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    merinowool133

    @merinowool133

    転セバの話をします。X→@merinowool133

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    merinowool133

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    「あの春の日の息の根を止めて」(呪われたのがアンではなくセバだったら、の転セバの話)の前編、加筆修正版の1節目です。話の流れは変わりませんが、節を追加したり表現を変えたりする予定です。
    修正前はこちらから→https://privatter.me/page/65e8670eb168e

     頑固者。融通が利かない。強情。すごく負けず嫌い。
     僕の友人たちは“セバスチャン”の話をする時、そう言って憚らない。
     あとは何だっけ。ホグワーツの決闘クラブのチャンピオンで、熱中すると止まらなくなるほどの読書家。えぇと、それから……。
     指折り数えながらぼやくと、隣を歩くアンが「緊張しなくて大丈夫よ」と顔を綻ばせた。彼女は瞳を弓なりに細め、楽し気に肩を揺らす。ころころと変わる表情が快活で好ましい。もちろん、友愛としての意味だ。
     誰に言い訳をしたのか分からぬまま、再びアンへ視線を投げる。オミニス曰く、アンとその兄は目元と笑い方が似ているそうだ。なるほどと唸り、頭の中でまだ見ぬセバスチャンの姿を思い描く。──が、どれもしっくり来なくて諦めた。

    「僕、そんなに緊張してるように見える?」
    「見える。ちょっと意外なくらいにね。でも心配しなくていいわ。手紙で大まかな事は伝えてあるし……それにセバスチャンったら、会う前からあなたに興味津々だったわよ」
    「それ本当?」
    「もう、嘘を言っても仕方ないでしょ」

     訝しむ僕の背を叩き、アンは朗らかに笑う。

    「大丈夫。きっと、セバスチャンのことを好きになるわ」



     待ち合わせ場所は、ホグワーツの南西にある村──フェルドクロフトだ。アンの兄は一人、村の外れで待っているという。
     埋もれた記憶を探る。フェルドクロフトといえば、確かフィールドワークの調査で一度訪れたことがある。よくある牧歌的な農村だが、近くに小鬼の野営地があるのが気になった。しかも一つや二つではない。そうそう、段々と思い出してきた。妙な引っ掛かりもあって、後で詳しく調べようと考えていたのだ。尤も、村に友人の住まいがあると知らなかったし、見舞いという形で再訪するとは思いもよらなかったが。
     いや、それより今はアンの兄のことだ。彼はホグワーツでも有数の実力者らしいが、一人で大丈夫だろうか。先述した通り、村の近くには小鬼たちが我が物顔でうろついている。少し道を外れれば、魔法生物や、それを狙う密猟者だっているのだ。絡まれたら只では済まないだろう。一対多数となれば尚更だ。心配になって尋ねれば、「言っても聞かないのよ」とアンは苦笑した。
     セバスチャン・サロウ。
     アン・サロウの双子の兄。オミニス・ゴーントの親友。
     スリザリン寮に所属する、同い年の青年。
     魔法や決闘の技術に長け、更に座学の成績も優秀。ただ、真面目な生徒かと問われると少し違う。校則の違反回数は入学時から数知れず、罰則を受けることも多かったという。屁理屈をこねるのも上手かったな、とはオミニスの談だ。そしてセバスチャンは──四年目の新学期が始まる少し前、何者かに呪いを受けて休学を余儀なくされた。以降、彼らを取り巻く状況はがらりと変わった。
     何故、彼が呪いを被ることになったのか。その経緯について詳しくは聞いていない。追々話すわ、と口篭るアンに、無理せずで良いよと返した。気にならないと言ったら嘘だが、無理やり聞き出そうとも思わなかった。
     視線の先に、フェルドクロフトが見えてくる。いよいよセバスチャンとの対面だ。そう思うと否が応でもざわついた。手招きするアンの後を追い、波打つ心臓を誤魔化す。
     彼女に指摘された通り、確かに緊張している。しかし頭を占めるのは、とろ火で炙られるような焦燥感だ。転入してからひと月と少し。アンには多くの恩を受けている。杖十字会での決闘、ホグズミードの案内、禁書の棚への潜入と、挙げればきりがない。そんな彼女が他でもない僕に、兄に元気を分けて欲しい、と申し出たのだ。決して比喩などではなく、稲妻が走るような衝撃を受けた。
     絶対に失望させたくない。
     真っ先に考えたのはそれだ。アンは全く心配していないようだが、僕に言わせてみれば彼女は僕を買い被りすぎだ。不安でいっぱい、というのが正直なところで、意気込みばかりが先行している。気を抜けば最後、何もない所で躓きそうだ。
     頑固者。融通が利かない。強情。すごく負けず嫌い──。セバスチャンについて聞けば聞くほど、僕の中の“彼”はより難解に、複雑になる。我が強い気取ったイメージから、快活で無鉄砲なイメージへ……。一向に定まらない。間を行ったり来たりしながら、その色合いを変えていく。しかし彼に悪印象を抱くことは無かった。アンやオミニスには散々な言われ様だが、話してみたら案外気安いかもしれない。仲良くなりたいと思う。
     心許ない胸の内を拭い、雲一つない快晴の空を仰ぐ。ああ眩しい。白々とした太陽が青の天辺に浮かんでいる。
     きっと、セバスチャンのことを好きになるわ。
     アンの言葉を思い返す。込められた信頼に背を押される。そうだと良いな、と。自分自身を励ました。

    「あぁ、いた。セバスチャン!」

     兄の姿を捉えたのか、アンは大きく手を振って駆け出した。僕もその後に続く。
     村の東側に向け、なだらかな下り坂が続いていた。坂を下りた先に、浅く落ち窪んだ場所がある。広がる芝や雑草は色褪せていたが、それに反して伸びる樹木は青々としている。根から草葉の色を吸い上げたような鮮やかさだ。はっきりと敷かれた濃淡の中に“彼”を見つけ、思わず足を止めた。
     青年は芝の上に胡坐をかき、頬杖をつきながら分厚い本を読んでいた。乾いた秋の風に吹かれ、緑樹がゆったりと揺れる。ざわめきが優しく鼓膜を撫でては消えていく。陽の光は入り組んだ枝葉に呑まれ、地面に複雑な幾何学模様を映している。影が淡く青年の輪郭をなぞる。形や色合いが緩やかに移ろう。
     堪らず、惚けた声を漏らす。“彼”を彩るその全てに、不思議と目を奪われていた。

    「セバスチャンったら、またそんな薄着で外に出て。ちゃんと上着を着るよう前にも言ったでしょ」
    「アン……勘弁してくれ。叔父さんみたいなこと言うなよ」

     青年は本から顔を上げ、辟易したように重いため息をつく。そばかすの散った彼の目元は、伸びかけの前髪に覆われていた。彼は垂れた前髪を煩わしげに払い、不機嫌そうに顔を顰める。どこか淀んだ眼差しが泳ぐ。──しかし僕に気付いた瞬間、青年の表現が目に見えて冴えた。彼の口から「あっ」と驚きの声が漏れ、背筋がぴんと跳ねる。まるで不意を喰らった猫のようだ。その飴色の瞳は一層丸くなり、僕を捉えて嬉々と輝いている。続く声は一転、軽く弾むようだった。

    「アン、もしかして彼が?」
    「そうよ。手紙で紹介した話題の転入生」

     アンが言い終えるや否や、青年は本を閉じ、いそいそと立ち上がった。そして僕の頭から爪先までを視線でなぞる。
     時間で言えばものの数秒だ。しかし体感では恐ろしく長い。どうあっても間が持たない。落ち着かなくなる。彼の動きにつられ、つい首元に手が伸びた。ネクタイが曲がっているのでは、と心配になったのだ。形無く漂っていた不安が急にぶり返す。
     セバスチャンの目に、僕の姿はどう映ったのだろうか。

    「あの」

     居た堪れなくなって顔を上げる。たちまち視線が衝突した。ばちりと白い瞬きが散って狼狽える。セバスチャンの眼差しは僕を掴んで離さない。外見や上澄みではなくもっと奥、僕が何者であるのかを探っている。彼には下世話な意図も思惑もない。もっと純然で真っすぐな、剥き出しの“好奇心”がそこに在った。
     押し黙る僕に対し、セバスチャンの瞳がにわかに緩む。張りつめた空気がするりと抜けていくようだった。

    「……失礼。無遠慮に眺めて悪かった」

     そして彼は自身の非礼を詫びつつ、首筋を掻いた。

    「トロールを倒したって聞いたから、もっと強面の大男かと思ってたんだ。優男でびっくりしたよ。もちろん悪い意味じゃないぜ? あぁ、それより自己紹介がまだだったな。初めまして、セバスチャン・サロウだ」

     取り澄ました表情が綻び、やがて笑顔へと変わる。それを目にした途端、己の喉がきゅうと締まるのを感じた。思考が大きく揺れる。あっという間に、何もかも勢い良く彼方へ攫われていく。緩く開いた口を閉じ、しかし間抜け面のまま、ぶるりと身を震わせた。鼓動が秩序無く飛び跳ねている。もう限界だと、篭った熱が頭蓋の内側にぶつかって弾け飛んだ。あまりの衝撃に朦朧とする。夢見心地のまま、セバスチャンを見つめた。彼が握手を求め、手を差し出しているにも関わらず、だ。

    「──転入生?」

     アンの声に頬を打たれ、ようやく現実へ立ち返った。はっ、と息を呑む。双子の同じ色、同じ形の瞳が、不思議そうにこちらを覗き込んでいる。羞恥で汗がどっと噴き出す。痴態を必死に取り繕うと、僕は大慌てでセバスチャンの手を取った。

    「えっと、よろしく。セバスチャン」

     触れた肌はひやりと冷たい。彼の体温が低いのか。いいや、自分の身体が火照っているせいだ。そう思うと更に恥ずかしくなった。



     結論から言えば、セバスチャンと打ち解けるのに時間はかからなかった。悪い予想は悉く裏切られ、ただの杞憂となった訳だ。
     セバスチャンは、物腰の柔らかい好青年として僕の目に映った。
     語り口は軽妙で、同時に理路整然としている。対話というより論述が好きなのだろう。その端々から教養の高さが窺えた。とはいえ傲慢な感じも、気取った様子も無い。勝手に思い描いていた、どの“セバスチャン”とも違う。目の前にいる彼が一番地に足がついている。当然の事とはいえ、それがやたらと嬉しい。そしてセバスチャンは、どんな態度や言動が他人──この場においては僕だが──を不快にさせてしまうのか、注意深く見極めているようだった。
     彼も緊張しているのかもしれない。
     一瞬、そんな考えが頭を過る。しかし正面から切り出せるほど面の皮は厚くない。口を噤み、代わりに安堵した。セバスチャンも多分、自分と同じなのだ。一方的な共感を覚え、そして僕は目に見えない繋がりに喜んだ。
     セバスチャンは“良い人”だ。矢継ぎ早にあれこれ質問を受けたが、それだけで強引に何かを問い質されることはなかったし、価値観を否定されることもなかった。セバスチャンには、異端に対するある種の厭らしさが無い。僕の転入の経緯は聞いているだろうに。未知への忌避感より、持ち前の好奇心が勝っているのだろう。……純粋に、僕を気遣ってくれているのかもしれないが。

    「なに? 君、決闘でアンに勝ったのか? そりゃ凄い。あのアンがよく負けを認めたもんだ」

     セバスチャンは大袈裟に声を上げた。すぐさまアンが気色ばむ。

    「それどういう意味? 本当にいつも一言多いんだから。転入生、あなたがドラゴンに襲われたことや、禁書の棚に忍び込んだ話は私たちだけの秘密にしましょ」
    「ちょっと待て。ドラゴン? 禁書の棚? おい冗談だろ、そこまで言って秘密にする気か?」
    「さぁ? こう言ってるけど、どうする? 転入生」

     抗議の姿勢を取るセバスチャンに対し、アンはしたり顔で僕に目配せする。たちまち立場が逆転した。いや、ただそう見えるだけだ。二人には最初から優勢も劣勢も無い。
     アンやオミニスは露悪的にセバスチャンを語るが、彼に会ってようやく得心した。あれは戯れだ。軽口を叩き合うことで、互いの距離を再確認している。彼らの内には、語りつくせないほどの思い出がある。積み上げた歳月がある。例え逆立ちしようとも、“他人”では決して入り込めない。そういう場所があった。他人ぼくは往来から眺めるだけ。近づき撫でても、全貌を見ることは叶わない。
     じゃれ合うアンとセバスチャンを見て、ふと、そんなことを思う。一緒にいるのに、一人で取り残されたような心地がする。……違う、この表現は適切じゃない。そういうネガティブなものではなくて。あぁ、あまり経験したことのない感覚だから、上手く言葉にできない。
     ──多分、羨ましいのだ。
     そう。正解では無いが、これが一番しっくりくる。
     アン、オミニス、セバスチャン。僕は、三人の関係性が羨ましい。

    「なぁ、もしかして他にも僕に内緒にしてること、が」

     不意にセバスチャンの声が切れる。目に見えない異変が、彼の内側で起こっていた。
     微かに空いたセバスチャンの唇から、はく、と苦しげな音が漏れる。顔の中心に皺が寄り、やがて苦悶の表情へと変わる。見開かれた瞳が忌々しげに虚空を睨む。眉間の皺を一層深くし、彼は耐えるように目を閉じた。握りしめた拳が小刻みに震える。彼は小さく背を丸め、絶え絶えに息を吐いた。
     セバスチャンの“呪いの発作”については聞いていたが、これほどとは思っていなかったし、想像と実際に見るのではまるで違う。
     突然のことに言葉を失い、僕は堪らずアンに助けを求めた。そして更なる衝撃を受ける。アンは身を強張らせ、ひどく青ざめた顔でセバスチャンを凝視していたのだ。彼女は怯えていた。気丈で快活な彼女しか知らない自分は、その姿に大いに狼狽えた。僕に何かできることはないのか。必死に知恵を絞るが、どれも妙案とは思えない。
     ぐらり。セバスチャンの身体が大きく揺れる。駄目だ。このままでは倒れてしまう。

    「セバスチャン!」

     二つの声が重なって弾けた。愚鈍な僕に目もくれず、アンは素早くセバスチャンの元へと飛び出した。腕を掴み、肩を支え、彼女は兄の身体を抱き寄せる。
     僕は見ていただけだ。半端に伸ばした手は彼に届かない。行き場を失ったそれは宙を漂い、やがて力無く項垂れた。僕は──僕は、何もできなかった。
     症状が落ち着いてきたのか、セバスチャンはアンにもたれながら浅く息を繰り返した。彼は「大丈夫、もう大丈夫だから」とうわ言のように二度唱え、妹を押し除ける。ぎっ、とアンのまなじりが吊り上がった。しかしすぐ悲哀へと変わる。

    「セバスチャン、無理しなくていいわ。話をするなら別に家でも……」

     支えの手は緩めず、アンはそう言って兄を宥めすかす。セバスチャンは首を縦に振らなかった。

    「平気だ。せっかく君たちが来てくれたのに、大人しく家で横になれ? 冗談じゃない。すぐ僕を除け者にしようとするなよ、アン」

     揶揄い混じりに笑う姿はひどく弱弱しい。額と首筋にはびっしりと汗が浮かび、唇は青ざめて細く震えている。本人がどれだけ言葉を重ねようと、虚勢にしか見えない。“大丈夫ではない”のは明白だ。しかしセバスチャンは妹の訴えを退けた。彼の言葉には苦痛以上の頑なな意思が滲んでいる。

    「大丈夫。自分のことは、自分が一番よく分かってるさ」

     セバスチャンは額を袖口で拭うと、誰に聞かせるわけでもなく小さく呟いた。



     西の空が夕日で赤く燃えている。夜をまとう冷たい風が地を這う。アンはローブに付いた芝を払い、「そろそろ帰ろう」と言って、おもむろに腰を上げた。彼女の視線は山向こうのホグワーツを見つめている。確かにもういい時間だ。名残惜しいが、これ以上留まれば門限に間に合わなくなる。

    「私、叔父さんに一言声を掛けてくるわ。転入生。あなたはセバスチャンと一緒にいてくれる? 目を離すとすぐ無茶するんだから」

     セバスチャンは露骨に不服そうな顔をした。

    「無茶? ……あぁそうかもな。お気遣い痛み入るよ。有り難すぎて涙が出そうだ」
    「またそんなこと言って。それじゃあ、お願いね転入生」

     不貞腐れた兄に苦笑するだけで、アンはそれ以上何も言わなかった。僕に再び念を押し、アンはひらりと手を振った。彼女の後姿があぜ道を進んでいく。徐々に夕闇に呑まれ、輪郭がぼやけてく。

    「──なぁ」

     耳に水を流し込まれるような感覚がした。びくりと肩を震わせる。鼓膜の裏側がざわついている。耳たぶを軽く掻いて誤魔化した。平静を装い、どうしたのかとセバスチャンへ聞き返す。すると、彼は何とも煮え切らない顔で「あぁ」とぼやいた。

    「変なところ見せて悪かった。アンから聞いてるかもしれないが、あの──」
    「発作のこと?」
    「そう。普段はあんなに酷くないんだ。じっとしてれば落ち着くし」
    「毎日そうなの?」
    「毎日じゃない。って言っても波はあるけどな。三、四日くらい間が空くこともあるし、数時間おきに来る時もある」
    「薬は?」
    「聖マンゴ病院に定期的に通ってるし、そこで貰ってる。効果は……まぁ、お察しだけどな」
    「今は大丈夫? 痛い所とか、無い?」
    「ははっ。何だよ、今度は君が質問する番?」

     昼間の質問攻めのことを言っているのだろう。途端に茶化すような声色が弾け、僕の頬をくすぐった。

    「ご、ごめん。そういうつもりは無くて」
    「謝るなって。分かってるよ。……ありがとう、今は平気」

     悪戯っぽく微笑まれ、僕はふらりと半歩よろめいた。抵抗の甲斐も無く、目に見えない力に翻弄され、頬が赤く熱を帯びる。

    「そういえば君、アンと一緒に禁書の棚に潜り込んだって言ってただろ。図書館はよく使うのか?」
    「──え? あ、あぁ。うん。調べ物をする時とか」
    「そいつはいい。実は、折り入って頼みたいことがあるんだ。アンじゃなく、君に」
    「……僕に?」

     頷き、セバスチャンはポケットから四つ折りの紙を差し出した。受け取ると、そのまま目を通すよう促される。大人しく従い、一つ、二つと折り目を解く。小さな紙面には、いくつもの書籍が羅列されていた。ジャンルはてんでバラバラで、難解な学術書のタイトルもあれば、有名娯楽小説の記載もある。他には……と、上から下へ視線を動かす。
     その瞬間。並ぶ文字がぐらりと歪んだ。目の前が霞む。文字が呼吸するように膨らみ、そして萎びていく。不快な感覚が脳を侵す。 
     ──何かが、頭の中に入ってくる。

    「えっと、これは?」

     奇妙な錯覚だった。涙で視界が滲む。尾を引く余韻に顔を顰め、目元を擦った。セバスチャン? もう一度呼びかける。すぐに反応は無く──代わりに、暗い眼差しが僕を貫いた。

    「……あぁ。ここに書いてある本を、図書館から借りて来て欲しいんだ。この身体じゃ一人で遠くに行けないし、本屋よりもホグワーツの蔵書の方が圧倒的に豊富だからな。司書のスクリブナーは絶対良い顔をしないだろうから、副校長とかに相談してからがいいかも」

     一瞬だけ感じた、あの眼差し。あれも思い違いか。セバスチャンが怪訝そうに見つめてくる。大丈夫か、と聞かれ、おうむ返しに大丈夫、と答えた。奇妙な感覚も、眼差しも、もう此処には無い。

    「図書館で本を借りてくればいいんだね。いいよ、お安い御用だ」

     二つ返事で了解すると、セバスチャンの瞳が微かな動揺に揺れた。何故か驚いた顔をしたのだ。本気か、と言いたげな表情だった。その違和感に首を傾げる。こちらの困惑を察したのか、セバスチャンはバツが悪そうに口を開いた。

    「ごめん。断られたらどう言いくるめよう、って考えてた」
    「どうして? 断らないよ。別に無茶なお願いじゃないし」

     軽く返せば、セバスチャンは憤然と息を巻く。

    「だって、アンやオミニスはしょっちゅう僕に無理するな、大人しくした方が良いって言うからさ。叔父さんに至っては、言う事を聞けって頭ごなしに怒るんだぜ。絶対に聞いてやらないって思ったね。……まぁ、僕の話はいいんだ。依頼を受けてくれて感謝してる。ありがとう。どうせ僕はこのフェルドクロフトに缶詰だし、こっちに来るのは君が暇な時でいい。報酬は……そうだな、三年生までに履修する科目なら君に教えられると思うぜ。分からないところがあったら聞いてくれ。四年生と五年生の科目も、教科書の範囲内だったらいけるかな。もう全部読み込んであるし」
    「全部?」

     思わず耳を疑った。聞き返し、驚愕に目を剥く。

    「ちょっと待って。全部って、あの量を?」
    「驚くことか? それくらい暇だし、やる事が無いんだよ」

     セバスチャンは心底うんざりしたように肩を竦めた。だとしても驚異的だ。僕なんて読み進めるだけで精一杯だよ。そう言って嘆けば、コツがあるんだ、とセバスチャンは得意げに鼻を鳴らした。

    「今日は凄く楽しかったよ。君にも会えて本当によかった」

     西日を背にしたセバスチャンが、逆光で黒く染まる。彼の影は長く横たわり、僕の足先を掠めて芝の上を伸びていく。アンの声が聞こえる。叔父との話を終えて戻ってきたのだろう。この後、僕とアンはホグワーツに戻り、夕飯を食べながらオミニスに今日のことを話し、明日の準備をして、ベッドに横になる。そして──そして、何事も無く日常を過ごしていく。
     ふと、強烈な物悲しさに襲われた。訳も分からぬ感情に揺さぶられる。胸の辺りが閊えるような苦しさに呻く。瞬きのたびに夕陽が視界に差し、ちかちかと点滅した。それが眩しくて恐ろしい。転入生、と。短く呼ばれて目を見開く。暗く翳る世界の中で、セバスチャンが微笑んでいる。

    「じゃあまたな、転入生」
    「うん。また……会いに来るよ、セバスチャン」

     差し出された手を握り返す。やはり、ひやりと冷たい。何故か無性に寂しくなった。



    (現在、前編のみプライベッター、およびプライベッター+にて掲載中です。後編もしっかり書き上げられるよう頑張ります……!)
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