恋とは愚かなものなのです 「テスカトリポカ、キスしてくれ」
「……………は?」
エンドロールが流れ始めた画面に釘付けだったはずの元マスターは、テスカトリポカを振り返ってとんでもないことを言い出した。
キス、接吻、口付け、言い方は色々あるが、挨拶と同義の頬にするものから、明確な性感を得るために舌を絡ませ、唾液を交換し合う濃厚なものまで多種多様だ。
それを、デイビットが望んでいる?
テスカトリポカの頭上には文字通り、はてなマークが浮かんでいた。全能神なら全てを理解できると思ったら大間違いだと思うワケ。
「聞こえなかったか?キス、して欲しい」
怪訝そうな顔をしてもう一度キスを要求するデイビットは、純粋そのものでテスカトリポカは思わず天を仰いだ。齢23歳されど精神年齢(記憶時間)恐らく10歳ほどの男が強請ることとは到底思えなかった。
それでもテスカトリポカは、ミクトランパではなんでも叶えてやると豪語した手前、内心の動揺を悟られないように至極スマートにソファーに近づく。
そっと、デイビットの張りのある頬に触れるだけのキスをした。
「これで、いいだろ?」
それで満足するとはかけらも思っていなかったが、段階を踏むことは大事だ。そう思いつつ、したり顔で唇を離せば、予想通り眉を下げたデイビットと目が合う。
「これじゃない」
「オマエどうした?何に影響された?」
普段より数段幼い言葉、仕草に堪らずに問い掛ける。デイビットは、間髪入れずに目をキラキラさせて口を開いた。
「今見た映画で、キスは好きな人とするものだと言っていた。オレはテスカトリポカが好きだから、キスがしたい」
ゆっくりと情操教育をしなければ、と思っていたが、まさか映画に先を越されるなんて誰が予想しただろう。
テスカトリポカはデイビットを傷つけずにどう説明しようかと、頭を掻きむしりたくなる衝動をなんとか抑えながら、デイビットの隣に腰掛けた。
「あー、デイビットそれはな……」
恋の相手、恋情を向ける人とするものだ、そう言い聞かせようと向き合った時だ。
デイビットが太ももの上で握りしめた両手が、微かに震えていた。耳もよく見ると普段よりもだいぶ紅潮していて、紫色の瞳も潤んでいる。
(あーー、そーいうことかよ)
「……テスカトリポカ、今のことはっ!?」
黙ってしまったテスカトリポカに、デイビットが諦めたように口を開いたが、それを塞いだ。
もちろん、口で。
触れるだけ、口と口を合わせただけのバードキス。それでも至近距離で覗き込んだ紫色は困惑と歓喜に満ち溢れていた。
「キス、したかったんだろ?」
鼻と鼻を触れ合わせながら、唇もテスカトリポカが喋るたびに触れる。そんな距離で普段よりも低い声でそう伝えた。
「うん、もっとして欲しい……」
要求されるまま、唇を何度も合わせて、自然と差し出された舌を吸う。魔力を含んだ甘い唾液を求めるように、深く混ざり合う。
デイビットはとっくに分かっていたのだ。
恋も、誰かを愛しいと思う気持ちも。
そして、テスカトリポカが、自分のシステムから外れたことは出来ないことを。
分かっていても、デイビットは自分に触れて欲しいという欲求を諦められなかったのだろう。
だから、無垢なふりをしてテスカトリポカに強請った。この楽園の主人は、請えば与えてくれる。
例え、そこに自分と同じ感情が無くても、と。
そんないじらしいデイビットが『愛しくて』、テスカトリポカは請われるままに口付けを繰り返す。
自分という神に、微かに生まれた違和感を難なくシステムに組み込んで、馴染ませていく。
「テスカトリポカっ……」
きっと、これ以上は望んでいないだろうデイビットが今まさに作り替えている最中の神によって、囚われる未来をきっと知らない。
「あぁ、デイビット。いくらでもくれてやるよ」
もともと気に入っている相手が自分から腕の中に飛び込んできた。なら、ありがたく頂くのが礼儀ってもんだろう?
文句は受け付けないし、逃しもしない。
神の内心を知らないデイビットがテスカトリポカの首に腕を回して、もっととせがむ。
『可愛らしい』とまた口付けを深くした。