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    janjack_JAJA

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    冥境滞在記(幽谷の人喰い狩り)

    The Hunter in the Wilderness 渇いた空気に混じる陰惨な「獣」の臭いが、狩人の嗅覚を刺激していた。


     文明都市ニブルヘルから南西方向に約十数キロ、行けども行けども僅かな草木すら存在しない荒野の只中に、幽谷はいた。
     正確に言えば、「幽谷」という呼び名は本人が名乗る自称。呼称としては「幽谷の狩人」が正しい。無論、そのように呼ばれた試しはないのだが。滅びた、或いは、滅びかけている異界を敢えて選んでは降り立ち、その世界で狩りを行って生計を立てている。些か変わった経歴の持ち主だが、それが本人なりのスタンスだった。
     此度降り立ったこの「底」の世界でも、幽谷はこれまで通りに狩りを行い生活している。しかし、幽谷の狩りの対象とは、一般的に思い浮かべられる野生動物の類いではない。

     生命体として根底から変容した、動物ともヒトとも呼べない異形の怪物が、幽谷の狩りの獲物だった。

     滅びた世界にはそのような類いのものが多いが、この世界でも同様だった。かつて世界に降り掛かった凶星により世界の在り方が根底からねじ曲がっている……というのは、幽谷も知っている。その影響により、世界のシステムは勿論のこと生態系そのものが崩壊し、生命体は変容したのだ、と。この世界ではそう言った異形の怪物のことを、人を襲い喰らうことから文字通り「人喰い」と呼んでいる。
     幽谷は現在、その狩りの腕前を買われてニブルヘルで傭兵として雇われている。そのため、荒野の人喰い狩りをニブルヘル側から依頼され、それを迅速に行うのが今の幽谷の日常だった。無論、それ相応に報酬は出るが、貨幣経済に執着のない幽谷にとってそれはただの飾りでしかない。
     幽谷は、狩りで仕留めた獲物のみをエネルギーとして「喰らう」。まさに野生動物のように、彼はそうして己の生命活動を維持している。その幽谷の特異な体質が知られたときには驚かれたが、いつも幽谷に依頼を渡す受付嬢からは「腹壊したら薬とか効くのかお前?」とズレた発言を浴びせられた。実際、幽谷にそのような薬が効くのかは定かではないが。


    ***


     荒野に点在する巨大な岩場の影に幽谷は身を潜めていた。幽谷の目線の先、およそ数百メートルの位置が討伐対象である人喰いの周回ルートに当たると情報を得ていた。ターゲットが接近するまでここで待機し、待ち伏せているのである。
     腕を組み、煙草をふかしながら遥か前方を見据えている幽谷は、三輪のバイクに跨っている。前二輪に後ろ一輪、見た目は全体的に黒いボディで、仄かに赤い色味が差した大型のものだった。このような乗り物は、この世界ではオーパーツ級の代物だそうだが、幽谷は荒野での移動の利便性を考えこの外装に整えた。彼の主だった移動手段であり、狩り場を自在に駆け巡るための幽谷の「足」である。
     そして、幽谷の狩りを補助するものはこのバイク以外にももう一つある。いや、もう一団と言うべきだろう。幽谷が身を潜める岩場には、彼の周りを囲むように十数匹の猟犬の群れがいた。皆一様に、長く黒い毛並みに血のような一対の目を持つ、足の長い大型犬たち。彼らは幽谷の眷属である黒犬ユーダリルの子どもたちである。ユーダリルは単体で猟犬の群れを生成する能力を持つが、その群れの召喚と使役を彼女の主である幽谷も行うことができる。猟犬たちは一匹一匹が並外れた能力を有し、知能も極めて高い。リーダーである幽谷の命令を即座に実行し、また彼ら独自でも動き回ることのできる精鋭たちだった。異形の怪物すらも食い千切る強靭な顎、幽谷の駆るバイクに追い縋る脚力、そしてその高い統率力は一部隊の兵卒にも相当する。それが十数匹と集まっていれば、その迫力も並のものではない。
     そのような強力な猟犬たちも、じっと岩陰に潜み荒野を睨み据えている。群れのリーダーである幽谷の指示を聞き逃すまいと耳を澄まし、今かいまかとその時を待ち構えていた。


     猟犬が一匹、低い唸り声を上げた。
     同時に、幽谷の目にも、鼻にも、「それ」が捉えられる。荒野を横切る蠢く黒影を認知した。
     幽谷は掌で煙草を潰すように揉み消し、吸い殻を懐のケースに捩じ込む。バイクのハンドルに手を掛け、唸り声のごときエンジン音を響かせる。それを合図に猟犬たちは一斉に立ち上がった。
     気迫は十分。皆一様にターゲットの方へ鼻先を向けている。戦士のような高揚はなく、殺戮者の如き狂気もなく、ただ冷徹なハンターとしての殺気を静かに滾らせていた。

     狩りの始まりである。


    「行け」

     幽谷が短く命じた瞬間、猟犬たちは岩陰から弾かれたように飛び出していく。群れの中で序列の高い者を先頭に扇状の陣形を組み、強靭な脚力で荒野を駆け抜けていく。あっという間に、岩場から百メートル程の距離まで遠ざかっていった。
     十数匹いた猟犬のうち、三匹程が幽谷の側で待機している。幽谷は先鋒たちがある程度離れたところで、大きくエンジン音を鳴り響かせた。アクセルを回し、地面についていた足を離せば、バイクに乗る幽谷も岩陰から飛び出した。そのあとを追随するように待機していた猟犬たちが続く。すぐさま速度は上がっていき、荒野を駆ける狩人は真っ直ぐに獲物へと向かっていく。その鋭い目は遥か前方を走る猟犬たちを飛び越し、さらにその向こうにいる獲物に狙いを定めている。この場に幽谷以外の誰かがいれば、その鈍い赤の目の中に、鮮やかな緑色の瞳孔を見て取ることができるだろう。縦に細長く、奥底で光を放つ瞳の輝きは、まさしく肉食獣のそれであった。

     数百メートルの距離は見る間に縮まっていき、高速で駆ける猟犬たちや幽谷の目にも人喰いの詳細な姿が視認できるようになってきた。全体のシルエットは乾燥地帯の草食獣……牛に似た姿をしている。骨格により隆起した背中と肩は、黒光りする皮に覆われていた。ずんぐりとした胴体に比べその体を支える四肢は細く、どちらかと言えば貧弱なように映る。しかし、隆起した肩から続く頭の部分には、外側に湾曲し前方に大きく突き出した、異様に長い角が二本生えていた。そして顔に当たる部分には、一般的に想像される牛の顔立ちではなく、額から喉元にかけて縦に大きく裂けた「口」があった。横方向に開かれる口の中はどす黒い血のような色をしており、その内側には円を描くように黒い牙がびっしりと生えている。その頭部を見る限り、前に突き出した角で獲物を突き刺し、その角から零れ落ちた肉をあの悍ましい口で受けて食らうのだろう。残虐な捕食シーンが脳裏に浮かぶような造形であった。
     大きさこそ一般的な牛と同等だが、そのような姿形をした人喰いが数十匹と群れていた。一匹ならまだしも、このようにより固まって荒野を移動しているのであれば危険度もより高まる。故に、幽谷に討伐依頼として任せられたのだろう。

     迫りくる足音と殺気に気付いたのか、人喰いたちが猟犬たちの方を向いて耳障りな奇声を発した。威嚇の声のつもりだろう、何か固いもの同士が擦れるような音は、到底草食獣の出すような鳴き声ではない。そのまま人喰いの群れは方向を変え、猟犬たちに向かって突進し始めた。先鋒の猟犬たちの後ろからバイクで追う幽谷は、走りながらバイク横に取り付けていた長大のライフルを手に取った。ニブルヘルで依頼を受ける上で、そこの技術者により開発、改造されたものを幽谷が報酬として受け取ったものだが、何も獲物を仕留めるためのものではない。
     ハンドルから手を離し両腕でそのライフルを構えると、人喰いの群れの先頭に狙いを定める。走るバイクに乗りながらも体幹がブレることはなく、間髪入れずに射撃した。弾はやや軌道を逸れ人喰いの肩の辺りに命中した……しかし、それは肉を抉り貫くための弾丸ではない。命中と同時に弾が破裂し、爆竹のような激しい音と火花を立てる。ある種の、擬似的な爆撃にも近かった。突然の出来事に人喰いも怯んだのか、甲高い怒号を上げて群れの勢いが弱まる。突進の勢いを殺しきれずその長い角で他の人喰いを突き刺してしまう個体もいた。群れから悲鳴じみた声が上がったことにより、瞬く間に人喰いたちは恐慌状態に陥った。

     そこを畳み掛けるように、黒犬の猟犬たちは体の奥まで響く唸り声を上げて、人喰いたちに飛び掛かった。人喰いの角に齧り付き、首を大きく振って角をへし折る。折れた角の断面からどす黒い液体が飛び散り、けたたましい絶叫が周囲に鳴り響く。また別の猟犬は、人喰いの背中に乗り上げ、飛び石の上を跳ねるように駆けていく。口を大きく開けると硬い皮膚に牙を立て、骨ごと噛み砕いた。人喰いの群れの周囲に散開し動きを抑え、激しい吠声を上げて一箇所に集まるように追い立てる。その囲いから外れようと逃走するものには強靭な顎で容赦なくその体を食い千切った。
     猟犬たちの猛攻は激しさを極めるが、人喰いたちの抵抗も並々ならぬものではない。耳障りな奇声と共に猟犬たちに突進し、一匹の猟犬が巻き込まれて甲高い悲鳴を上げながら吹き飛ばされる。それを見て、勝ち誇ったような不気味な雄叫びで喚き散らす人喰いは、小賢しい猟犬を串刺しにしようと角を向けた。次の瞬間、人喰いの頭を貫くように猟犬たちの囲いの外側から何かが飛んでくる。矢のような何か……いや、間違いなくそれは「矢」であった。木を粗く削り出した槍にも似た極太の枝矢が、人喰いの口を貫通していた。
     間髪入れずまたもう一発、二発、三発と連続で枝矢が頭部や胴体に命中し、人喰いは断末魔の叫びを上げて絶命する。それを放ったのは、バイクを駆り後方から接近してきた幽谷であった。先程のライフルは仕舞われ、代わりに……一体どこにそれを隠し持っていたのか、左手に木製の大弓を携えていた。

     バイクを走らせながら、幽谷は矢をつがえる……その矢もまた、どこから出したものなのか、初めて見る者では判断がつかないだろう。しかしその右手をよく見れば、弦を引き伸ばす瞬間に幽谷の「掌」から、まるで幹から生えた枝がその先端を伸ばそうとするかのように、真っ直ぐに矢が生え形成されていることを確認することができる。その一連の動きがあまりに滑らかであるため、幽谷が弦を弾く度に魔法のごとくその手に矢が現れるように錯覚してしまうに違いない。

     大弓がしなり、ヒュン、と高い音を上げてまた一矢、人喰いの群れに向けて矢が放たれる。弓から放たれた瞬間に、細く靭やかな矢は樹木の枝を思わせる太さにまで巨大化し、その先端が何本にも枝分かれする。分かたれた枝矢はおよそ矢の軌道を無視した動きで湾曲し、先程人喰いを貫いた粗削りの槍のような形となって獲物へと降り掛かる。猟犬たちによって追い立てられ逃げ場を失った人喰いたちは、次々に枝矢に貫かれていった。黒い猟犬の囲いから逃げおおせようと必死に抵抗するも、囲いから外れた瞬間に射抜かれる。人喰いに猟犬が蹴散らされれば、幽谷と共に後からやって来た猟犬がその空きを補い、硬い表皮に牙を突き立てる。代わる代わるに攻勢を仕掛ける黒犬に、囲いの外側を疾駆する狩人から放たれる、無数の枝矢の雨によって、人喰いたちは一匹、また一匹と大地に伏していく。猟犬たちによる包囲網は、次第にその範囲を狭めていった。

     群れの中心に一際図体の大きい個体がいた。他の個体と比べても筋肉の盛り上がりが大きく、その体表には硬い瘤が無数にあり、さながら装甲を纏った歪な戦車のような風体だった。間違いなく、この群れの長であった個体だろう。動物の群れにおいて、その体の大きさや体の一部の強大さで己の力を示すことは珍しくないが、その人喰いも例外ではないようで、硬い表皮に浮かぶ無数の瘤、そして前方に突き出した角の異様な捻れ方、人の胴体程あるその太さからも他の個体とは別格であることは見て取れた。
     ただし、それが健在であれば、の話だが。
     枝矢の雨に巻き込まれたのか、二本あるはずの角の片方が中ほどで無惨にへし折られていた。折れ口からは悍ましい色をした液体が溢れ、ボタボタと、嫌な音を立てて地面に滴り落ちていた。
     長の人喰いは真っ直ぐに幽谷を睨み据えている。腫れた肉と、硬化してしまった皮膚に埋もれた小さな一対の目が、はっきりとした憎悪と殺意を向けていた。異形の口が裂けんばかりに、大地を震わせる低い咆哮を上げ、人喰いは幽谷目掛けて突進してくる。もはや地に横たわる仲間の死骸……彼らが仲間同士と思っていたのかすら不明だが……や、屈強な猟犬たちには目もくれない。ただただ、自分を「理不尽に襲った」相手への激情に駆られているようだった。

     車体を大きく傾け地面を削りながら幽谷は止まった。地響きを立てながら迫りくる人喰いに目を細め、バイクを乗り捨てると甲高い指笛を一つ吹く。それが合図だったのか、猛攻を繰り広げていた猟犬たちは即座に周囲へと散っていった。
     あと数秒もすれば鋭利な角が幽谷の体を刺し貫く距離まで人喰いの巨体が迫る。しかしそれが眼前まで来ようと、幽谷は避ける素振りすら見せなかった。真正面から向かい合い、静かに大弓を構える。俄に、幽谷の髪が……荒野を不規則に流れる風か、或いは、純然たる憎悪と憤怒を滾らせた「獣」の放つ風圧か、はたまた、幽谷本人の発する不可視の威圧か……波打つように揺れた。荒野の乾いた空気と埃に晒され固くなり、薄汚れた彼の黒髪が、揺れる毛先が、翡翠色の輝きを帯びていた。
     弦を弾き絞る。ギリギリと、限界まで溜められた矢先にも、翡翠の輝きが宿った。人喰いは、あと十歩も進めば幽谷に角が届く距離まで来ている。
     空気が揺れる、振動し、声にならない叫びが、身を引き裂く痛みが、五感のすべてに叩き付けられる。



     ゆるさない。



     ただその一言だった。

     幽谷は、弦から手を離した。高く、低く、短く、ヒュ、と音を上げた矢が放たれ、大きく開かれた人喰いの口を正面から貫通した。到達する直前に、翡翠に輝く矢が無数に分かれる。まるで大樹が大きく枝を広げ、その根本に木陰を作るように。或いは、広げた枝で空を覆い尽くすかのように。人喰いは枝分かれした矢の翡翠の奔流に呑み込まれ、貫かれ、動きを止めた。幽谷の鼻先に人喰いの角があった。
     巨体がぐらり、と横に傾ぎ地面に倒れ伏す。どうと倒れた衝撃で地面が大きく揺れたが、幽谷の表情もその体も揺らぐことはなかった。左手に構えた大弓を下ろし、止めていた息を大きく吐き出す。人喰いの群れ、その長は、幽谷の渾身の一矢を正面から受け、即死した。
     幽谷の放った翡翠の枝矢は、次第に輝きを失い樹木の幹のように変化していく。まるで一つの生き物のようにざわめく巨木の幹に呑み込まれ、砕かれ、人喰いの巨体が徐々に解体され、その風貌が失われていく。体液の一滴すらも木に吸い取られていくようだった。さながらそれは、死に絶えた生き物が自然のサイクルに従い、分解され、風化し、大地に還っていく姿に似ていた。
     気付けば数十匹といた人喰いの群れは、その死骸すらも消え失せ、影も形も見当たらなくなっていた。ただ地面に残された、激しい攻防によって抉られた痕と、空気に混じる陰惨な「獣」の匂いだけが、彼らがそこにいた証明となった。
     そしてその証人は、たった今彼らを「喰らった」狩人と、それを見守る無数の猟犬たちのみである。

     人喰いの群れを片し平らげた幽谷はまた大きく息を吐き出し、つと天を仰いだ。翡翠に輝いていた毛先も、鋭い瞳孔も、既に輝きは失せていた。果たして幽谷には、「獣」として理性すらも失った彼らの臨終の言葉が聞こえていたのだろうか。

    「『許されよう』なんざ思っちゃいねぇ。せめてもの情けだ、とっとと眠ってろ」

     しかし、誰にともなく呟き、誰にも拾われることのない言葉が、その答えなのだろう。

     今回の狩りは、これにて終わった。討伐完了である。



    ***


    「お疲れ。今回も難なくこなしてくれたな」

     手渡された依頼書に、赤字で「Mission completed」の文字が刻まれた印を押しながら受付の男は労いの言葉をかけてくる。幽谷……だけではなく、ニブルヘルに雇われた傭兵がニブルヘルで依頼を受ける上で、その窓口となっているのがこの男、アルバートのいる事務所だった。ギルド、集会所という呼び方でも正しいのだろう。幽谷は基本一人で依頼をこなすため縁はないが、依頼を受ける傭兵同士の仲介なども行っているらしい。もとい、ニブルヘルで起こるあらゆる出来事や事件が舞い込みそれの対処に追われている、なんでも屋のような役割となっているとかいないとか。ともかく、常日頃から忙しそうな場所ではあると幽谷は思っている。
     業務の煩雑さだけではなく、もう一人の受付担当の存在もその騒がしさに拍車をかけているとは感じられるが。

    「ご苦労だったな。お手柄だぞ幽谷、そんなお前に褒美の飴ちゃんをやろう」

     アルバートの隣にいたはずの受付嬢がいつの間にか幽谷の側に立っており、黒を基調とする少女然とした見た目にそぐわぬ尊大気味の口調で胸を張っていた。自信満々の笑みを浮かべ、幽谷の返事も待たずにその手にぐいっと何かを押し付けてきた。掌にあったのは、確かに飴の包み紙……なのだが。

    「最近ハマってる岩海苔味の飴ちゃんだ。私のオキニだぞ、喜べ」
    「いやいや、岩海苔味ってなにそれ……? どこで売ってるのそんなの」
    「そこの露天で売ってた。味は正直微妙だ、しかも食べると歯が黒くなる。まさしく海苔を食べたみたいに」
    「素直だけどそれ他人に押し付けるのやめようね」

     あっけらかんと言い放つ少女風の受付嬢エルシーに、アルバートが間髪入れずにツッコミを入れる。いつも通りの受付の光景だった。巷では受付漫才だの、星の新喜劇だのと呼ばれているらしいが、てんで娯楽に関心のない朴念仁の幽谷はいつもそのやり取りを横目に見ながら流している。

    「追加の依頼はないよな。ないなら戻る」

     カウンターに置かれた報酬の容れ物を手に取り、騒がしい二人のやり取りを無視してさっさと出ていこうとしかけた。しかし、その前に幽谷の進路を遮るように、鮮やかな青緑色の……手のような形をした「髪の毛」が現れた。指を揃え掌を向けてくるような形は、まさしく通せんぼうをしているようだった。そしてこの髪の持ち主は、飴を押し付けてきた奇抜なエルシーである。

    「おっとおっと、まぁ待て幽谷。そこまでガンスルーされるとさすがの私も泣くぞ」
    「その数倍の喧しさでさらに絡むだろ、お前は」
    「分かってるじゃないか」

     どこか満足したようにうんうんと頷く受付嬢に、カウンターでアルバートが盛大に溜息を溢し呆れている。業務に追われながらもこの予測のつかない彼女の相手もして、アルバートの胃に穴でも開かないだろうか……など、一瞬だけそんな思いが過りアルバートに心の底で哀れみと労いを送っておいた。
     しかし、エルシーがふっと口の端を吊り上げ、自信に満ちた不敵な笑みを浮かべたのを見て、幽谷は彼女の言わんとすることを察した。自然と眉間の皺が深くなり、目の前の小柄な受付嬢を見下ろす。

    「聞いて喜べ、最近実績をゴロゴロ積み重ねているお前に、新たな依頼だ」
    「まぁ、もしかしたら幽谷の言う『食い扶持』には足りないかもしれないが、こなしてくれればそれ相応に報酬は出るぞ」

     エルシーは、幽谷の顔の前にピッと一枚の依頼書を提示する。依頼書の下部に書き記された名前を見て、内心で大きく息を吐き出してしまった。

    「うちのボス直々に、お前への依頼だ。心してかかれよ」

     どこか悪戯っぽい笑みを浮かべる受付嬢に、これまた食えない笑顔で都市を支配する小さな王の姿を脳裏に思い浮かべ、幽谷は目が遠くなりかける。

     また彼らの面倒事に巻き込まれそうな予感をひしひしと感じていた。

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