「…なにか?」
イソップの問いかけで、無意識に見つめていたことを自覚して耳が熱くなる。
「ぁ、いや…知らないベストだなって」
今朝も同じ格好を見たはずだが、寝ぼけていたせいか記憶にない。
しかしそれ以前の記憶を辿っても見た覚えがない。
脱いだジャケットを片手に、イソップはひとつ瞬きをした。
「今日初めて着ました」
「あぁ、」
道理で見たことないわけだ。
イソップからジャケットを受け取り、クローゼットへ掛けに行く。
軽く形を整えて仕舞い、戸を閉めると、手をそっと絡め取られる。ちゃんと洗ってきたのか、その手は少し湿ってて、ひんやりとしている。
でも珍しい、今日はまだベストを着たままだ。
「…、似合いますか」
「うん、すっごく」
ダークグレーのベストは、引き締まった彼の身体を美しく魅せている。
僕が手を握り返すと、応えるように抱きしめられる。そういえば、帰ってきたら甘やかすって話だったな。
背中に回した手のひらが、滑らかな生地に触れる。
抱きしめても布が弛まない。ちゃんと、彼に合わせて仕立てられたものだと分かる。
「…かっこいい」
「そうですか」
「ね、背中も見せて」
後ろへ回り込もうとすると、イソップは背を向けてくれた。
やっぱり、前面とは違う生地が使われている。
上品な琥珀色だ。
「…綺麗な柄だね」
光を反射する模様を指でなぞる。
彼にしては派手なデザインに思える。
「貴方の提案を参考にしました」
思わず首傾げた。
「いつの?」
「柄物も着てみたらどうかと言っていた、」
そういえばそんな話をしたような。
仕事着も私服も、あまりに無地やモノトーンばかりで、彼のクローゼットを見ながらそう言ったんだったか。
これまで、柄物や鮮やかな色を纏っている彼を、たぶん、一度も見たことがなかったから。
…だから、なんだか新鮮でどきどきしてくる。
「…やはり、似合いませんでしたか」
自信なさげな彼の声に、思わず笑みが溢れてしまう。不思議そうな顔をする彼に首を振って見せる。
…ふふ、似合ってないなんて。
「見惚れちゃうくらい、似合ってる」
そんなわけないのに。
目元が緩んだ彼の唇を食む。
頑張って帰ってきた君を、めいっぱい、甘やかさなきゃ。
頬を撫で、耳を擽り、首や背を撫でる。強張っていた唇が、キスを重ねるごとに柔らかくなっていく。舐められた唇を薄く開け、彼の舌を迎え入れる。
薄らと目を開けて彼を見ると、その視線はしっかりこちらを捉えている。
目を閉じないのは相変わらずだ。
心の中で微笑んだのも一瞬のこと、銀色とも紛う鋭い瞳に背中がふるりと震える。
声が少し漏れてしまった、恥ずかしい。
「ん、はぁ…ふふ、満足した?」
漸く解放され、息を整えていると、口の端を伝った唾液を丁寧に舐め取られる。
まだまだ足りないらしい。そうこなくては。
「身支度をさせてください」
身支度にはシャワーだけでなく食事も含まれているようで、僕の手を握って、足はキッチンへ向かっている。
その背中を見て、ふと、引き出しのブローチを思い出す。
イソップが誕生日にくれた琥珀のブローチ。
こんな大男にブローチなんて、とも思ったけど、彼が自分のために選んで贈ってくれたことが何より嬉しくて、大事に大事に仕舞い込んでいる。
たまに取り出して、眺めてニヤついていることは、彼には内緒。
皿を出しながら、作りおいていた料理を黙々と眺めるイソップに声をかける。
「用意しておくから、先にシャワー浴びておいでよ」
「…では、お言葉に甘えて」
そういって彼は足早にバスルームへ向かう。
この献立で正解だったみたいだ。
お腹空いているようだったし、少し多めに注いであげよう。
上がってしまう口角を抑えながら、料理を火にかけ直す。
時々、彼の年下らしい一面を見つけてはくすぐったい気持ちになる。
はしゃいだり、不安がったり、甘えたになったり。顔には出ないけど、最近少しずつ分かってきた。
ポーカーフェイスで感情豊かな愛しい彼を、当分手放すことはできないだろうな。
なんて考えていると、バスルームからイソップの呼ぶ声が聞こえる。バスタオルの予備が無いことを思い出した僕は、慌ててイソップにタオルを持って行くのだった。