書きかけ「カイン、誕生日おめでとう」
アダムがそう言って微笑み、ワインの栓を開けた。
上質らしい白ワインをグラスに注いでカインの目の前に滑らせる。
「……ワタシ、まだ18だから……」
「何言ってるの、ここはロシアだよ。誰も咎めたりなんてしないよ」
「なら、えっと……一杯だけ貰おうかな」
グラスを受け取ってそっと合わせる。キンとガラスのぶつかる軽い音がした。華やかな香りを醸すワインを一口含むと、微かな苦味と共にフルーツのような甘味が広がった。
「ああ、美味しいね」
「そう?良かった」
「これどうしたんだい?買いに行ったの?」
「……ううん、家まで取り寄せたの」
アダムが少し気まずそうに目を伏せる。引きこもりがちだった彼は、ここ数ヶ月になってやっと近場への外出ができるようになった。まだ他人の視線が怖いらしくフード付きの服やサングラスが手放せないようだが、玄関を出ることすら出来ないと泣いて拒否していた時期と比べれば随分進歩しただろう。
「ワタシの為に調べてくれたんだろう?嬉しい。ありがとうアダム」
「……うん」
微笑みかけるとアダムの表情が少し安心したように緩んだ。何が好きかわからないからちょっと甘めにしたんだ。本当は赤にするか悩んだんだけど、好みが分かれるからどうしたらいいか分からなくて。これはイタリア産なんだけど飲みやすいと思う。このチーズがよく合うよ。クラッカーにこのソースを付けたら美味しいよ。と、アダムはいつになく饒舌だった。余程嬉しかったのだろうか。彼はすいすいとワインを口にし、早速頬に赤みが差し始めた。
結局、一杯だけという話は早々に破られる事になった。会話が弾めば酒は進む。あっという間にボトルは空になってしまった。
酔いが回り、くっ付いて座りたいというアダムの提案で2人はダイニングテーブルからソファへと移動した。柔らかいソファに腰を沈めると、アダムはカインの肩に頬を擦り付けてはにかんだ。彼はいつの間にか、ワイングラスではなくウォッカの入ったグラスを手に持っていた。
「アダム、これからキミはどうするんだい?」
「え?これからって?」
「ほら、仕事をするとか、もう一度勉強をするとか、色々あるだろう」
「……う、ん」
アダムの表情が少し曇る。もしかするとここで聞くべき話じゃなかったかもしれない。ただ、いつかは問わなければならなかったことだし、酒の入っている今であれば話しやすい事もきっとあるだろうと考えた。
「……実は」
「うん」
「そ、その……えっと……」
言うべきか、言わないでおくべきかと口をもごもごとさせた彼を辛抱強く待つ。急かせば彼は話すのをやめてしまうだろう。逆を言えば、じっと待っていれば彼は時間をかけて必ず次の言葉を口にしてくれる。
「……あの……」
「……うん」
「仕事、しないかって……言われてて……」
「おや、それはいい。どんな仕事?」
「……も、モデル……」
「モデル?」
カインは目を見開いた。まるで彼の口から出てくるような言葉ではなかったからだ。他人の視線を恐れている彼が進んで始めるとは思えない。普段であれば何か良い言葉をかけて背中を押してやるところだったが、あまりに突拍子もない話に唖然としてしまった。
「……やっぱり、変だよね」
「へ、変じゃないさ。おかしくなんてない。寧ろピッタリの職業だよ!だけれど、その……キミは……」
「うん、だから……まだ、この仕事は受けない」
「……まだ、ということはいつかは受けるつもりなんだね?」
「分からない……これからどうなるのか、自分でも想像がつかないから」
「それでも、キミが少しでも前を向いているなら安心したよ、アダム」
そっと彼の頬に口付けると、顔がさらに赤く染まる。
「ちなみに、どんなモデル?」
「えっと……パーツモデル、かな。手とか、足先とか……」
彼が言うにはどうやらバレエ用品のパーツモデルらしい。シューズやウェアの宣伝用で、顔の写らないもの。今のところはそう言った条件らしいが実際に話が進むのはアダムの状態次第だろう。アダムの両親の伝手のようで、彼自身についてはある程度の理解を得られていると聞いてほっとした。きっと焦らずに済む。
その後もぽつぽつと、途切れ途切れに会話を紡ぐ。
話題の少ないアダムの代わりにほとんどカインが話をした。学校での生活や友人の話、個人活動で体験した事など、幸いな事にトピックは尽きない。外に不安が多いとはいえ、やはり家ばかりでは退屈なのだろう。アダムは興味深そうに話を聞いていた。
「……そういえば、キミの両親は今日いないのかい?」
「ああ、うん。公演があって、今はイギリスに行ってるんだ」
「へえ、そうかい!それは良いね。今度の演目は?」
「確か……ラ・シルフィードだったかな」
「バレエ・ブランか。悲劇の物語だね。私もラ・シルフィードを見たのは1、2度くらいしかないけれど、また観たいものだね。ロシアではやらないのかい?」
「……どうだろう。来月またあるようなことを言っていた気がするけど、覚えてない」
「そう……今度聞いてみよう」
アダムは爪の先でささくれを弄っていた。バレエの話になると彼は途端に口数が少なくなる。特段嫌がっている様子はないが、まだ話しにくいといった様子だ。カインはグラスをローテーブルに置き、アダムの身体に左腕を回した。
「キミが真っ白な衣装を身につけたら、きっと雪の妖精みたいになってしまうだろうね」
「な、ならないよ……」
「ふふ、そうかな……?それでも美しいことには変わりないよ」
俯きがちな顔をそっとこちらへ向かせる。青い瞳が困ったようにカインを窺っていた。軽いリップ音を立てて唇に吸い付くと、少し身体をかたくしたアダムが口を開いた。
「あ、あの、カイン……」
「うん?どうしたんだい?」
アダムは目を左右に泳がせて唇を噛む。傷にならないよう親指で撫でてやめさせると、彼は意を決した様に手に持ったグラスを一気にあおり、テーブルへと置いてこちらを真っ直ぐ見た。
「カインは、18歳に、なったんだよね」
「……ああ、うん」
「だから、その……僕たち……」
「……」
「も、もう少し先に、進んでいいかな……て……思ったんだけど……」
アダムの言葉が尻すぼみに小さくなる。顔が熱い気がするのは酒のせいか、それとも緊張しているからか。
「い、いいのかい…?」
「……僕が聞いてるんだけど……」
表情を隠す様にアダムがぎゅうと抱きついた。耳元で聞こえる呼吸音が心なしか震えている気がする。
「でも、ワタシ達……どちらがボトムかトップかだってまだ話し合ってないし……あ、いや、まだそこまではしない……いやええと、したくないわけじゃなくて、その、準備が……」
「……大丈夫……ぼ、僕、後ろ……その……できる、から」
「え?」
「だ、だから……っ」
アダムが身体を離してこちらを見つめる。赤くなった目にうすらと涙が張っていた。
「僕がボトムでいいから、カインとしたい……だめ……?」
「……アダム、」
「……いやなら、別に、」
「嫌なわけないだろう」
思わず声を遮って言い放つ。彼と肌を重ねた事はこれまで何度かあった。ただ、いずれも挿入を伴う「性行為」というものには至っていない。意識した事がないわけでもなかったが、互いに暗黙の了解で「まだいけない」と考えていたのではないかと思う。ただ、そうだ。彼と出会ってから数年。自分も18になった。2人とも「そういう事をしてもいい」年齢になった……。
「……シャワー、借りてもいい?」
「……うん」
○
……正直、断られると思った。カインはそういったことには酷く慎重だから。「また今度にしよう」と軽く嗜められて終わると思っていただけに、肯定の意を表した事に驚いた。
しばらくしてシャワー室から出てきた彼と入れ違いに浴室へと入る。あまり彼には言えないが、後ろを弄ったことは数度どころではない。いつかインターネットで男性同士の性行為の方法について調べてからなんとなく弄り始めたのが1年ほど前。今ではすっかりハマりこんでしまい、むしろ後ろでの刺激無しでは満足できなくなってしまった。
洗浄も今となっては慣れたものだ。今夜、これからここに彼のものが入るのだろうと。そう考えただけで腹が疼いて堪らなかった。
「……っん」
ローションで濡らした指を後孔に挿入する。カインの負担を減らすために少しでも慣らしておかねばならない。いつも使っている玩具はベッドサイドの引き出しの中だ。あれをカインに見せるのは流石に気が引けた。二本、三本とゆっくり指を増やして中をかき回す。ぞくぞくとした痺れが背筋を走る。
「……っは、ぁ……」
ああ、いけない。慣らすだけなのに止まらない。彼を待たせているのに。中指で好きなところを押し込むと、腰が溶けそうな心地になる。やめられない、気持ちいい。
「……アダム?大丈夫かい?」
控えめなノックと共にカインの声がする。アダムははっとして手を止めた。
「……あ、うん……もう出るから……」
慌てて自慰を止め、シャワーを浴びて身体を流す。待たせ過ぎてしまっただろうか。時計がないからどれだけ時間が経ったのかが分からない。急いで身体を拭いてシャツを被り、浴室を出る。
カインはベッドに腰かけていた。こちらをチラと見やると手にしていた携帯を閉じてベッドサイドに置く。
「ごめん、遅くなって」
「いや、ううん。ワタシも急かしてすまない」
「ううん。大丈夫……」
「……」
「……」
気まずい。互いに緊張しているのがひしひしと伝わった。年上としてリードしようと思ったのに、上手くできるか分からない。ひとまず、と、サイドテーブルのライトを付けて部屋の電気を消す。カインと少し間をあけて座ると、2人の呼吸音だけが静かに聞こえる。
二人でいやらしい事をしたのは一度や二度ではない。いつもはどんな風に始めていたっけ?普段は何でもないお喋りをして、流れでキスをして、何となくそんな感じになって……改めてどう始めるかなんて考えたこともないのだ。俯いたまま足先でカーペットを擦る。沈黙を破ったのはカインだった。
「……やめようか」
「えっ?」
「あ、ああ、いや、そういう意味じゃないよ」
「……カイン」
「少し別の話をしよう。ワタシ、柄にもなく緊張してるみたいだ」
「ふふ、……うん」
大きく深呼吸をして枕を抱く。ああ、そうだ、とカインが何か閃いたようにアダムを見た。
「この前、アドナから連絡が来たんだ」
「アドナ?」
「ああ。用事があってアメリカに来るらしくてね。だけどその期間はロシアにいる予定だったから…残念ながら会うことは叶わないみたいだ」
「そう……アドナは元気?」
「元気そうだよ。この前、猫とのツーショットを送ってくれたんだ」
「猫?ああ、なんて名前だっけ」
「確か……タマだったかな」
「懐かしいね」
少しずつ緊張が解れていく。
ごろんとベッドに横たわってカインをぼんやり見上げる。彼はこちらを向くと目を細めて微笑んだ。
「ねえ、キミ。このまま寝てしまうんじゃないだろうね」
「寝ちゃったら起こしてね」
「自信ないなあ。キミ、一度眠ってしまったらなかなか起きないんだもの」
「ほら、カイン?僕寝ちゃいそう」
冗談めかして目を閉じる。仕方ないなあ、とクスクス笑う声が聞こえる。それからギシリとベッドの軋む音がして、閉じた視界に影がさす。
「ワタシの白雪姫。死んだ様に眠るキミも美しい」
唇に軽いキスの感触が降る。薄く目を開けて、離れようとするカインの身体を引き寄せた。
「ねえ……もっとしてくれないと起きない」
「おや、それなら今話しているのはどうしてかな」
「寝言だよ」
「ふふ……ずいぶん立派な寝言だね」
ちゅ、ちゅ、と向きを変えながら何度も口付ける。小さく口を開けて誘えば、カインの舌がぬるりと侵入して絡みついた。
「……っん」
唾液が溢れる。心地いい。舌先で上顎を擽られる度にこそばゆさで身体が跳ねる。カインの冷たい指がシャツの裾をそっと捲り、腹と脇腹を撫でた。