転禍為福 「スノウ様、ホワイト様。どうか、この子に祝福をお与えください。今日で生まれて1年になります」
寒さに息を白くしながら、年若い村人が赤ん坊を抱いて双子へと話し掛けた。両親に抱かれた赤子は無垢な瞳をきょとりと向けて、大人しく美しい青年に抱き上げられる。
「愛らしいのう。名はなんという」
「アシュリーです」
「良い名だ。アシュリー、そなたが強く健やかであるよう祝福を与えよう」
ノスコムニア、と重なった声に温もりが宿り、赤ん坊を包んだ。ホワイトから我が子を受け取った両親は何度も礼を言って、村のいずこかへ帰って行った。
「スノウもホワイトも、村の方にとても頼りにされてますね。大人の姿だとより威厳を感じます」
「そうじゃろう、そうじゃろう。たまにはカッコよくて立派な我らも見たいかと思っての」
「何でもいいですけど、終わったなら帰っていいですか」
ほっほ、と笑うスノウの後ろから、ミスラが気怠げに声を掛けた。面倒そうにポリポリと腕を掻いている。
「ミスラも、さっきのスノウたちみたいな魔法を使ったりしますか?」
「さっきの? なんです」
「ウソ、ミスラちゃん見てなかったの? カッコよくて威厳たっぷりの我らを?」
大袈裟に肩を寄せあって驚く双子に鬱陶しそうにはあ、と返事をするミスラは本当に見ていなかったらしい。興味のなさそうな様子で手にした果物を齧っている。北の国での討伐任務は毎度のことながらすぐに片付き、依頼のあった村へ報告するまで問題児たちを纏めておくことの方が頭の痛い事柄であった。同行した晶も予想していた通り、双子の言うことを全く聞かない三人。彼らをどうにか任務へと向かわせたのはひとえに依頼のお礼として振る舞われたご馳走だった。ミスラが齧っている果物は豪華な晩餐の名残である。
「えっと、祝福を与える魔法です」
「使ったことないですね。あったとしても覚えてません。加護と何が違うんです」
「愛おしいものが良い方向へ向かうよう魔力を与える感じじゃな」
「まあ、ミスラちゃんは逆の方が得意だもんね」
「逆ですか?」
「呪う方じゃよ」
「呪術は得意ですよ。なんですか、賢者様、誰か呪い殺しますか?」
「こ、殺さないでください……」
気軽に物騒なことを尋ねられて晶は萎縮した。隣で晶を覗き込むようにしていたミスラは興味を失って視線を戻した。ふわ、と齧っていた果物の爽やかな、甘酸っぱい香りが晶の鼻に届く。鼻腔の刺激が昨晩のご馳走の記憶を反芻させる。晶が鹿肉のパイ包み焼きに思いを馳せていると、最後に残った果物の芯を噛み砕く固い咀嚼音が聞こえてきた。
「晶、平気?」
煙たさが鼻を突いてはっと曖昧になっていた意識が戻る。隣りに座った女性が心配そうにするのに大丈夫、と口だけの返事をした。不誠実な言葉だ。自分が何をしていたかも曖昧なほど意識が飛んでいたのに言える言葉ではなかった。ぎゅっと握り込んでいたスラックスの皺を伸ばしながら誤魔化すように頭を振る。
「気分が悪くなったら無理しなくていいからね」
たくさんの喪服を着た人々が次々と焼香の列に加わっては後ろへ戻っていく。規則的な木魚の音と僧侶の声が岩を打つ清水のように響いている。手渡された花を持って集まった人々が代わる代わる棺へ近付く。清らかで甘い香りが漂う。そんなに握ったら折れるよ、と声を掛けられても上擦って返事ができなかった。喉がカラカラに乾いていて、声が出ない。外に出ると冷たい風が熱い頬を冷やした。バタン、と音をさせて黒塗りの車のトランクが閉まった。
飲んで、と温かい珈琲を手渡されてびくりと顔を上げる。また意識が飛んでいたことに焦る自分に落ち着いたかと心配する顔。待ち合いロビーにいる人々は静かに会話したり、所在なげにウロウロしたり思い思いに過ごしていた。外は雪が降っている。
「晶」
深い森の香りがする。嗅ぐだけで安心するような、甘さを含んだ匂いがする。引きつけられるように立ち上がって、匂いのする方へ向かう。どこ行くの、と掛けられた声に曖昧な返事を残して足早にガラス戸を開けた。降りしきる雪は行く手を阻むようにも、晶を招き入れるようにも思えた。白く染まる視界。コートも着ていないのに不思議なほど寒くなかった。忘れられない匂いを頼りに濡れたアスファルトを踏んで進む。
「寝ぼすけちゃんなんて、貴方に言われたくないですよ」
「……ミスラ?」
「やっと起きました?」
がば、と起き上がると晶は魔法舎のミスラの部屋にいた。ベッドの端にぎし、と部屋の主が腰掛ける。
「起きたなら、さっさと手を貸してください。俺は寝るので」
「えっ? えっと」
「慣れないことをしたので疲れました。早くしてくださいよ」
ゴロン、と布団を被るのすら煩わしいのか晶の横に寝転ぶとミスラは目を閉じた。状況はわからなかったが、晶はだらんと差し出された手をとりあえず握った。
「ミスラ、その……俺魘されてましたか?」
「さあ。呻いていたのでそうかもしれません。大した呪術じゃなかったですけど、悪夢ぐらいは見たんじゃないですか」
どうやら何かの呪術を受けていた晶をミスラは助けてくれたらしいと察する。
「ありがとうございました」
「もっと感謝してください」
眠気を要求するようにミスラは晶の手をぎゅ、と握った。
「夢を見てたんですけど、ミスラの匂いがして。それで目が覚めたというか」
返事をする代わりに、抱えるように握った晶の手に額を擦り付ける。猫が甘えるような仕草に晶はふ、と笑みを溢した。
「本当は」
「はい」
「呪いをかけた魔法使いを殺した方が早いんですけど」
「えっ」
「貴方が殺すなと言うから」
閉じていた美しくて気怠げな緑の瞳が晶を見上げる。じ、と見詰められて晶はどくどくと鼓動が速くなるのを感じた。
「反対の魔法で打ち消しました」
再び瞼が閉じられる。全く面倒ですよ、と微睡みに落ちるようにふにゃりとした声で言って、ミスラは寝息を立て始めた。いつもよりも早い入眠に晶はほっとしつつ、疲れさせてしまったことを申し訳なく思った。
「俺も使えたらいいのにな」
ふわふわとした赤い髪を起こさないように梳きながら、晶はミスラが良い夢を見れるよう祈った。