夏の果てに 祭囃子の音が響いている。
目を開けるとそこは幼少期に住んでいた村にある神社の石段の前だった。石段の両端には提灯が灯されており、石段を見上げると仄かに明るい光が見えた。祭囃子に交じって楽しそうな人々の声が聞こえる。
石段を上がっていくと香ばしい匂いもしてきた。出店がいくつか出ているのだろうか。
そんなことを考えながら歩みを進め、暫くすると色とりどりの屋台が十軒ほど見えてきた。不思議なことに屋台を見るとわくわくとしてくる。それにつられて石段を登る足取りも軽くなった。
登り切ると、屋台も提灯の灯りも確かにある。だが誰も居なかった。祭囃子や人々の喧騒は聞こえるのに人の気配は一切ない。
不思議に思いながら拝殿の方へと歩みを進めるとお賽銭箱の前の石段に黒い半狐面をつけた少年が座っていた。
少年へ近付こうとさらに歩みを進めると祭囃子の音がいっそう賑やかになった。
少年の目の前で立ち止まる。話しかけようとしたところで気がついた。これは夢だと。浮世離れしているのに妙に現実味のある夢。最近毎日のように見る夢。
少年に話しかけたところでいつも目が覚める。返事をされていることはわかるのにそれを認識させて貰えないのだ。
今回は話しかけずに驚かせてみようか。目の前にいる男にどうされればこの少年は驚くだろう。少し思案していると半狐面がこちらを見ていることに気がついた。
「ちょっと待ってくれるかい? 今驚きを……あっ」
話しかけてしまった。意識が覚醒するのを感じる。少年の口元が動いているのが見えたがやはり何を言ってるのかは分からなかった。
目を覚ます。時計を見ると時刻は午前五時を回った位だった。
最近この夢を見ることが増えた。理由は分からない。特別変わったこともなく、幼少期に祖父母の世話になっていた頃のあの村に帰りたい気持ちはあれど夢に願うほどかと言われれば微妙だ。
まだ重い体を起こして寝間着から外着へと着替えた。まだ起きるべき時間には早すぎるが目が覚めてしまったのだ。寝られそうにないので少し気分転換に外を散歩しようと思った。
外に出ると既に明るく、夏になって日が長くなってるのを実感した。日中の暑さに比べると随分涼しいが、それでもやはり半袖でいた方がいいのだろう。それなりに涼しいと思って上着を着てきたことを少しだけ後悔した。
歩き出すと僅かに風を感じ、それが少しだけ心地よい。絶対に日中には味わえぬ感覚に早起きは三文の徳というのは本当なのかもしれないなと思った。
しばらく歩くと前方からランニング中の青年が走ってくるのが見えた。その姿に見覚えがあり声をかける。
「伽羅坊じゃないか! こんな早朝からランニングかい?」
「げ」
「げ、とはなんだ、酷いじゃないか。」
そう言いながら肩を組むと伽羅坊は更に顔を顰めた。
伽羅坊は俺が所属していたサークルの後輩で今は大学一年生だ。俺が今修士課程二年なので活動時期が被ったことは無いが、近所に住んでいて伽羅坊が小さい頃からよく遊んでいたのだ。
「なんだなんだ、つれないなぁ。」
「やめろ、引っ付くな……暑苦しい。」
「そんなこと言うなって! それで、こんな早朝から何してるんだ?」
「……ランニングだ。見ればわかるだろ……というか、お前がさっきそうかと質問してただろう。」
「おっと、そう言えばそうだったな!」
笑いながら背中をバシバシと叩くと伽羅坊は鬱陶しいとでも言いたげな顔をして俺から距離をとった。
「…それで、お前こそこんな早朝から何をしている。」
「俺かい? 少し散歩をしているんだ。」
「……こんな早くからか?」
「あぁ、少し早く起きてしまってな。最近不思議な夢を見るせいかあまり寝られてないんだ。」
「夢、か。確かに隈がある気がするが、寝不足でフラフラ歩いて轢かれないように気をつけろ。俺はもう行く。」
そう言うや否や伽羅坊は俺の腕を振り払い、背を向けた。
「おっ? なんだ伽羅坊、俺のことを心配してくれるのかい? 優しいなぁ! 優しさついでに少し相談に乗ってくれないかい?」
「……相談? 夢の話か? 悪いが俺は夢占いなどは信じない。」
俺の発言を聞いて伽羅坊は再びこちらを見た。その顔は少し困惑してるように見える。
「俺もだぜ? ただ少し聞いて欲しいだけさ! 今日の昼餉の時に大学の食堂集合でどうだい? 光坊も呼んでくれ!」
「待て、なぜ俺が、お前が声をかければ」
「じゃ、よろしく頼んだぜ!!」
そう声をかけて俺は踵を返して家に戻った。後ろでまだ伽羅坊が何かを言っていた気がするがまぁ気のせいだろう。
本当は相談するつもりなどなかったが、話してみれば少し不思議な夢の正体が掴めるかもしれないとも思ってしまったのだ。伽羅坊達に心配をかけたくはないが、探求することへの好奇心が抑えられそうにない。
兎も角いい気分転換になったので目的も果たせたし、今日は研究室を使えるのは午後からで、午前は理論を組み立てるだけだ。いつ行ってもいいから帰ったら二度寝をしようなどと考えながら家に戻って布団に入り眠りについた。
祭囃子の音が響いている。
目を開けたら石段の前に立っていた。
今度は明確に夢を見ていると自覚している。
夜以外にこの夢を見るのは初めてだったか……とりあえず半狐面の少年のいる拝殿まで歩く。
屋台のご飯独特の美味しそうな香りも食材が焼ける音も人々の話し声も聞こえるのにやはり人の気配も姿も一切ない。話し声に耳を傾けてみても何か話している以上のことは分からなかった。日本語のようで日本語ではない。と言うよりどの言語でも無さそうだ。脳が理解を拒む感じがある。一旦聞くのをやめて屋台の方を見ると焼きそば、射的、串肉、かき氷、わたあめ……色々並んでおりどれも出来たてのように見える。だがやはり店主も売り子も居ない。
……食べてみたらどうなるのだろうか、そう思うが生憎お金を持っていないためそもそも買うことが出来なさそうだ。
特にこの道でできそうなことも無いため拝殿への道を急ぐ。矢張り賽銭箱の前の石段に黒い半狐面の少年が座っていた。
さて、ここからどうしようか。少年の面を見つめながら思案する。いつも通りなら少年に話しかければ夢から覚めるが……いっその事少年から話しかけられるのを待ってみようか。
少年が話しかけるまで待つと決めたので、石段を少し上がり少年の隣へと腰を下ろした。こうすれば話しかけない訳にも行かなくなるだろう。
少年の口元が一瞬驚いたとでも言うように開かれ、その後笑ったように見えた。
「ははっ、相変わらず坊やは面白い子だな……だが、ずっとこうしていたら遅刻しちまうぜ?」
初めて声を聞けた気がした。初めて何を喋っているのか言葉を理解できた。
全てが初めてのはずなのに声も笑った時の口元にも凄く見覚えがあって、懐かしい気持ちに包まれる。それと同時に意識が覚醒していっているのも感じた。
「……また来るぜ!」
その時はもっと沢山話せたら嬉しいな!最後にそう言うと少年の口角が更に上がったのが見えた。
目を覚ます、時刻は午前八時だった。
伽羅坊と別れてからすぐに寝た気がするので2時間半は眠ったのだろうか。心做しか疲れが少し取れた気がする。
リビングに向かうと食欲をそそろる香りがした。今日の朝餉は卵焼きと焼き魚だろうか。
リビングに続く扉を開ける。兄の石切兄さんが台所に立って料理をしていた。
石切兄さんは俺がリビングに入ったことに気づくと顔を上げた。
「おはよう、鶴丸さん。」
「おはよう、石切兄さん。」
「さ、座って。朝ごはんできてるから、よそってしまうね。どのくらい食べるかな?」
「普通くらいでいいぜ!」
「わかったよ。」
そう言うと石切兄さんはご飯やお味噌汁を盛り付け始めた。
俺は一度座ったが再び立ち上がり石切兄さんの分と自分の分をまとめて配膳する。
石切兄さんは俺が二歳で両親を亡くした頃から面倒を見てくれていた兄の内の一人だ。突然村を離れることになった時に石切兄さんの両親と石切兄さんが一緒に着いてきてくれたのだと記憶している。
一通りリビングにご飯が並んだところで二人で席につき手を合わせた。
「「いただきます」」
味噌汁を飲み、焼き魚へと箸を伸ばす。焼き加減も塩加減も完璧でとても美味しかった。卵焼きもふわふわでほのかに甘い。小さい頃から大好きな味だ。
「石切兄さんは相変わらずご飯を作るのが上手いな! この魚も卵焼きも味噌汁も全部美味い!! 驚きだぜ!」
「ふふ、ありがとう鶴丸さん。ところで、ずっと気になっていたんだけど……なんで石切兄さんなんだい? 私は石平(いしひら)という名前だから不思議でね、」
まぁ小さい頃からずっとそうだったから慣れてしまったんだけれど。と石切兄さんは続けた。
なんでだったか……俺も小さい頃からそう呼んでいるし。小さい頃の俺のことだ、なんとなくでそう呼んでいた可能性の方が高いだろう。
それをそのまま石切兄さんに伝えると、少し笑った後に「確かに小さな頃の鶴丸さんは突拍子もなかったからね。」と言った。
言うほどだった記憶は正直ない…というより村にいた頃の記憶が曖昧なためわからない。
「そんなにだったかい?」
「そうだよ、いつも迷子になっていて、特に夏祭りの時なんかは……」
夏祭り、あの夢のことが頭をよぎった。続きを聞こうと少し身を乗り出したところで石切兄さんは何かを言い淀んだ。
「……それより、夏休みはどうなりそうかな?去年は研究がしたいからと大学が閉まる日以外全て研究室に行っていたけれど……今年もそうするのかい?」
「え、夏休みかい? そうだな……今年は研究がかなり進んでいるし……二週間くらい纏めて休んでもいいかと思ってはいるぜ?」
「そうか。では、その休みで旅行でもどうかな? 鶴丸さんが覚えてるかは分からないけど、三月(みつき)兄さん達が会いたがっていてね。」
三月兄さん……確かあの村の祖父母の家に住んでいた時に可愛がってくれた兄さんの一人だ。三日月兄さんと呼んで懐いていた記憶がある。
「三日月兄さんだよな?覚えてるぜ! 俺も久しぶりに会いたい。」
久しぶりに会えるのは嬉しい。何よりあの夢のことが分かるかもしれないからな。
「ふふ、そういえば鶴丸さん、三月兄さんのことをそう呼んでいたね。それもきっと直感でだろうけど……わかった。鶴丸さんも会いたがっていると伝えておくよ。」
そこで一旦会話が終わったので石切兄さんも俺もご飯の残りを食べ始めた。
食べ終えて二人でごちそうさまを言いお皿を下げる。食器を洗うのは俺が担当なのでサッと終わらせて部屋に戻り大学に向かうための支度をした。
家を出て電車に乗る。
スマホを確認すると光坊から連絡が入っていた。
『鶴さん、食堂での件了解したよ!』
『頼ってもらえるなんて嬉しいな』
良い後輩を持ったものだと思わず嬉しくなった。俺は『ありがとう』と返信し、鶴が羽撃くスタンプを送信し画面を閉じた。あの可愛い後輩たちに会えると思うと少し昼が楽しみになった。
昼になり食堂へと向かう。結局午前中はあの夢のことがチラついて中々理論を組み立てられなかった。この調子だと午後の実験で事故でも起こしかねないので、早急に解決をしておきたい。光坊達にどのように説明すれば一番伝わりやすいかを考えていたらいつの間にか食堂に着いていた。
カツ丼、うどん、カレー、定食……色々ある中から何にしようか悩んでいると、後ろから声をかけられた。
「よ! 鶴さん!!」
随分低い位置から聞こえた声の方を見ると、貞坊がいた。
「貞坊じゃないか!? どうしたんだい?」
ここで会うとは驚きだなぁ、と言うと、貞坊は俺の隣に立った。
「ん〜、みっちゃんが四年生になってからなかなか遊んでくんないからよぉ、丁度俺は夏休みだし遊びに来ちゃったぜ!」
にこにこといたずらっ子のように笑う貞坊が愛おしくて、思わず頭を撫でるとやめろよ〜と少し抵抗された。
「みっちゃん食堂にいるかな? こっちの方に歩くのは見かけたんだけどよ、途中で見失っちまって……」
「光坊ならここにいるはずだぜ、丁度俺と伽羅坊と3人で昼餉を食う予定だったんだ。」
「え〜! 伽羅も!? いいな〜俺も早く大学生になりてぇ!」
「はは、それはいいが、貞坊が大学生になる頃にはみんな卒業しちまってるだろうな。」
「ん〜! 鶴さん意地悪ばっか言うなよな!!」
今から飛び級すれば……等とブツブツ言ってる貞坊を見ながら再び昼餉について考える。
日替わり定食にしようか、何が出てくるのか分からないあのわくわく感が面白い。
順番が来て注文をすると横から貞坊もハンバーグ定食を注文した。会計を纏められてしまったので貞坊の分も俺が出した。
「悪ぃな鶴さん、はいこれ俺の分。」
そういいながらお金を手渡そうとする貞坊を制止する。
「え〜なんでだよ、借り作るのは嫌だぜ?」
「それは君が大切に持っておけ。その代わりと言ってはなんだが……鶴さんは今から光坊達に相談があるんだ。それを一緒に聞いてくれるってのはどうだ? これはその代金ってことで。」
「? 相談なんて珍しいな? いいぜ! なんでも話してくれよ!」
「こりゃ心強い、よろしく頼むぜ!」
そんな話をしているうちに職員さんが注文した品をお盆に乗せて提供してくれた。
「おっ、今日の日替わりは魚の煮付けと揚げ浸しか! 日替わり定食は何が出てくるか分からなくてわくわくするよな!」
「何言ってるんだよ鶴さん……入口の所に日替わり定食のメニュー、書いてあっただろ?」
「そういうのは見ずに驚きを楽しむのが礼儀ってもんだぜ貞坊。」
「礼儀ってなぁ……そんな楽しみ方してるのは鶴さんくらいだと思うぜ?」
「そうか?」
「そうだと思う。」
貞坊とは少々驚きへの価値観が違うらしい……。
さて、貞坊の話が本当であれば光坊達は既にこの食堂に来てるということになるが……。
食事が乗ったお盆を持ちながら貞坊と光坊と伽羅坊を探していると、少し離れたところで光坊が立ち上がって手を少し挙げているのが見えた。
近づくと光坊の声が聞こえる。
「鶴さーん! こっちこっち! ……って、え!? なんで貞ちゃんもいるの!?!」
「みっちゃんに会いに来たぜ! 驚いただろ!」
「えー! ほんとに!? 嬉しい!!」
貞坊はお盆を光坊達がいる机に置いた途端に、光坊に飛びついた。光坊もそれに応えて貞坊を抱きとめ持ち上げる。
しばらく二人で騒いだ後、二人共自分の置いたお盆の前に座った。
「で、鶴さん。相談って?」
「その前に、飯が冷めないうちに食べてしまおうぜ、話はその後だ。」
「それもそうだな! 早く食べようぜ!! いただきまーす!」
俺が促すと貞坊は即座に箸を取り元気よくいただきますの挨拶をした。それに続くように俺も光坊も伽羅坊も箸を取りそれぞれの声量でいただきますと言う。
魚の煮付けに箸を伸ばと箸が当たっただけでほろりと崩れた。それは甘辛く煮付けられており、甘さと辛さの割合が絶妙であった。あまりの美味しさに思わずご飯をかきこむ。
味噌汁も出汁が効いていて美味しかった。石切兄さんとはまた違う味付けだがこれもまたとても美味い。
揚げ浸しはさっぱりしており、揚げてあるはずなのに脂が全く気にならずいくらでも食べられそうである。魚の煮付けの甘辛さをさっぱりとさせてくれた。
一通り昼餉を食べ終えた頃改めて光坊が話題を切り出した。
「所で……鶴さんの相談事って何かな? 伽羅ちゃんからは相談事があるとしか聞いていなくてね。もしかして恋の悩みだったり?」
「違」
「そうなのか!? そういえば、鶴さんの一個下……長谷部と同じ学年に可愛い子がいるってみっちゃん言ってたよな!? その子か?!」
「違う」
「こーら貞ちゃん、長谷部くんは僕よりも先輩なんだから、長谷部先輩とか、長谷部さんって呼ばないと。」
「………光忠もな。」
「僕はいいの! 長谷部くんとはゼミ一緒だったから仲良いし、今もたまに遊ぶし、許してくれてるよ!」
「……長谷部先輩は、先輩をつけろと怒鳴ってた気がするが……」
「気の所為だよ、気の所為!」
「みっちゃん、本当か?」
「本当だもん!」
光坊が言い切ると同時に立ち上がると、周りの学生の視線がこちらに向いた。
光坊はすみませんといいながら会釈して席に座る。
「そもそもさ、先輩先輩
って言うけど、俺達別にお互いのことさん付けで呼んだりしないじゃん。俺とみっちゃんは鶴さんって言ってるけど、あれは渾名みたいなものだし……」
「確かに……」
「おいおい、待ってくれ。俺は小さい頃から鶴さん鶴さんって着いてきてくれた坊やたちに今更『鶴丸さん』とか『鶴丸先輩』とか言われたら寂しくて泣いちまうぜ?!」
「…お前は尊敬するに値しないから安心しろ。」
「なんだと!?!」
思わず伽羅坊に掴みかかろうとしたところで、光坊と貞坊が吹き出した。
「ふふ、あっはははっ!! 伽羅ちゃん、それは、言い過ぎだよ……ふふ、」
「光坊〜? 貞坊も声にならないほど笑って……そんなに面白いか、そうかそうか。」
「っ……ごめ、ごめんって鶴さん…」
二人はひとしきり笑ったあと、また俺に向き直った。
「ごめん。本題から逸れちゃったね、鶴さんの相談事、聞いてもいい?」
「そうだな……相談って言ってもな、不思議な夢を見るってだけなんだが……」
「不思議な夢?」
「あぁ、ここ最近は毎日同じ夢を見てるんだ。俺の行動次第で起こること……というか、結末っていえばいいのか、それは変わるんだが……」
「……明晰夢というやつか?」
「まぁ確かにそれが近いかもな。ただ夢と認識できるのが最初からなのか途中からなのかは毎回変わるんだ。」
今朝見た夢は最初からだったな。と言うと、光坊は詳細を訪ねてきた。
俺は、昔住んでいた村の夏祭りの風景であること、屋台の匂いも祭囃子の音も妙に現実味に溢れていること、なのに人は一人も居らず何かを喋っていても人の声であること以外認識できないこと、そして半狐面の少年のことを話した。
「いつも神社の石段の前から始まって、その黒い半狐面少年に話しかけると毎回目を覚ます……不思議な夢だね。」
「ん〜祭りの楽しい雰囲気もあるのに人がいねぇってのはどこか寂しい感じだよな〜、こんちゃんの事も気になるし……」
「こんちゃんって?」
「黒い狐面の少年だからこんちゃんだろ?」
「なるほどね……?貞ちゃんの感性って時々わかんない。」
「……お前が実際に住んでた村の話なんだろう、その時の思い出とかじゃないのか? 夢は深層心理や記憶に関係があると聞いたことがある。」
あの頃の思い出……。楽しかった記憶もあるし、兄たちと沢山遊んだ記憶もある。だが、どうしてか、夏祭り周辺と村を出た前後の記憶だけがない。
思い出そうとすると靄がかかった様に何も思い出せず、それどころかどんどん記憶が遠ざかっていく気がする。
それでも頑張って思い出そうとした時頭に鈍い痛みが走った。
「っ、」
「鶴さんどうした!?」
「大丈夫?!」
「、大丈夫だ。すまんな、思い出そうとしたが、どうしても思い出せなくて……考えすぎて頭痛がしたみたいだ。」
困った困った。と笑って見せれば三人は安心したようだった。
「うーん、その夏祭りで何かあったことは間違いなさそうなんだけどね……」
「……当の本人が思い出せないのでは仕方ないな。」
「ん〜、じゃぁさ、石切兄さんに聞いてみるってのは? あの人鶴さんが小さい頃から鶴さんの事見てたわけだし、なにか夏祭りで変だったとこ、覚えてるんじゃないか?」
「いっその事実際にその神社に行くってのも手だよね。」
「成程な……」
何気なく辺りを見渡すと、俺達が話している間にだいぶ時間が経ったのか、食堂に残っている人間が疎らになっていた。
食堂の賑やかな雰囲気はだいぶ落ち着き、食べ物の匂いも少なくなっていた。
窓の外を見れば日光と激しい地面の照り返しで眩しく、外に出なくても灼熱であることが伺えた。そんな中移動教室の為に移動する人々は心做しかぐったりとしているように見えた。
「もう三限目始まりそうだね。僕はまだ平気だけど……」
「…俺は一年だからな、授業が沢山ある。」
「だよねぇ。」
「俺も研究室に行かないといけないな……すまん、誘っておいて歯切れの悪い終わりになってしまった。」
「全然いいよ! そうだ貞ちゃん、僕と一緒に大学回らない? 最近全然会えてなかったし、僕もうこのあと授業ないから一通り大学見たら一緒にどこか寄るとか。」
どうかな?と光坊が問えば貞坊が目をキラキラさせながら立ち上がり、光坊の手を取って答えた。
「もちろんだぜみっちゃん!!」
「本当? やったぁ!」
わいわいと騒ぐ二人を眺めながら今日帰ったら石切兄さんにも相談をして見ようと決めた。
お盆を片付け食堂の前で別れた。なにか進展があれば教えてね! と光坊に念押しされた。
午後は坊や達に相談したこともあってか何とか集中力を取り戻し研究を終え帰路に着いた。時刻は既に午後七時になる所であった。
石切兄さんに『今から帰るぜ!』とメッセージを送ると直ぐに『了解』と送られてきた。
今日の夕餉はなんだろうと考えてるうちに家に着いていた。
玄関のドアを開けると涼しい風を感じた。リビングから漏れ出した冷房の冷気が少しだが玄関を冷やしている。きっとここも暑いのだろうが、外よりは数段涼しかった。
リビングのドアを開けるとさらに快適な空間が広がっていた。
「鶴丸さん、おかえり。」
「ただいま、石切兄さん。」
「あと15分くらいで夕餉ができるから手を洗って荷物を置いておいで。」
「わかったぜ!」
俺は石切兄さんに言われた通り部屋に荷物を置きに二階へと向かった。
部屋に入ると蒸し暑く、荷物を置いてエアコンのスイッチを押した。夕餉を食べ終えた後には丁度よく部屋が冷えてるだろう。ついでに汗で濡れて気持ち悪くなった服を着替え一階に降りた。
脱衣所の洗面台で手洗いうがいをし、リビングに戻ると石切兄さんが鶏を揚げている所であった。
ジュワジュワと心地いい音が段々とパチパチと軽い音になっていく。暫く軽い音の状態のまま揚げてこんがりきつね色になったら取り出す。それを何度か繰り返している石切兄さんをリビングのテーブルから何となく眺めていた。
「……あまり見られるとやりづらいな、鶴丸さんは昔から人が何かをしてる所を見るのが好きだね。」
「そうか?」
「三月兄さんが折り紙を折っている所とか、狐疑兄さんがお手伝いをしてる所とか熱心に見ていたよ。覚えてないかい?」
「ん〜、そうだった気もするかもな。」
何故か村での記憶が少し曖昧なんだ。そう言うと石切兄さんは少し目を伏せ悲しそうに笑った気がした。
思えば石切兄さんは俺が村の話をすると懐かしそうにしつつも悲しそうにしてたような気がする。どうしてか聞きたかったが、石切兄さんの雰囲気に押され何となく聞けなかった。
暫く沈黙が続き、ただただ鶏を揚げる音だけが部屋全体に響く。その沈黙を先に破ったのは石切兄さんだった。
「さ、鶏も揚がったし、皿を出してくれるかい?」
「あ、あぁ、わかったぜ。」
お皿を出して石切兄さんのところに持っていくと野菜を敷いて、鶏を盛り付け、刻まれたネギが沢山入ったタレをかけた。今日は油淋鶏風の唐揚げらしい。
味を想像した瞬間ぐぅぅうっと腹の虫が鳴いた。石切兄さんにも聞こえたのか微笑まれ、早く食べようか、と言われた。
一通り揃った所で二人で席に座りいただきますをする。どんなに忙しくても石切兄さんは俺との食事だけは欠かさず摂ってくれるのが何より嬉しかった。
味噌汁を飲む。いつもと同じほっとする出汁の香りが鼻を抜けていく、少し学食より塩分が控えめなのはきっと健康を気遣ってのことだろう。具材はわかめと豆腐、それからじゃがいも。わかめはシャキシャキとした食感がまだ少し残っていて歯ごたえが楽しい、豆腐とじゃがいもは触れた瞬間からほろりと崩れ、味が染み込んでいて美味しかった。
唐揚げに齧り付くとザクッと音を立てた。タレをかけて間もないためまだザクザク食感が残っている。小さな頃から大好きな大きめのザグザグ唐揚げ。思わず食べてると笑みがこぼれてしまう。甘辛いタレには程よい酸味がありそれが更に食欲を増進させる。暑い夏場でも幾らでも食べられそうだ。ご飯をかきこみまた唐揚げに齧り付く。時々味噌汁やお漬物を食べて箸休めをしつつ食べ進めていた。
「ふふ、鶴丸さんは本当に美味しそうに食べてくれるね。作りがいがあるよ。」
俺があまりに笑顔でがっついていたからか石切兄さんがそう声をかけてきた。石切兄さんも笑顔で俺を見ていた。
「ん……なに、美味しくてな!」
「ありがとう、まだおかわりあるからいっぱい食べてね。」
俺が咀嚼しながら頷くと石切兄さんはもう一度笑って再び食事に戻った。
なんやかんやで二杯もご飯をおかわりし、唐揚げも追加で沢山食べてしまった。
満腹で心地よくこのまま眠ってしまいたいくらいではあるが、昼間坊や達と話した事を石切兄さんにも話さないといけないのでその気持ちをグッとこらえて皿洗いを始めた。
皿洗いを終え石切兄さんに改めて話しかけようとした時石切兄さんが口を開いた。
「そういえば鶴丸さん、今朝の話なんだけれど、」
「ん?朝……?」
「三月兄さん達が会いたがってるよって話のことだよ。」
そういえばそんなことを話した記憶がある。昼間の会話と夢に気を取られすぎて忘れていた。
「三月兄さんと狐疑兄さん、あと覚えてるか分からないけど夏の間だけ帰省してきてた融刀(ゆうと)兄さん」
「あぁ! 岩兄さん」
「覚えていてよかったよ。その融刀兄さんに弟が居てね、剣刀(はやと)くん。」
「ほう、?」
「その四人と僕と鶴丸さんでどこかに行こうってなったんだけれど……」
「いいじゃねぇか!」
その旅行の帰りについでで村に行けるかもしれない、石切兄さんの話が終わったら提案してみよう。
「三月兄さん達、というか三月兄さん、余っ程鶴丸さんと居たいみたいでね……お金も出すから鶴丸さんの休みの二週間丸々共に居たいと言われてしまってね……」
「確かに三日月兄さん俺の事可愛がってくれてたが……」
二週間丸々もか!?と驚いてみせると石切兄さんは呆れたように笑っていた。
「本当に困ったものだよね……それどころか融刀兄さんも狐疑兄さんも賛同してきてね……」
このまま二週間丸々何処かに行く事になるかもしれないけどいい? と聞かれ、躊躇いながらも頷くと石切兄さんはまた困ったように笑った。
「行く時期は鶴丸さんの休みに合わせるから、好きな時期にしていいからね。ただ……お盆の最終日だけは皆用事があるから、その日は無理だと思う。」
「お盆の最終日?」
何かあるのか? と聞くと石切兄さんは少し困った顔をした後、そんな事よりと続けた。
「行きたい所とかあるかな? 期間長くとってしまったから色んなところに行けるよ、何より鶴丸さんの意見を皆聞きたいみたいだ。」
行きたいところ、か。ここで提案するのもありかもしれない。それに二週間丸々となるとついでに村に寄るなんてことも出来なさそうだ。
「俺は……村に行きたい。」
「村……何処の?」
「昔三日月兄さん達と住んでた村だ。」
石切兄さんは驚いた顔をした。
「最近変な夢を見るんだ。そこに村の神社が出て来て、なぜこんな夢ばかり見るのかをつきとめたい。」
「夢……?」
俺が夢の詳細を話すと石切兄さんの顔色がどんどん悪くなっていった。
「そうか、夏祭りの神社に出る……半狐面の少年……」
「あぁ、その少年のことが気になるんだ。全く会ったことないはずなのに懐かしい気がする。」
「そう……か。」
「どうしても行きたいんだ。三日月兄さんと小狐兄さんは自宅だから旅行じゃなくなってしまうんだが……」
「いや、それは多分二人は構わないとは思うんだけど……二人は鶴丸さんに会いたいだけだし……」
でも村に帰るのは……と、石切兄さんは言い淀んだ。
「どうしたんだ?」
「いや……村に帰るのはやめないかい? きっと鶴丸さんにとって酷な事になる。夢のことも忘れなさい。」
そう言う石切兄さんの顔があまりにも悲しそうで、俺は一瞬黙り込んでしまった。
「…………。俺にとって酷か。でもな石切兄さん、俺はその夢をもう数ヶ月は毎日見てるんだ。忘れるなんて無理な話だと思わないかい?」
「そうだね……でも、」
「それに伽羅坊が言ってたんだ、夢は記憶や深層心理と関係があるって……俺の村での記憶が曖昧なことと関係あるんじゃないか?」
「……。」
今度は石切兄さんが黙ってしまった。
暫く気まずい沈黙が場を支配する。さっきまで漂っていた夕餉の美味しそうな匂いが急に遠くなった気がした。
「……いや。やっぱりダメだよ。鶴丸さん。」
「どうしてだ?」
「今上手く説明はできないけれど、必ず後でちゃんとした説明するから……村に行くのはやめよう、お願いだから。」
「説明がないのに納得しろは無理だろ」
俺がそう言うと石切兄さんは困った顔をしたあと口を開く。
「どうしてもあの村に鶴丸さんを行かせるわけにはいかないんだ。必ず後で説明はするから、わかってくれるね。」
今度は強い意志を宿した眼差しで俺を真っ直ぐ見た。
「……わかった。そこまで言うなら俺は一人でも行ってやる。」
俺も強く言い返すと石切兄さんは目を見開いた後少し焦ったように言い返してきた。
「行き方どころか何処に村があるかすら覚えてないだろう?」
「三日月兄さんから送られてきた年賀ハガキが手元に残ってるぜ?それ見りゃいけるだろ。」
「……。」
再び沈黙が訪れた石切兄さんは視線を泳がせ俺を止める方法を必死に思案しているようだった。
やがて一つため息をつくとこちらに改めて向き直った。
「鶴丸さんの意思がとても強いことはわかったよ。村に行くって三月兄さんにも伝えてあげるよ。」
「本当か!?」
思わず立ち上がる。
石切兄さんは但し、と続けた。
「村にいる間は私達と絶対に離れないでね。勝手にどこかに行くのはダメだよ。」
「? あぁ、わかった。」
まるで小さな子供に言うみたいに言うので戸惑いながら答えると、石切兄さんはもう一度ため息をついた。
「三月兄さんには私から連絡しておくから……今日はもう寝なさい。」
石切兄さんはそう言うと携帯を操作して立ち上がり部屋から出て行った。
漸く村に行けるかもしれないと思うと嬉しくてすぐに坊や達に連絡をして風呂に入った。
風呂から上がると坊や達から返事が来ていた。
『お! 良かったじゃねぇか鶴さん!』
『これで夢の謎分かるかもしれないね。』
『兄さんたちに迷惑をかけるなよ。』
坊や達に鶴が踊ってるスタンプを送りスマホを閉じ、部屋の電気を消す。
村に行けることをあの少年にも伝えよう。そう思いながら眠りについた。
祭囃子の音が響いている。
目を開けるといつも通り石段の前に立っていた。
早くあの少年に会いに行ける事を伝えたい。そう思いながら石段を駆け上がった。
登り切るとやはり誰もいない。人が居る音はするのに誰も見えないのはやはり驚きがあり不気味でもある。
拝殿の賽銭箱の石段の前に半狐面の少年はいつも通り座っていた。
歩み寄り隣に座る。今度は少年が驚いた様子はなかった。
ゆっくりこちらを向き微笑む。
「よぉ、坊や。今日は俺を驚かせなくていいのかい?」
どうやら毎度驚かせようとしてたことは見透かされていたようだ。
「いやぁ何、今日は報告があるんだ!」
「報告、ねぇ。」
「あぁ!」
驚きだぜ!? と笑って返すと少年が少し笑った。
矢張りその笑う口元が懐かしい気がする。
「実はな、今度の夏休みに村に帰ることになりそうなんだ! 今度は夢じゃない現実できみに会えるかもしれないな! どうだ、驚きだろう?」
少年の口元が驚いたように開く。
驚かせられたことが嬉しくて思わず笑ってしまった。
「……いや、坊や、会えるのは嬉しいけどな、兄さんたちは良いって言ったのかい?」
「ん〜、説得に苦労はしたぜ?」
「そうか……」
祭囃子の音が遠くなった。
「……会えるといいな。」
「会いに行くぜ! 必ずな!」
「そうか、そりゃぁ楽しみだ。」
少年が少し悲しそうに笑った気がした。
それと同時に意識が覚醒していく感覚がする。
「またな!!」
そう言ったところで目が覚めた。
時は過ぎ、大学の夏休みに入った。
俺は修士二年なのでまだ研究室で研究を進めなければならないため大学に行っていた。光坊も卒業論文のために何度か大学に来ているのを見かけた。伽羅坊はサークルには来ているようだがそれ以外の日は休みを満喫しているらしい。貞坊が伽羅坊と遊んだと言っていた。
三月兄さんたちに会うため教授に交渉し、お盆で大学が閉まる日も含めて十六日ほど休みを得ることになった。これで二週間ほど村に居られそうだ。
お盆の前から休みを取り、お盆が終わると同時に休みが終わる。それを石切兄さんに伝えると矢張り困った顔をしていた。困らせたい訳では無いので少し申し訳ない気持ちになった。
三日月兄さん達は俺が村に帰ることに渋ったようだが、石切兄さんが「このままだと一人で乗り込むつもりだよ」と言ったのが決め手で渋々納得したようだ。そんなに一人で村に行くのが危ない事だとは思えないのだが、兄さん達からすればまだ自分たちの保護下に置ける方がまだ安心するらしい。俺はそんなに突飛な子供ではないはずなのだが……。
ともあれある程度順調に日程は決まりあとは準備をすれば良いだけとなった。
相変わらずあの夢は見続けている。以前は話しかけたら目が覚めていたが村へ行くと報告した日から少しだけ話せるようになっていた。
早くあの村に行って少年ともっと話せるかもしれないと思うとわくわくした。そして何より三日月兄さん達に会えることも楽しみだった。物心着いた時両親は既に居なかったが寂しかった記憶が一切なかったのだ。それはきっと三日月兄さん達が沢山愛して育ててくれてたからだと思う。そんな兄さんたちに会えるのがとても嬉しかった。
研究の忙しさに振り回されている内に村に行く日となった。
早朝に家を出て電車に乗り新幹線のある駅まで向かい、新幹線に乗り換える。あの村まで行くのにどうやら数回電車と新幹線を乗り継ぎ最寄り駅まで行き、そこまで三日月兄さんが車で迎えに来てくれるらしい。最寄り駅から村まで車で一時間もかかるらしいと聞いて驚いた。村から出た日そんなに時間がかかった気がしなかったからだ。尤も殆ど車の中で寝ていたからその感覚が宛になるとは思わないが……。
「そろそろご飯にしようか。」
石切兄さんは買ってきた幕の内弁当を取りだし自分の席の簡易テーブルに置き、俺の分のハンバーグ弁当を渡してきた。
ハンバーグ弁当に着いている紐を引っ張り中身が温まるのを待つ。
紐を引っ張ると酸化カルシウムと水が混ざり合い水酸化カルシウムになる際の化学反応で発熱し、中の弁当が温まる。それが小さい頃からなんとも面白くて初めて見て以来毎回この温まる弁当を買ってしまうのだ。
弁当が温まったところでいただきますをする。
冷めても美味しい駅弁だが、矢張り暖かいものを食べるとほっとするなと思った。仄かに水酸化カルシウムの風味を感じながら食べ進める。味も勿論美味しいか何より家族と出先で食べたりする特別感が美味しさを増している。
食べ終えゴミを片付け終えると石切兄さんがこちらに向き直った。
「鶴丸さん、詳しいことは村に着いてから三月兄さん達と話すけど、先に伝えなきゃならないことがあるんだ。」
「なんだ? 改まって……」
「村の事だよ。」
石切兄さんの真面目な空気も相まって村のことと聞いた瞬間背筋が伸びた。
「……あの村に神社があったの、覚えてるよね?」
「あぁ、夏祭りを毎年やっていた……」
「神社だから勿論神様を祀ってるんだ。それで多分鶴丸さんはお祭り位にしか認識してなかったと思うけど、あの祭りで毎年神楽を奉納したりしていたんだ。」
「神楽……」
そう呟いた時またあの時と同じように頭痛がした。何かを思い出しそうになったのに思い出せない。
「!! 大丈夫かい鶴丸さん?!」
「あぁ、気しないでくれ……村の事を思い出そうとするとたまに考え過ぎて痛くなるんだ。」
痛みを堪えながら石切兄さんの方に向き直るととても悲痛な顔をしていた。石切兄さんは優しいから時々俺の痛みを自分の事のように感じてしまうのだろう。
「すまない、続けてくれるかい?」
「本当に平気かい……? やっぱりこの話をやめて今からでも旅先を変えても……」
「大丈夫だ。」
俺が少し強く返すと石切兄さんは少し目を泳がせてからまた口を開いた。
「それで、その夏祭りで毎度毎度鶴丸さんは迷子になっていてね、その度に同じ人に助けて貰ってたみたいなんだ。」
多分鶴丸さんは覚えてないけど、と石切兄さんが続けた。
よくふらふらどこかに行って迷子になってた記憶はあるがまさか毎年とは……矢張り思い出せないそれどころか頭が更に痛くなった。
「その助けてくれてた人が……きっとその神社の神様だったんだ。真偽は分からないけど少なくとも村の人達はみんなそう言ってた。迷子になってた間、鶴丸さんが何も無いところを見て喋って遊んでたって。」
「神様……?」
「そう、神様。」
神様なんて急に言われて戸惑った。でも石切兄さんが嘘をついているようには思えなかったし、本当のことだと直感した。
「……あの村では……、神様に気に入られた七つ以下の子供を神様に捧げる風習があったんだ。」
それを聞いた瞬間頭がズンッと更に重くなる。
なんだ、何を思い出そうとしているんだ俺は……?
「村の人はその風習に習おうとした。丁度災害が続いてた年でもあってね、神様に助けを求めたんだ。」
でもね、と言って石切兄さんは俺の手を取り握った。石切兄さんの手は震えていた。
「私達はそれを拒否したんだ。」
手を握る力が強くなった。
「悪い事だとは思ったけれど、鶴丸さんを捧げるなんて僕たちにはできなかった。拒否したからには長く鶴丸さんを村に置いておけない、だから鶴丸さんと私だけが村を出た。」
「これが私達が村の外で暮らすことになった理由でもあり、鶴丸さんを村に行かせたくなかった理由だよ。……幸い鶴丸さんは全てを忘れてたから、この話もできるだけしたくなかったんだ。」
手が離される。それと同時に身体から体温が引いていく感覚がた。頭痛が増して割れるほど痛かった。
俺が神様への生贄で、それを兄さん達が拒否した……そもそも村にそんな決まりがあった記憶もない。いや、石切兄さんに話してもらったこと全てに関する記憶が無い。
「そう、なのか……。」
「……、本当に大丈夫かい?」
気休めでしかないけど、と石切兄さんが頭痛薬をくれた。
それを適当に口に放り込み水で流し込む。効けばいいが……効く気はしなかった。
村のこと、神様のこと、自分とその家族のこと……色々と考えているうちに村の最寄り駅まで着いていた。何を見たかもあの後石切兄さんと何を話したかも覚えていない。それくらい衝撃が大きな話であった。
最寄り駅の改札を出る……と言っても無人駅なので切符の回収ボックスに切符を放り込むだけなのだが、一つしかない出入口から駅舎の外に出ると豊かな自然が広がっていた。
一面に広がる田畑の奥にぽつりぽつりといくつか民家が見え、そしてその奥には高々と聳える山がある。田畑の作物は青々と茂り夏の作物は実をつけていた。トマト、きゅうり、スイカ……見える範囲でも色々なものが実っている。
村の外に出てからは中々見られることのなかった景色に感動していると一台の車が俺たちの前に停車した。
車のドアが開き人が降りる。
「おぉ! 石平に鶴や、久しいな。」
「三月兄さん、久しぶり。」
「三日月兄さん!! 久しぶりだなぁ!」
「はっはっは、相変わらず元気だな鶴は、大きくなったなぁ、写真で見るより格好良いぞ。」
「本当か!?」
「あぁ、さぁおいで、」
そう言いながら三日月兄さんが両腕を広げたので飛び込むと、優しく抱き留められた。懐かしい感覚に嬉しくなって強く抱きしめ返すと三日月兄さんは少し苦しそうにした。
「さて、そろそろ家に向かおうか、昼餉は食べたか? 今狐疑が昼餉を作っているからもし食べてなければ共に食べないか?」
「昼餉は食べてないからそうして貰えると助かるよ。」
「小狐兄さんの料理かぁ、楽しみだな!」
そんな事を話しながら車に荷物と乗り込む。
車中で今行っている大学のこと友達のことなどを話している間三日月兄さんはとても楽しそうに聞いてくれた。
車はやがて山道に入り外の景色は田畑から鬱蒼とした森へと変わった。そこから三十分ほど進むと道が開けて集落が見えてきた。
「村に入ったぞ。懐かしいか?」
「ん〜、まだよくわかんねぇな……」
「はっはっは、鶴は小さかったからな、まだ思い出すまでは時間がかかるか。」
半分を海がもう半分を山が囲む半分岬のような土地にある村。車道の左側を見れば水平線が広がり遠くに漁船が浮かんでいた。右側を見れば田畑が広がりその奥に高い山がいくつもある。田畑で作業している農家の方たちが見えた。
懐かしい。ここに住んでいた頃に確かに見ていた景色だ。
外の景色に懐かしんでいると三日月兄さんに呼びかけられる。
「なぁ鶴や、約束をして欲しい」
そう切り出した三日月兄さんは真剣な声をしていた。
「なんだ?」
「無断で我らのそばを離れないこと、それから……神社になるべく近づかないこと。約束できるか?」
「あ、あぁ、わかったぜ……一回くらいは神社に行きたいんだが……それはダメかい?」
「……考えておく。」
話をしている内に三日月兄さんの家に着いた。
「さぁ着いたぞ、部屋の準備はしてあるから荷物を置いてから居間に来てくれ。」
「いつもの部屋でいいのかな?」
「あぁ、」
特に変わりのない瓦屋根の普通の日本家屋だ。強いて言うなら土地と家がとても広い。小さい頃は走り回って三日月兄さんたちと鬼ごっこをして祖父に怒られていた。
玄関に入り家に上がる。石切兄さんは迷うことなく一つの部屋の前に行き扉を開ける。八畳程の部屋で押し入れがあり正面にもう一つ扉がある。恐らくそこから縁側や庭に出られるのだろう。
荷物を置きある程度整理してから居間に向かった。
居間に向かう途中の廊下を歩いていると幼少期に戻ったようで面白くなる。あの障子に落書きをして小狐兄さんに怒られた。あの柱は三日月兄さんが俺の身長を計って記録してくれていた。今でも残ってる痕跡を見ていると懐かしくて少し寂しくなった。
居間に入ると小狐兄さんと三日月兄さんが座っていた。
「今日の昼餉は冷やし饂飩だ。」
「庭で育った紫蘇と茗荷を薬味に使うとよかろう。」(小狐丸)
「これはこれは、美味しそうだなぁ!!」
「それでは、頂くとするか。」
席に座ると小狐兄さんが俺の分の箸と取り皿を渡してくれた。
「大きくなったのお鶴丸よ、ささ、冷たい内に食べよ。」
「ありがとな! 小狐兄さん!!」
透明な出汁のつゆに浮かぶ真っ白な饂飩、紫蘇と茗荷の鮮やかさが視覚にも美味しさを訴えかけている。梅雨を一口飲むと冷たく、暑さで火照った身体に心地よい。麺も喉越しがよく、薬味の食感と風味が食欲を助長させる。
「美味い! いくらでも食べられそうだなぁ!!」
「はは、嬉しいことを言うのお。まだまだあるから好きなだけ食べるとよいぞ。」
結局二杯も食べた。俺が食べてる間兄さん達は笑顔で俺を見守っていた。幼少期の頃と変わらぬ光景に嬉しくなった。
食べ終えて片付けも終わり寛ぎ始めた頃、三日月兄さんが話しかけてきた。
「鶴や、どうして突然帰りたいと言ったんだ?」
「ん、あぁ、最近ずっと夢を見ていたんだ。」
「夢、とは。」
三日月兄さんにも夢の話をした。横で小狐兄さんも聞いていて、話終える頃に二人の顔が少し曇った。
「そうか、それでその少年が気になったのか。」
「なんともまぁ奇妙なものだのう。」
「……なぁ鶴や、神社のことをどのくらい覚えている?」
「それがさっぱりなんだ。だから今から神社に行ってみようかと思ってるぜ。」
一瞬兄さん達の時が止まった。
「鶴丸さん、それは……」
「待て石平、夏祭りの日に行くよりは良いだろう。」
「そうですね。その日以外は力が弱いですし。何も無いはずです。」
「? 兄さん達どうしたんだ?」
顔を見合せていた兄さんたちが一斉にこちらを振り向く。
「……何でもないぞ。神社への道はわかるか?」
「暗くならぬ内に行って早く帰って来ると良い。」
「……帰ってきたら、今日の新幹線での話の続きを三月兄さん達と話そう。」
「わ、わかったぜ!」
兄さん達の有無を言わせぬ圧に圧倒され曖昧に返事をしてしまった。
兎も角よく分からないが許可が出たので部屋に行き必要な荷物をもって三日月兄さんの家を出た。
神社への道は海沿いの道を辿っていくと着く。
車から見る景色も良かったがこうして徒歩で歩くと更に記憶が蘇るようだった。
夏草の香り、潮風の香り、波の音、虫の鳴き声。石切兄さんと住んでる家では味わえない全てが新鮮で懐かしい。
道を楽しみながら歩いてる内に神社の石段の前に着いた。
石段の前の鳥居をお辞儀をしてくぐる。夢の中だとこの鳥居をくぐった場所から始まっていた。夢と同じように石段をのぼり始める。夢と違い提灯はなかった。祭りの期間ではないので当たり前といえばそうなのだが……。石段は苔むして所々滑りやすくなっている。脇道の木々も警備されていないのか石段の上まで伸びていて時々顔に当たりそうになる。それを避けつつ石段を登り切るとまた鳥居があった。
夢の中ではあった記憶が無い……気がする。もし、あの夢が俺の記憶からできているなら俺があまりちゃんと認識していない部分は雑になっているのだろうか。お辞儀をして二つ目の鳥居を潜り参道の端を歩く。参道も所々苔蒸しており夢の中よりだいぶ廃れていた。
途中で手水舎を見つけたので尺で水を掬い手を濡らした。整備されて無さそうだったので口をつけるのはやめた。
拝殿の賽銭箱が見えてきた。夢とは違い少年はそこにいない。
お賽銭だけでもして帰ろうか……そう思いながら、拝殿の前の三つ目の鳥居をお辞儀をして潜る。三つ目の鳥居も夢にはなかった。結構俺は雑に物事を認識しているようだ。
潜り抜けたところで突然突風が吹き咄嗟に目を閉じる。
目を開けると黒い着物に黒い羽織りを着て半狐面を着けた少年……あの夢の中の少年が賽銭箱の前に立っていた。
「きみ、やっぱり夢の中だけの存在じゃなかったんだな……」
そう言いながら近づくと少年はふっと微笑んだ。
「よぉ、坊や。久しぶりだな。夢の中でも俺と会っていたのかい?」
笑った口元、声……神社の景観全てが夢の中と違うのにそれだけは夢と全く同じだった。
夢と現実が繋がったことにある種の感動を覚える。
「久しぶり……なのか?」
「あぁ、俺からすれば久しぶりだぜ? 坊やからすれば初めましてだろうな。まぁ、夢の中で会ったってんなら初めましても変な話だろうけどよ。」
俺からすれば初めまして……ってことはつまり、俺が村に居た頃会っていて村の記憶が無いことを知っているということか。
だが、そう考えると少年の歳を考えるに赤ん坊の時にあっていたとしても辻褄が合わない。
「きみは俺と会ったことがあるらしいが、俺がこの村を出たのは七つの時だ。きみの年齢的におかしな話じゃないか。」
そう言うと少年は笑いだした。
「あははっ! そうだなぁ、俺の見た目だとそう思っちまうよな。だがな坊や、それは俺が人間だったらの話だぜ?」
「人間だったら……? まさかきみは、俺が夏祭りの度に会っていたらしい神様……なのか?」
「神様ね……」
少年が少し自嘲気味に笑った。
「まぁそんなところさ。」
神様なんてものが本当にいるのか未だに信じ難かった。だが、これは全て夢ではなく本当のことなのだと思う。
「なぁ坊や、知ってるかい、」
「何をだ?」
「今年で夏祭りは無くなるらしい。」
その言葉で胸がちくりと痛んだ。
「坊やのまた今度。今叶えてはくれないかい?」
「また今度……?」
「坊やは忘れてる……いや俺が忘れさせたんだが、毎年夏祭りに会う度に「またこんどあそぼうぜ」と約束してくれてたんだ。」
突然脳裏に小さかった頃の夏祭りの風景が蘇った。祭り提灯に照らされた少年に手を振りながら「また今度遊ぼうぜ! そん時は神社の中以外でも会おう!!」と言っていた。
「やっぱりきみは……」
神様なのか? そう聞くと少年は少し笑って「そうでもあるしそうでは無い。」と答えた。
「俺の事はいいんだ。いつか機会があれば話すぜ。……もう一度聞くが、坊やのまた今度、叶えてはくれないのかい?」
「……いいぜ、俺もきみのことを知りたいからな! 忘れっぱなしってのは嫌だし、何より兄さん達やきみに悪い気がしてな。」
「そうか。……もし、夏祭りもう一度来てくれたら、その時は思い出させてやるよ。」
「出来るのか!?」
「まぁな。」
少年は少しいたずらっぽく笑う。夢では見なかった表情なのに凄く見覚えがあった。
「なぁ、名前、聞いていいか?」
「そうだな……薬研、とでも呼んでくれ。」
「薬研か……俺は三条鶴丸だ。坊やじゃなくて鶴丸と呼んでくれ!」
「んー、まぁそうだな……坊やは坊やだしからな……あと前も言ったが俺みたいな存在に気軽に名前を教えてはダメだぜ?」
「そうなのか?!」
「坊や参拝の作法とかはしっかりしているのにそういう事は知らねぇのか……まぁいい、俺は悪用したりはしないが中にはそういう奴もいるから気をつけろよ。」
「わかったぜ!」
この警戒の無さ、変わらねぇな……と薬研が呟いた。
「それより坊や、神社の外でも遊ぶんだろう? 今日はもう夕餉時になっちまうから無理だが、明日また来てくれるかい?」
「あぁ! 勿論だ!」
「夏祭りが無くなればもうまた今度は来ねぇからな、その前に坊やが逢いに来てくれて嬉しいぜ。」
薬研は悲しそうに笑っていた。
また今度が来ないというのはどういうことだろうか。薬研に聞くと「そのままの意味だ」と返された。
「夏祭りが無くなるってことは信仰が薄れるということだ。俺達みたいな存在は進行がなきゃ存在を維持できない。」
だから消えちまう前に坊やとの約束が果たせそうでよかった。そう薬研は少し視線を逸らして言った。
「……きみが消えるのは何だか嫌だ。」
「ははっ、嬉しいことを言ってくれるねぇ坊や。」
「俺に出来ることは無いのか?」
「そうだな、忘れないでいてくれればそれでいいさ。記憶があって少しでも存在があったことが覚えられてれば、少しは長く留まれるかもな。」
「他には、信仰がどうとか言っていたが……」
「やめてくれ、坊やは俺の最後の友達なんだぜ? 友達を信仰したりはしねぇだろ?」
「そう、だな。」
忘れない事か……聞くまで約束をしてたことすら覚えてられなかった俺にできるだろうか。
「……わかった。きみが少しでも長くいられるように、絶対に覚えているぜ。明日から沢山遊んで色んな思い出を作ろう。それを俺は全部覚えるからな!!」
俺がそう言うと薬研は一瞬驚きつつこちらに向き直った。
「ははっ! いいねぇ、夏の果てまで、精々楽しもうじゃねぇか、なぁ坊や。」
そう笑う薬研は神様みたいに綺麗だった。