不器用な僕ら事件の後、ベルモットを送り届けた安室は工藤邸の近くに車を停めた。工藤邸に明かりが灯っているところをみると、居候である沖矢昴は帰宅しているのだろう。先日宅配業者だと偽って乗り込んだ時には自分の勘違いだと思ったが今日左利きだと知ってまた疑う気持ちが芽生えてしまい、こうして監視をすることにしたのだ。しかしもう日が暮れていることだし降谷も明日はポアロのシフトが入っている。もう今日は良いかと帰ろうとした時、工藤邸から誰かが出てきた。
「!」
その人物は沖矢だった。こんな時間にどこに行くのだろうと車の中で寝ている振りをしながら伺っていると沖矢は真っ直ぐに降谷の車まで来てコンコンと窓を叩いた。
「何でしょうか?」
窓を開けて応対すると沖矢はいつもの胡散臭い笑顔で話しかけた。
「話がある。家にこい」
いつもの笑顔だがいつもとは違う口調に気圧された安室は大人しく工藤邸に招かれることになった。
無言のままリビングに通され、ソファに座る。沖矢の方は以前のように紅茶を出すこともなく安室の対面に座っている。話があるといったはずなのに沖矢はじぃっと安室を見ている。安室はなんとなくだが沖矢のことが苦手であった。子供達からは好かれているようだがただのミステリー好きというには現場慣れしすぎているし、あの少年が誘拐された時には車から身を乗り出して何かをしようとしていたし、何より大学院生として片付けるには時折ゾッとするようなオーラを出している時もある。現に今だって沖矢に気圧されてここにいるのだ。
沈黙が続く中沖矢は下を向きふーっと深いため息をつくとまた顔を上げた。
「いや驚いたよ。君とポアロのウェイトレスが付き合っていたなんて」
いつもよりも低い声でされた質問に安室はたじろぐ。
「ま、まぁな」
中身はベルモットだがもしかしてバレているのだろうか。
「波土さんのファンだというのも好きになった一因かな?」
「あ、あぁ」
首を傾げて聞いてくる沖矢に恐怖を感じながらも相槌を打つ。
「時々見せるスパイのような怪しげな視線も、魅力的だよ」
「!」
中身バレてんじゃんと驚いて口をつぐんでしまった。これではもう中身がベルモットであると認めたようなものだ。やはりこの男は苦手だと感じてこの部屋から逃げ出したくなる。
「あの、梓さんのことを知りたいのでしたらポアロに来てみてはいかがですか?先程は肯定してしまいましたが、僕と彼女はただの同僚ですので」
話題を変えたくて精一杯の笑顔で言葉を紡ぐと沖矢がまた深い溜息をついた。
「もういい。こい」
沖矢はそう言うと立ち上がり安室の腕を掴んで別の部屋へと引きずり込んだ。
「ちょっと、何なんですか!」
無言で進む沖矢に声で抵抗しても聞こえていないかのようにスピードは落ちない。どこかの部屋に入ったところで安室は沖矢に投げ出された。それはまるで組織が捕虜を閉じ込める時のように乱暴な所作だった。違うのは投げ出された先が冷たい床ではなくふかふかのベッドだったところだ。
「えっ?えっ」
てっきり硬い床だと覚悟していた安室は想像とのギャップに驚きを隠せなかった。
「あのウエイトレスのことはどうだっていいんだ。どうせ中身は別の女なんだろ?」
完全にバレている。ベッドから起き上がってどうしようかと考えを巡らせていると、先程より迫力を増した沖矢が安室にのしかかるように近づいてきた。
「君はわざわざあの女に変装させてまで一緒にいたいのか?あの女は君の何なんだ?」
「お、沖矢さん?」
「仕置きが必要だな。君が悪いんだ」
沖矢はそう言うと安室の手首を胸元でまとめてガチャンと手錠をかけた。
「え?」
見慣れてはいるもののかけられる覚えのない手錠に困惑していると今度はアイマスクをかけられ視界を奪われた。困惑が恐怖に変わり体が固まる。
「今から君が会いたがっている男を連れてくるよ」
そう沖矢の声が聞こえると安室の上から退いた気配がした。しかし近くにはいる。
「良い眺めだな。降谷君」
「!」
視界を奪われているのに声がした方に顔を向けた。忘れることなんてできない、赤井秀一の声がしたからだ。
「やはり沖矢昴に変装していたんだな!」
「さぁ?どうかな。それよりも君は今置かれている状況をちゃんと把握した方が良い」
「僕を殺すのか?FBI」
「まさか。君を殺して何になるんだ。君はスコッチの為にも生き延びるべきだろう」
「お前がその名を口にするな!」
助けられなかったくせに、僕の親友を見殺しにしたくせに、僕には生き延びろだなんてなんてことを言うんだ。ヒロの事を思い出すと涙腺が緩んできて思わず下を向いた。この男の前で泣くなんて、そんな屈辱的なことはできない。しかし止めようとすればするほど涙が溢れてきて終いにはこぼれてしまった。
「っ…」
泣いている事を隠そうと声をなんとか押し殺す。安室が必死で耐えているとふわりと体が包まれた。
「スコッチの事は俺が殺した。あそこで殺さなければ俺も君も組織に殺されていたかもしれない。君とスコッチには申し訳ないと思っているが、仕方なかったんだ。君が俺の事を恨むのは当然だ。一生許さなくても構わない。その代わりスコッチの為にも生き延びるんだ」
「あ…あぁ…」
殺したい程憎い相手が目の前にいるというのに、その相手に抱きしめられて慰められているのは屈辱だというのに、この安堵感はなんなのだろうか。人前で涙を流すなんて事はなかったのにこの男の前で素直に泣きじゃくる自分が酷く情けなく思えたが、味わったことのない暖かさに身を委ねて気が済むまで涙を流した。
「ここは…」
泣き疲れて寝てしまったのだろう、スッキリと目覚めた安室は周りをキョロキョロと確認した。手錠とアイマスクは外されており、一体何だったのだろうかと考えあぐねていると部屋のドアが開いた。
「おや、お目覚めですか。おはようございます」
やってきたのは沖矢だった。昨日の口調からいつもの口調に戻っている。
「おはようございます。すみません、寝てしまって」
「いえ、構いませんよ」
「あの、昨日ここにきた男はどこに」
「男?誰のことでしょうか。昨日はお疲れだったみたいで事件の話をしていたら君が急に寝てしまったんですよ。夢でも見たんじゃないですか?」
いつもの胡散臭い笑顔で淡々と答える沖矢に嘘だともそうでしたかとも言えず、必死で記憶の糸を辿る。
「それより、今日はポアロに行かなくて良いんですか。そろそろお昼ですよ」
「えっ!もうそんな時間ですか?すみません、帰ります」
今日は念の為梓さんをフォローしに行かなくてはと急いで工藤邸を出る安室に沖矢は小さくまたなと声をかけた。