ストロベリーピーチ 2(カーズ擬人化)1シーズンオフとはいえ、次期の開幕を来月に控えてレース会場は賑わっていた。複数のチームが既にマシンや機材、工具類を持ち込み、練習に打ち込んでいる。
走行はメディアに非公開で行われることが多いが何とか注目チームやトップレーサーの貴重なショットを撮影しようと会場には既にパパラッチも集まっていた。
ロサンゼルス・インターナショナル・スピードウェイには、特に注目度の高いチームが集まっていることで話題を呼んでいる。
新記録を次々に叩き出し次世代レーサーの中でも注目株のジャクソン・ストームの所属するイグナイター。女性レーサー、クルーズ・ラミレスを新たに迎えたダイナコ石油、そして世界的に人気を誇るあのライトニング・マックィーンが所属するラスティーズ。
マックィーンはレーサーとしてではなく、ラミレスのチーフクルーとして登録しているから正確には出場チームではないがラスティーズの存在感はやはり大きい。
彼らはサーキット使用の時間割を決め、単独や自分達のチームの練習生達と走行練習を行うのだ。
その日は先のトップレーサー達に加え、ダイナコの先代チーフクルーを務めたキングも朝から見学に来ており、サーキットは華やかな雰囲気に沸いていた。
「伝説の彼も来ているんだな。どうりで賑やかな筈だ。レース関係者の中でも人気が高い」
高揚した声で話しながらガレージへ入ってきたのはレイだった。
「なんだよ、アンタもファンか?サイン貰ってこいよ」
「そうするか?」
ストームはつまらなそうにフンと鼻を鳴らし、手元のゲーム画面へ目線を戻した。
「知っているだろ。彼は最多優勝記録を持つチャンピオンだ」
「その後、マックィーンが記録に追いついている」
「確かに」
あの世界的人気を誇ったマックィーンを自らの手でチャンピオンの座から引きずり下ろしたストームの執着は並大抵のものでない。ストームにとってのチャンピオンはマックィーンなのだ。
それを分かっているレイは苦笑いを浮かべた。ストームの近くへ椅子を引き寄せて座る。
「キングに会えてマックィーンも嬉しそうにしていたぞ」
「…だから何だよ」
「別に。それだけだ」
ゲーム機を操作しながらストームはまだ何かブツブツ言っていたが、ふと顔を上げた。
くんくんと鼻を鳴らす。
「シャンプーか何か変えたか?」
「いいや」
不意の問いかけにレイは首をかしげつつ答えた。その答えにストームは釈然としない顔をしている。
微かではあるが、妙に甘ったるい匂いがレイからするように思う。だが彼自身は本当に覚えがないようだった。
もしかしたら自分の気のせいかも知れないし、これ以上、尋ねても仕方がないと判断し、ストームはまたゲーム画面へ目線を戻した。
バックエリアには、レース関係者や会場スタッフ、各チームメンバー達が利用するシャワールームやダイニングがある。
昼を過ぎ、そろそろ混雑もピークを過ぎたかという頃を見計らってストームはダイニングへ向かった。
伝説のトップレーサー、キングが来ていることを事前にレイから聞かされていたからだ。レイまでもが嬉々として話題にするくらいだから、他のクルーやスタッフ達はもっとはしゃいでいるだろう。しかもダイナコ勢が揃っている。
浮かれた空気のなかで食事をすることは居心地が悪いし避けたい。
そのためにわざわざ空腹を我慢して時間帯をずらしたのだが、読みは外れた。
「おや、君は確か……」
ダイニングの自動ドアを潜ると同時に近くに居たグループの中から声を掛けられた。
「…どうも」
興味はなくとも顔は知っている。今日の騒ぎの原因である、キング本人だった。
さすがに無視する訳にもいかず、ストームは足を止めた。グループの中にはマックィーンやラミレスの姿はなかった。
「話すのは初めてだな。よろしく、ストリップ・ウェザーズだ」
「初めまして、キングさん。ジャクソン・ストームです」
差し出された手を愛想程度に握って、少し笑って見せた。
「活躍はよく知っているよ。レース界を大きく変えた。次世代レーサーと呼ばれるなかでも特に注目株だ」
「……」
次世代レーサー達の台頭は彼の甥、キャルを引退に追いやった一因でもある。そのことを指しているのかとストームは返事をせず、じっとゴールデンイエローの瞳を見つめると、キングは困ったように笑った。
「他意はないよ。気に触ったかな、悪かった」
「気にしていませんよ」
気さくに肩をぽんと叩かれる。
その時、またあの匂いがした。今度は気のせいではなく、匂いを強く感じる。妙に甘ったるく、少し前にレイからもした匂いだ。
なるほど、それなら合点がいく。恐らくレイはガレージへ来る前にキングと話したのだろう。それでこの甘い匂いが移ったのだ。
「マックィーンからも君の話はよく聞くんだ。手強いライバル、けれどチームとして張り合いがあると。今日も君の話を沢山していた。これからも良い走りを見せてくれ」
「ええ、ありがとう」
もう一度、握手をしてキング達のグループから離れた。カウンターへ行き、サンドイッチを注文してダイニングの隅っこのテーブルへ座る。
同じ伝説的なチャンピオンといっても、マックィーンとはまた雰囲気が違った。やはり年の功なのだろうか。
さほど長く話していた訳ではないが、あの甘い匂いが自分にも移ったような気がしてストームは何だか食欲が出なかった。
西の空が薄紅に染まる頃、コースには煌々と照明が灯り始める。
ストームが所属しているイグナイターは夜間にも一枠の練習枠を取っていた。
スタートまではもう少しあるからとダイニング手前のカフェスペースで時間を潰す。一人掛けのラウンジチェアに座り、組んだ脚の上に載せたレース雑誌を読むでもなくページを捲り、流し読みしてゆく。飲みかけのエナジードリンクの缶へ手を伸ばしたところで隣の席へ無遠慮に飛び込んできた眩しいほどのイエローのレーシングスーツに顔を覆った。
「ちょっと、ちょっと!人の姿を見て顔を隠すなんて失礼ね」
「お呼びじゃないんだよ…それにそのド派手なイエローは目が痛い」
「あら、苦手だった?そうよね、この色を見たら嫌でも負けを連想しちゃうわよね」
「何の用だよ」
用もないのに話をしに来るほどクルーズとは親しくない。しかも互いは最大のライバルなのだ。
「今日、あの伝説のキングさんが来てたでしょ。今日の練習ではチーフクルーを務めてくれたの!しかも彼のほうからよ」
興奮しているのな肩や腕を何度も叩いてくるクルーズにストームはあからさまに嫌な顔をして見せた。
「やめろ、痛い。あと、その匂いも鼻が曲がりそう」
「えっ、やだ!ニオイ!?」
午前中から何処へ行っても鼻につく甘ったるい香りにストームは参っていた。
イレギュラー的にやってきたキングの香水か何かならまだしも、クルーズのものだとしたらこれから練習やレースの度にこの香りに悩まされることになる。
「香水か?だとしたらつけ過ぎだろ、もう少し程度を……」
「アンタって本当に失礼ね!言い方ってものが…こうしてやる!」
ストームの物言いは彼女を怒らせ、攻撃的にした。飛んでくる拳を避けたり止めたりする羽目になる。
「つけ過ぎはよくないだろ!くそっ、乱暴な女だな!」
「アンタはデリカシーのない男よ!」
「程度を考えろよ、そんな甘ったるい匂い…」
怪訝な顔をしたクルーズがピタリと動きを止めた。
「甘い匂いって言った?」
「言ったけど…」
練習前の時間を邪魔された苛立ちから、多少は嫌味も込めたが確かに言葉が過ぎたかとストームは歯切れが悪くなる。
実際、集中したいタイミングではあるのだが。
「それなら私の香水じゃないわ。私のは柑橘系だもの」
「は?」
彼女が愛用だと口にした香水は名前からして柑橘系のものだった。しかし今も辺りに漂う匂いは甘いもので、ストームは合点がいかない。
「たぶん彼よ」
クルーズが目線で示した先には真っ赤なレーシングスーツ姿の彼が居た。
二人を見つけ、こちらへやってくるマックィーンから目が離せなくなる。
「クルーズ、此処に居たのか。やあ、ストーム。調子はどう?」
レーサーだった頃を彷彿とさせるライトニング・マックィーンの深紅のレーシングスーツ姿に言葉が出てこなかった。
「その格好……」
それ以上、ストームが何も言わないのを気まずく思ってか、マックィーンは苦笑いを浮かべ肩をすくめた。
「あー、トロくさいオッサンのくせにって顔だね」
グローブも着けているしスポンサー企業のプロモーション業務のために着ている訳ではないらしいことは察しがつく。
「アンタも走るのか?次のシーズンはレーサーとして出るのか?」
詰め寄るように問いただすストームの勢いにマックィーンは後ずさった。
「いや、違うんだ。レーサーとしては出ない、クルーチーフの役割があるから…今日だけ特別に……」
「……」
慌てて否定する言葉にストームの表情は曇る。
マックィーンがレースに出るなんて有り得ないことは少し考えてみれば分かることだった。只のクルーでなく、チーフなのだ。
そう簡単に代わりが見つかるものではない。
けれど、もしかしたら今日来ていたキングがその役割を担うのではないかとわずかな可能性に淡い期待を抱いていた。
今のところマックィーンの現役最後となったシーズンでは何度も彼を負かしたが、未だにストームの中では納得のいく結末が得られていない。
レーサーとしてのマックィーンに勝ちたいという気持ちは今もしぶとく燻り続けていた。
「ちょっと、マックィーンさん。ストームはあなたに言いたいことがあるのよ」
黙り込んでしまった重たい沈黙を破ったのはクルーズだった。じとりとストームを流し見る。
「言いたいこと?僕に?何だろう」
気まずさを取り繕い、笑顔を浮かべてストームのほうへ向き直った。
「ほら、ストーム。言ってみなさいよ、私に言ったみたいに」
「余計なことを…!」
少し首を傾げる仕草は年齢に似つかわしくないのだが、でも何故か彼にはよく似合う。
甘い、甘い、ストロベリーピーチの香りは、まるで極上のスイーツのようで目眩がするようだった。