Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    さんじゅうよん

    @kbuc34

    二次創作の壁打ち。絵と文。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 108

    さんじゅうよん

    ☆quiet follow

    バレンタインごうた。
    五に手作りを所望され渋々頑張る料理下手歌を硝がはらはら見守る話。東京一年も出る。

    フライングですが出来たので晒します。

    ##五歌

     寮に備え付けられた共用のキッチンで、仕事着の和装にそのまま襷を掛けた先輩が、某有名お菓子メーカーの公式サイトにある「誰でも簡単! 手作りチョコレシピ集」の記事を般若の形相で睨んでいる。
    「……歌姫センパイ」
    「これ、本当に全部、初心者向けなの……ッ?」
    「そうですよ。だから、そんなに身構えなくても大丈夫ですって」
     刻んで溶かして混ぜて、あとは固めるだけですからと、スマホ片手にふるふると震え出す白い肩を叩いて宥めた。
    「私も手伝いますから。ね? 取り敢えず、右手の包丁は一旦置きましょう。落ち着いて下さい」
    「そ、そうね……」
     きらりと光る刃物が、こちらに背を向けて、俎板の隅に横たえられた。正直、チョコを刻むのに逆手で握って掲げる姿はあまりに猟奇的で、ずっとひやひやしていたので一安心である。ほ、と胸を撫で下ろす。
     こんなところ、何処ぞの馬鹿が傍らで見守っていたのなら、指を差して大笑いをしてきっとお菓子作りどころではなくなった筈だ。先輩は先輩で、絶対に見られたくないに違いない。
     そもそも昔から厨房周りは不得意分野で、最低限の自炊以外は積極的に手を出したりしなかった。こんなこと、本当は、したくないだろうに。それを、仮にも恋仲とはいえ、我儘で皮肉屋な歳下の男のおねだりに応えて、嫌々、渋々、力み過ぎて震えながらもレシピ片手に包丁を握ろうとしている。
     ────変わったな、と思った。
     いや、むしろ変わらないのかな、とも考える。先輩は昔から、お節介で、口うるさいところもあって、誰にでも親切で、真面目なのに案外ノリも良いし、気は短いけれど情は深い、優しくて義理堅い人だから。
     二人が付き合い始めてまだ一年と少し過ぎたくらいだが、目隠し馬鹿は言わずもがな、先輩の方も実はずっと前からアレのことが気になっていたらしい。仕事中は相も変わらずきゃんきゃん仲良く吠えあっているが、彼氏からの、彼女へのお願い事には、てんで弱いようだった。恋人の記念日に託けた要求を突っぱねきれず、うん、と頷いてしまったそうである。
     にしても、だ。
    「よく、いいって言いましたね。先輩」
     こういうの苦手なのに、と私が言うと、スマホのレシピを睨みつつ、計量済みの板チョコを俎板の上に恐る恐る広げていた先輩が顔を顰めた。
    「仕方ないでしょ……あの馬鹿、どうしても、手作りがいいって言いやがるんだもの」
    「へえ……。それで、おねだり、聞いてやることにしたんですか?」
    「だって、溶かして固めるくらいなら流石に歌姫でも出来るでしょ、って言ったのよ、あいつ。最悪、腹壊さなきゃとんでもなく不味くてもいいから、って。…………いくら何でも、私のこと、馬鹿に、し過ぎっ、でしょうが……ッ」
    「……」
     それこそ溶かして固めるだけなのにどうやったら不味くなんのよ、と息巻いて文句を言いつつ、だんっ、と割った板チョコに向かって包丁を振り下ろす。
     ばりばり、と不穏な音を立てて真っ二つに砕けたミルクチョコレートを傍らに見下ろし、愛情どころか呪詛の叩きつけられた製菓材料に幸先から不安しか感じない。大丈夫、だろうか。このままだとあいつ、本当に腹壊すんじゃないの。
     しかしまあ、それも十年近く片想いをしていた恋人の念だと思えば、あの男なら嬉々として平らげかねないと思い直す。そもそも、医者要らずの最強相手に体調の心配をするだけ馬鹿馬鹿しい。
     私は早々に思考を放棄した。
     見てくれさえまともなら、まあ、何とかなるだろう。だん、だん、と怒りに任せて、チョコを刻むというよりは砕いている先輩に代わってレシピを読み上げた。
    「それ、もう少し細かくして下さいね。終わったらボウルに入れて、生クリーム温めましょう」
    「……わかった」
     チョコを砕くのに苛立ちをぶつけて、多少はすっきりしたらしい先輩は、むすりと頷くとそこからまた黙々とチョコを刻む作業に戻った。





     料理下手、というのは基本的に「言われたことを守れない」所為だと思う。
     この場合の「言われたこと」というのはつまりレシピのことで、指示通りの作業工程をこなしていれば、器用不器用で大なり小なり差はついても、それなりのものは誰でも作れる筈なのだ。理由は何であれ、余計なことをしたり、必要な手順が不足していたり、「言われた通り」が出来ていないから失敗する。
     先輩の場合、見切り発車で頭の中のぼんやりしたイメージだけで料理をしようとするので失敗が多いが、自炊程度の、やり慣れた作業であれば人並みには出来る。慣れないことをしようとした時に、間違えて、盛大に道を踏み外すのだ。
     故に、都度軌道修正してやれば、曲がりなりにもきちんとしたものが出来上がる筈である。
    「……先輩、先輩っ。ちょっと待って下さい、チョコレートは、直接鍋で火にかけたりしませんから。焦げますよ」
    「え……じゃあこれ、どうやって溶かすの?」
    「今、生クリーム温めたじゃないですか。これを注いで、混ぜながら溶かすんですよ。ここ、書いてあるでしょ?」
    「あ」
    「……」
     果たしてこれは、うっかりで済むミスなのだろうか。
     普段どうやって自炊しているんだろうと少々不安になりつつも、何とかチョコレートと生クリームを綺麗に混ぜ合わせ、無事、ガナッシュを作ることに成功した。
     オーブンシートを敷いた金属製のバットに出来たばかりのガナッシュを流し込み、軽く底を叩いて平に均してから冷蔵庫に入れた。
    「一時間冷やしたら、適当な大きさに切って、あとはココアパウダーかけてお終いです」
    「まだ終わらないのね……」
    「もうほとんど終わったようなものですよ」
     お疲れ様です、と振り返って笑うと先輩はカウンターにぐでっと突っ伏し「ありがとう」とぼやいた。
    「硝子が付き合ってくれて、本当、よかった……自分一人で作ると、何故か全部失敗しちゃって……」
    「……。まあ、私は特に何もしてないですけどね」
    「そんなことないわよ。いてくれるだけで、充分、助かったわ」
     本当にありがとう、とはにかむように笑みを向けられて、少し照れ臭くなる。
     こんなことで、本当にただ隣にいただけなのに、それだけのことで心底嬉しそうにしてくれるこの人が、私たちはみんな大好きだ。
     だからこそ、この笑顔がこの先曇るようなことになって欲しくはない。こんな生業で難しいのはわかっているが、それでも、幸せになってほしい。
     そう心から願っていたのに、よりによって、何処ぞの大馬鹿野郎がこの人を掻っ攫っていってしまった。
     …………正直、不安しか、ない。
    「そういえば先輩って、結構前から五条のこと好きでしたよね」
    「ッぶ」
    「アレの何処がよかったんです?」
     ガナッシュが固まるまでの時間、他愛のない世間話に花を咲かせていたところでふと尋ねると、先輩はものの見事に緑茶を噴いた。
     こういう反応の良さが、老若男女問わず親しまれ、五条に玩具(おきにいり)認定を受けた所以なわけである。
     湯呑みを置き、真っ赤な顔で口元を拭いつつぶつくさ弁明を早口に零しながらあたふたと台拭きでカウンターの掃除をしている姿を見ていると、五条ではないが私もやはり揶揄いたくなってしまう。
     が、ここは我慢して、質問の答えを待つことにした。
    「あの馬鹿、見てくれはいいけど中身はクズじゃないですか。最強に自分勝手ですし。先輩だってずっと、むかつく、って言ってたのに」
    「……」
     いつからなんですかと重ねて問うと、先輩は赤い顔のまま、困ったように「わかんない」と呟いた。
    「そんなの、私が、知りたいくらいよ………………あんなクズ男、好きになるつもり、これっぽっちも無かったのに」
    「……」
    「でもほら、あいつ、普段の素行はともかく、普通に格好いいでしょ……? 危ない時には絶対、相手が誰だろうが、必ず助けに来てくれるじゃない。その分余計なことも山程言うけど。……頼んでもないのに、何の義理もないくせに、文句言いながら駆けつけて、当たり前に体も命も張ってくれるのよ」
     あの顔で、あの性格で、そんなことされたらうっかり惚れても無理ないでしょ。
     口元を拭ったハンカチを押し付けたそのままで顔を隠して、俯き、もごもごと、まるで言い訳のように告げる。
     素直じゃないなあ、と不本意そうな口振りとは裏腹に顔ばかりか耳もうなじも指先まで赤く熱った様子の先輩を眺めつつ、しかしやはり理解出来ないと小さく眉間に皺を寄せた。
     五条はあれで博愛的だ。ありとあらゆるものが常人とスケール違いに生まれついたせいか、善悪の基準は並と少々ズレているように思う。だが、だからこそ、人間が好きでなければ、曲がりなりにも大人しく高専で教師などしてはいなかったことだろう。何事も楽しければそれでいい、と思っている節は見え隠れするもののその為に他人が犠牲になっていいとまでは思っておらず、目の前で誰かが困っていればやれやれと言いながら暇潰しがてら手を伸ばしてやる程度の善性もある。
     だがそれは、どうでもいい他人のために己の身を呈すような、自己犠牲的な奉仕とは無縁だ。あいつはいつでも、あいつの大切にしているものを指針にして行動している。
     先輩は、わかっているのだろうか。
     その中には、先輩のことだって、ずっと昔から含まれているんですよ。
    「……どうでもいい相手のピンチに駆けつけるほど、お人好しじゃありませんよ、あいつ。ていうかそれが仕事ですし。先輩、ちょっと五条のこと、買い被りすぎじゃありません?」
    「そんなことないわよ。普段の態度は、マジで腹立つし嫌いだもの」
     でも無責任なことはしないから憎めないのよね、と不服そうに付け加えて、先輩は尖ったままの口を再び湯呑みの縁に添えた。
     ……だから、そういうところが、買い被っているのでは、と言うのだけれど。馬鹿だ何だと本人目の前に日頃は憎まれ口ばかり叩いていても、結局のところ先輩は、あの大馬鹿野郎のことを信頼している。
     まあそれは私たちもみんな同じかと、内心で溜息を吐いた。奴が最強なのは間違いない。巫山戯た馬鹿だが頼りになるのも事実だった。
     そう考えると、真逆の二人である。だから、上手く噛み合っているのか。喧嘩、というか一方的に罵声を投げつけられては堪えもせずに寧ろ煽り立てている光景はよく見かけるものの、忙しいながら連絡を取り合ったり我儘に付き合ったり、こちらが想像しているよりも仲はいいのかもしれない。
     こうなってくるともう、先輩の挙げ連ねる日頃からの五条への鬱憤が、どれもこれも須く惚気話にしか聞こえない。あの馬鹿、と罵る形容詞さえ甘い気がする。事実、まだちょっと顔が赤い。何だかんだであまり会えないのが寂しいらしいが、本人にそれを言って、時間を作るためにますます無理をされるのも嫌であるらしい。結果、素直になれず、事あるごとに喧嘩腰になるようだった。
     私は耐え切れず肩を竦めた。
    「はいはい、ご馳走様です」
    「! ちょっと硝子、何よその言い方っ」
    「だって先輩、さっきからずーっと五条の話ばっかり。流石に聞き飽きました」
    「っ」
    「そういうの、私に言うより、本人に直接言ってやったらどうですか。五条、大喜びしますよ」
    「……言わないわよ。それはそれで癪なの。それに、むこう一ヶ月くらい、延々と揶揄ってきそうだし」
    「……」
     さもありなん、である。思わず黙る。
     そうこう話し込んでいるうちに、一時間があっという間に過ぎた。冷蔵庫を開けて、冷やしたガナッシュがきちんと固まっているのを確認すると、バットから取り出し、端を切り落として整えて、ラッピングボックスの大きさに合わせて、小さな正方形に切っていく。
     最後にココアパウダーをかけ、箱の中に収めて、ようやく完成だ。
    「何とかなった……」
    「お疲れ様です。上手くいって良かったですね」
    「本当にありがとね、硝子……これで五条に馬鹿にされなくて済む……!」
     一応、付き合い始めて今年が初めてのバレンタインだと思うのだが、彼氏に渡す手作りチョコへの感想がそれでいいのだろうか。
     と、そうは思ったものの苦手な菓子作りを終えた達成感から無邪気に笑う先輩に水を刺すようなことは言えなかった。これも奴の日頃の行いが悪い所為だ、仕方がない。
    「でも、どうしよう。結構余ったわね……」
    「そうですね。私も、甘いものはあまり食べないですし」
     味見に切れ端を少し食べたが、甘党の男に合わせたミルクチョコレートのガナッシュは一口でもう沢山だ。先輩も、甘い、と顔を顰めていた。酒のつまみにもならないし、二人で山分けにするのは少々辛い。
     どうしたものかと考えあぐねていたところ、厨房へ虎杖がやって来た。
    「あ、硝子さん……と、あれ、歌姫先生? 珍しいね、二人とも、ここで何してんの?」
    「わ」
    「ああ、ちょうど良かった。虎杖、甘いの好き?」
     見られた、ばれた、やばい、と思いきり顔に書いてあたふたする先輩を遮って、バットの上の余った生チョコを差し出した。
     虎杖は特に不審がる様子もない。お菓子を目の前にぱあっと目を輝かせた。
    「え? いいの、これもらって」
    「いいよ。余り物だから。寧ろ、食べてくれるんなら助かる」
    「やった、ちょうど小腹空いててさ、なんか作ろうかなと思ってたんだよ」
     嬉しそうにバットを受け取り、いただきますと、そのままその場で食べ始める。
    「味どう?」
    「ん、普通に美味いよ。ちょっと甘いかもだけど。誰にあげるの? 彼氏?」
    「ッ!!」
    「……。別に、そういうんじゃないよ。私はね」
    「へえ、そっか…………えーっと、その。俺、何も聞かない方がいい……?」
    「…………、……ッ」
     姉妹校の学生からあからさまに気遣われ、歌姫先輩は少々どころではなく動揺していたが、まあ、どうしようもない。辛うじて声を呑み込み震える先輩を背中に庇いながら、「そうしてもらえる?」と肩を竦めてみせた。
     虎杖は気まずそうに笑いながら、執りなすようにこう言った。
    「あ、けど、ほんと美味いし、相手、喜ぶと思うよ。うん」
    「……そーお? ちょっと甘過ぎない?」
    「! く、釘崎!?」
    「私、もう少しビターな方が好み」
    「お前が食う用じゃないだろ……」
     虎杖の脇からつまみ食いをした釘崎が忌憚なく意見を述べ、遅れてやって来た伏黒がその様子を呆れたように眺める。
     今日は日曜日なのによくまあ、仲良くぞろぞろと。甘い匂いに釣られて来たのか、三人揃った一年生に懐かしさも込み上げて、目を細めた。
     すると虎杖が、伏黒に向かって残り少ない生チョコを差し出した。
    「あ、伏黒も食べる? 結構甘いけど、美味いよ」
    「……いいんすか」
    「いいよ。私達は、甘いの苦手だから」
     伺うような目配せに笑って頷くと、伏黒も一粒口の中に放り込んだ。
     軽く眉を顰める仕草から察するに、やはり、大分甘いのだろう。ならそれでいい。まずくはないようだが一度に沢山食べられる物ではないらしく、次を進める虎杖に断りを入れていた。釘崎は釘崎で、文句を言いつつさらにもう一つ口の中へ放り込んでいる。
    「けど意外。硝子さんって、バレンタインに手作りとか渡すタイプだったんだ」
    「まさか。単なる付き合いだよ」
    「え、じゃあ…………え? マジ?」
    「………………」
     釘崎が、先輩の顔とすっかり空になったバットとを何度も交互に見比べ、しまいには調理台の上に置いたままにしてあった包装箱を見つけて唖然とする。
     そした、物言いたげな顔になった釘崎を遮って、虎杖が声を張った。
    「っだ、大丈夫だって先生。上手くいくって! ……たぶん」
    「多分て。確証もないのに無責任なこと言うんじゃないわよ、馬鹿」
    「ば、馬鹿って……そんな言わなくてもいいだろ!?」
    「お前らな、そのくらいにしとけよ」
     他人の恋路に首突っ込んだって馬に蹴られるだけだぞ、と伏黒が同期二人を嗜めるものの、気遣いからか小さく潜めた声を拾った歌姫先輩にまでダメージが通っていた。深く俯いてぶるぶる震えている。耳まで真っ赤だ。学生にバレたのが、余程、恥ずかしいらしい。
     ひそひそと小声で言葉を交わし合う一年三人を目の前にするのが耐えられなくなったようで、ばっ、と出来上がったばかりのチョコレートの箱を引っ掴むと紙袋の中に押し込み、胸の前に抱えて、一目散にドアに向かって駆け出した。
    「っ!?」
    「先輩」
    「か────帰る!!」
    「帰るって、ご……。あいつ、待たないんですか?」
     完全にパニックを起こしている様子の先輩に尋ねると、紙袋をくしゃくしゃに抱きしめながら叫ぶ。
    「ま、待たないっ。これ、あいつの部屋に置いてくる……ッ。絶対、なんか、言われるしっ! あ、ああああ、あんたたち! 今見たこと、くれぐれも言いふらすんじゃな──ッぶ」
    「なぁに? 歌姫、まさか僕に隠し事?」
    「…………、ぁ」
     ドアを開いて今まさに飛び出さんとしたその瞬間、道を塞いだ黒い壁に阻まれて、抱き留められ、挙句猫撫で声で問い掛けられて先輩はかちこちに固まった。
     五条である。
     急用が出来たとかで出張していた筈なのだが、帰りは夜中になりそうだとぼやいていた男が随分とお早い帰還である。恐らく、というか確実に、急いで戻ってきた筈だ。今日、私と二人で高専のキッチンを借りるという話は奴にも伝えてあり、涼しい顔はしているものの内心そわそわしているのが見てとれた。
     この男、歌姫先輩限定で、とてもわかりやすいのである。
    「な……あ、あんた、帰り、遅いって……!」
    「うん。あれ嘘。都内の会合に顔出して来ただけ」
    「は…………はあ!?」
    「チョコ作るのに、丁度いいくらいの時間だったでしょ? ──あ、これ? 僕のチョコ」
    「ッあ、ちょ、まっ」
    「ふーん、思ったよりまとも〜。見た目は及第点だな」
     あたふたしている先輩の手から袋を取り上げ、箱を取り出し、開けて、早速一欠片口の中に押し込んで五条が笑う。
    「ん、味も普通。ちゃーんと甘い。まさかと思うけど、硝子が代打したとかじゃないよね?」
    「んなわけないでしょ!? あんた私のことなんだと思ってんのよ!!」
    「……口は出したけど、手は出してないよ。一から十まで全部、先輩の手作り。良かったね」
     食べる前から既ににやけ面だ。わざと怒らせるようなことまで言って、手作りだと本人の口から言わせて、更にへにゃりと相好を崩している。とても見られたもんじゃない。気味が悪い。
     呆れて眉を顰める私に、五条は気にした様子もなく機嫌良く口の端を吊り上げて、サングラスを外した。
    「そっかあ。監督付きとは言え、やっぱ歌姫でも、溶かして固めるくらいは出来たかぁ」
     じゃあ来年からもお願いしようかな、囀るように独りごちるのを聞いて、あまり馬鹿にしてくれるなよとばかりに拳を握っていた歌姫先輩は血相を変えた。
     酷く、引き攣っている。
    「い────い、いやよ! これ毎年やるとか、どんな拷問なのよ!?」
    「溶かして固めるだけなのに?」
    「溶かして固めるだけでも! 大変!! なの!!」
    「うっわ、歌姫必死過ぎ。ウケる。……けどまあ、そこまで言うんなら、来年は一緒に作る?」
    「阿呆か!! 嫌に決まってんだろ!!」
     調理工程あんたに見られるくらいなら特級呪霊の前に放り込まれたほうがまだマシよ、と先輩は絶叫している。たかだか菓子作り、しかし先輩にしてみれば死地に臨むよりも覚悟がいるらしい。
     とにかく嫌だと訴える恋人を宥めるどころか煽り倒し、暴れる体を抱き締めている男は実に満足げだ。今さっきカツアゲしたばかりの手作りチョコは、丁寧に箱を閉じて紙袋の中へ仕舞い込んでいた。後でゆっくり味わう気なのだろう。歌姫先輩の暴れようと罵詈雑言に目を瞑るのならば、それは、傍から見ればバレンタインに託けていちゃつくカップルそのものである。
     嫌だとは言いつつも、当たり前のように、次の、さらにその先の約束を交わして。
     無意識にながら当たり前のように側にいる未来を語る言葉に、目の前の男がどれほど喜ばされているのか、あの人は気付きやしないのだろう。
    「……」
    「……なあ、これがいわゆる、犬も食わないってやつ?」
     俺初めて本物見たんだけど、とぼやく虎杖の横で釘崎は酷い渋面で舌打ちをくれていた。
    「企業戦略にちゃっかり乗せられて浮つきやがって、アラサー共が……ッ。ていうかおかしくない? 何であんな性格破綻者に彼女いるわけ?」
    「釘崎、偏見やばいね」
    「いいからお前ら、マジでもう、黙ってろって」
     余計な火の粉が飛んでくるとばかりに、伏黒が嗜める。
     すっかり蚊帳の外で仲良く騒ぐ一年三人の横に並びながら、私は私で一人苦笑を零していた。










    「なあ、何で帰ろうとしたの? 出来たら部屋で待ってるって約束したのに」
    「急用を思い出したのよ……っ」
    「今の今まで忘れてるようなもん、別に大した用じゃないだろ。なのに、僕に断りもなしに、約束破ろうとしてたんだ? え?」
     酷い、と拗ねた声を繕って嘯く。
     寮の厨房から場所は移って、僕の部屋である。用は済んだからもう帰ると駄々を捏ね出した歌姫を引きずって、連れて帰って来たところだ。
     ベッドに腰掛け、隣に座るようにと手を引いた僕に対し、歌姫は正面に立ち尽くしたままそっぽを向いている。叱られる前の子供まんまだ。感情的になるあまりつい勢いだけで悪いことをした、とは思っていそうである。
     別にいいのに。
     そんないつものことで怒ったりはしない。責めているのもポーズだけ。
     そのくらいは歌姫にだってわかっていると思うのだが、どうやら、今は罪悪感の方が勝っているらしい。
     それはとても都合がいい。
     僕はむっとした顔つきのまま、内心にんまり笑っていた。
    「歌姫?」
    「…………だって」
    「だって、何?」
    「……絶対、馬鹿にされると思ったんだもの…………こっちは必死だったのよ。余計惨めじゃない」
     わかってても傷付くのよ、とむくれて口を引き結ぶ。
     頑張ったのだから褒めろということだろうか、それこそ子供のようなことを言う。が、多分そういうことでもないのだろうなあ、と複雑怪奇な女心を推察する。
     取り敢えず惚けた。
    「何でそうなんの? 不味かったならともかく、歌姫にしては上手に出来てたじゃん。美味かったよ」
    「後付けみたいに言われても腹立つからやめて」
    「褒めたのに?」
    「……あんたの言い方、いちいち、嫌味なのよ」
    「……」
     本格的に拗ね出した。すっかりご機嫌斜めである、どうしたものか。こうなると、流石の僕でもすぐには正解に行きつかない。
     考えあぐねて手持ち無沙汰になり、取り敢えず手元にあった紙袋から頂いたばかりのチョコを取り出して摘んだ。
     単純に溶かして型に流し込んで固める程度のものだって全然構わなかったのに、歌姫が選んだのは生チョコだった。一応はこれも、初心者向けではあるらしい。同期が付きっきりでレシピの遵守を徹底させたお陰で、普通に甘くて美味しく仕上がっている。
     手の込んだものを、とまでは全く考えていなくて、仮に失敗して劇物のような代物が出来上がっていたとしても多分食べた。確かに不味いと揶揄うくらいはしたかもしれないがそこは別にどうでもよくて、料理の苦手な彼女に、僕のために何か作って贈って貰うことこそが一番の目的だったのだ。
     勿体無いと思いつつ、あっという間に溶けていく甘味を味わっていると歌姫は顔を顰めた。
    「……ねえ。それ、食べるんなら、後にしてよ……っ」
    「あのさあ、僕、昔から、僕の所為で歌姫が困ってんの見るの、好きなんだよねえ」
    「あんた人のこと無視した上に何とんでもないこと言ってんのよ……ふざけんじゃないわよ!!」
    「何とかしようとしていっーつも、一生懸命空回ってるじゃん? 間抜けで、面白可愛くって、堪んないんだよね」
     それに、怒っている間は、僕のことだけを考えてくれている。人の顔を見るなり猪突猛進に、掠りもしない拳を振り上げてくるのもいい。稚拙だと自覚はあるが、お優しいお姫様が僕以外を眼中に入れない時間はとても貴重なのだ。
     昔からずっと、ずーっと、だ。
     僕は、この女の気を惹こうと躍起になっている。
    「ごちそーそま」
    「あんたねえ……後にしてって言ったのにッ」
    「だってさあ、今までどんなにごねても脅してもちっこいチョコ一つもくれなかったのに、ちょっと上目遣いでお願いしただけで、嫌々渋々、手作りしてくれたんだよ? そりゃもう楽しみにしてたよ。待ちきれないし、これだけじゃ物足りないね」
    「……」
    「次は、毒味から僕にさせてよ。余ったからって、他の奴に配ったりしないでさ」
     本当は今回もそのつもりでいたのだが、悠仁たちに先を越されてしまった。一応は仕事だったので仕方ないとはいえ、痛恨の極みである。
     振りではなく思い出して不機嫌になった僕を見て、歌姫は一瞬きょとんとし、しかし次の瞬間には忌々しそうに眉を顰めてそっぽを向いた。
    「毒味って……あんた、やっぱり馬鹿にしてるでしょ」
    「馬鹿にしてるってか、実際、歌姫料理ド下手じゃん。この間、目玉焼きすら炭にしてたし」
    「…………もう、二度と、何も作らないッ」
    「何で。目玉焼きはともかく、チョコは上手くいったじゃん。一年に一回くらい頑張ってよ」
     体の横でわなわな震えていた拳骨を二つ拾い上げ、上から包むように握りこむ。
     宥めるように、にぎにぎと柔く力を込めれば、ぎこちなくこちらを向いた歌姫が穿った目をしてこう言った。
    「……来年も頑張ったところで、私に、一体、何の得があんのよ」
    「僕が嬉しい。すんごい。嬉しい」
    「……」
    「楽しみにしてるな?」
     約束、と言って勝手に右の小指を拝借すると指切りをした。
     しっかり小指を結んでぶんぶん大きく振ってやったが歌姫は不愉快そうな顔をしながらも一言も文句を言わない。何なら目元が赤い。というか耳まで赤い。
     つまり、そういうことである。
    「あ。そうそう、お返しは期待してくれていいよ?」
    「やめて。あんたが張り切ると、碌なことにならないからっ。…………ていうか、別に、そんなつもりであげたわけじゃ、ない、し……」
     どうやらそろそろお怒りも解けたようだと、離れた小指の代わりに柔らかな体を引き寄せる。膝の上に抱き上げた歌姫は居心地悪そうにもぞもぞ体を小さくしながらぶつくさと唸るような声色で可愛いことをぼやいている。
     僕は思わず天を仰いだ。
     あーもう、ほんっとに、これだからやめられないんだよなあ。
     ────どうにも、虐めたくなる。
    「ん」
    「!! ちょ、ちょっと、いきなり何すんのよ!?」
    「だから、物足りないんだってば。……でも、そしたらちょうどここに、甘そうなものあるし。齧るっきゃなくない?」
    「なくない、じゃなくて普通にナイわよっ。大体私はお菓子じゃ────む」
    「……。お菓子みたいなもんだよ、やっぱ、甘いもん」
     淡く色のついた唇をそっと食む。僕にだけ甘い、というわけではないのが少々腹立たしくはあるものの、僕に格別甘いのは間違いないのでまあ許してやろうと思う。現に、今だって、文句は言っても抵抗しないし。
     まったく、そういうことするから、調子乗っちゃうんだけどなあ。
    「歌姫、ほら、あーんして。意地悪しないで。もっとちょうだい」
    「ッ……」
    「もお〜、抉じ開けられる方が好みなのぉ? それも悪くはないんだけどさあ、一応、バレンタインでしょ? こういう時くらいは、素直に食べられて欲しいんだけどなあ」
     あわよくば愛の言葉の一つでも聞かせてくれたら嬉しいが、まあ、そこまで欲は張るまい。今回は、結構無理矢理、頑張って貰ったのだし。愛されているのは十二分に身に染みた。
     だからこれはただの意地悪だ。
     本気にしなくたって良かったのに、何を思ったのか目尻を吊り上げた歌姫が、ぎゅっと真横に引き結んだ唇を頭突きの勢いで目元に押し付けてくる。
    「!」
    「すき」
    「……」
    「でも、来年も手作りするのは嫌。私だって暇じゃないのよ」
     それから、と歌姫は少し言い難そうに口をもごもごさせながら付け加えた。
    「…………冷蔵庫に、買ってきたチョコ、あるから。後で食べて」
    「……」
    「……そんな目で見ないでよ。いくらあんたが良くっても、不味いってわかってるもの、食べさせたくなかったのよ……っ」
     ちゃんと作ってくれる気ではいたがちゃっかり保険もかけていたらしい。もし失敗していたら何の面白みも愉しみもない既製品を渡されていたわけか。やはり、頃合いを見計らって戻ってきて良かった。
     万一の場面を想像して、つい白い目になる僕に歌姫は気まずそうに声を荒げる。
    「い、要らないんなら、いいわよ。持って帰って学生に配っ────!」
    「ん」
     まったく、学習能力のない歌姫だ。人の話を聞いていたのだろうか。何であろうが、僕の為に小さな頭を必死に悩ませて用意したのだろうものを他の誰かにくれてやるわけがない。
     さっきからそう言っているというのに、なおも聞き分けなく寝ぼけたことを零す口を今度こそ思いっきり塞いでやった。





     今年のバレンタインは、酷く気苦労の多いものになった。
     まあでも異様に喜んでいたので、甲斐はあったかな、とは思う。毎年は御免だが。気が向いた年にはまた頑張ってもいいかも、と僅かに血迷う程度の達成感はあった。
    「はい」
    「え」
    「来週誕生日でしょ。悪いんだけど、当日は、仕事で会えそうもないから。先に誕プレあげる」
    「……あ、あり、がと」
     翌朝。
     帰り際、玄関に立った私に五条が紙袋を差し出した。
     見ていいかと問うと頷いたので、中身を取り出す。
     透明なフィルムをリボンで止めた袋の中身は、金属製のタンブラーと、リップとハンドクリームだった。拍子抜け、と言うと言葉が悪いように思うが、てっきり奇を衒ってくるものと思い込んでいたので、普段使いしやすい無難なもので揃えられていることにまずは驚く。
     私は、じい、と手元のプレゼントを見下ろした。
     何と言っていいのかわからなくなり、ぎゅう、と胸の前で抱えると深く俯く。
     五条はくすくす笑って私を抱き締め、旋毛のあたりに唇を押し当ててくる。
    「ちょっと気が早いけど、おめでと。気に入った?」
    「……うん。うれしい」
     ありがとう、ともう一度呟く。
     ちょっとお高そうなタンブラーはビール用だし、リップもハンドクリームも私が普段から気に入ってよく使っているものと同じだった。
     普段は離れて生活をしていて会えるのは月にほんの数度、それも仕事が理由になるのが殆どなのに、そんなところまで見ていてくれたのだなと、ちゃんと私を想って贈ってくれたことが、嬉しい。
     しかしやはり五条は五条でしかないというか、じんわり温かくなった胸を急激に冷ますような余計な一言を添えてくる。
    「あーあ。歌姫、またいっこオバサンになっちゃうね。一つ追いついたと思ったのに、たった二ヶ月ですぐ元通り。つまんない」
    「……あのね、年齢は、追いかけっこじゃないのよ……ッ。あと、あんただってアラサーなんだから人のこと言えた義理じゃないでしょうがッ!!」
    「僕まだ二十代だもん。がっつり三十路の女と一緒にされてもな〜」
     はっはっはっ、と笑い声を立てた男はいつもの調子で拳を振り上げた私の腕を掴み、引き寄せて、指の付け根にキスをした。
    「っ」
    「これは、あくまでお誕生日用だから。チョコのお返しはちゃあんとホワイトデーにするからな。──ちなみに、大きい葛籠と小さい葛籠、どっちがいい?」
    「なんで雀のお宿形式なのよ……。どっちも嫌なんだけど」
     明らかに罠だ。
     わざわざ選ばせるのだから、そうに決まっている。
     じと目で貰ったばかりの誕生日プレゼントを抱き締めていると、五条はくつくつ笑ってこう言った。
    「ふーん、どっちも選ばないんだ? 歌姫は欲がないねえ。困ったなあ」
    「とか言いつつ、何で、そんなにやにやしてんのよ……。ねえ、ほんと、変なことやめてよ。巫山戯たもん寄越したりしたら、手作りどころか、金輪際、バレンタインなんてやらないんだからね……っ」
    「わかってるわかってるぅ。期待してて、って言ったろー? ちゃーんと真剣に用意するし、まあ、楽しみにしてなよ」
    「……」
     その言葉、全く信用ならない。
     仮に今の発言が嘘偽りないのだとして、真剣に、本気で用意されるお返しとやらもそれはそれで恐ろしい。こいつに比べたら私なんて所詮は一般人に毛が生えた程度、果たして、受け止め切れるだろうか。
     思わず顔が強張る私を五条は一頻り笑って、頰を抓み、横に広げてから鼻先を齧る。
    「いはぁいッ!」
    「そんな警戒すんなよ。傷付くし。可愛さ余って、もっと虐めたくなるしぃ?」
    「……、…………っ」
    「……ん。じゃ、名残惜しいけど、またな」
     送って行けなくてごめん、と歯の痕が赤くなった鼻の頭にちょんと口唇を押し当てて、五条が眉尻を下げる。
     すっと頰から離れた指の感触を押さえるように頰を包んで、私は「そんなのは気にしなくていいわよ」とぼやいた。
     五条はこれからすぐに任務に出るとかで、しばらくごたつくらしく、次に会えるのはそれこそホワイトデーあたりになりそうだ。
     私はじくじく痛む頰を押さえたまま、五条を睨み、またねと唸った。
    「変なお返しは、要らないけど……ホワイトデー、会いに来てよ。酒奢って。それでいいから」
    「……ほんっと、欲がないなあ」
     そんなんで良いの、と呆れたように笑いながら、五条が手を振る。
    「なら、来月の十四日、ちゃんと空けといてよ?」
    「わかってるわよ。あんたこそ、来る時は先に連絡して頂戴」
    「ハイハイ」
    「もうっ……生返事ッ」
     最後くらい、きちんとしてくれたらいいのに。
     ブーツに爪先を収めた私は後ろ髪引かれる思いながらも、ばぁか、と思わず捨て台詞を吐いて外に飛び出した。閉まる扉の向こうから、五条の笑い声が聞こえる。ますます腹が立つ。
     けれど。
    「次……一ヶ月後、か」
     お返しなんてそんなもの、本当に、どうでもいい。
     知っているくせに、何か企んでいるらしいのが癪に障る。でも、本当に欲しい物も、ちゃんと与えてくれるから憎めない。
     私はきゅっと口を引き結んだ。
     意識して顔を顰めていないと、どうにも頰が緩むのだ。
     なんて単純な女だと、我ながら呆れてしまうくらい。それでも────いつもであればなかなか交わせない、次の約束が、ある。
     たったそれだけの非日常を、幸福だと、笑った。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤💖💖😭😭😭❤❤❤💞🍫🎀🎁🍼😭💒🍫🍫🍫🍫🍫💖💖💖💖💖💖💯💘❤💖💘💞💯💗💖😍🍫🍫💘☺💗🍫💖💒💖😍💖🍫🍫🍫🍫🍫💖💖☺🍫🍫❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator