Touch「じゃあ、やりますね」
炭治郎が言った。
二週間に一回炭治郎と杏寿郎の間で行われるそれは、まるで儀式のようだった。
風呂上がりの皮膚と爪が柔らかくなっている時がいい、と言われているので、風呂に入って髪を乾かしてから臨んだ。
炭治郎の職業はネイリストだ。男性ネイリストはまだ少数だが、明るく人好きのする性格でセンスと技術もあり、固定客が少なくない。
杏寿郎は教師なので流石にネイルはできないが、甘皮の処理や爪をヤスリにかけて保湿するのはできる。
炭治郎は定期的に杏寿郎の爪の手入れをした。
「甘皮を取っていきます」
炭治郎はニッパーで少し伸びた杏寿郎の爪の甘皮を切り取っていく。
初めて甘皮を切られていった時は正直少し怖かった。少しでも間違えば肉も切られそうだからだ。もちろん、炭治郎を信頼していたが、実際やられると。
「俺も、スクールの他の生徒を練習台にしたりされたりしてた時はよく切ってましたね」
と炭治郎も笑いながら言うのだった。
甘皮を処理すると次は爪を磨く。爪の形をどうするかに拘りはないので炭治郎に任せている。少し丸みを帯びた形状にしてもらっていて、よくこんな綺麗な形に整えられるものだと感心するのだった。
鉄のヤスリではなく紙のヤスリで磨くのだが、杏寿郎がそれまでやっていたような往復させてゴリゴリと削るようにするのではなく、力を入れ過ぎずに同じ方向にヤスリを動かして磨くのだ。
「爪って結構繊細なんですよ。優しく扱わないと引っかかったり割れたりしやすくなるんです」
杏寿郎の手の下に敷いた紙には細かく削られた爪が落ちていた。この時はクシャミはできないな、といつも思う。
表面も軽く削り凸凹を滑らかにし、バッファーで仕上げる。
炭治郎は紙から爪の削りカスを落とさないように気をつけながらゴミ箱に捨てウェットティッシュでテーブルを拭いた。そして、杏寿郎の手も違うウェットティッシュで拭いた。
これだけでもかなり爪が綺麗になったのだが、爪に保湿オイルを塗り込むと更に艶々と光沢する。同僚の宇髄は洒落者でネイルをしていたが、少し磨いてもらうだけで気分がよくなるのだから、今は彼の気持ちはよく分かるのだった。
「君はいつも嬉しそうだが、こうしている時はもっと嬉しそうだな」
炭治郎は口元に笑みを湛えて杏寿郎の手にとろりとしたローションを垂らしてマッサージをしていた。
炭治郎は杏寿郎の不思議そうな顔を見て、にっこり笑った。
「杏寿郎さんがこうしてリラックスして手を触らせてくれるのが嬉しいんですよ」
炭治郎が杏寿郎の掌を揉みほぐしながら言った。
黒板で字を書くのも含め、パソコンの作業もあるので手も使う。だから、こうして手をマッサージされると、変な意味ではなく気持ちがよかった。
「初めて杏寿郎さんと手を握って眠った時、ちょっと緊張してるの分かりました。力加減とか、俺の手の感触とか、とにかく人と触れ合うのに戸惑いがあるんだろうな、て」
「こういうのは慣れていくしかないと思ったし、緊張するなと言われてしなくていいなら苦労しないから言いませんでしたけどね」
炭治郎は杏寿郎の指を一本一本揉んでいた。末端の滞りを取っていくように。
「手が触れることにも抵抗があった杏寿郎さんが心を許して俺に触らせてくれるのがすっごく嬉しいんです」
炭治郎が指を引っ張り、関節を伸ばした。
「これでよし」
炭治郎が満足そうに微笑んだ。
杏寿郎は手をかざし整えられた爪と丁寧にローションを塗りこまれた手を見た。
風呂上がりにしてもらったこともあり、色も艶もいい。目ざとい女子生徒などは、「レンキョの爪きれいー!」と言ってくる。チョークで荒れがちだった指もささくれが少なくなりしっとりとしていた。
「炭治郎、いつもありがとう」
杏寿郎は炭治郎の手に触れて言った。
炭治郎の手はいつも優しかった。その感触も、優しく、愛おしい。
「俺は君に与えられてばかりだな」
杏寿郎は炭治郎の手を包んで少し力を込めた。
乱暴に扱いたいのではない。自分の想いを伝えたいからだ。
「杏寿郎さん、俺も杏寿郎さんから色んなものを貰ってるんです」
炭治郎の手を握る杏寿郎の手を、炭治郎のもう片方の手が包んだ。その温もり、感触。泣きたくなる。
「俺、今まで付き合ってた相手には裏切られてばかりで、こんなに尽くしたのに、何も返してくれない、て不満だったんです。でも、杏寿郎さんと付き合いだしてから、杏寿郎さんが笑って、俺のご飯を食べて美味い! て言ってくれて、一緒にいられて、キスしたりセックスして、それで満足なんです。俺は、あなたが生きていて幸せなだけで嬉しいんです。真実の愛っていうのは、与えるだけで喜びがあるんです。それも杏寿郎さんは俺に教えてくれたんです」
炭治郎の笑顔は温かかった。それまで冬の寒さに震えていた動物に春の日が来た時は、きっとこんな気分なのだろう。
「俺を甘やかしてダメンズにしないでくれ」
「そうなっちゃったら俺が杏寿郎さんを養いますよ」
炭治郎はわざとらしく片方の口角を上げた。炭治郎の愛らしい顔立ちにニヒルな表情は不釣り合いでおかしかったが、愛おしかった。
杏寿郎は炭治郎に顔を近づけ、キスをした。炭治郎の唇を少し強めに吸った。
「ベッドの上では俺が君をダメにしたいな」
少し顔を離して、杏寿郎はイタズラっぽく笑った。
炭治郎の眸がとろりと溶けて、その熱が杏寿郎に伝わり、それを合図に二人は寝室に向かい、お互いの手と唇で愛し合うのだった。