌姫に。レンアイ的な意味で」
     なあ、どうしたら、俺のこと一番に好きになってくれる?





    「何それ。もう告白じゃん」
    「まあな」
    「で、振られたんだ?」
    「あ? 何でそうなるんだよんなわけねえだろ」
     少々事を性急に運びすぎただけである。自分の感情に明確に名前がついて、一気にテンションが上がってしまったのだ。勢い余って押しすぎた。
     結果、恋愛免疫ゼロの三つ年上の女は容量超過(キャパオーバー)を起こして、真っ赤な顔でぐるぐる視線を彷徨わせながら何を思ったか俺の横っ面に全力で張り手をかました。
     そして、「顔がいいからって何しても許されると思うなよ馬鹿!」と怒鳴って逃げていった、というわけである。
    「うっわぁ……それでその顔……」
    「珍しい。避けなかったんだな」
    「ん。まあな、まあいっか、と思って」
     怒りではなく照れと焦りで顔を赤らめた歌姫は単純に可愛かった。張り手を防いで見逃す可能性を考えて咄嗟に動きを止めてしまった。顔に手形を残されるよりも、今この瞬間の歌姫を目に焼き付けておくことを優先したのである。
     しかしそれを素直に白状するのは躊躇われた。
     歯切れ悪く笑う俺に傑は可笑しそうに口元を歪め、対照的に反吐でも吐きそうな顔を見せた硝子が顰め面になって手を伸ばしてきた。
     俺は、慌ててその手を叩き落とす。
    「何すんだよ」
    「ひっど。治してやろうと思ったのに」
    「いいんだよ、これは、このままで。後で、四年の教室に行くんだから」
     引き攣ると痛みの残る顔で歯を剥き、余計なことをするなと釘を刺す。
     硝子はますます顔を歪め、これには傑も呆れ顔になった。
    「その顔で先輩に会いに行くの? 自覚した途端にそれとか、好きな子に意地悪過ぎない?」
    「別にそういうんじゃねえって。牽制だよ、牽制。今日、四年は登校日だろ。見せつけんの。……まあ、歌姫の反応見たいのは当然あるけど」
     顔に自分と同じ掌の形を張り付けたままの俺が同期も揃っている教室に顔を出したのなら、事情を説明したくない歌姫は赤ら顔で怒鳴り散らして俺をどこかへ連れて行こうとするに決まっている。傍から見れば意味深以外の何でもない。そして、俺のお手付きだとわかれば、大抵の奴らはそれだけでも身を退くこと間違いなしだ。
     あの感じ、どうやら容姿は好みらしいし、男として見られないというわけでもなさそうだ。性格は矯正しようもないので慣れるなり諦めるなりしてもらうより他にない。あとは、外堀から埋めていこう。誠意、というやつが何より大好きな女だから、俺が本気だと解ればそのうち絆されるに決まっている。
    「やあー、楽しみだなあほんっと。歌姫、俺の顔見てなんて言うかなー?」
    「……あんたマジで性格悪過ぎ。センパイにこれ以上嫌われたくなかったら、大人しく私の反転術式受けた方がいいと思うけど?」
    「私も、今回ばかりは硝子に賛成かな……牽制するのは勝手だけど、先輩に嫌われてたら本末転倒なんじゃない?」
    「ばっかだなぁー、傑も硝子も。歌姫の嫌いなんていっつも口ばっかじゃん。本当に俺のこと嫌ってんなら、毎回あんなに構ってくれるわけねえだろ」
     嫌悪や敵意には慣れている。歌姫のあれはそうじゃない。
     まあ、愛されているかといえば決してそうではないので、そこはこれからどうにかしようとしているのではないか。
     俺は笑った。
     普段通りの満面の笑みに張り手の痕が痛んだが、大して気にはならなかった。
    「まあ見てろよ。どんな手使っても絶対堕とす。何が何でも歌姫の口から好きって言わせてやるから」
    「わあー、ちょー自信過剰…………」
    「多少は優しくしてやりなよ……」
     こんな時ばかり息の揃った様子を見せる同期二人に内心むっとしながらも、休憩時間が終わったと知らせるチャイムにおれは少しだけ居住まいを正し、この後の突撃の予定を頭の中でおさらいした。
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