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    安赤 はろはなの後で夢を見る話(予告程度のネタばれあり) 夢のなかでのことだった。降谷を見るなり、宿の女が「お連れ様は既におやすみになっていますよ」と言ったのだった。だが降谷にはこころあたりがない。なにかの間違いではと尋ねると、宿の女はゆるやかに唇を開いて「そんなことはありませんよ。お連れ様はあなたをお待ちしていましたよ」と言った。
     そこで降谷が納得したのは、夢だからとしか言いようがない。これは夢だという認識が降谷にはあり、思考は可能だが行動は制御できそうになかった。夢のなかの降谷は宿の女の後について廊下を歩き、ひとつの扉の前で鍵を受け取る。そうして一晩の宿に足を踏み入れれば、ほのぐらい部屋の中央で、男がひとり眠っていた。
     その姿を見て、やはりこれは夢なのだなと降谷は思わずにはいられなかった。上背のある男が充分おさまるほどに布団が大きく、足のひとつも出ていない。男はあおむけに眠っており、落ちくぼんだ眼窩に影が落ちていた。
     男は左の手首を掛け布団から出している。隣の布団へはみ出たそれに、降谷は川端康成の「眠れる美女」を思い出した。老人が宿の娘と添い寝をする話で、作中の娘は右手を投げ出して眠っていたのだった。学生時代に読んだきりの話だが、性が枯れかけてなお女の肌を求め、そこに渦巻く欲望をうとんじて生娘に固執する老爺の様を、驚くほどの美文で書き連ねた話だ。こんなにも欲望を客観視して淡々と書けるものかと、降谷はいっそ呆れたものである。
    ――たちの悪いいたずらはなさらないで下さいませよ。
     物語はその一文からはじまっている。まるで自身が先ほどの女に言われたかのような気になりながら、降谷は浴衣に着替えると空いている布団に横たわった。
     そうして、投げ出されたままの手に触れる。
     眠れる美女は裸で眠っていたが、降谷を迎えもせずに眠る男は浴衣を着ているようだった。降谷が手を引くとごろりと横を向き、頬を枕から落として寝顔を見せる。そのこめかみに傷跡を見つけ、降谷は舌打ちをしたくなった。また降谷の知らぬところで、余計なことをしていたに違いない。
     降谷は手を繋いだまま肩肘をついて身を起こすと、男の傷口に顔を寄せた。ふだんは髪に隠れて見えない場所だが、抉れて白っぽい跡になっている。もっとも、露わになっていようと男自身は気にしないはずだった。彼は自身の見てくれを気に入ってるが、さして大事にもしていない。身体のそこかしこについた跡を降谷が検分して回るのを、愉快そうに見ながら酒を吞んでいる晩もあった。男は奔放で、好奇心が強く、そしてあまりにも自由だった。男は組織に属するものとしての振る舞いをわきまえているくせに、首に鈴をつけられてなお悠然と寝そべる猫のように見えた。なにものにも侵されない精神の強靭さが、降谷にとっては気安くもありいけ好かなくもある。
     赤井、と降谷は男の名を呼んだ。夢のなかでさえ、眠っている相手には小声になってしまうようだった。傷跡に呼気があたったはずだが、赤井が目覚める気配はない。降谷は何度か呼びかけていたが、根負けして布団に身を沈める。繋いだままの手を引き寄せてその甲をおのれの額に押しつけると、数日前の記憶が蘇った。赤井が降谷の職場付近に現れた日のことを。
     降谷が昼食を取りにビルの外へ出たタイミングで、男はふらりと姿を見せたのだった。やあ降谷くんと言う声は低く乾いていて、朽ちかけの薔薇のような色香を纏っている。ぎょっとした降谷をあれよあれよと言いくるめて、赤井は降谷と昼食をともにしたのだった。店は降谷が選んだとんかつ屋だ。テーブルごとに仕切られた半個室状態の店内を見て、ありがとう、と赤井が笑った。彼は死亡したはずの身の上で、本来おおっぴらに顔を出してはいけないはずなのだった。
     赤井は降谷がすすめるままにとんかつ定食を食べた。酒や煙草と違って食にこだわりはないようだったが、出されたものは残さず食すところを降谷は気に入っている。だがひとりだけビールを飲み始める様を見て、やはりこいつとはウマが合わないとも思う。けれど降谷の恨めしい視線を浴びながら喉を鳴らす気ままな様を、決して嫌いにはなれないのだった。
     抱いた憎悪をその存在ごと忘れられたらとまで願ったのに、どうして。降谷は自問したが、答えは出るようで出なかった。自由にふるまえる夢のなかでさえ、無防備な姿を前にして、首のひとつも絞めずに手を繋いで眠っている。憤りはいまだ胸のうちにあったが、それを赤井に向けるのではなく、自省に代えているところはあった。そうして残ったのは闘争心と隠れていた好意で、そんな自分がいたたまれない。降谷の心境の変化をどう思っているものか、赤井は態度を変えなかった。彼は降谷がむき出しの殺意を向けていた頃から、どうしてか降谷に友好的だった。狩るべき相手を見誤らないでいただきたいだなんて、ずいぶんとご丁寧な物言いだ。当時の降谷からすれば煽っているのかと思うような台詞だったが、赤井にしては珍しいほどに素直なことば選びだったのだなといまになれば思う。だからといって納得することはなかったが。
     昼食をともにしたあの日もそうだった。店を出て伸びをした降谷の首に、赤井はそっと触れたのだった。それはあまりにもやわらかな触れ方で、はねのけることを躊躇うほどにそのてのひらはあたたかかった。
     赤井は降谷の首をぐるりとひと撫でする。そこになにもないことを確かめるような手つきだった。降谷の膚が思い出してさざめいたのは、半月ほど前に取り付けられた首輪型の爆弾だ。
    「あいにくと後遺症の類はないぞ。精神にも影響はなく、産業医が逆に匙を投げるほどだ」
     降谷は言う。首に仕掛けられた爆弾についてはニュースになることもなかったが、赤井が知っていてもおかしくはなかった。なにせ名うての殺し屋でさえ難儀した降谷零の存在について、嫌味なほどあっさりと探り当てた男だ。ずい、と首を晒してやれば、手首を返し甲を摺り寄せながら赤井が言う。
    「きみの心身については心配していない。いや、心配で見にきたが、いつも通りで安心したと言うべきかな」
     官能を誘う一歩手前の触れ方。真昼間に道端でなにをと降谷は顔をしかめるが、赤井は楽しげに笑うばかりだった。降谷にはたかれた手を素直に落としながら、「やはりきみのようにはいかないようだ」と笑う。
    「僕のように?」
    「ご苦労だったなとねぎらいにきただろう」
     ああ、と降谷は声を上げた。
     四年に一度開かれるスポーツの祭典。栄えある東京開催のために来日した元FBI長官殺害未遂の事件について、赤井秀一をはじめとした連邦捜査官が奔走したのは調べればわかることだった。米国の要人が日本国内で殺害されれば国際問題になることは火を見るよりも明らかなことであったし、事件を未然に防げたのはなによりである。だが、事件を調べれば調べる程に、赤井が通した無茶が見え隠れした。彼方と称せるほどの長距離を飛んだ銀の弾丸を思えば、やはりこいつは日本に置いておけないという気持ちが膨れあがる。ねぎらいと憤りがないまぜな気持ちになったまま降谷は残務処理をこなし、あらかた片を付けた頃になってのこのこと顔を見せた赤井に手料理をふるまいながら、「ご苦労だったな」とひと言告げたのだった。
     なにに対してのことばかは言わなかった。赤井も問わず、聞き流したようだった。それがきちんと通じていて、返そうと思うほどに響いていたのかと降谷は目を丸くする。硬直する降谷の手を取って、赤井はそっと握ったのだった。

     その手のひらの感触を覚えている。
     そうしていまも夢に見ていた。

     繋いだ手を放して以来、降谷は赤井に会っていない。仕事に忙殺されていたせいもあるが、どんな顔をして会ったものか決めかねていた。赤井の、ときにあけすけなほどの好意は、降谷をいたたまれなくさせる。敬意が含まれているのがわかるからなおさらだった。
     だが夢に見るほどには会いたいと思っているのだろうか?
     赤井の手を握っては放しながら、降谷はゆっくりと瞼を下ろした。目覚めて、夢を覚えていたら、赤井に連絡を取ってみよう。そう考えながら、夢のなかで眠りにつく。
     瞼の裏に映るのは光の残像の赤色だ。わずらわしいと思うのに、消えはしないし、手放すつもりも毛頭なかった。
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