バレンタインデー学パロ鯉月 甘ったるい香りが辺りに漂う。毎年毎年、失敗や成功を重ねながら何度も嗅いだ甘さだ。そこに、これ以上ないほどの恋心と、貴方と幸せになれたならという切ない願望をエッセンスとして加えてやる。
これが果たして美味しいのかどうか、自分じゃあなかなか判断はつかない。毎年流す涙が、甘さを洗い流してしまっているからだろうか。
この鞄には、綺麗に包装されたチョコレートが身を潜めている。今年こそはと張り切って、照れくさい言葉を添えながら渡すつもりで持ってきたはずなのに。それなのに今年もまた、こんなものを彼に渡す訳にはいかないと思ってしまった。
こんな自分が、あんなにキラキラとしている彼の隣を歩けるものかと、自分で自分を罵倒した。鞄の底。空になった弁当箱に下敷きにされているそれが隙間からこちらを覗いているようで、慌てて鞄を閉じて目を逸らした。
幼い頃、一つ年下の彼に出会い、知らず知らずの内に彼に惚れてしまってからというもの、毎年毎年同じことを繰り返している。学習せず、性懲りもなく望みを抱いてしまう自分に心底腹が立つ。
最初こそチョコレートを刻んで溶かして型に流し込んだだけのものだった。家族が寝静まった後、こっそりキッチンに立ってチョコレートを溶かす。今年こそ好きだと伝えようと内心ワクワクしてしまいながら。浮かれた自分が我に返るまではあっという間で、その度に鞄に潜ませたそれをひた隠しにした。
懲りずに毎年溶かしてしまうチョコレートは年々手の込んだものに変わっていった。凝れば、その分勇気が湧いて想いを伝えられるのではないかと考えたからだ。それに伴いラッピングにも力を入れた。それだけ本気なのだとわかってほしかったから。それでもそれは、毎年自分の鞄の中でもみくちゃにされるだけ。今年もそうだ。寝る間も惜しんで、彼の喜ぶ顔を想像しながらチョコレートを溶かした。喜んでくれるとは限らないのに。あぁ、自分はなんて馬鹿なんだろう。そうやって自嘲するまでが、毎年のルーティンになってしまっているのが情けない。今年もきっと、泣きながら自分で作ったチョコレートを一人で食べるんだ。味なんてろくにわからない、妙に手の混んだそれを乱暴に貪る虚しさがどんなものか、毎年思い知っているはずなのに。
「部活、終わったのか。お疲れ」
あたかも今日が何の日だか知らないような素振りで、偶然を装って部活終わりの彼に声をかける。朝、鞄に丁寧にチョコレートを忍ばせた時にそうしようと考えついたのだ。……渡せないと思ってしまった今、わざわざ声をかける必要なんかなかったと言うのに馬鹿なことをしたもんだ。
「待っちょってくれたんか?」
「そんな訳ないだろ、偶然だ」
吐き出した声は、俺は嘘をついていますとアピールするように何だか少し大きくて、そして僅かに震えていた。声をかけたのは自分なのに、ガバリと背後へと隠した鞄を持つ手が小さく震えてしまう。
鼻の奥がツンと痛んで、慌てて泣くなと自分を叱りつける。ここで泣いたら全てが無駄になる。涙を堪えるように低い鼻を啜って顔を背けた。「じゃあな」と叩きつけるように小さく溢して、ゆっくりと歩き出す。走って逃げ出したいけれど、それは流石に怪しまれると考えたからだ。考えて起こした行動全てが嘘くさく思われていそうで、最早どう動くのが正解なのかはわからなくなってしまっているのだが。
歩き出すと同時に鞄を今度は胸元で抱き締めるようにして、どうしたって彼に勘付かれないようにした。力任せに抱き締めてしまったから中はもうぐちゃぐちゃかも知れない。
まぁ、後は自分で食べるだけなんだから。そう思うと、その手を緩めてやることは出来なかった。
後ろから何か聞こえる。でも、何を言っているのか確認する勇気は出なかった。
「待てちゆちょっじゃろう……!」
もこもこに着込んだダッフルコートをぐいっと引っ張られる。よたついて転びそうになって、そこでようやく足が止まった。
「……えっと、あの」
口ごもりながら話す声は、その上歯切れが悪くて聞き取り難い。何なのだろうかと小さく振り返れば、赤い顔をした彼と目が合った。
「それ、……いつになったやくるっど?」
「なに……?」
言葉の意味がいまいちわからず、怪訝な顔を貼り付けて体ごと振り返る。そういえば鞄を抱き締めたままだ、なんて頭の片隅で考えながら。
「じゃっで!それ!」
胸元に抱き締めた鞄を指差し、彼は怒ったように眉を吊り上げながら大きな一歩分、距離を詰めてきた。
「それ!いつになったらくれるんだ……!」
縋るような大きな声が、脳内で反響する。多分、そこら辺にもある程度響いていたのではないかと思う。それほど大きな声だった。
「な、んの……ことだか……」
「チョコ、持っちょっとじゃろう?」
あー、そういえば今朝コンビニで買ったんだった。なんて下手くそな嘘とともに鞄のポケットへと手を突っ込む。小さなチョコレートを取り出し、これのことかと首を傾げた。
違う。そう首を横に振る彼を見上げて、小さなチョコレートを握り締めた手をだらりと下ろす。
「なぁ、おいに渡すものがあっじゃろう」
なんだ。何なんだ急に。やめてくれ。想像なんか微塵もしていなかった展開について行けず、喉が詰まって声が出ない。慌てて首を横に振るけれど、彼はそれを見ていないのか手を差し出してくるばかり。
「ちょうだい」
月島からのが欲しい。そう、はっきり聞こえた。そんなのずるい。こんな言葉に抗える筈がないだろう。
視線を泳がせながらも何度か彼を見上げて、仕方なくおずおずと取り出したそれを恥ずかしさのあまりくしゃりと握り込んでしまう。
「あっこら!潰れてしまうじゃろう!」
慌てて俺の手から抜き取ったそれを嬉しそうに眺める彼を、呆けたような顔で見つめてしまう。だって、そんな嬉しそうな顔なんかされたら。
「そんな反応、勘違いしてしまうからやめてくれ」
「……勘違いじゃないと言ったら?」
驚きに大きく見開いた瞳と、彼の真剣な瞳がパチリと視線を絡めた。
「……やっと、くれって言えた。毎年言おうち思うちょったばっ勇気が出らんやった。すまん。……これ、あいがと」
展開が急でついて行けない。だって、その物言いはなんだか、……なんだか。
「好きだって、言ってもらえてるみたいだ……」
「……好き、だと言ったつもりなんだが……流石に回りくどかったか……?」
顔中が熱くなる。次いで体中熱くなって、真冬だというのに汗ばんでしまいそうだ。
「なぁ、今まで何回、私宛に作った?」
「……今回含めて8回、くらい」
「7回分はお前の胃の中か?」
「もう跡形も残っちゃいないけどな」
緊張で上手く動いてくれない口で冗談めかしてそう言えば、ムッとした彼の腕が腰に回され引き寄せられる。
「……こん口に触れたや今までん分、全部食べたことになっか?」
あまりのことに目が回ってしまいそうだ。あわあわしながらも「そうはならないと思う」と必死になって返せば、彼の額が肩に乗せられ大きなため息とともに額を擦り付けられる。
「今までん分取り返そうと必死で……すまん」
謝罪を口にした彼の手が両肩に乗せられ、僅かに距離を取った彼の瞳に近距離で射抜かれた。何も言えず、熱い顔をそのままに彼の瞳を見つめ返すことしかできなくて。
「好きだ、月島。ずっと好きだった」
毎年伝えようとしていた言葉が、何故だか彼の声で紡がれている。現実なのかと太ももをつねるが、顔が引き攣るほどしっかりと痛かった。
「……こんチョコ、ほんのこておいが貰うてよかやつ?」
今の今まで状況を掻き乱しまくっていたくせに急に不安になったのか、眉尻を下げて探るような目を向けてくる。それがおかしくて、堪らず声を出して笑ってしまった。
「……あぁ。その為に作ってきたから」
照れ臭くて、何と言えば良いのかわからなくなってしまう。
顔を見合わせ、その言い様のない照れくささに笑って、らしくもなくもじもじして、言葉を探して、結局見付けられずに口を閉ざす。そんな不格好なこの瞬間がこんなにも幸せだなんて。
やっと彼に食べて貰えるチョコレートが、なんだか少し誇らしげに見えた。