夜に落ちる鈴木の部屋のベッドに寝転ぶと、正面の壁の高い位置に貼られたポスターと目が合う──正確にはそこで微笑んでいる女性アイドルと。全く興味がないので最初は顔くらいしか知らなかったが、今はフルネームで覚えたとあるアイドルグループの中心メンバーだ。
立った時には高く感じる場所にあえて貼ってあるのは朝起きた時自然に目が合う感じがしていいからだそうだが、毎日変わり映えしない写真と目を合わせて何が嬉しいのかは僕にはわからない。目覚めた時に身内でもない他人に覗かれているなんて正直ちょっと気持ち悪いとさえ思うが、個人の嗜好は自由だ。
「…こういうのが好きなのか?」
ゴロンと横を向いて、パジャマがわりのトレーナーに袖を通している親友に尋ねる。
「んー?」
「こういう清楚な、でも芯が強そうで知的な感じがタイプなのかと思って」
ポスターを指して重ねて問うと、あぁ、とそちらを見た鈴木はフッと笑った。
「なに?珍しいじゃん薪がそういう話振ってくるなんて」
そうかぁ剛くんもお年頃かぁ、などとニヤけながら言うので軽く睨めつけたが、一向に気にするそぶりもなく「何だかんだ言ってちゃんと魅力わかってるじゃん薪も」と嬉しそうに言うあたり僕の機嫌など全く気にも留めていないのだろう。
「いいだろ?しっかりしてそうだけどそこが逆に守ってやりたくなるって言うかさ」
ふぅん?
「薪は?どういう子がタイプなわけ?」
手に取ったスマホを覗き込みながらついでのように訊くので、別に、とそっけなく応じた。きっと向こうもちゃんとした答えなんて期待していない。
「そういうのはなし!お互いのためにも」
聞いていないのかと思いきや、パッと顔を上げた鈴木は真剣な表情をしていた。
「…お互いのって?」
「同じ子を好きになったら困るだろ」
同じ子。
そんなことは天地がひっくり返ってもない。
そう断言できたけど、おまえすぐ僕のことは気にするなみたいに引きそうだし、と神妙な面持ちでこっちを見る鈴木がおかしくて気が変わった。まぁ、答えたってどうせわからない。
「そうだな…」
少しだけ考えるふりをしながら、思い浮かべるまでもない具体的なイメージを僕の目ははっきりととらえる。
「強いて言うなら…背が高くて、手が大きくて」
意表をつかれた目。身長は僕のコンプレックスだったから、それを知る鈴木には今挙げた条件は意外だったのだろう。加えて手が大きいなんていうのもあまり女の子の形容には使うものではない。それだけに、今彼がどんなイメージを頭に思い描いているのかと想像すると悪戯でもしている気分になった。
「僕より少し体温が高い……子、かな」
「体温〜?なにそれヤラシーな」
寝る前に変な気になるだろ、と笑うと、ほら詰めろよ、とベッドサイドに手をついた鈴木は僕の身体を壁の方に押しやろうとする。狭い、といつもの文句を口にすると、ハイハイと鈴木が慣れた流れで応じて、その話題はあっさりと打ち止めになった。
予備の布団もベッドがわりにできるソファもないからという理由で狭いシングルベッドに小さくなって眠るのはこの部屋に泊まるための条件で、寝相が悪い僕は「安全のため」毎回壁側に押し込められるようにして眠る。満足に寝返りさえ打てない窮屈なそこは不思議なスペースだった。
近すぎる寝息も体温も。目覚めたらすぐそこにある寝顔も。
他人なら気持ち悪いはずだったそれが、ここでは最初から居心地の悪いものではなかったから。そしてその不思議な感覚が今は──
「もう寝る?」
上半身だけを起こした姿勢で壁のスイッチに手を伸ばし、鈴木が目を閉じた僕に確認する。ん、と短く答えると、パチン、と小さな音がして瞼の向こう側が暗くなった。ふわりと落ちてくる布団の重みに、ミシミシと軋むベッドの音と微かな揺れ。それらが静かになってからそっと目を開けると、常夜灯だけになった暗がりの中に濡れて光るふたつの瞳がおやすみと言う。僕がここに泊まるたび、ひとつの布団でぬくもりを分け合って眠る優越を今もじっとこちらを見下ろしているだろう「理想の彼女」に見せつけてから夜の中に逃げ込むように眠っていることを、当の鈴木は知る由もない。
その時僕が、とても意地の悪い顔をしていることも。
でも、これくらいは許されたっていいはずだ。
きっとそう遠くない未来、いつか本当の彼女ができたら──こんな小さな優越なんて容易く奪われてしまうのだから。
「……おやすみ」