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    merinowool133

    @merinowool133

    転セバの話をします。X→@merinowool133

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    merinowool133

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    9月の新刊の冒頭部分。成人後の転セバ(闇祓い転×ホグワーツ教授セバ)で、二人が怪事件に巻き込まれたり、再びバディを組んだりする連作の予定です。
    ⚠️ほぼモブパートです。暴力、殺人、遺体の損壊、公序良俗に反する表現や描写を含みます。

    進捗 何重にも黒を編んだような、深い深い闇の中。それは唐突に目を醒ました。
     此処はどこだ。
     低く呻く。しかし声にはならない。それは唇や声帯、喉を震わせる器官を持っていなかった。沈む闇は底が無く、天地すら覚束ない。広いのか、狭いのか。それすらも分からぬ箱に、有象無象がみっちりと詰まっている。無数のざわめき、数多の囁きがごうごうと打ち寄せては遠のいていく。ただ延々と蠢いている。
     なんと不自由なことか。
     かつての己を手酷く罵ると、それは手足の無い身体を大きくねじった。何度か繰り返す内に、異物と認識されたらしい。それは有象無象の中心から、外界へと弾き出された。
     少々高い場所から落ちたが痛みはない。別れを惜しむほどの感慨も無く、土塊の転がる地面を腹這いに進んだ。細い風の音が聞こえる。これを辿れば外に出られるだろう。音を頼りに石壁に張り付き、隙間に身を滑り込ませた。
     そうして──どれほど行ったのか分からなくなった頃。先に光が見えた。進むほどに強くなる。
     外だ!
     身体に力を込めて跳ねる。日差しの元に乗り出した瞬間、迸るような激痛が走った。ぎゃぁと大きく身悶える。苦しい。苦しい。その場で痙攣し、震え、流れもしない涙を滲ませる。痛い。痛い。這いずる力すら奪われていく。鈍り、摩耗まもうする身体を嘆いた。大慌てで日陰へと逃れるが状態は変わらない。むしろ動くほどに酷くなっていく。
     そうか、と一つの答えに至る。この苦痛は陽の光が原因ではない。おそらく■■■■から離れすぎたせいだ。■■■■は単独では存在できないのだ。新たな拠り所を見つける他ない。だが、この状態では遠くへ行けないだろう。どうしたら──。それは幾度目の煩悶を経て、最期の力を振り絞り屋外へ出た。
     そよぐ風、柔らかな陽の光、身体に絡む砂や土……そのどれもが美しく、また愛おしい。激痛に苦しみながらも、それには願いがあった。もっと知りたいことがある。もっと見たいものがある。ここで消えるわけにはいかない。消えたくない。弱弱しく這いずり回る。もはや形すら失いつつあったが、止まるわけにはいかなかった。
     そして、行く手に奇跡のような輝きを見た。
     赤く染まった人間が倒れていたのだ。女だ。おびただしい量の血を流している。腹の半分が大きく抉れていた。動物か何かに襲われたらしい。内臓を押さえる手のひらは青白く、呼吸も途絶えかけている。命は風前の灯だった。憐みより先に、それは興奮と喜びに沸いた。
     ──これを使わぬ手はない。
     それは少しの逡巡も無く人間へと覆い被さると、皮膚を剥がし、脳髄を啜り、内臓を全て別の物へと入れ替えた。声にならぬ絶叫と、それを掻き消すほどの不快な音が一帯に響く。その場には、一人の“人間”が残った。
     大きく息を吸う。身体の痛みはもう無い。その幸福に淡く微笑む。知るためには動かねばならない。まずは名前が必要だ。この人間の記憶を探ってみよう。頭蓋を割り、内側を切り開く。その奥に潜むものを掘り起こす。

     エストリエ。

     ああ、これがいい。おとぎ話の登場人物らしいが、響きが気に入った。
     女は声を震わせて笑う。

    「アハハッ」

     あぁ。これで私は自由だ──。



      1

     ──ロージー・クルース殿。先日の調査任務お疲れさまでした。
     報告書、及び添付資料を確認致しました。協議を重ねた結果、当初予定していた闇祓い局ではなく、魔法生物規制管理部が引き継ぐ事となったため、ご連絡します。詳細な調査をありがとうございました。
     休む間もなく申し訳ありませんが、次はアイルランド北方にあるマグルの農村へ向かってください。調査期間は一週間です。詳しい内容は同封した資料をご参照ください。
     二か月前より“死者が当時の姿のまま甦る”との噂が流れており、村の複数箇所で闇の魔術が行使された可能性があります。村の現状、住民の動向、魔術の痕跡の有無をご報告ください。 
     必要とあれば追加の人員をお送りします。
     また、毎日の定時連絡を欠かさぬよう、重々よろしくお願い致します。

      ※※※

     どれくらい歩いただろう。
     ロージー・クルースは長い林道を抜け、額の汗を拭った。
     道沿いの低木に錆びた看板がぶら下がっている。長いこと野晒しだったのだろう。ペンキはすっかり剥げ、何が記してあったのか、それすらも分からない。看板は風に吹かれ、回転しながら時折きぃきぃと高く鳴いた。
     ロージーは泥の混じった砂利道を尚も進み、不意に足を止めた。依頼状と地図を取り出し、辺りと見比べながら確認する。
     よし、この先が指定の場所で間違いない。日が暮れる前に着いて良かった。
     魔法省の書状を杖で叩けば、文字が一つ、二つと千切れるように列を離れ、合わさり、あっと言う間に何の変哲もない“友人からの手紙”へと変わった。ハイ、ロージー。元気してる? という一文から始まる書類を仕舞い、ロージーはズレた眼鏡を掛け直す。空には色褪せた太陽がぽつんと浮かんでいる。ロージーは手のひらで日差しを遮ると、林道から農道へと変わった景色に目を凝らした。
     汽車とバスを乗り継いで約六時間。ここまで辺鄙な場所に来るのは久しぶりだった。

     ロージー・クルースは、マグル学を専攻する若き学者である。そして同時に、魔法省、魔法事故惨事部の調査員を務めている。
     普段はフィールドワークで各地を転々しており、事務所に戻ることは滅多に無い。半年に一度顔を見せれば良い方だ。そのため、今年入職した新人は、このマグル学の学者に未だに会えていない。埃を被った彼女の机を眺め、なにかいわく付きかと首を傾げていることだろう。
     ロージーが担う仕事は、魔法、及び魔法使いが関与した疑いのある“マグルの噂”の調査である。
     廃屋の幽霊騒動、墓地を夜な夜な漂うエクトプラズム、ある土地で繰り返される集団ヒステリー、同じ夢を見続ける住民たち、言ったことが現実になる街──と、調査の内容は多岐に渡る。闇の魔法使いが潜んでいたり、古い遺物が関与していたりと原因は様々だが、噂の根源には必ず魔法の存在があった。

     今回のロージーは、地質調査目的で村を訪問した大学院生、という肩書きになっている。何度も使った設定なのでボロは出ないと思うが、用心するに越したことはない。
     任務の特性上、調査員は既に完成されたコミュニティに潜り込むことが多い。他人に与える印象に関し、いつも以上に繊細になる必要があった。相手がマグルの集団となれば尚更だ。コミュニティの“目に見えない基準”から逸脱すれば最後、異端として弾き出されてしまう。そうなれば調査どころの話では無い。任務続行が困難になるだけでなく、敵意や害意に晒される危険性もある。
     故に、ロージーは調査の有無に関わらず、日常からマグルと同じ生活様式を心がけていた。手帳と杖以外は鞄も含め全てマグル製である。マグルと魔法使いの間にある違和感を、極力削ぎ落すためだ。現地に向かう時も、箒や姿現しではなく公共機関を使うようにしている。非効率的だとよく嘆かれるが、効率云々より怪しまれないことを重視した結果だ。
     調査終了後は、報告書を通して適切な人員が現地に派遣される手筈になっていた。
     この手の噂は根が深いことが多く、強力な術者と交戦に至るケースも少なくない。ロージーは戦闘の一切を不得手としているし、調査員である彼女に事態の収束まで望むのは酷だ。荒事は専門家に任せた方が良い。
     とはいえ、闇祓い局に在籍する彼女の先輩であれば……その両立も可能かもしれないが。


     噂の舞台はアイルランド北方、山間に拓かれた小さな農村である。
     主な産業は畜産と耕作で、住民の過半数がこれに従事している。村の人口は減少の一途を辿っており、子どももここ数年産まれていないそうだ。
     ──死んだはずの人間が現世に甦った。
     荒唐無稽な話が山を越え、魔法省の耳に入ったのは今から二カ月前。噂の始まりは山小屋に住む一人の猟師だ。件の村には十数年前から毛皮や肉などを卸しており、住民との付き合いも度々あったのだという。
     数か月ぶりに村を訪れたある日。猟師は只ならぬ体験をした。
     猟師はいつものように村を練り歩き、馴染みの家の戸を叩いた。すると、中から年端もいかぬ少女が顔を覗かせたのだ。見慣れぬ姿に猟師は眉をひそめ、この子は誰だ、といぶかしんだ。家の住民は確か……若い頃に夫を事故で、幼い娘を流行り病で失った老婦人である。今は独り身のはずだ。遠縁の子でも遊びに来たのだろうか。
     少女は婦人の背に隠れたまま、微動だにしない。しかし、両の瞳は真っすぐに猟師を捉えていた。猟師はそれに、得も言われぬ居心地の悪さを覚えたという。絡みつく視線を感じながら、猟師は婦人へ尋ねた。親戚の子ですか、と。
     ──私の娘よ、天国から戻ってきたの。
     何故そんな当たり前のことを。そう言いたげに女は微笑んだ。呆気に取られる猟師を残し、婦人は壁に掛けられた額縁を指さした。色褪せた写真の中には、笑顔の若い夫婦──妻の方は若い頃の婦人だろう──と、耳の上あたりで髪を二つ縛りにした少女が写っている。
     少女?
     猟師ははっと息を呑んだ。足元が崩れるような感覚に震え、その場から一歩、二歩と後ずさる。似ていると思ったのだ。いや違う。同じだ。全く同じだ! 今まさに、自分を見上げる娘と!
     ──帰ってきたのよ。
     女は繰り返す。笑っている。少女はじっと、猟師を見つめる。瞬きもせず、言葉も発さず、じっと。
     その異様な雰囲気に耐えられず、猟師は家から逃げ出した。以降、村には訪れていない。この猟師の体験が口伝えで広がり、やがて真偽不詳の怪しげな噂へと変わったのだ。
     ──俺ァ嘘は言ってねぇぞ。死んだ嫁さんに誓ってもいい。山の神さんにもだ。
     話を聞きに来たロージーに対し、猟師は強く言って返した。齢七十を越えた老人だが、背筋はぴんと伸びて実に矍鑠かくしゃくとしている。瞳に濁りは無く、妄想に取り憑かれた様子もなかった。嘘は言っていないだろう。開心術を使う必要は無いと判断した。

     死んだはずの人間が甦る。常識的に考えれば、そんな事はあり得ない
     死者、といえば真っ先に思い浮かぶのは死霊魔術だ。噂の影に潜むのは死霊魔術師ネクロマンサー? しかし、どうにも引っかかる。死霊魔術は外法として確かに存在するが、その本質は亡者の使役であり、死者の蘇生ではない。失われた命が戻らないのはマグルも魔法使いも同じだ。どんな魔法を使おうと、自然の摂理を覆すことは叶わない。
     疑問は振り出しに戻る。
     ──多少の違和感はあったが、飾ってあった写真と家にいた娘は同じだった。あの子どもは確かに生きていた。昔の姿のままで!
     猟師はそう言って何度もロージーに念を押した。
     前述した通り、死霊魔術に限らず、魔法には死者を甦らせる力はない。せいぜい魂を引き留めるのが関の山だ。しかし、猟師が目にしたのは“生きた人間の少女”である。しかもその少女は、流行病で何十年も前に死亡している……。これは大きな矛盾だ。上手く説明がつかない。まさか、亡者の外見を偽装している? 可能性はゼロではないが、精巧でなければすぐバレる。労力に見合うメリットがあると思えない。
     そもそも──相手は本当に死霊魔術師なのだろうか?
     暗い予感が過ぎる。
     状況的に外法が使われたのは間違いない。だが、手持ちの情報はその仮定を真っ向から否定していた。この噂は底知れぬ不合理を内包している。何か……前提となるものが間違っているのかもしれない。いつだって思い込みは危険だ。この件に関わっているのは闇の魔法使いなどではなく、もっと強大で、狡猾な──。

     ロージーは手帳を持っていない方の手で、後頭部を掻き毟った。自分の中にある仮説を猛烈な勢いで記していく。書き殴った文字が消えたのを見て、ロージーは手帳を閉じた。手帳は地学調査の冊子へと早変わりする。
     気持ちを切り替えよう。
     ぬかるんだ砂利道は石造りへ変わり、随分歩きやすくなっている。村の生活圏に入ったということだろう。疑念は尽きないが、それを明らかにするために此処まで来たのだ。いつまでも難しい顔をしているわけにはいかない。ロージーは緊張で強張った身体を解すように、ふうと息をつく。ついでに小さな民家が見えてきた。これは幸いだ。訪問して、可能であれば村の様子を聞いてみよう。
     格子状の簡素な門扉を開く。そして、ロージー・クルースは意を決し木製の戸を叩いた。


     間の悪いことに、住民は不在だった。ドアベルを鳴らすが反応はなく、裏手へ回るも誰も居ない。廃屋……ではないだろう。庭は綺麗に整えてあるし、窓辺には暮らしの跡が垣間見える。やはり、どこかに出かけているようだ。
     ちょっと幸先が悪いなぁ、とぼやいて、ロージーは大人しく踵を返した。村に着いてすぐ住民に会えないのは嫌な兆候だ。経験上、調査が難航することが多い。
     気を取り直し、再び道沿いを進む。
     道には牛車がすれ違えるくらいの幅がある。造りは古いが、定期的に手入れされているようだ。明らかな割れや凹凸は見られない。道の両端には土が盛られ、緩い傾斜ができていた。傾斜の先には低い石塀が並び、その隙間を縫うように雑草が葉を伸ばしている。
     ……静かだ。ロージーは自分の足音を聞きつつ耳をそばだてた。人が生活している気配はある。なのに住民と鉢合わない。村の外れだからだろうか?
     それから更に半刻ほど歩いたが、やはり誰とも行き会わない。ロージーはおもむろに道端に腰掛け、地図を広げた。紙面を指先でなぞる。このまま行けば拓けた場所に出る。村の中心地に着けば、おそらく集会場か……それに準ずるものがあるはずだ。人の集まる所には自ずとまとめ役もいる。その人物に自分の目的──無論、地質調査の方である──を伝え、村の滞在を許して貰おう。調査はその後に進めていけば良い。地道だが、それが一番堅実だ。
     地図を畳んで鞄に仕舞いこむ。ロージーは水筒の蓋を開け、温くなった水を口に含んだ。
     今のところ、村に不審な点はない。魔法が使われた痕跡も無く、よくあるマグルの農村として映った。
     ──本当に、甦った死者がいるのだろうか。
     浮かんだ疑念を振り払い、緩む気持ちを引き締める。普通でないからこそ、自分が調査するのだ。油断は禁物だ。この村では、本来あり得ざる異変が起こっている。
     胸の内で呟いたところで、ロージーは視線を道なりに戻した。あっと声を上げる。道の向かいから老婦人が歩いてきたのだ。ロージーは水筒を片付け、大慌てで腰を上げた。村に入って初めて会う住人だ。脅かさないよう丁寧に、友好的な態度で接さなければ。

    「こんにちは、お嬢さん」

     しかし目が合った途端声をかけられ、ロージーは素直に面食らった。意気込みが宙を掻く。ワンテンポ遅れて挨拶と会釈を返すと、老婦人は口元を押さえ朗らかに笑った。

    「知らないお顔だったから挨拶しちゃった。迷惑だったかしら」

     上品な雰囲気の女性だ。右の足があまり良くないのだろう。時折庇うような様子がある。年齢は六十後半~七十を越えたくらいか。頭髪は根元まで真白く染まり、陽を浴びて透けるように輝いていた。皺の刻まれた目尻は柔く解け、見る者に優しげな印象を抱かせる。

    「いいえ、とんでもない! 嬉しいです。えぇと」
    「クロディアよ。クロディア・パメラ」

     パメラと名乗った老婦人はそう言って手を差し出した。
     彼女は異邦人ロージーを全く警戒していない。むしろその存在を歓迎しているようだった。ロージーは嬉しさ半分、困惑半分といった様子で握手に応じた。

    「どうも、パメラさん。ロージー・クルースです。ロンドンの大学院で学生をしておりまして」
    「まぁ、学生さん? こんな田舎に来るなんてどうなさったの? 卒業旅行という時期ではないわよね」
    「はい。実は、卒業論文のためにイギリス各地の地質調査をしているんです」
    「あら、それは大変ねぇ。私ったら、てっきりあの噂を聞いて来たのかと思ったわ。ごめんなさいね」

     全身に鋭い緊張が走った。

    「噂……ですか?」

     老婦人の一挙一動を見逃さぬよう神経を研ぎ澄ませる。ロージーの心情など知る由もない婦人は、頬に手を添え、実にのんびりとした口調でぼやいた。

    「あら、ご存知ない? 少し有名になってるみたいよ。死んだ人間が甦るとか何とか。おとぎ話みたいよねぇ」
    「え、えぇ。少し不気味な話ですね……」

     ロージーはあくまで無知を装い、戸惑ったフリをする。

    「うふふ、怖がらせちゃったかしら。でもただの噂よ。甦るなんて、そんな事ないのにねぇ。……あれは奇跡よ」

     婦人は唇を窄めてそっと囁いた。まるで秘密の告白をするように。そして、内緒よ、と言って微笑む。薄紅を引いた唇が、一層深く弧を描く。ロージーを見つめる彼女の瞳は爛々と輝いていた。ある種の強い熱狂を孕んでいる。
     ──いきなり当たりだ。
     ロージーは細く息を呑んだ。興奮と動揺を悟られぬよう必死だった。甦りではなく、“奇跡”。パメラ夫人は確かにそう言った。初めて聞く情報だ。何かを指し示す隠語だろうか。この女性は、噂に関して何か……表沙汰になっていない事情を知っている。この機会を逃す手はない。
     だが、ロージーは直感で二の足を踏んだ。

    「あぁ、そうだ。村で何かするなら、彼女に話を通しておいた方が良いと思うの。今の時間だったら中央広場にいるから、よかったら一緒に行きましょう」

     あまりに、自分に都合の良い展開だと思ったのだ。危険かもしれない。ロージーは懐の杖に手を伸ばし、老婦人とその周囲に小声で出現呪文レベリオをかけた。武器になるようなものは何一つ見当たらない。更に言えば、婦人は魔法使いですらなかった。どうしたものかと考え、ロージーは視線を泳がせる。
     死者が甦ると噂される村。それを奇跡と呼ぶ老婦人。中央広場で待つという彼女──。
     ロージーは腹を決めた。こうなった以上、付いて行くしかあるまい。


     パメラ夫人に案内されたのは、村の中心にある集会場だった。丁度、会合が終わったのだろう。看板も無い小さな白い建物から、ぞろぞろと住民が出てくる。その多くが老人ではあったが、後を追うように子どもや若者も数名続いた。
     ロージーはやっと合点がいった。村で人に会わなかったのは、住民の多くがこの集会場に詰めていたからだ。

    「あら、見ない顔ね。こんにちは」
    「やぁお嬢さん。こんにちは」
    「こんな辺鄙なところまでどうなさったの? 本当に何も無いんだから」
    「違いない。そういうところが良いんだけどな」
    「まぁ、ゆっくりしていきなさいよ」
    「泊るところは決まっているのかい?良かったらウチに来ておくれ。困った時はお互い様だからね」

     住民は見慣れぬロージーの姿を認めるなり、口々に声をかけた。皆、朗らかな笑みを浮かべている。その表情にかげりはない。幸せそうに見える。囁かれる話が“ただの噂”でしかないと錯覚してしまうほどに。ロージーは彼らに軽く会釈を返し、パメラ夫人と共に集会場の中に足を踏み入れた
     広さはないが、妙な開放感がある建物だ。白を基調とした室内には、目立った仕切りも家具もない。
     まず目に入ったのは、左右に広がる大きなガラス窓だ。絶え間なく外の光が差し込んでいる。天井にも四角く切り抜かれた窓があり、建物全体を照らしていた。光の間を縫うように淡い影が奥へと伸びる。部屋の突き当たりには、小さなテーブルが置いてあった。上に火の消えた燭台が並んでいる。ロージーは壁伝いに視線を流す。十字架は……見当たらない。しかしこの様式はどこか儀礼じみている。土着の簡易的な教会なのかもしれない。そう推察した。

    「お客様ですか?」

     部屋の奥、そこに唯一わだかまる暗がりから女の声が漏れる。ロージーはいきなりの事に驚き、声の方へ目を向けた。パメラ夫人が、応えるように声を上げる。

    「ああ、エストリエ。こちらは、ロージー・クルースさん。ロンドンにある大学の学生さんなんですって。この村の地質を調べにいらしたそうよ。しばらく滞在したいと言うのだけど、大丈夫よね?」
    「えぇ、もちろん」

     影が揺れた。そして一歩、前に躍り出る。光の中に姿を現したのは年若い女性だった。女は、白を基調とした立襟の祭服を身に纏っている。裾に黒い刺繍が入っているだけの、実に簡素な装いだ。

    「私も、そしてこの村もあなたを歓迎します」

     そう言って微笑む表情は穏やかで慎ましい。目を奪われる容貌ではないが、不思議と心惹かれるものがある。彼女はこの村の顔役を担っているという。聞けば、ロージーとそう年も変わらない。

    「どうも初めまして、エストリエさん。ロージー・クルースと申します。数日間、この村の地質調査をさせて頂きます。皆さんの生活をお邪魔することは決してありませんので、よろしくお願いします」
    「はい。ご丁寧にありがとうございます。どうぞよろしく、クルースさん」

     ロージーは差し出された手を握り返した。その時。
     ──痛ッ。
     思わず身を強張らせる。触れた一瞬、指先が鈍く疼いたのだ。電流が迸るような感覚があった。

    「どうかなさいましたか?」
    「いえ……。すいません、大丈夫です。ちょっと疲れてるみたいで」

     小首を傾げるエストリエに対し、ロージーは苦笑を返す。そして自分の手のひらを見つめた。まだ微かに震えている。単なる気のせいか。気には掛かったが、下手に追求して相手の機嫌を損ねては元も子もない。ロージーは沈黙を選んだ。

    「ねぇエストリエ、お願いがあるの。クルースさんを裏手の山まで案内してくれないかしら? あそこなら村の様子が良く見えるでしょ。私は、あまり足が良くないから……」

     パメラ夫人の提案に、エストリエは鷹揚おうようと頷いた。

    「えぇ、大丈夫ですよ。会合が終わって手も空きましたから」
    「良かった。それじゃあ、私は準備があるからそろそろ帰るわね。クルースさん、今度は家にいらして。この集会場の近くなの。娘と一緒に歓迎するわ」
    「はい、是非。ありがとうございますパメラさん」

     ロージーは礼を言い、夫人の後姿を見送った。
     親切な人だったが、結局彼女の真意は掴めないままだった。とりあえず、夫人が言う裏山まで連れて行って貰おう。改めて案内を願い出たロージーに、エストリエは再び頷いた。彼女の指先が戸口へと向く。

    「こちらへどうぞ。裏山までご案内致します」


     ぼんやり傾いた日差しが、木々の合間に影を落としていた。
     肩で呼吸しながら坂を登る。しばらく行くと、吹き抜けるような光景が目の前に広がった。崖下には広場と集会場、そして人々の往来が見て取れる。パメラ夫人の言った通りだ。この場所なら村の様子がよく分かる。視界を遮る枝葉を手で押し退け、ロージーは小さく息をついた。これからどうすべきかと、考えを巡らせる。
     おそらく、住民に悪い印象は持たれていない。顔役との挨拶も済んだし、調査はパメラ夫人を切り口として始めるべきだろう。もちろん地質調査も並行して行う予定だ。隠れ蓑とはいえ手は抜けない。疎かにしては怪しまれる。
     途端に、小骨が刺さったような疑念が過った。そうだ。どうして警戒すらされていない? 土地柄だからと言うのは簡単だ。しかし何か──なにかが、違う気がする。その答えが出てこない。考えるほどに指針を失っていく。立ち行かなくなる。泥沼にでも足を取られようだ。躓き、転がり、いつの間にか抵抗する意思すら無くしている。深いどこかへ沈んでいく。底知れぬ感覚に支配される。その理不尽に、何故かロージーは安堵している。
     突然、意識を裂くような鐘の音が一帯に響いた。がらん、がらんと、低く間延びしたような音色が薄曇りの空へ消えていく。音の出所を探る。集会場の付近から村の外に向かって、人々が列を成しているのが見えた。黒い行列だ。先導の者だけが真白い礼服を纏い、後ろに大きな箱を担いだ男衆が続く。いや、箱ではなくあれは──。

    「棺?」

     思わず口に出していた。再び目を凝らす。やはり間違いない。誰かが亡くなったのか? ということは、あれは葬式の参列者だろうか。集会場を出る前、パメラ夫人が言っていた“準備”はこれを指していたのかもしれない。

    「ご一緒されますか」

     唐突な呼びかけに、ロージーは目を見張った。傍らのエストリエへ顔を向ける。

    「参列しても、宜しいのですか?」
    「はい、もちろん。これも何かの縁でしょう。どうぞ死者の旅路にご同行下さいませ」
    「え、えぇ」

     語尾に躊躇いが滲む。この困惑に理由はない。強いて言うのであれば本能、もしくは直感に近い。エストリエはロージーの動揺を知ってか知らずか、薄く微笑んだままだ。
     女の眼差しは穏やかで澄んでいる。逆に言えば何も読み取れない。ロージーは視線を切って逡巡した。ここで断れば怪しまれる。あまり選択肢は多くない。否、上手く……頭が回らない。

    「よろしくお願いします」

     ロージーの答えに、エストリエは目を細め口先だけで笑う。
     強い眩暈めまいを感じた。


     列の最後尾が見えてきたところでロージーは異変に気付き、戸惑い、足を竦ませた。黒い人垣が、道を塞ぐようにして並んでいたのだ。
     ──わざわざ待っていたのか? 私たちを?
     何故だ、と視線を投げる。住民たちは談笑するわけでもく、何か手遊びをするわけでもなく、ロージーとエストリエを見つめている。老人が多いが、若い男女も、子どももいる。それが皆一様に、じっとりと視線を寄こすのだ。彼らの重い瞼は、まるで夢と現の狭間を彷徨っているようである。無感動で無機質な瞳、虚ろな眼差しが幾重にも降り注ぐ。重苦しい圧を感じた。肌が粟立つ。背筋に、形容しがたい怖気が走る。

    「クルースさん。死者へ手向けの言葉を。冥福を祈って頂いても宜しいでしょうか」

     沈黙を保っていたエストリエが、不意に声を上げた。
     ロージーは悲鳴を呑み込むと、恐る恐る振り向いた。心臓が早鐘を打つ。どく、どく、大きな音を立てている。首を横に振って、遠慮することもできたはずだ。しかしロージーはそうしなかった。断る、という行為自体が既に潰されていた。思考は鈍り、灰色に濁り切っている。エストリエから目を逸らせない。俯瞰ふかんしていたつもりが、絡め取られている。観測していたつもりが、飲み込まれている。
     ロージーは口の中で半端に舌を伸ばし、縮め、再び葬列の中へ顔を向けた。そして何かに導かれるように、覚束ない足取りで人垣の合間を進む。列の先頭に着くと、裏山で見た“棺”が置かれているのが分かった。
     棺の蓋は、開いている。

    「どうぞ、クルースさん」

     背後のエストリエが促す。だめだ、見てはいけない。分かっているのに身体が思うように動かない。声に抗えない。ロージーは懐の杖をあらためることもできず、ゆっくりと、棺の傍に膝をついた。その内側を覗き込む。

    「これ、は……」

     何も無い。
     中には何も無かった。遺体も、遺品も。ただ暗い空洞が、ロージーを見つめ返している。
     理解した途端、理性が決壊した。喉がひゅっと細い音を立てる。唇が戦慄わななく。あれほど跳ねていた鼓動が失調し、恐怖で縮み上がる。ロージーは引き付けを起こしたように仰け反り、そのまま大きく尻餅をついた。鼻先から眼鏡がずり落ち、地面に転がって軽い音を立てる。それを拾うこともできず、絶え絶えに息を漏らす。これは一体どういうことだ。ロージーは混乱と恐慌に陥っていた。
     彼女の背後で、何かがのそりと蠢く。悪意を纏っている。波状のように広がっていく。人垣がロージーを取り囲む。ロージーが異変に気づいて顔を上げた時、黒い壁は一片の隙間もなく彼女の周りを覆っていた。
     はっ、はっ、はっ。荒い息遣いが漏れる。ロージーはそれが自分のものなのか、他人のものなのか、もう分からなくなっていた。怖い。立ち上がらなければ。ただそれだけを思い足に力を込める。
     その瞬間、ロージーの首筋に重い衝撃が走った。堪らず悲鳴を上げる。何が起こったのか。確かめる間も無くロージーは石の地面へ倒れ込んだ。まずい。まずい。早く体勢を整えなくては。細胞の一つ一つが叫ぶ。警鐘を鳴らす。だが──全てが遅かった。狂気が立て続けにロージーの顔に、手足に、身体に襲いかかる。両腕で必死に頭を庇うが、それも大きな意味をなさなかった。やがてロージーは抵抗の力を失った。
     視界に血が滲む。住民たちは無表情のままロージーを眺めている。人々のざわめきは膨張し、何重にも折り重なって鼓膜を打つ。何かを呟いているのは分かる。しかしうまく聞き取れない。

    「ありがとう。さようなら」

     ぴたりと、ざわめきが止んだ。柔らかく凛とした声だ。朦朧とする頭でエストリエの声だと理解した。女がうたう。ややあって、周りの住民たちがエストリエの言葉を復唱する。

    「ありがとう。さようなら」

     恐ろしいほど抑揚の無い、平坦な声だった。意識を保っていられない。指先一つ動かせなくなっている。
     ありがとう、さようなら。
     落ちる瞼の向こうで、低い囁きが響いた。


    ※※※


     エストリエは思考する。エストリエは思案する。この肉体に残された記憶を掻き出す。色褪せた情景を頼りに道を辿る。
     飛び出た臓物が大腿を伝った。重力に従うまま千切れ、道端へと落ちていく。赤黒くおぞましい跡を点々と残す。しかし全てが些末なことだ。腹には別のものを詰めてある。動作に何一つ支障はない。
     私は歩いている。
     エストリエは剥き出しの肌で地面を駆けた。私は歩いている。呼吸している。生きている! 突き上がるような哄笑が身の内で弾けた。ぎゃっぎゃと叫ぶ。げぇっげっと吠える。
     おっと、これはいけない。

    「アハハ」

     記憶で見た女と、笑い方が違うことに気付いて改める。ズレた形を戻していく。
     目的の建物が見えてきた。この肉体の“家”だ。裏手へ回ると、小綺麗な庭がエストリエを出迎えた。女が唯一慰みとしている光景だった。初めて見るはずなのに懐かしい。自然と笑みが溢れる。蕾を開く可憐な花々を踏み潰し、エストリエは更に歩を進めた。庭先の納屋に立ち入り、壁に吊り下がったなたを手に取る。見た目より重くて少しふらついた。それがどうにも可笑しくて、再び声を上げて笑う。
     鉈を携え家の正面へと回る。扉に手をかけると、簡単に開いた。家はエストリエを拒んでいない。歓迎されている。その事実に歓喜した。にんまりと悦に浸る。
     鉈の先端を引き摺り、玄関を越え、とうとうリビング前に辿り着いた。
     此処が肉体が望んだ場所だ。来たかった場所だ。
     誰かがソファーに座っている。こちらに背を向けているので、表情は窺えない。広い背中と短く刈り上げられた土色の髪。人間の男だ。男は家の主であり、この肉体の配偶者だった。
     おいてめぇ今までどこをほっつき歩いてたんだ。養われてる癖にいいご身分だな。
     男は振り返ることなく、エストリエに吐き捨てる。新聞でも読んでいるのか、時折大判の紙をくしゃりとめくる音がする。くしゃり、くしゃり。愉快な音だ。
     おい聞いてんのかくそったれ。てめぇに言ってんだよ。
     男は先ほどより大きな声で恫喝する。それに応えるように、エストリエはリビングへ足を踏み入れた。
     目を見ては駄目だ、と。肉体が叫ぶ。あぁ、きっと駄目なのだろう。エストリエは素直に受け入れた。きっと視線が合えば最後、この身体は竦み、たちどころに循環を失ってしまう。
     女は──この肉体は、夫に対して常に怒っていた。恨んでいた。憎んでいた。幼い日より憧れていた。焦がれていた。男を射止めた自負と誇りがあった。選ばれたのだという矜持があった。なのに。なのに歳を重ねるほどに夫の仕打ちは酷くなり、交わされる言葉は罵声ばかり……。もはや会話と呼べるものも無くなっている。しかし、それでも夫を愛していた。女の親友と絡み合う姿を見るまでは。
     そうだ。
     この肉体は、夫が死ねばいいと──殺してやりたいと思っていた。あの日からずっと、それだけを願っていた。
     憎しむ故に愛するのか。愛する故に憎むのか。
     エストリエはその矛盾の答えを知りたかった。本懐を遂げた後、この肉体が、二人の関係がどう変化するのか知りたかった。他にもある。絶え間なく溢れてくる。知りたい。もっと知りたい。もっと見たい。もっと感じたい。

     一回りほど歳の離れた男の肩口に、エストリエは鉈を振り下ろした。がつんと鈍い音が鳴る。ぎゃあと高い悲鳴が上がる。男の絶叫は野太いものだと記憶していたので、エストリエはその差異を面白く思った。
     刃先が関節で詰まったのか、上手く抜けず苦労する。男は血に塗れた肩を押さえてもんどり打った。聞き取れない言葉で何かを喚き散らす。興味深い。もう一度同じことを言って欲しい。できれば、もっと聞き取りやすい声で話してくれると良い。エストリエは何度も何度も男に刃物を打ち付けた。その度に血と肉が飛び散り、フローリングの床を、ほんのり黄ばんだ壁紙を彩っていく。やめろ。やめてくれ。やめて。抵抗は徐々に弱まり、小さくなっていった。男の首は抉れ、腕は肩関節の辺りから裂けて大口を開けている。物言わぬ肉塊だけが残される。
     男は毛羽立ったカーペットの上で背を丸め、絶命していた。
     エストリエはそれを見下ろし、半端に繋がった男の首を切り落とした。床に鉈を放り、代わりに男の頭を抱え上げる。そうしたいと、身体が望んでいた。切実な祈りを受け止め、エストリエは微笑んだ。今、この瞬間、エストリエは達成感と幸福に満ちていた。
     人の願いを叶えるというのは、なんと心地良いのだろう! 願いの過程で、人は様々なものを見せてくれる。教えてくれる。素晴らしい、と男の生首を抱えたままエストリエは絶頂した。
     その余韻を絶つように、無機質なドアベルが響く。少し経って、戸が開く音がする。誰かが入ってくる。エストリエはぐるりと首を捻り、廊下へと目を向けた。

    「急にお邪魔しちゃってごめんなさい。昨日のことが心配で。返事もないし、何かあった? 何か──」

     重い足取りで訪れた人間は、リビングに広がる光景を見て絶句した。悲鳴も上げられないまま壁に背を預け、ずるずると腰を抜かす。年老いた女だった。エストリエの肉体は、このお節介なだけの生き物が嫌いだった。憐れむような眼差しを寄越すこの未亡人が、ずっと煩わしかった。

    「アハハッ」

     エストリエは、己の肉体に笑いかける。そして抱えた首を無造作に床へ打ち捨てた。
     あなたの望みは既に叶えた。ありがとう、さようなら。ここからは好きにやらせてもらおう。幸い、やりたいことは決まっている。まず手始めにこの老女だ。彼女の名前……名前は、そうだ。

    「パメラ。あなた、死んだ娘にまた会いたいと、以前私に話したことがあったでしょう」

     もっと知りたい。見たい。感じたい。その全てを手に入れたい。
     私にはその資格も、力もあるのだから。




     2

     闇祓いの男は、首筋を這うむず痒さに身じろいだ。山の中は藪蚊やぶかが多くて鬱陶しい。肌を歩く虫を叩いて払い、眼下の景色へ視線を投げる。

    「うーん。一見、何の変哲もない村に見えるけど……」

     やっぱり変だ。男──転入生は、崖上から村の中心地を見下ろしてぼやいた。
     正午を過ぎた頃だというのに、人の往来が全く無い。静寂に包まれるその様は、違和感を通り越していっそ不気味である。締め切った家の中、息を潜める住民たち……。想像だけで背筋に冷たいものが走った。しかも、人とは違う何かが蠢く気配がある。人に紛れて行動している。いったい何故。なんの為に。再び目を凝らすが……やはり分からない。実像が掴めない。村全体が薄い被膜のようなものに覆われているせいか、形も規模も曖昧だ。ただ見るだけ、表層を撫でるだけでは、何一つ理解できないのだろう。内側に手を伸ばさない限り。
     厭な予感がした。入るのは容易いが、出るのは難しいかもしれない。

    「ミイラ取りがミイラになったら、洒落にならないしなぁ」

     今回は救出任務である。失敗は許されなかった。
     念には念を、と転入生は懐からメモ帳とペンを取り出した。緊急用の文言を書き綴る。同行しているフクロウを呼びつけると、その足首にメモを結んだ。

    「朝の七時と、夜の二十時に必ず君を呼ぶ。呼びかけが無い場合は緊急事態だ。そういう状況になったらこの紙を魔法省に……いや、君が一番信頼できる人に届けてくれ」

     理解したと言わんばかりに、彼は「ほほ」と答え、翼を広げて大きく羽ばたいた。
     立場上、魔法省には何かと敵が多い。闇祓い局まで届いてしまえば問題ないが、それまでにいくつか関門がある。配送の途中で嫌がらせを受けたり、救援要請自体を潰される可能性がゼロではなかった。リスクは最小限に、行動は常に万が一を考えて、だ。組織を信頼できない、というのは些か頭が痛い話ではあるが、こればかりは仕方ない。転入生の失脚を狙う連中がいるのは確かだし、転入生とて奴らの思い通りに動いてやるつもりは無かった。
     ──セバスチャンが一緒に居てくれたらな。
     ふと、相棒の面影が傍らを過ぎる。彼と二重の意味でペアを解消してから、もう三年だ。いや……まだ三年しか経っていない。転入生は未だに新たなペアを組めずにいるし、上司や同僚にどれだけ苦言を呈されようと全て突っぱねてきた。ただのエゴだと分かっている。でも、こればかりは譲れない。彼以上の相棒などいないからだ。いるはずがない。
     寄る辺ない寂しさに空を仰ぐ。裂けた雲が白波のように細く伸びている。なんだか感傷的になってるな、と転入生は小さく苦笑した。
     死んだ人間が生き返ると噂され、魔法省の調査員が姿を消した村。何が起こるか分からない。何が起こってもおかしくない。懐にある杖の位置を確かめ、気持ちを引き締め直す。

    「さて、行こうか」

     任務開始だ。





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    merinowool133

    PROGRESS9月の新刊の冒頭部分。成人後の転セバ(闇祓い転×ホグワーツ教授セバ)で、二人が怪事件に巻き込まれたり、再びバディを組んだりする連作の予定です。
    ⚠️ほぼモブパートです。暴力、殺人、遺体の損壊、公序良俗に反する表現や描写を含みます。
    進捗 何重にも黒を編んだような、深い深い闇の中。それは唐突に目を醒ました。
     此処はどこだ。
     低く呻く。しかし声にはならない。それは唇や声帯、喉を震わせる器官を持っていなかった。沈む闇は底が無く、天地すら覚束ない。広いのか、狭いのか。それすらも分からぬ箱に、有象無象がみっちりと詰まっている。無数のざわめき、数多の囁きがごうごうと打ち寄せては遠のいていく。ただ延々と蠢いている。
     なんと不自由なことか。
     かつての己を手酷く罵ると、それは手足の無い身体を大きくねじった。何度か繰り返す内に、異物と認識されたらしい。それは有象無象の中心から、外界へと弾き出された。
     少々高い場所から落ちたが痛みはない。別れを惜しむほどの感慨も無く、土塊の転がる地面を腹這いに進んだ。細い風の音が聞こえる。これを辿れば外に出られるだろう。音を頼りに石壁に張り付き、隙間に身を滑り込ませた。
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