実休光忠と甘い香りの審神者 最早風物詩となった、本丸の戦力育成としても優秀な任務である連隊戦。夏場の任務として夜光貝を一定数集める事で本丸に特定の報酬が送られる為、戦力育成も兼ねて殆どの本丸が参加する一大イベントでもあった。
この度、新しく光忠の刀剣が報酬に加わり、昨年の目玉報酬でもあった笹貫もいるとあって、この本丸も勿論参加していた。
そしてやる気を出しすぎた審神者や、水砲兵による水砲戦が楽しくなりすぎた為にハイになった編成部隊の男士が駆抜けすぎた結果。
「僕は、実休光忠」
本丸最速で到達してしまった。
「すみません。予定より早くお迎えしたので、全振り揃っていないんです」
「歓迎されているようで、嬉しいよ」
「明日から少しずつ慣らして行きますから、一先ず今後の説明も兼ねてこちらに」
実休光忠を迎えた審神者は、今日は一先ずここまでにしようと言っても聞かない男士達のストッパーを近侍に任せて実休光忠を連れて執務室に来ていた。本来であれば目通りの間にて改めて対面をするのだが、時間も時間であり尚且つその場所は今まだ出陣させろとハイになっている男士を止めるためにてんやわんやなのだ。落ち着いて伝えられる物も伝わらない。
執務室は事務作業を効率的かつ身体に負担の掛からないよう、足の長い机と椅子が置かれている。その1つ、何も載っていない机に実休光忠を通した。
腰を落ち着けて、本丸の事や運営の事を話していく。一通り話していくと、話題はこの本丸に集う縁の刀剣の話になっていた。織田にあった刀剣、同じ刀派の刀剣、同じ光忠を冠する刀剣の話。
実休光忠との雑談に花を咲かせていると、ふと何か甘い香りに気付いた。たまに使う制汗剤の香りとも、歌仙兼定や宗三左文字が纏っている上質な香とも異なる、強くも無い甘い香り。
「実休さん、香水とかつけるんですか?」
「香水?」
「いや、甘い匂いがするので。あ、お花かな」
「匂い……」
すん、と鼻を動かす。やはり微かに甘い香りがする。審神者始めこの本丸の男士達は、湯船に浸かる習慣がある。戦場に出て染みついた血の匂いや火薬の匂いがきつく残る事も無く、娯楽として香を纏ったり、審神者のように夏場汗のにおいを抑えるために制汗剤を使ったり、あとはオシャレとして香水をつけたりしている程度だ。
だがここまで淡く甘い香りは初めてだ。嗅ぎ慣れない香りの主を、目の前にいる初めて来た刀剣では無いかと思ったのだ。
「やっぱり何か香ってくる」
「へぇ。……でも、それは僕じゃなくて、君からじゃない?」
「え?」
身に覚えの無い香りをもう一度確認しようと、審神者は手首を鼻に近付けて嗅いだ。しかし今日は制汗剤もフレグランスもつけていないので、髪から降りてくるシャンプーやコンディショナーのラベンダーの香りくらいだ。
何も無いと顔を顰めていると、実休光忠の手が髪を避ける。どうしたのかと顔を向けようとすると、紫苑の瞳が近付いていた。
首元に、顔が近付いてくる。
スゥと音がして、思わず目をきつく閉じた。心臓が一気に早くなる。大きくなる。
顔を話した実休光忠は、戸惑う審神者を見て小さく笑っていた。
「――うん、ほら甘い」
髪で翳りが落ちる目元。僅かに細くなった瞳に、息が詰まった。