「おいpico、なんかお前に客が来てるぞ、外で待ってるってよ」
今日のライブも無事終わり、一息つこうというタイミングでコンコンというノック音が鳴り響く。
控え室のドアを叩いて入ってきたのはライブハウスのオーナーで、ちょうど帰り支度をしている俺にそう声をかけてきた。全く心当たりの無い話に一瞬固まってしまう。
「客…?って誰ですか」
「いやぁ、そりゃあお前の方が知ってるんじゃないのか?ああいう美人の知り合いがいんなら紹介しろよな」
……客は女か?ますます心当たりがない。少なくとも知人なら先に連絡をしてくるはずだ。
少し考え込んでいる俺の様子を見てかオーナーがしまったという顔をした。
「あーすまん、てっきり知り合いかと……断ってこようか?」
「いや、大丈夫す。出る時間ずらすのも面倒なんで、直接断ってきますよ」
「そうか?悪いな、気をつけて帰れよ!」
ここのライブハウスには世話になってるし、わざわざオーナーに手間取らせることもないだろうと控え室を後にする。
面倒ごとにならなきゃいいがと考えながら裏口のドアを開けると、向かいの塀に寄りかかって立っているスーツの女がいた。ドアの音に気づいたのか顔を上げてこちらに近づいてくる。
……誰だコイツ?本当に心当たりの無い女に言う言葉を迷っていると女はお辞儀をして名刺を差し出してきた。
「突然お時間をとらせてしまい申し訳ありません。私、 C space 芸能プロダクションのプロデューサー、Fortranと申します。先ほどのライブ、素晴らしいものでした」
「はあ、どうも……」
受け取った名刺に目を落とすと『 C space 芸能プロダクション プロデューサー Garnet Fortran 』と自己紹介通りのことがかかれている。ファンの出待ち辺りだろうと身構えていた分思わず気の抜けた返事を返してしまった。
「立ち話もなんですから、本題は落ち着ける場所でお話ししましょう。近くの喫茶店でよろしいですか?」
「お、おい」
スタスタと大通りの方へ歩いていく女に着いていくか、一瞬だけ迷って後ろを歩く。どんな話であれこんな人気のない路地よりかはマシだな。
喫茶店に入りお互いにドリンクを注文すると、向こうから先に口を開いた。
「単刀直入に要件を申しますと、今日はpicoさんのスカウトに来たのです。今はフリーのソロで活動されていると伺ったもので、よろしければうちにと」
「……スカウト?俺を?というかプロデューサーってマジなのか?俺とそう年が変わらないように見えるんだが……」
「ええ、ほぼ同年代ですね。ですがプロデューサーというのも本当です。疑うなら確認をとっても……」
「ああいや、いい。そういうのは後日自分でやる。というか同年代にあんまり堅苦しい喋り方をされると落ち着かないというか……もう少し崩してくれた方が話しやすいんだが」
「あらそう?それならお言葉に甘えるわね」
……切り替え早いなコイツ。運ばれてきた紅茶を飲みながらじっと女を観察する。プロデューサーってもっとこう……おっさんみたいなのをイメージしていたからいまいちイメージが結び付かない。
「もちろん返事は急がないわ。今日は話に来ただけだもの」
「そりゃよかった、今すぐ返事をくれと言われてたら間違いなくNOと言ってるところだね」
「そうね、でも少し考えてくれないかしら?うちは結構自由な方針だから色々と融通は効くし、事務所の後ろ楯があるとなにかとやりやすいわよ?」
「まあ考えるだけならな、……今は今でそれなりにうまくやってるし」
コイツが本物のプロデューサーなら事務所に所属するというのもそう悪くない話なんだろう。ただどちらにしてもすぐ答えが出るものではないのは確かだ。
「ええ、それで充分よ。気が向いたら連絡をちょうだい、連絡先は名刺に書いてあるから」
ここはご馳走するからあとはゆっくりどうぞ、と言って彼女は伝票を手に立ち上がる。くるりと踵を返したところで何かを思い出したようにあ、と声を漏らした。
「そういえば、以前バンドを組んでいた彼は元気?最近ライブであまり見かけないの」
「……あいつが?」
「そう、彼にも声をかけようと思ってたのだけどなかなか捕まらないのよ。でも心当たりがないならいいわ、それじゃあね」
ひらひらと手を振って去っていく後ろ姿を横目に、今言われたことの真偽を考える。
BFをライブで見かけないなんてことがありえるのか?起きている間はずっとギターを触っているようなやつだぞ?
しかし思い返すと最近対バンで当たることも無いような……別れた手前避けられているのかと思っていたが違うのか?まさか体調不良とか言わないよな……
もやもやとした疑問を抱えたまま家に着き、手早くシャワーを済ませてベッドに座りスマホを手にする。
BFのことも気になるが、念のためあのプロデューサーと名乗る女の身元も調べておかないといけない。検索画面に事務所名を入力するとすぐにホームページが見つかった。
「…………プロデューサーっていうのマジなんだな」
ご丁寧に顔写真つきとは……スクロールして所属タレントも確認すると何人か名前を見たことがある有名どころもいるようだった。事務所の評判自体も悪くない。
スカウトされたことはラッキーなのかもしれない。ただ……今のところは特に困っていることもないし、所属したらしたで別の苦労はあるのだろう。気が向いたらでいいとは言っていたし返事は保留だな。
調べることは調べたと、スワイプしてWebアプリを閉じる。そしてメッセージアプリをタップしてBFとのトークを開いた。こちらも真偽を確かめるべきだと考えたところで指が止まる。
(なんて打つ……?)
別れた後顔を合わせることはあっても、わざわざメッセージでやりとりすることもないため、別れを切り出した日付でログは止まっている。
こんな状況で「元気か?」とか「最近どうだ?」なんて送ってみろ。未練タラタラで連絡してきたみたいじゃねえか。いや未練はあるけど。それにブロックされてる可能性も0じゃないんだ。
……ブロックされてたらショックだな……そんな事実があったら知りたくない。いやさすがにないとは思うけど……。
「はあ……やめた」
スマホを切って枕の横に投げる。次会ったときに聞けばいい、それだけだ。
疲れた……もう寝よう。そのまま電気を消して俺は横になった。
数日後、悩んでいたのがバカらしくなるくらいあっさりとBFは見つかった。路上に人だかりができてるかと思えば聞きなれた音が聞こえて、様子を覗いてみればその中心にいたのがBFだった。
演奏が終わり拍手と歓声がわきあがる中、少し照れくさそうにしているBFはいつもと変わらない姿でほっとする。少なくとも体調不良とかではなさそうだ。
そして人がまばらに解散し始めた頃に機材を片付けているBFと目があった。
「pico!」
「よう、久しぶり」
変わらない笑顔を向けてくれることに気まずくなるのではないかという杞憂も吹き飛んだ。やっぱりこいつは変わらないな。
「picoはどうしたの?今日ライブ?」
「いや、今日は特に予定なくてブラブラしてただけだ。それよりBF、なんでまた路上ライブなんかやってるんだ?」
「えーっと、はは……ちょっとな」
「……もしかしてだが、最近ライブに出てないことと関係があるのか?」
ギクッと音が聞こえるくらい分かりやすく動揺するBFにため息がでる。
「BF……正直に話せ」
「いや、えっと……あのさ、前はpicoが申し込みとか色々やってくれてたじゃん?picoが予定入れてくれてたライブが落ち着いたから、次の予定入れようかと思ってやり方とか自分で色々調べてたら近いイベント全部埋まっちゃってて……次ステージでライブできるの四ヶ月後に……なっちゃったんだ……よね……はは…………」
「お前……」
頭がくらくらしてきた……お互いソロで活動するのに支障がでないようにと別れ際に色々手配していたのがこんな形で仇となるとは……。
「で、でもさ!路上ライブでもいいことあったよ!なんかスカウトとかされたし!」
「スカウト?」
「ほらこれ、名刺もらった!」
あのプロデューサーがもう見つけたのかと思いきや名刺をみれば違う事務所の名刺……というか詐欺の要注意リストで見かけたような名前だぞこの事務所。
……こいつを一人にしておくとまずい。どこかまともに面倒みてくれるところに放り込んでおかないと何のために俺が別れたのかという事態になりかねん。こいつの才能が埋もれるのも食い潰されるのもごめんだ。
「少し待ってろ」
昨日もらった名刺を取り出して事務所の番号に電話をかける。すぐに出た人間にプロデューサーの名前を出して取り次ぐように言うと、少しの保留音の後すぐに前に会った女性と同じ声が聞こえた。
「先日はどうも、気が向いてくれるのがずいぶん早かったわね?」
「あー、その要件じゃないんだ。前に言ってたBFをスカウトしたいって言ってた話、本当なんだよな?」
「……もしかして紹介してくれるのかしら、だったらとても助かるわ」
「話が早いな。いつなら予定がとれる?」
「そうね……早くて今日の夕方からなら。それ以外なら……」
日程を聞きながら電話口を押さえてBFにこの後予定があるかを訪ねると、特にないと首を横に振って答えた。
「今日でいい」
「わかったわ、外で会ってもいいけど……せっかくなら事務所に来てちょうだい。色々と見学させられるわよ」
承諾の返事をして電話を切り、BFに向き直る。
「なあ、なんの話だったんだ?」
「お前のことだよ、スカウトしたいって話が来てるんだ」
「なんでpico経由でスカウト?」
「……成り行きだよ、とにかく夕方に行くから準備しとけよ。途中まではまあ、俺も見学でついていく。けどどうするかはBFがちゃんと決めろよ」
「いまいち話が見えないんだけど……picoがそういうなら」
「じゃあまた16時に駅で」
「うん、また」
手を振ってBFと別れる。別に一緒に時間を潰していてもよかったんだろうがそれはそれで気まずいしな……うん。
こんな介入をしている時点で過保護すぎるのかもしれないという自覚はあるが、これはそう、俺の精神衛生上必要なことだ。そういうことにしておこう。
無事に話が進むように願いながら、近くの適当なカフェで約束の時間まで過ごそうと入った。