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    西田聖

    @hNishi38

    フリートのかわりです

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    西田聖

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    アルカヴェ習作
    後輩のお誘い
    先輩が頑張ってるときは黙ってサポートしてあげることもあるけど基本的には自分のしたいこと優先の🌱

     もとより扉は開いていた。リビングに繋がる出入り口から、先に食事を終えたルームメイトが書斎に足を踏み入れたこともわかっていた。
     頭の中で闇雲に絡まった糸はもくもくと膨れあがり、カーヴェの意識を現実から引き離す。解決の糸口を掴んだと思っても、それは水面に浮かぶ藁であったり、煙に映る影であったりして、一向にほどけていく実感がない。自分の深いところを浚ってみても、砂金の一粒も見つかりそうになかった。
     書斎の片隅で広げた紙面には、精緻な設計図が描かれている。カーヴェがここしばらくかかりっきりで引いていた美しい図面を、描いた本人は苦々しい気持ちで睨みつけていた。
     あと少し、何かが足りない。喉元まで出かかっているはずの答えがどうしても出てこない。ペンの先を押し付けた紙にはインクのシミが広がるばかりだ。もがけばもがくほど後退して、まるで流砂に足を取られたような焦りで頭を掻きむしりたくなる。
     そうして紙を繰り続けて、丸一日が経過しようとしていた。久々に得られた、己の好奇心を存分に満たせる、興味深くて面白い依頼内容の仕事だった。自由にやらせてくれるクライアントの期待に応えたい。自分の創作欲も存分に満たしたい。意識のすべてを目の前の仕事に注ぎ込んで、寝食を犠牲にしながら進めた設計が、あと少しで完全なものとなるのに。その一歩を置く場所が見たらない。
     最後に食事を摂ったのは、時折横から差し出される焼かれた小麦粉の何か(おそらく獣肉のピタ)を見もせず齧ったのが……何時間前だったか。機械的に差し出された食べ物に何の躊躇もなく喰らいつけるのは、その相手を信用しているからでもある。小言もなく、おそらく自分で切って焼いたであろうピタを黙々とカーヴェの口へ運ぶ彼に、本来なら感謝や罪悪感や、あるいは猜疑心が浮かぶところではあるが。そういったものに割けるだけの精神的リソースはこの時のカーヴェには無かった――そもそも、自分たちの関係がそういうものを後回しにできるフェーズにあるからこそ、素直に受け取っているのだが。
     不意に、カーヴェの手元が翳る。思考力のほとんどを目の前の設計書に持っていかれながら、頭の片隅でわずかに外界を向いている意識が、同居人が背後を通ったのだろうと冷静に知らせてくる。作業には影響がないので、メモを取る左手を止めることはない。右手で本のページをめくり、開いた箇所を広げた指で押さえる。自分の中から湧き上がるアイディアがないのなら、知識の積み重ねと組み合わせから糸口を見つけるしかない。すでに何度も目を通した書籍でも、視点を変えればインスピレーションを得ることができるかもしれない。幸いこの家にはいくらでも本があり、それは知論派の関連に限らず妙論派の――
    「――…………」
     ぴたり、と。
     ペンの動きが止まる。遅延した視覚情報が脳に届いて状況を理解するまでやや時間を要した。
     カーヴェの左手の甲を、白い手が覆っている。背後から伸びた腕に装具はない。ゆるく握るように重ねられた温度は、カーヴェのそれよりやや低い。
    「…………、!?」
     つまるところ――手を握られているのだと気づいて、カーヴェは混乱した。反射的に振り向こうとして理性で押しとどめる。振り向いた先にあるものを勝手に予見した聡明な頭が、振り向いて迎える未来に警鐘を鳴らす。
     そうこうしているうちに紙をめくっていた右手にも手が重なって、指の股を擦られる。指の間に指を埋めるようにして、そのまま机に縫い付けられてしまった。
     体の中心で、ばくんと心臓が跳ねる。そこに心があったことなどすっかり忘れていた。自分の体の形を思い出す。手足があり、輪郭がある。薄着から香る肌の匂いに、うなじのあたりで括った束からはらりと落ちる髪のひとすじ。呼吸音が気になって唇を引き結んだ。薄く空気を隔てて閉ざされた彼の腕と腕の間で、ただ熱く鼓動を続けるだけの塊になってしまった自分が妙に恥ずかしい。
    「…………あ、っ……アルハイゼン……?」
     久しぶりに上げた声が想定よりも上擦っていて、かあっと顔に熱が上る。動揺など、とっくに悟られているだろうが。自ら晒すような失態は、カーヴェの羞恥を色濃くする。
     落とされた影にすっぽり収まると、先ほどまでカーヴェに見えていた景色はすっかり立体感を失ってしまった。左手の人差し指を摘まむように撫でられて、ペンが指の間から逃げ出した。ただの紙の上をコロコロと転がる。
     耳の後ろに温かい吐息が触れる。カーヴェはびくりと肩を震わせた。丸みをなぞるように触れた柔らかいものの感触に、体が強張る。
    「ン、」
    「…………部屋で待っている。食事を摂ったら、来るといい」
     低く響く声が、耳殻を舐める。咄嗟に机の下で膝を閉じた。尾てい骨から脳天に向かって駆け上がる痺れが、固まっていたはずの体から奪うように力を抜いていく。
    「っ……」
     言葉が切れると同時に両手を解放された。影が離れ、温度が遠ざかる。それを少し寂しく思った自分自身には気づかなかったことにする。
     自由を得たカーヴェは慌てて振り向いたが。アルハイゼンはいつも通りのすました表情で、何事もなかったかのようにすたすた歩いて書斎を出て行ってしまった。開けられたままの扉を茫然と見やる。
     口付けられた耳を押さえると、つい今しがた与えられたばかりのぬくもりと感触が俄かに蘇る。体の中心で起こるさざなみのような震えに瞼が震えた。
     ちらりと横目に作業机へ視線をやる。転がったペンとインク壺。ばつ印だらけの書き損じに、芸術らしく美しい設計図。開かれたまま乱雑に重ねられた本。俯瞰して見れば、行き詰まっていることが一目瞭然の状況。
     カーヴェはため息をついた。両手を伸ばしてインク壺の蓋を閉める。書き損じを束ね、本を閉じ。数時間ぶりに重い腰を上げた。最初に行うべきは食事か、入浴か。それとも邪魔されたことに対する文句か、あるいは感謝――は、ないとして。
     明かりを消して書斎を出る。後ろ手に閉めた扉は小さく息を吐き出してぱたんと音を立てた。
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