「別に無理に着いてこなくても良かったのに」
「いいんだ。一人だと待ち時間が暇だろう」
深夜0時過ぎ。二人は街灯が等間隔に照らす歩道を歩いていた。秋になったとはまだ言いきれない、少しだけ夏の裾を引いた空気の中。静まり返った夜に、二人分の足音だけが響いていた。
19時過ぎまで仕事があった彰人が駅に着いたのは22時。天気予報は一日晴れ。その通り今日はカラリと綺麗に晴れていた。それがなんの罰だろうか、ちょうど彰人が電車を降りる少し前、突如として空がバケツをひっくり返してしまったようだ。
突然の大雨、電車は運転見合わせ、ごった返す人、タクシーもバスも乗り場にはずらりと長蛇の列。
彰人は全てを諦めた。
幸い、今日は上下ともプチプラブランド。
走……いや、歩いて1時間、半くらいか。
『今家にいるか?』
『いる』
音速の既読と返信にさすがと軽く頬を緩めて、彰人は土砂降りの雨の中へ、意を決して足を踏み出した。
「わり、服貸して」
買ったばかりの新作に夢中になっていた冬弥は、大声で呼ばれるまで気づかなかった。合鍵を使って入ってくる音も、恐らく大声を出す前に数回呼ばれたであろう声も。慌てて栞を挟んで本を閉じて、小走りで玄関まで迎えに行く。
「え、あ……えっ?」
そこに立っていたのは頭のてっぺんから足の先まで、余すとこなくずぶ濡れの彰人。がばりとかきあげたオレンジ色の髪の先からも、ぽたぽたと雫が落ちている。
ずぶ濡れ?というかなぜうちに?
冬弥はぱちぱちと瞬きをした。
一通りこれまでの経緯を説明しながら、彰人は着ていた服を洗濯機に投げ込んだ。冬弥が用意してくれた服に着替えて、ピッピと慣れた手つきで勝手に洗濯をスタートする。
「言ってくれれば迎えくらい行ったが」
「まぁ……、なんか悪くて」
夜中に雨の中運転させるのも怖ぇし、と足された言葉。いつまで過保護だと思いつつも、その心配性が密かに嬉しかったりする。
ガタン、と音がして、冬弥はハッと眉をひそめた。
「彰人っ、もしかして洗濯機、」
「え、回したけど。いつも通り」
最近、洗濯機の調子が悪かった。途中で止まったり洗剤が出なかったり。上手くいく時はいくけれど大体7:3くらい、10回に3回は失敗する。
そして、アニメのSEかと思うくらい、清々しいほどにまさにその音がした。
「……まずい」
「おい嘘だろ」
冬弥の家の洗濯機は、彰人の服を洗剤塗れにするだけして、ピタリと息を引き取った。
そして冒頭に戻る。
彰人が近くにコインランドリーあったよなと提案して、日付の変わった深夜。ずぶ濡れ洗剤塗れの彰人の服をビニール袋に詰め込んで、二人でコインランドリーまで歩くことになった。
ものの数分で着いた目的地は、煌々と痛い光を放っていて。ずらりと並ぶ洗濯機はさすがにどれも動いていない。彰人は乾燥機能付きのものを選んで服を入れた。利用案内とボタンを交互に見ながら操作して、最後に扉を閉めてスタートボタン。
「……っし」
振り返ると、冬弥はベンチに腰を下ろしてぼんやりと彰人を眺めていた。出来上がりまで約30分。
少しくらいならいいだろう。夜だし。人いないし。彰人の下心が密かに疼く。
「とーや、こっち」
隣に腰を下ろした彰人は、ぽんぽんと自身の膝を叩いた。基本的に人前では嫌がる冬弥だが、さすがにこの時間、自分達しかいない空間。素直に彰人のももにちょこんと座った。すぐさま彰人の指が冬弥の指を絡めとって、後ろからぎゅっと細い身体を抱きしめる。
「この服、めちゃくちゃ冬弥の匂いする」
こつんと冬弥の肩に顎を乗せて、彰人はわざと甘えるような声で話す。
「……っ、俺のだからな」
冬弥は首を捻って、ずるい、そう目で訴えた。すると目の前で整った顔がふわりと色っぽく綻んで、じゅわりと視線に熱が混ぜられる。
互いにもう、子供じゃない。
この雰囲気はそういうことだと互いにわかる。
観念したように、というのは建て前で。正直に言うと満更でもなく。冬弥はゆっくりと目を閉じた。
「……もっかい」
角度を変えて何度も触れるだけのキスをして、そのまま彰人はいとも簡単に、冬弥を深いキスへと誘い込む。それはさすがに、と冬弥が拒むより一瞬はやく、がちりと後頭部を固定した。あっという間にシルバーグレーの瞳は涙の膜にくるまって、その内にじわりと熱を込めていく。
「なぁ冬弥、見ろよ」
彰人は冬弥を膝に乗せたままぐっと体を横に逸らした。
「……っ!」
体温がドッと上がった。
彰人の背後には、鏡のように二人を反射する窓ガラス。彰人の後ろ姿と、とろりと溶けた冬弥の顔。のぼせたように上気してだらしなく解けた自身の顔も気になったが、それよりも。
「人通ったらどうしようなぁ」
本当はそんなこと微塵も思っていないくせに。彰人は冬弥を煽る言葉を並べていく。
「人、通ったら……」
面白いほどに乗せられて、ぶわわっと頬を染める冬弥が可愛らしくて、愛おしくて。
「オレらがイチャイチャしてんの、見られるかも」
好きな子をいじめたいだなんて、一体いつまで小学生だ。だけど目の前で、なんなら自分の膝の上できょときょと、目を白黒させてはあわあわと瞬きを繰り返す恋人に、悪戯心が擽られて仕方ない。
「おい冬弥、お前見られて興奮するタイプだっけ?」
緩く熱を持ち始めたそれにするりと手を滑らせると、冬弥の肩が大袈裟なくらいに跳ね上がる。冬弥の乗せ方はとうの昔に把握済み。彰人はずるい大人である。
「…………あきと……」
強請るような上目遣い。
吐息混じりの熱い声。
絡んだままの手をきゅっと小さく握り返して。
冬弥もまた、ずるい大人。
彰人が自分の顔に弱いことなど、こちらもとうの昔から知っている。
「……おい冬弥、言えよ」
「寄り道したいんだろう?」
「じゃなくて?」
彰人の指が冬弥の細い顎を掬う。かちんと視線を捕らえられて、にやりと口角を上げた顔。冬弥にしか見せないずるい顔。この顔が好きだと思ってしまうのは惚れた弱みか、それとも誰宛てでもない優越か。
「……寄り道……、したい」
思いっきり目を逸らして、小さくそう呟くと、ふっと吐息が緩む音がして。
「オレも」
彰人はすっと立ち上がった。上に乗っていた冬弥もつられてぐっと膝が伸びる。 ここのすぐ近くに以前使った所があることくらい、そんなのお互い知っている。
「あそこ休憩いくらとか覚えてねぇか」
「たしか2時間で3000円くらいじゃなかったか」
「余裕で足りるわ。てかよー覚えてんな」
広いベッドで、後片付けも音漏れも一切気にせず、煽られた欲をドっと思いきり吐き出したい。
そんな気分だった。
「とんでもなく贅沢なことをしようとしているな」
「まぁー、オレら大人だから」
彰人はそう言うと、冬弥の細い腕を掴んでコインランドリーを出た。洗濯が終わるまで恐らくあと15分程度。だけどそれは帰り道に回収すればいい話。
大人だからと言いつつも、そうやって目先の愉悦に根負けした。
「あそこのカード持ってんのオレ?」
「あぁ。たぶん俺ではない」
どこか悪いことをしているようなドキドキに急かされて、いつもより少しだけ早足になる。深夜だからと繋いだ手が熱を持った。
服の回収を忘れないように。
お互いにそう言い合って、彰人が部屋のボタンを押した。