最小単位のパラダイムシフト「え! 山田と霞君って、お隣さんなんだ?」
「おう、そーだぞ……ってあれ、言ってなかったっけか?」
初耳だよう、と隣で目を丸くしているこいつは王城正人——毎週末開かれるカバディ練習会の、古株メンバーのひとりだ。俺がこの練習場に足を運ぶようになってからの短期間のうちに、最も意気投合した相手と言っていいだろう。練習前、更衣室でのちょっとした雑談の時間。ぶかぶかのTシャツの襟ぐりから頭を出して、正人は深く納得したように頷いた。
「そっかあ、なるほどね。いつもふたり一緒に来るとこ見かけてたから、すっごく仲良しなんだなーとは思ってたけど」
「バカ言え、べつに仲良かねーよ。隣に住んでんのに別々に出る方が不自然だろが」
「んー、それはそうかもだけど……でも、やっぱり仲良しでしょ」
そう言ってへらりと笑う正人を、しつけーなと肘で小突いてやった。この緩みきった笑顔を見ていると、プレー中は人格ごとそっくり入れ替わってるんじゃないかとまで思えてくるのだから、不思議な奴だ。人当たりはこの上なく良いのに、カバディに関しては度を越して負けず嫌いな面を見せる、おそろしくギャップのある男。それが王城正人に対する俺の印象だった。
「ってことはもしかして、結構長い付き合いなの? 霞君とは」
「だな。ガキの頃から知ってる」
「へえ。じゃあふたりは、幼馴染みってやつなんだね」
「……ああ? おさななじみィ?」
「なんで意外そうなのさ。子どもの頃からの友達のこと、そう呼ぶでしょ?」
「や、んなこたー知ってるけどよ……」
——幼馴染み? 俺と、冬居が? ただ知識として頭にあるだけだった単語が、突然自分ごととなって降りかかってきたことにこっそりと動揺する。しかし改めて考えてみれば確かに、俺たちはその言葉の定義にぴったり当てはまるのかもしれなかった。あいつはただの友達と呼ぶにはちょっと距離が近すぎるし、弟みたいな存在だけどもちろん本当の弟ではない。俺にとって冬居はずっと、「冬居」という存在でしかなかった。だから、もしこの間柄に一般的な名前を与えてやるとしたら、きっと「幼馴染み」以上に相応しいものはないのだろう——思ってもみなかった角度から新しい理解がすとんと落ちて、胸の奥に不思議と馴染んだ。
俺の中で急速に起こるアップデートをよそに、正人は着替えを進めつつもマイペースに話し続けていた。
「ちょっと羨ましいな、そういう関係。ちっちゃい頃からずっと仲いい友達っていないんだよねえ僕。小学校、途中で変わっちゃったし」
羨ましい、と言われてなんだかくすぐったい心地がした。冬居との関係を客観的な視点から捉えられるのは、今更だけれど少し居心地が悪い。知らず知らずのうちに重ねていた年月を突然目の前に積み上げられたような、そんな気分になってしまう。
「……ん? ちょっと待てよ正人。ここの奴らとお前、結構付き合い長いんじゃねーのか? なら幼馴染みって呼べなくもないだろ、仁とか銀とかさ」
俺の投げかけた疑問を受け、正人は顎に手を当ててうーんとひとつ唸った。
「確かに知り合って長いし、みんな大事な友達だけど……幼馴染みと思ったことはなかったかも。練習でしか会わないし、住んでるとこもずいぶん離れてるからねえ」
なるほどな、と今度はこちらが納得する番だった。俺が二軍に加わる以前の話は大まかに聞いていたから、古株の名前を挙げてはみたけれど——実のところ、正人の友達としていの一番に思い浮かぶのは、また別の人物なのだった。
キィ、と更衣室の扉が音を立てて開く。現れたのは、今まさに俺の頭の中に浮かんでいた顔だった。
「着替え終わったかー? 正人」
「あ、慶! だいじょぶ、もう行けるよ」
「んー、俺も一緒に出るわ」
三人連れ立って更衣室を後にする。俺ら一番乗りっぽいぞ正人、それじゃあいっぱい練習できるね、そういや先週試した技のことだけどさ……。先を歩く正人と慶が、カバディに関する話題を次々と軽快に、楽しげに交わす。そんなふたりの背中を後ろで眺めているうちに、ある考えがふと過った。子どもの頃から一緒にいる俺と冬居が、幼馴染みと呼ぶに相応しいほどの時間を過ごしたと言うのなら——このふたりだって、いつか大人になった頃に振り返ってみれば、そう呼べるようになっているんじゃないだろうか? 年月に伴って新しい呼び名がつくなんて、改めて考えてみてもなかなかどうして妙な心地がするけれど。
体育館はもうすぐそこというタイミングで、ぱたぱたと追いかけてくる足音が俺の耳に届く。振り返った先に見えるのは、見慣れた細っこいシルエット。ぱっと目が合うなりそいつの駆け足は更に加速して、俺のほうへとまっすぐに走り寄ってきた。飲み物を買いに出ていた冬居がすぐ目の前で立ち止まり、ふうと呼吸を整えている。——なあ冬居。俺たち、「幼馴染み」ってやつらしいぞ。知ってたか? なんて小っ恥ずかしい台詞は口にできるはずもなく、冬居の顔をまじまじとただ眺めた。とっくに見飽きたはずのツラが今日はやけに新鮮に映って、なんだかおかしな感じだ。
「駿君? なに、どうかした?」
下がり眉を更にきゅっと下げ、小首を傾げて冬居は困惑した様子を見せる。なんでもねーよと一言返してから、がばりと飛びつくように冬居の肩へ腕を回してやった。
「わわっ。ちょっと駿君、なんなのいきなり……」
「だからなんでもねえって」
「ぜったい嘘だよ、なんか企んでる時の顔してるもん」
「ばーか、なんも企んだりしてねえって。いーからさっさと練習始めんぞ、冬居!」
今度だれかにお前のことを尋ねられたら、その時はこう言おう——「冬居は俺の幼馴染みなんだ」って。「ほら、やっぱり仲良しじゃん」と前方から聞こえてきた声には、ひとまず知らんぷりを決め込むことにして。