補ロラが倉庫に閉じ込められる話 司書補はドアのハンドルに力を籠めることを、ついに諦めた。スライド式のなんの変哲もないドアがこんなに固く閉ざされてしまうなんて。
司書補は今閉じ込められているこの倉庫の次に、掃除用具置き場へ行くつもりだったのだ。そこへ運ぶための掃除用具を、この倉庫の外に立てかけたのを覚えている。きっとそれが知らないうちに倒れて、ドアにひっかかってしまったのだろう。
こうなれば、外を通った誰かに気づいてもらうまでじっとしているしかない。あるいは、一緒に閉じ込められている上司の力でどうにかするか。
少しだけ期待をこめて司書補が振り返ると、その上司――ローランの姿を五メートルほど離れた部屋の奥に見つけた。しかし、ローランは床に置いてあるビーズクッションの上でぐったりと横たわっているのだった。
「ローラン…。やっぱり開かないみたいです、このドア……」
「ん~…」
司書補が近づいても、ローランはクッションに横たわったまま動く様子はない。すっかり休息モードになってしまったようだった。
つい先ほどまで司書補たちは、新年を祝うパーティをしていた。総記の階のメンバーと、何名かの別の階の司書たちが集まって、いつもより豪華な食事と酒を楽しんだのだった。一年のうち今がどんな時期なのか分かりづらい図書館では、こういったイベントで季節感を忘れないようにしているのだ。
ローランは準備で料理を何品も作ったり、後片付けでは重いものを運んだりしていた。常人とはかけ離れている丈夫な体が疲れているかは分からないが、精神的にはきっと休みたいだろう。
とはいえ、こんな所で休まれるのは正直困る。誰かが置き場に困って持ってきたであろうビーズクッションはローランが占拠している一つしかない。他に休めそうな場所はないし、それに、ローランも自室で休んだ方が疲れも取れるだろう。
司書補はローランを見つめる。ローランは目を閉じたり、うっすら開けたり、寝る寸前のようにぼんやりしているようだった。その様子を見るのも面白いのだが、ぐっと堪えてローランの目線近くまでしゃがむ。
「起きてください。多分ローランの力ならここから出られると思います」
「んー」
「それで、自室で寝たほうがいいと思いますよ」
「う~」
「起きる気無いですね!?」
司書補は手を伸ばしてローランの肩に触れてみる。いつものスーツは広間に置いてきたのだろう。ワイシャツ越しに肩を掴むことが出来る。そのまま首を伝って、頬をぺちぺちと叩いてみる。しかし何も反応は無い。
もうどうすればいいか分からなくなってきた司書補は、思わず口を開く。
「起きないとキスしますよ!」
「……」
以前の司書補なら絶対に言わない言葉だった。恋人では無いのだから、ローランの唇は触れてはいけない領域だと弁えていたのだ。しかしローラン自身は特にそう思っていないことを、司書補は先日それとなく本人から教わったのだった。逆に、キスするのが結構好きらしいことを示唆され、司書補は思わず初めてローランに口づけてしてしまった。それを思い出すだけで鼓動が早まりそうになる。
今なら、もしかするともう一度あの瞬間が体験出来るかもしれない。ローランの様子を見ると、キスされそうなのにも関わらず、じっとしている。
これは同意と言うことで間違いないだろう。キスするなんてなんとなく言ってみただけだが、本当に許してもらえるなんて新年早々いいことがあるものだ。
司書補は身を乗り出して、ローランに近づく。覆いかぶさるようになってしまうが、体重をかけないように腕で支えながらその顔に近づく。目を瞑っているローランの顔を近くで見ると、苦労してそうな皺のほかに、案外可愛い顔をしているのが分かる。暗くて良く見えないが、恥ずかしさが勝る前に、司書補はその唇にちゅっと口づけた。
「……」
「……」
「ふ、フフ…」
「なんで笑うんですか!」
体を起こし、少し離れて、思わず笑っているローランを見る。恥ずかしさを堪えてキスをしたのに笑われるなんて。緊張しすぎて正直感覚が思い出せない。ローランは目を開けてニヤニヤしながら司書補を見つめている。
「キスする度胸は手に入れたみたいだけど、小鳥かなにかが一瞬だけ啄んできたようにしか思えなくてさ……」
「あ! バカにしてますね!」
恥ずかしさでだんだんとどうでも良くなってきた司書補は、もう一度ローランに近づいた。そして息を吸ってから口づける。
絶対さっきよりも長いキスをしてやる。そう思って口づけたのはいいものの、さっきよりも緊張が解れて感覚がはっきりしているせいか、唇に触れた瞬間が思ったより柔らかくて気持ちがいい。長いキスをしたかったのに、触れ合う瞬間をもう一度味わいたくて、僅かに口を離してみる。そしてもう一度、もう一度と繰り返し口づけた。
ちゅっちゅっと口づける音が部屋に響いている。気持ちが良くて夢のような瞬間だった。そして、唇がこんなに気持ちがいいのなら、口内はどうだろうと思わずにはいられなかった。一度勇気を出してしまえば意外となんとか出来る司書補は、ローランの唇を少し舐めてみる。拒絶されないようなので、そのまま舌を唇に割り入れる。少し強引だが、怒られたら謝る覚悟でローランの舌に触れる。
「ん…、ぁ…」
ローランは特に舌を絡ませて来ないものの、司書補の侵入を受け入れてくれるようだった。気分が良くて、その舌の裏側をそっと舐めてみる。それと同時にローランの体がびくっと跳ねるのが見えた。もっと深く味わいたい。司書補はたまらず腕の力を抜いて、ローランに覆いかぶさる。
「ろ…、らんっ……」
「ん、んっ…」
漏れ出る声の間に、舌が触れ合う水音が響く。二人分の体重が、ビーズクッションに深く沈んでいく。司書補は口づけながらも器用に手のひらでローランの手首を探して、ぎゅっと握りしめる。傍から見れば、貪っているようにも見えるかもしれない。ローランも気持ちが良くなってきたのか、ゆっくりと舌を絡ませてくれる。
最初はこんな風に深いキスをするはずではなかったのだが、いつの間にかお互い我慢が出来なくなってしまった。ローランと関わるときにはよくあることだったが、まさかキスでもそれが起こるなんて。
「ん、はぁ、はあっ……」
しばらく口内の生温かさを堪能してから口を離すと、ローランははぁはぁと呼吸を漏らした。司書補もだいぶ呼吸が苦しいが、身体的にもっと耐えられそうなローランがここまで乱れているのは心理的なものもあるのだろうか。
「ローラン…っ、気持ちよかったです……」
「ん~…」
ローランに覆いかぶさったまま司書補はそう告げる。体もそこはかとなく火照っている気がして、触れているだけで気持ちがいい。もはや事後のような気分で、司書補はなんとなく聞いてみる。
「ローランは気持ち良かったですか?」
「ん、まあ、俺は…。そもそも、その…」
「な、なんですか……?」
ローランは言い渋っているようだった。どうしても気になる司書補は、覆いかぶさったままローランの頬に自分の頬をそっと当て、頭をぐりぐりと押しつけた。
「わかったわかった」
「教えてくださいよ」
「うん、その、俺は酔うと誰かに抱き着いたりするし、下手するとキスしたりするらしいのもあって……元々こういうの好き…だし……」
「だからずっとキスされたかったんですね!」
司書補が言うとローランがやりかえすように頭をぶつけてきた。恥ずかしそうなのが可愛らしい。誰も寄せ付けない雰囲気も纏えるのに、本当は誰かと触れ合うのが好きなのだろう。
「まあ、今日は……。さっきのパーティで思ったより食事が足りなくて、飲むのも足りなくて、何か足りないなーって思ってたから、ちょうどいいし…?」
「ちょうどいいって……。いや待てよ、もしかして欲求不満をおれで解消してる!?」
「そういう言い方やめろよ…」
「いいじゃないですか」
その愛らしさにときめいて、司書補はもう一度キスしたくなる。むしろ、もっとその先のことをしたくなる。
司書補はローランの手首を掴む手を解き、ゆっくり上半身を起こす。ローランは相変わらず寝そべったままそれを見つめている。そのローランの胸元に司書補は手のひらを当てて、小さい声で聞いてみる。
「抱きしめたりキスしたりするのも好きだけど……、やっぱりこういうのも好きなんですよね?」
そして手のひらをゆっくり体のラインに沿わせ、腹から腰に移り、ズボン越しに下半身へ触ろうとする。
「あっ!」
「え!?」
突然ローランが起き上がる。その太ももに跨っていた司書補は、巻き込まれて床に吹き飛んだ。
「いてっ!」
頭を打たなくて良かった。司書補は床に転がったままローランを見ると、ローランは口を開いた。
「ここから出よう!」
「突然!?」
あれだけクッションの上から動かなかったローランがすんなりと立ちあがる。そして、床に転がった司書補へ特に手を差し伸べたりせず、隣を歩いて行ってしまう。
ローランはきっとそんな気分じゃなかったのだろう。そういうムードが始まったと思ってしまった司書補は少し残念に思いながらも、そういうこともあるかと一瞬で気を取り直した。
ゆっくり立ち上がって、クッションの位置を微調整した後、ローランの後を追った。
「開いたよ」
「解決が早すぎる」
司書補が追いつくころには、ローランは扉を力づくで開けた後だった。扉を開けて外を覗くと、ローランが扉を抉じ開ける力で無残にも折られた箒が転がっていた。これが引っかかっていたのだろう。感嘆の声を漏らしながら、司書補は扉を全開まで開けて、倉庫から外に出る。そしてその箒を拾って、まだ倉庫の中にいるローランに聞く。
「これも倉庫に置いておくしかないですね?」
倉庫の扉を開け放っているが、ローランはその陰にいるらしく姿が見えない。何も答えないのを不思議に思って、司書補は折れた箒を持ってまたその倉庫に足を踏み入れる。
「ローラ…ンっ!?」
突然、扉の裏からぐいっと体が引っ張られる。思わず手を離した箒がカランと音を立てて床に落ちた。
ローランに体を引っ張られたらしい。それがどこか抱き寄せられたようにも思えて、司書補の心臓は高鳴る。
「な、な、なんですか!?」
「んー…いや……」
ローランは司書補を引っ張った手のひらをパッと離す。そしてそれから、司書補の肩に手を置いて、小さな声で言った。
「あとで俺の部屋、来てもいいよ」
そしてローランは司書補を置いて倉庫の外へ歩いて行く。司書補は茫然としながら、しばらくその場に立っていた。何秒かして我に返った後、まず落とした箒につまづいて、慌ててその箒を拾った。そしてそれから「どうしよう~~!」と大きなひとり言を呟いた。