めろんそーだのおーばーどーず俺がショットさんを推すようになったのは、まだシンヨコに来て間もない頃だった。地方から上京して1ヶ月、最初は吸血鬼警報が毎日のように出ることに驚いたが、それにも慣れてきたころだ。
「わ~なんだこれ助けて~!」
仕事が遅くなったある夜、吸血鬼警報出てるけどいいか、と近道だからと人気のない路地裏に足を踏み入れてしまった時だった。路地裏の地面が割れたかと思うと、巨大な虫のような下等吸血鬼が襲いかかってきたのだ。俺の住んでいた地方でも小型の下等吸血鬼は稀に出たが、自動車ほどもある下等吸血鬼なんてそれまで見たことがなかったから俺は腰を抜かしてしまうかと思った。
鞄を放り投げて走り出すも、下等吸血鬼はみるみる距離を詰めてくる。
地面の小石に躓いて転び、あ、もう駄目だ!とうずくまった時、
「大丈夫か!?」
目の前にさっと緑のマントが翻った。長身の俺より少し低い背丈の、俺とあまり変わらないくらいの歳の青年。表情は彼のドレッドヘアをまとめているヘアバンドで影になっていて良く見えなかったけれど、茶色のまるで猫のような瞳がまっすぐにこちらを見ている。
古びた蛍光灯の、薄暗い灯りの中で、彼のヘアバンドに十字架がきらめくのが見えて、
あ、吸血鬼退治人だ。と分かった。
「俺一人か…おい、そこの街灯の影に隠れてな」
彼は俺が言われるがまま安全圏に退避したのを確認すると、下等吸血鬼に正面から立ち向かった。
無茶だ、あんな巨大で甲羅みたいなのもあって、なんか飛び回ってる生き物を、俺より背の低い男の子一人でなんとかするなんて。最悪の想像をして、怖いもの見たさで退避した物陰からそっと様子をうかがう。
下等吸血鬼が一直線に彼のほうに突っ込んだかと思うと、彼は直前でふわりと飛び上がって攻撃をかわした。そのまま脇の塀に駆け上がり、追う吸血鬼から一瞬で距離をとる。
吸血鬼が彼の姿を見失ったのか体の向きを変えた瞬間、彼が右手を吸血鬼のほうへかざす。その瞬間、彼の右手から鉤のようなものがついたロープが飛び出して吸血鬼の体に刺さり、ロープが巨体を拘束した。脚の何本かが折れて動けなくなったのか地面に落下してもがく吸血鬼に彼が素早く駆け寄り、
「とどめだ!」
ひびの入った甲羅に飛び蹴りを食らわせると、下等吸血鬼はうめき声をたてて塵へと崩れていった。
「…わ、すごい…」
一連の流れに圧倒されて、呆然としていた俺に彼が近づいてくる。
「よう、怪我はないか?今日は下等吸血鬼警報が出ているから危ないぜ。明るい大通りまで送ってやるよ」
うずくまったままの俺に手を差し出して笑う彼の表情にはどこか少年のようなあどけなさが宿っていて、ついさっきまで苛烈な戦いを繰り広げていたとはとても思えなかった。
「え、えっと、あなたは…」
「俺?俺は新横浜の吸血鬼退治人ショット。まだ見習い終わったばっかだけど、俺のこと覚えててくれよな」
ふわりとほころんだ彼の笑顔を見たその瞬間、俺は彼…ショットさんのファンとなったのだ。
それまでの俺の中で、吸血鬼退治人とはパフォーマンスとして吸血鬼を倒すアイドルじみた存在で、内心少し見下している時もあったが、彼はその認識を塗り替えてしまった。
それからの間、俺は毎日ショットさんのSNSに張り付いて彼について調べた。そして彼が福井から一人で新横浜にやってきて、退治人として頑張っていることを知って勝手に共感したり、甘いものが大好きで下戸なのを知っては可愛いな…と胸がときめくのを感じていた。ギルドにも寄って出たばかりの彼のブロマイドを買い占めたり、俺はすっかり浮かれていた。それでも、まだその時の俺はアイドルのファンのようなもので、まだそこまでおかしくなってはいなかった。
ある時、いつものようにギルドへ寄り、退治人の新しいグッズが出ていないか物色ついでに何か飲み物でも頼むか、とメニューを眺めていた時だった。
「…メロンソーダ?」
ドリンクの欄に、それまでなかったメロンソーダが追加されている。甘いソフトドリンクの追加は少し意外に感じて、立ち尽くしたままメニューを眺めていると、
「どうした?何か困ってんのか?」
突然背後から推しの声が聞こえて、俺の心臓は一瞬止まった。振り返るとショットさんがすぐそこに立っていて、ギルドの明るい照明の下推しがすぐそばにいるという事実に全身から汗が噴き出る。
「ヒャ、ゎ、お、な、ショットさ」
「大丈夫か?」
「ひゃ、は、はい…あ、あの、メロンソーダが…」
震えを必死に抑えながらメニューを指さすと、ショットさんはパッと明るい表情になった。
「メロンソーダか?もともとメニューには入ってなかったんだけどよ、俺がよくマスターに頼むもんだから入れるようにしたんだってさ」
「あ、メ、メロンソーダお好きなんですね…」
「ああ、ここのメロンソーダ美味いからおすすめだぜ。じゃあ俺はパトロール行ってくるからまたな」
俺はギルドを出ていくショットさんを呆然と見送っていた。
…ということはこのメロンソーダはショットさんがいつも飲んでいるのと同じもの…?
その日、俺は初めて缶以外のメロンソーダを飲んだ。しゅわしゅわで甘くて、こんな可愛い飲み物をショットさんが飲んでいる姿を想像して、俺の心の中に「推し」以外のどろっとした感情が根を張ろうとしていた。
そして、それから数年がたった。
彼のSNSを追うのはすっかり日課となっていた。最初はフォロワーも少なく、リアクションも数えるほどだった彼のヌイッターアカウントも、今となっては写真が投稿されるたびにみるみる拡散されてリプライがたくさんついている。
彼の投稿する写真は、元々は彼が仕事先で撮った仲間の写真だったり、風景の写真だったりでショットさん自身の写真はほとんどなかった。俺はそれでも、その写真を撮る彼の姿を想像してときめいていたのだが、ここ1、2年ほどになって彼自身の写真がぽつぽつと増えるようになっていた。
『今日食べたクレープホイップクリームやばくてウケる』
というキャプションには、顔くらいあるクレープを片手に笑う私服姿の彼。退治人の衣装もかっこいいけど、オフだとまた雰囲気が変わって可愛らしい。
最近の投稿では、
『ギルドの慰安旅行に来たぜ』
というキャプションで、旅館のゲームコーナーでぬいぐるみを抱えて、浴衣姿でピースしている彼。この投稿はかなり拡散されたし、コメントもたくさんついている。
『浴衣似合ってますかわいいです』
ふん、このリプライ送ってるファンは最近ハマったばかりらしいな。顔の良さしか見てないのか?確かにショットさんは可愛いけど。
『ショットさん、みんなでの旅行、楽しそうぬいぐるみゲットできてよかったね』
ショットさんにタメ語で話してんじゃねえよ敬語を使え敬語を。ショットさんが人気になったことは俺も嬉しいが、馴れ馴れしいファンが増えるのには辟易する。
リプライ欄を追いながらため息をついていると、ふと気になるリプライがあった。
『ぬいぐるみ可愛いですねお友達に撮ってもらったんですかお写真お上手です』
お友達…
ふと写真を確認する。写真の中のショットさんは、片手にぬいぐるみを抱きかかえて、もう片方の手でピースをしている。
しかも、写真のショットさんはやや上目遣いになっていて、彼の身長より高い視線から撮影されたのがわかる。こんな高さにスマホを置けるものはないだろうし、自撮りではない。
なんとなく過去の彼の写真投稿を遡ってみる。
『パフェ食べに来た』
というキャプションで投稿されている、彼がお洒落なカフェで大きなパフェを前にしている写真。初めて見たときは気づかなかったが、よく見ると手前にサンドイッチが乗った皿がある。誰か同行者がいたということか…
『仕事終わり!今日はポンチに出くわさずにすんだぜ』
というキャプションで投稿された写真では、明け方の薄青く染まりつつある路地で、退治人衣装姿のショットさんが振り向きざまに笑っている。
これは初めて見たときから仲間に撮ってもらったんだろうと思っていたが、やはりやや高い視線で撮影されているのがわかる。
「この写真も…これもだ…」
俺の予想は正しかった。ショットさんが殊更楽しそうにしている写真ほど、同じくらいの高さ、やや彼より高い目線で撮られているのだ。しかも仕事中ならまだしも、オフの日に撮られた写真も同じくそうなので、誰か同一人物が彼の傍にいて、写真を撮っていることになる。
「…いや、考えすぎか」
同じような身長の男なんていくらでもいる。きっと同僚に撮ってもらっているんだ。
そう、その時は思うようにした。
俺は月に1,2度ほどギルドに行き、メロンソーダを飲みながら退治人のグッズを探したり、稀にショットさんがいれば遠目に見守ったりするようになっており、その日もギルドを訪ねていた。
不審な行動をとって怪しまれないよう、ギルドにショットさんがいても高鳴る鼓動を抑えながら離れた席を取り、気づかれないようにしている。
その日もショットさんはギルドのカウンター席でメロンソーダを飲んでいて、俺は少し離れた席で同じくメロンソーダと、毎回それだけ頼んでいると覚えられそうなので軽食を頼んでそっと彼の様子を伺っていた。俺は耳がいいのでだいぶ離れていても人の会話を聞き取ることができるのだ。今回も席は離れているが、ショットさんがマスターと談笑している様子がはっきりと聞こえてきて、ブラインドグッズを盛大に外したショックが癒えていく。
と、自分のテーブルの横を大きな影が横切ってドキリとした。
思わず顔を上げると、2m近くある銀髪の大男がテーブルの横を抜けてカウンター席、ショットさんの隣に座った。
あれは…サテツとかいう退治人か。週刊バンパイアハンターを毎週欠かさずに購読している俺は、ショットさん以外のギルドの退治人にも詳しくなっていた。左腕のアームで戦う怪力の退治人で、見てくれはいかついが何となく地味な雰囲気だな…とあまり意識には残っていなかった。
「おい俺のサンドイッチなんだけど」
ショットさんが声を荒げたので思わず視線をカウンターに向ける。
サンドイッチを咥えたサテツが申し訳なさそうにあわあわしていて、ショットさんがサテツの腕を掴んで怒っていた。
「だって、いらないとおもって…」
「食わねえわけないだろお前目を離したすきにこの欲張りゴブリンめ」
どうやらショットさんが頼んだサンドイッチをサテツが横取りしたらしい。
「メロンソーダ奢るから許してくれよ…俺お腹減ってて…」
「仕方ねーな、今週ずっとメロンソーダ奢れよマスター、サンドイッチとメロンソーダ、サテツの奢りで」
「えっ…今週ずっと」
「あたりめーだろ、この前俺のチャーシュー全部食った分だ」
なんてやつだ、サテツという奴は人の食事を平気で横取りするらしい。チャーシューということはラーメンか?ショットさんと一緒にラーメン食べに行ったなんて羨ま、いやチャーシューを全部取るなんてひどい。ショットさんも、もっと怒っていいのに…優しすぎる。
「おうロナルド、原稿は終わったのか」
「ショット〜生きて再会できたぜ…死を覚悟した」
ショットさんのもう一方の隣に座ったのは、銀髪碧眼の退治人ロナルドだ。ロナルドウォー戦記の作者で、その容姿の美しさから週バンの表紙によく取り上げられていて嫌でも覚えてしまう。
「ショット、この前の休みに旅行してたんだよな」
「あ〜旅行っていうか帰省なおふくろにいい加減顔見せろって言われたから…サテツも紹介したいし」
え、紹介…?まぁ付き合い長い友人を家族に紹介したいとかそういうのか…。
「ほら見ろルド、東尋坊にビビるサテツの写真」
「わ~撮ってたのかよ~ショット!」サテツが気弱な声を上げる。
「うわすごい接写」
「サテツのやつビビりまくっててさ、写真撮るからってちょっと離れただけでしがみついてきて大変だったぜ」
しがみつく…?ショットさんに抱きつくだと?なにそれ羨まし、けしからんやつだ。思わず振り向いて彼らのほうをちらっと見てしまう。
ロナルドとサテツは、カウンター席でショットさんにぴったりくっついて彼のスマホを見ている。ショットさんにそんな近い距離で接するなんて…いや、彼らは退治人仲間、俺たちファンよりずっと付き合いも長い。嫉妬など、見苦しいだけだ。そうわかっていても胸がざわざわする。ショットさんと一緒に彼の故郷へ行き、二人きりで居られるなんて、夢のような話だ。
「これはアレだ、こないだヌイッターにあげた写真、サテツとパフェ食べに行った時の。お前原稿中で来れなかったろ」
「おわすっげぇサイズ…ショット、最近ヌイッターに自分の写真上げるようになったよな」
なに、やはりあの写真のパフェを一緒に食べに行ったのはサテツだったのか。
「あぁ、最近サテツに撮ってもらってるんだよな、なんかこいつ撮りたがるっていうか」
「へ~」
「おいなんだよロナルドニヤニヤすんな」
「いや~?なんか最近のヌイッター見てるとさ、ショット楽しそうだなって」
「あ?何わけわからんこと言ってんだよ…サテツもなに恥ずかしがってんだ」
ヌイッターに載せられた写真の多くがショットさんより高い視線から撮られたものだったのは、2m近いサテツが撮っていたからだったのか、と少し納得する。
彼らの話題は、ショットさんとサテツが帰省した際の写真に戻り、しばらくはショットさんが写真を見せてロナルドがへ~とかすげ~とか言っているだけになった。
「これ、実家の上り框に頭をぶつけてうずくまるサテツ」
「ショットそんなの撮ってたの!?」
「痛そう…っていうかサテツってお前の実家に泊まったんだろ?普通の布団だと足とかはみ出そうだよな」
「あ…いや…俺ら夜は近くの旅館とったからさ…」
「うん、俺図体でかいから、迷惑かなって、ほら!」
なんだかショットさんもサテツも妙に歯切れが悪い。
「あ~…なるほどな」
「おいなんだロナルドその顔!」
俺はまだ半分以上残っているメロンソーダのアイスが目の前で溶け始めているのを眺めながら、状況を整理しようとしていた。
つまりショットさんはサテツという男と一緒に出掛けたり帰省したりしていて、ヌイッターに載せている写真もサテツが撮ったものらしい。それに一緒にショットさんの実家を訪れてわざわざ別に旅館に泊まるのと、そしてそれに対するやけに歯切れの悪い口調。それらに対するロナルドの反応や言葉に含まれた空気感にある既視感を感じてしまった。まるで、大学時代に周りに隠してるけど実は付き合ってるのがバレバレの二人を見ているような…いや、気のせい、俺の思い込みだ。
「もう…帰るか」
悩んでいる間にショットさんたちはパトロールに出掛けてしまった。
これ以上沈んでいるわけにもいかないので、重い足取りでギルドを出て家路につく。ギルドへ徒歩で通えるのが新横浜民のメリットだ。
そういえばすこし遠回りすると退治人のパトロール経路と重なるんだったな、と思い出す。運が良ければショットさんがパトロールしているところを見られるかもしれない、と足をのばすことにした。パトロール経路の通りに出てしばらく歩いていると、聞き覚えのある声がして立ち止まった。ショットさんの声だ。様子をうかがうと、ショットさんが中年くらいの男に絡まれているのが見えた。
「いいじゃないですかちょっとお話しするくらい~ファンなんですよ私」
「あ~…悪いが今パトロール中だからさ…」
ショットさんは厄介なファンに絡まれているらしい。業務中の退治人にしつこく絡むのはファンとして失格だろうが、と心苦しくなる。ショットさんは見るからに困っているが、優しいから強く断り切れていない様子だ。
「そこをなんとか~!わぁお手々あったかいね~」
「あはは…」
おい野郎ショットさんにべたべた触るんじゃねえよ。俺が間に割って入ろうかと一瞬思ったが、ショットさんからしたら不審者が1名増えるだけだな、と悩んでいると、長身な男がふっと現れ、ショットさんの肩を掴んで男から引きはがした。
「…ぁ、サテツ」
サテツはショットさんの肩をがっしり掴んだまま男のほうを見据えている。男は見上げるような大男に睨まれて動揺しているようだった。
「あの」
「ヒェッ!は、はい!」
「ショットが困ってるんで、やめてもらっていいですか?」
「はいぃ!すみませんんん!」
厄介ファンの男はその場を走り去っていった。
「ショット~大丈夫?」
「こっちのセリフだが?早く手を離せよ、俺のキュートな肩が粉砕骨折しそうだ」
「ご、ごめん!」
男が立ち去っても、サテツはなぜかショットの肩をがっしりと掴んでなかなか離そうとしなかった。
「ファンに触られたくらいで嫉妬しすぎだろお前…パトロール行くぞ」
「はいぃ…」
と、ショットさんがサテツの耳元に顔を寄せ、キスでもするのかと一瞬ドキリとしたが何やら耳打ちしていた。
サテツは大人しく聞いていたが、みるみるその顔に血が集まってぶわっと赤くなる。
「ショット…!こんなとこでそんなこと言、わぁ…!」
「声がでかいぞサテツ、ほらほらパトロール後の楽しみな。」
立ち去っていく二人を、俺は物陰で固まったまま見送っていた。
それから数日間。俺は仕事をするときも食事をするときもずっとショットさんとサテツのことを考えていた。彼らがどんな関係なのかあのやりとりだけで妄想するなんてそれこそ最低だ。そもそも俺は所詮ファンの一人、彼らがどういう関係だろうとそれを責めるなんてあまりにも烏滸がましい。それでも、ショットさんに耳打ちされた時のサテツの動揺と確かな欲の混ざった目が頭から離れない。俺の知らない、写真にもおさめられないショットさんの表情をあの退治人は彼のすぐ近くで見ているという事実が俺の脳裏に泥のようにのしかかる。
「勝てるわけないんだよな…」
手元の最新刊週バンは、ロナルド、サテツと一緒に笑うショットさんの三人が表紙だ。
手前で華やかに笑うロナルドの後ろ、無邪気にピースするショットさんの隣で、サテツは緊張しているのかぎこちない笑みを浮かべている。それでも俺よりずっと大きく逞しい身体と、強面な表情は、全体が力強さの象徴のようで、彼に比べたら俺など蚊帳の外なんてレベルじゃないだろう。
「くそ…あいつなんかに…」
週バンには、ショットさんとロナルド、そしてサテツのインタビュー記事が載っているらしい。ショットさんの記事なんて楽しみなはずなのに、サテツがいるというだけで気分がどうにも乗らず、なかなか読む気になれない。
「コンビニでも行くか…」
重い足を持ち上げて夕方の街を歩いていると、見覚えのある人影に思わず足を止めた。
仕事は休みなのか、私服姿で髪を束ねているけれど、見間違えるはずもないショットさんだ。私服でだいぶ雰囲気が変わるから彼だと気づかれないのか、道行く人も素通りしている。
ショットさんは道端の草むらをかき分けてはため息をつき、同じところを俯き加減に行ったり来たりしていた。薄暗くなりかけている物陰をスマホで照らしては、しきりにあたりを見渡している。
緊張で心臓が張り裂けそうだったが、恐る恐る近づいて声をかけてみることにした。
「…あの、何か探してるんですか?」
びくりと振り向いたショットさんはどこか悲しそうな表情をしていた。
「…あぁ…ちょっと落とし物しちまって」
余程大事なものなのか、そう言う間にもふっと目を伏せてしまう。
「お、おれ、暇なんで一緒に探しますよ!」
思わず大きな声が出てしまってショットさんはぎょっと目を上げた。
「えっ、いや、俺一人で探すから」
「おれ、昔からもの探すのめっちゃ得意なんすよ!すごく暇なんで!なので探させてください!」
嘘だ、俺は耳はいいが目は普通だし物探しが得意なわけでもない。それでも、ショットさんがこんなに悲しそうな顔してるのを放っておけるはずがなかった。
「…本当にいいんですか?」
「はい!特徴を教えていただければ探しますよ!」
ショットさんは、驚きと申し訳なさの混じった目でこちらを見ていたが、おずおずと口を開いた。
「…わ」
「…はい?」
「指輪…なんです、落としたの…」
ショットさんは薄暗い夕方でもわかるほど頬を赤く染めて俯いている。
「ゆびわ」
「…はい…大きさはこれくらい…銀色で、手作りって感じの飾りとかはないやつです…」
…指輪。こんな夕方の道端で必死に探すほどの、指輪。
「なるほど…」
「サテ…いや、大事な人がくれたんですけど、ちょっとサイズが合わなくて、それでもつけてたんですけど、さっき落としてしまって…そこの草むらのほうへ転がって行っちまって」
今サテツって言いかけたなショットさん。
俺は、軽く天を仰ぎ、そして、覚悟を決めた。
「分かりました。俺に任せてください!」
とはいえ、俺だって持っているものはスマホだけだ。
見当のつきそうな場所をスマホの明かりで照らして探すしかない。そうこうしている間に指輪は見つからないまま、段々とあたりは暗くなり、夜が訪れようとしていた。
「あの、本当いいですよそんな…高いものじゃないし」
「暇なんでお気になさらず!」
本当はずっとしゃがんでいて膝が痛くなり始めていたけれど、そんなことどうでもよかった。
「指輪をくれた人って、ご家族の方とか…ですか?」
知らないふりをして指輪のことを探ってみると、ショットさんはハッと草むらをかき分ける手を止めた。
「あ、すみません、プライベートの話を聞いてしまって」
「誕生日に、仕事仲間の奴がくれたんです」
折り重なった雑草の根元を見つめるショットさんの横顔をスマホのライトが淡く照らしている。
「すげえ気弱なのに周りのことちゃんと見てるし、俺よりずっと強くて、すごいやつなんです」
「…なるほど」
「図体でかいし食い意地はっててすげえ大食いなやつなのに、食費削ってまでして俺にくれた指輪なんです」
ショットさんははにかんだ笑顔を見せた。
なんだ、俺はなんてくだらないことで思い悩んでいたんだろう。彼がこんなにも優しく笑える人と一緒になれたことに対してくだらない嫉妬をするなんて。
「…本当に、その方から大事にされてるんですね」
その時、俺の地獄耳が草むらの暗がりで何かが動く音を聞き取った。手のひらに収まるくらいの何かが、かさかさと草をかき分けて動く音。
「あ、あそこに何かいますね…」
俺が草をのけてみようとするのをショットさんが無言で制して、獲物を狙う猫のように音のする一点を見つめる。おそらく下等吸血鬼を警戒しているのだろう。
かさ、かさ、音が近づいてきて、草の陰から飛び出してきたそれを見たとき、ショットさんの表情がふっと緩むのが分かった。
「…道理で見つからなかったわけだ」
ショットさんに素早く捕らえられたそれは一匹の大きなネズミだった。口に銀色の指輪を咥えている。餌と勘違いしたのか、キラキラしていて興味を引いたのか。あれだけ探しても見つからなかったのは、ネズミが指輪を咥えたまま草むらを走り回っていたからだったのだ。
「よかったぁ…この泥棒ネズミめ…」
ショットさんは、解放されて草の中に逃げていくネズミを見送ると、指輪を愛おし気に掌に載せて確かめていた。
「良かったですね!指輪見つかって…」
「おう、探してくれてありがとうな!できればお礼したいからRINEか何か」
「あっ、礼なんてそんなものお気になさらず!では俺はここで!」
俺は足早にその場を立ち去った。
危ない危ない、RINEアカウントなんて見られたら、アイコンが自宅の一角に建立しているショットさんの祭壇なのが本人にばれちまうぜ…
帰宅した俺は、読めていなかった週バンの退治人へのインタビュー記事のページをそっと開いた。ショットさんやロナルドがポンチ吸血鬼を退治した際のエピソードを面白おかしく語るのを思わずクスリとしながら読み進めていると、サテツへのインタビューのある文章が目に留まった。
「仲間のことですか?そうですね、ショットは普段はあんな感じで面白い感じで振舞ってますけど、とても仲間思いでいいやつなんですよ…だからいつもろくでもない目にあってるんですけど。あいつ、一人で福井からシンヨコまできてずっと頑張ってるんです…ショットにはいつも助けてもらってばかりなので、俺もあいつみたいに強い心でいたいなと思います」
「指輪…?あっこれは!あの、プライベートで…はい、その…内緒です。すみません…結婚あ、今はまだ…です」
俺はその晩、ショットさんが大切な人を見つけられて良かったな…という安堵と、言葉にならない喪失感でメロンサワーを飲みまくり、翌日二日酔いで仕事を休んだ。
その数日後、SNSにショットさんが新たな投稿をしたとの通知にスマホを開いた俺は、思わず「あっ」と独りごちた。
いつもの退治後のショットさんの写真だが、首元に銀色に輝くそれは、チェーンを通してペンダントにしたあの指輪だった。なるほど、これなら落とさずにいられるというわけだ。
願わくばあの優しい銀の狼のような退治人の彼と、俺の最推しが末永く笑っていられますように、俺はその写真を見つめてそう祈っていた。