それから?「ねえ、勇利、大丈夫?」
そうピチットくんに声をかけられた僕は声のほうに振り向いた。
「え?なにが?」
「なにが、じゃないよ!目の下に酷いクマ作ってるじゃない!きのう何かあったの?」
「え、そんなに酷い?」
「昨日は普通に滑ってたのになんだかフラフラしてるし、今日は休んだほうがいいんじゃないの?」
「えーっと、全然元気だし大丈夫だよ!心配してくれてありがとう、ピチットくん!」
そう言ってピチットくんに笑って見せたら、背後から黒い影が現れた。
「カツキ、今日はもうホテルに戻って休め。練習しても怪我をするだけだ」
ヤコフコーチだった。
「え、でもまだ大して滑ってないですし」
「とにかくリンクの上はダメだ。体を動かしたいならリンクの周りでもジョギングしてから帰ればいい」
「あ、えーと」
「返事は?」
「えっと、あの。はいっ!」
そんなわけで、僕はリンクから強制的に陸にあげられホテルへ帰る準備をしていた。
そこへヴィクトルが帰ってきた。
「勇利!」
「ヴィクトル!」
「すまない、遅くなった。どうしたの?帰る準備なんかして。体を痛めたの?」
「ううん、違う。調子が悪いのをみたヤコフコーチが怪我するからリンクから上がれって言ってくれて」
「調子が悪い?何があった?」
「あーえっとなんだか昨日珍しく寝つきが悪くてほとんど寝られなくて、ふらふらしてたっていうか」
「本当だ、酷いクマができてる。今日はもうホテルに帰ろう。仮眠とって、ストレッチしてマッサージして今日は早めに寝る。朝早く起きて準備して公式練習でパーフェクトな滑りをすればOK!いいイメージを持って本番に挑む。そして金メダルだよ!」
ニコニコと笑ってそういうヴィクトルの顔を見ていたら、どうやらいつもより体が強張っていたらしい。
ゆるんだせいかお腹がぐ〜と鳴った。
「勇利、もしかして朝からちゃんと食事もとってないの!?」
「えっ、いや、あの‥‥‥」
「ホテルに戻るよ、勇利!」
僕はヴィクトルに強制連行されてホテルに戻った。
パタンッ!
美味しいと有名なホテルのブーランジェリーに寄ってサラダとチキンサンドなどをゲットしてからホテルの部屋へ戻った。
部屋に入るとヴィクトルと僕の間に沈黙が落ちた。
「あ、あの、ヴィクトル、ご‥‥」
ごめんと謝ろうとした瞬間、僕の体はヴィクトルに引き寄せられた。
「わっ!」
驚いて声が出てしまう。
ぎゅうとヴィクトルに抱きしめられてヴィクトルの匂いに全身が包まれる。
僕が一番大好きな匂い。
「ごめん、勇利」
「え?なにが?」
「勇利を一人にした」
「だって、5月からのアイスショーの大スポンサーなんでしょ?」
「そうだけど、試合があるのに会いたいって言われたからって、コーチを優先すべきだった」
「1日くらい大したことないよ?」
「大したことあるさ!1日でこんなにやつれてるじゃないか!」
「あの、えっと、そうなんだけれど‥‥‥それは僕が‥‥‥」
ヴィクトルがいないとダメになってしまっていることに気がついてしまったからなのであって‥‥‥
「俺は勇利がそばにいないとダメなんだって思った」
「え?」
僕は自分の頭の中を読まれたのかと思ってドキッとした。
「俺たちはコーチと生徒だけれど、それだけじゃないもっと強いものでお互いが引き寄せられて出会ったと思ってる。だから俺が勇利のコーチになって、選手と両立もしてそのあと引退してまたコーチに専念するようになってどんどん絆は深まったと思う」
「うん、そうだね」
「でもだからと言って恋人同士みたいな付き合い方はしてこなかったでしょ?色々噂は立てられたけど」
「うん」
「でもね勇利」
そう言うとヴィクトルは僕の体を解放した。そして僕の両腕にヴィクトルの手をそれぞれ添えてしっかりと僕を見つめてこう言った。
「今回勇利と離れて強く思ったんだ。俺は勇利の傍で一生を過ごしたい」
「!!」
「生徒とコーチとしてとか、友人とかでなく、勇利の一番でありたい」
「‥‥‥‥」
「実を言うと今回も先方から結婚話が出たんだ。そんなのはどこへ行っても言われることだし、ああまたかって思ったんだけれど」
「‥‥‥うん」
「スポンサーになってくれているご夫婦の奥さんがね、一生一緒にいたい人がいるなら、一緒にいるうちに捕まえておかないとダメだって言うんだ。あの子はあなたのためだと思ったら自分の思いを閉じ込めてでもあなたの前から姿を消すでしょうね。どんなに苦しんでもそうしてしまう子だと思うんだけれどって」
「そ、それって‥‥‥」
「勇利のことだよ。ちゃんと自分の気持ちを言葉で伝えたほうがいいって言われた。あなたたちはお互いを唯一無二の生涯の人って思っているのに、深い関係になることを恐れているように見える。想いを伝えることで相手に引かれることを最も恐れているでしょ?って」
「ヴィクトル」
「俺の勇利への気持ちを言い当てられて何も返せなかったよ。でも勇利も同じように俺のことを想ってくれているなら、俺は勇利を捕まえて俺から離れられないようにしたい」
「ど、どうするつもり?」
捕まえるという聞きなれない言葉に少し警戒してしまった僕にヴィクトルは床に片膝をついて僕の右手をとってから僕を見上げた。
「俺と結婚してください、勇利。ホテルの部屋なんて雰囲気もなにもないところで申し訳ないけれど、今期のシーズンが終わる前に勇利に俺の気持ちを伝えたかったんだ。勇利が余計なことを考えて逃げてしまわないうちに」
「に!逃げたりなんか、なんか‥‥‥」
「するでしょ?もしかして、もうそんなことを少しでも考えてた?」
「うっ!えっとあの‥‥‥」
「勇利、どうしてそんなこと考えたの?勇利も少しは俺のことを意識してたって思っていいのかな?」
「あ、あの‥‥‥」
「勇利、返事は今すぐじゃなくてもいい、一方的だけれど俺の気持ちをハッキリと伝えたかった。俺とのことをちゃんと考えて欲しいんだ」
「‥‥‥」
「ダメかな?」
「ダメじゃない!僕だって!!」
「うん」
「ぼ、僕だってヴィクトルとずっと一緒にいたいよ!」
「本当に?」
「あ、あたりまえでしょ!ずっと一緒にいたじゃないか!」
「でも生徒とコーチとしてでしょ?」
「そ、そうだけど‥‥‥。昨日の午後にヴィクトルが出かけたあと練習を終えてこの部屋に戻ってきたんだけれど」
「うん」
「広くもないホテルの部屋がガランとしてすごく広く感じたんだ」
「うん」
「ヴィクトルいないなって思って」
「うん」
「そうしたらさ、なんか落ち着かなくなって、ベッド入っても全然寝られなくなちゃったんだ」
「それでどうしたんだい?」
「ど、どうにも出来ないよ!ヴィクトルいないんだもん!それで、それで僕、ヴィクトルいないと寝れらないしご飯も食べたくなくなっちゃうんだって思ったんだ」
「俺もだったよ、勇利」
「!!そ、そうなの?」
「うん」
「でも僕はもっと重症なんだよ!朝のカフェテリアで仲の良さそうなカップルがいて、それを見たら、僕が引退したらヴィクトルはきっと綺麗な人とすぐ結婚したりしちゃうんだろうなって思ったらもう、気分はどん底になっちゃったんだ」
「それでぐるぐる余計なことを考えて逃げなきゃって思ったわけ?」
「思考を読まないでよ!というか、その通りなんだけれど。だってヴィクトルが知らない女の人連れてきて紹介なんかされたら、僕どうなっちゃうかわからないし!」
「俺もだよ、勇利。勇利に女の子なんか紹介されたらその場で勇利を誘拐して行くかもね」
「な、なにそれ!」
「嫉妬に決まってるでしょ!」
「ヴィクトルも嫉妬したりするんだ」
「勇利に対してだけだよ」
「僕もヴィクトルだけだよ」
「‥‥‥それは返事をもらったって考えてもいいの?」
「あ、あの‥‥‥うん、僕もヴィクトルと結婚したいです」
「YES!」
「わわっ!」
ヴィクトルは立ち上がると僕を抱きしめてそのままぐるっと1回転した。
それからまた僕の右手を取って僕を見つめたまま指先にキスをした。
そして、もう何年も金色の指輪がはめられている薬指にも。
僕を見つめたままなのにどうやって取り出したのか、気がついたら僕の右手の薬指にもう1つ指輪を通しているヴィクトルの長い指。
「え?ちょっ、この指輪‥‥‥」
「奥方おすすめの宝飾店で買ってきた。すごくいい指輪だなって思ったんだ」
ひえぇ、なんかキラキラ光っ‥‥‥ダイヤモンドだーーーっ!
「このダイヤモンドを留めてる枠がね、あるデザイナーの作品でその店でしか扱ってないって言ってて‥‥‥ダイヤと合わせて雪の結晶みたいに見えるでしょ?」
「うん、すごく綺麗だけれど何個も並んでますけれど?」
「1個大きいのがドーンとあるよりも使いやすいでしょ?」
「そ、そうだけど‥‥‥」
「俺のは勇利がはめてくれる?」
「う、うん。わあ、豪華だ‥‥‥」
ヴィクトルが同じデザインの指輪をすると100万倍豪華で素敵に見える。
神話の神様みたい‥‥‥‥
「勇利?」
ヴィクトルに見惚れているとヴィクトルに名前を呼ばれた。
ヴィクトルと目を合わせるとにっこりと微笑まれる。
「キスしてもいいかい?」
「うん‥‥‥」
ヴィクトルに見惚れていたこともあって反射的に何も考えずに「うん」と答えた僕の唇にヴィクトルの唇が重なって‥‥‥。
それがヴィクトルとの初めての大人のキスだった。
「勇利、金メダルおめでとう〜!」
ピチットくんのホテルの部屋に呼ばれて行くと、部屋に入ったとたんにお祝いをされた。
「ピチットくんも銅メダルおめでとう〜!」
ハグし合ってお互いの健闘を称え合った。銀メダルはユリオだった。
「全くさー、結婚まで発表しちゃうってどういうことー?聞いてないよ、僕!」
「あはは、ごめんごめん、だって僕だって聞いてなかったもん!」
「はあ?どういうこと?」
「だって急に試合の前日にプロポーズされたんだよ」
「そういうことじゃなくて、二人が結婚発表する気でいたなんて聞いてなかったって言ってるの!」
「そんな気なかったよ?」
「はああ?」
「だから、そんなこと考える前にプロポーズされたの!」
「どーゆーことー!?」
「試合の前日にさ、ピチットくんが僕の具合が悪そうで声をかけてくれたじゃない?」
「うん」
「なんか僕ね、ヴィクトルがいなくて寝るのも食べるのも出来なくなってたんだよ、あの日」
「そうなの?あの時は1日も離れてなかったでしょ?もっと長い間離れ離れの時もあったじゃない!」
「うん、でもあの時にね僕は気がついたんだよ。ヴィクトルがいないとダメなんだって」
「ええーーー、遅すぎるでしょ、勇利」
「えっ!?なんで?」
「周りはもうとっくに二人は恋人どうしだと思ってたよ?最初にヴィクトルが勇利のコーチになった時に金メダルで結婚だよとか言っておきながら、結局そのあと勇利が金メダルとったって結婚報告なかったじゃない?そのほうが不思議だったくらいだったんだから!」
「は?」
「はーじゃないでしょ?いっつも二人でイチャイチャしてたくせに何言ってるの?2人の間に割って入ろうなんておバカなこと考える人はもうとっくにいなくなってるってば」
「何それえ!!」
僕の知らないところでそんな解釈されていたなんて!!
「それで?」
「な、なに?」
「それから?」
「それから?ってなにが?」
「キスしたんでしょ?」
「う、うん‥‥‥」
「そのあとは?」
「そのあとって?」
「エッチした?」
「エッ‥‥‥はああ!?」
「はああじゃないよー」
「するわけないでしょ!!」
「するわけないでしょじゃないでしょ!子供じゃないんだから、結婚したらするでしょ!」
「ちょ、ちょ、ええっ!?」
「やだなー、そんなことも考えてなかったの?」
「そんなことしたいなんてヴィクトルに言われてない」
「試合終わったばっかりだし、これからだとは思うけれどさ」
「これからって?」
「シーズンオフに入るじゃない?」
「うん」
「エッチし放題じゃん」
「‥‥‥‥‥( ゜□゜;)」
「あんぐりしてる場合じゃないでしょ。勇利は童貞かもしれないけれど、ヴィクトルは何人か恋人が過去にいて大人のお付き合いの経験者なんだから、手だけ繋いでるってわけにいかないじゃない」
「そ、そうなの?」
「そうです!」
「だって、僕も男だよ?」
「男同士でもエッチは出来るの!」
「ひえ‥‥‥」
「純粋培養すぎるよ、勇利!もう、仕方ないな、僕がヴィクトルに電話してどんなことしたいか聞いてあげようか?」
「いいっ、いいっ!」
「本当に?」
「う、うん」
「今晩、スイートルームに泊まるんだよね?」
「あ、うん!すごい広いの!びっくりしちゃった!!」
「勇利、ヴィクトルは準備万端でお待ちになってるよ」
「へ?」
「さあ、新郎さんを待たせたら僕が恨まれるからね、スイートルームに帰った帰った!」
「え?ちょっと待って!!」
「じゃ、頑張って♪」
「ピチットくん!!」
パタンッ
あっという間に廊下に出されてしまった。
え?なんだって?準備万端‥‥‥?
僕はどうなるの?
うああーーーっ!
RRRRRRRRRRRRRRRRRRR
RRRRRRRRRRRRRRRRRRR
カチャッ
「勇利ー!グッドアフタヌーン!!腰生きてる?それからどうだった?」
プチッ
PUーーーーーーーーーーー
誰が電話を切ったのか、ピチットくんは後日勇利に聞く勇気はなかったそうだ。
END