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    ナンデ

    @nanigawa43

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    何でも許せる人向け 雑食壁打ち

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    ナンデ

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    ド兄

    かわいいね、バカで 大門くんは背が小さくて、頬がまあるくて、爪もサクラ色でさ、かわいいねえ。だなんて馬鹿の睦言を聞きすぎて、大門は知らないうちに自分のことを「かわいいねえ」の言葉に値する生物だと思い込んでしまった。と、それを自覚したのは弟と行った小さなラーメン屋のお手洗いで、というのもカウンター席しかないこの店のお手洗いは男女兼用で、手洗いのための水道も鏡も便器に座って届くというレベルのささやかさなのだ。大門はそこでズボンを下げ、パンツを下げ、座って用足しをしながら自分の顔が鏡にうつるのをぼんやり見ていた。二分もかからない間、自分の顔を眺め、排尿をすませ、さてさてと水を流し手を洗い扉を開けた時、順番待ちをしていたらしい若い女性が立っていた。「あ」と思った。勘違いに気がついた。女性の髪は濃い茶色で、バレッタで後ろにまとめられている。肌はしっとりとした質感が曲線を描き、まぶたと頬とがつやつやと光っている。爪はサクラ色だった。比喩ではなくて、サクラ色に塗られ桜の花を模した飾りが貼られていたのだ。正真正銘のサクラ色の爪だった。
     大門は席に戻ってから、弟にバレないように自分の爪を観察した。サクラ色などではなかった。くすんだピンクベージュに爪半月が大きくかかり、爪先はところどころ欠けていた。爪の間に何か汚れが詰まっているのを見つけ、急に恥ずかしくなって、テーブルの下に手を隠し、かりかりと爪の中を引っ掻いて取ろうとした。そのうちラーメンがテーブルに運ばれたが、箸を持つ手がガサガサに荒れていて指はささくれが目立つことや、手の甲の産毛などが気になって味など分からなかった。弟はしきりに美味しいねと声をかけてきていたが。
     女性の顔が頭から離れなかった。これで大門に自覚がなかったならば……あの男に情があるという、悔しさを飲み込んでなかったのなら、一目惚れだと勘違いできただろう。でも実際のところ、大門は月に一度あるかないかの約束の日に、ベッドの上で子猫のように撫でられて前髪をかきあげられ、額にキスをされることを幸せなことだと感じているので若い女性に抱いたのは敗北感であった。
    「大門くんはかわいいねえ」
     脳の中でガンガンとドブの甘ったるい声が響いている。頼んだギョーザを噛んだら油が飛んで服を汚した。ヨレヨレのTシャツと気に入って何年も着ている蛍光ピンクのパーカー。
     女性は恋人なのだろう、痩せて髪をワックスで立てた男と着ていて、大門はくすりと笑いながら「男の趣味では勝ってる」だなんて思った自分がどうしようもなく惨めになった。いや負けてる。あの彼氏に男としては断然負けてる。勝負すべきは冴えない男を連れた、可愛らしい格好で壁も椅子もテーブルもべたべたのラーメン屋にデートに来ている女のほうにではなくて、こんなラーメン屋にでもニコニコしながら一緒に来てくれる美人の彼女持ちの男のほうにだろうが、と舌打ちをしてみる。弟がびくりと肩を震わせた。
    「何?おいしくない?」
    「いや、うまいよ」
     だけど麺を啜りながら考えているのは、ドブの裸体だ。腹筋を人差し指の腹でなぞるあの幸福の朝だ。けらけらと笑い声をあげて、自分たちの関係がさっぱりとした、利害によって出来ているだけの乾いた間柄だとふたりして信じている滑稽さを、コンドームに出して捨てる瞬間だ。キスをする唇の固さ、口内の温かさ。同じベッドで掛け布団を取りあってじゃれる、心地良さ。
     結局、ギョーザの残りは弟に食べさせてラーメンもすこし残した。体調が悪いのと心配する弟になんでもないと言い、寄るところがあるからと先に家に帰らせた。寄るところがあるのは本当だ。さっきできた。ドブの家だ。
     ドブが居ても居なくても構わない。合鍵もあるし、何度も勝手に上がり込んだこともある。とは言えいつもはドブの女と鉢合わせにならないように連絡ぐらいはいれるのだが、今日ばかりはそれも億劫で、むしろ会わせてくれ、化粧を落として汗かくまで喘いでブスになった彼女を見せて、なお自分のほうが負けていると知らしめてくれと祈るようにしながら、扉を開けた。女はいなかった。ドブが火のついてない煙草をくわえ、尻をかきながら気だるそうに出迎えた。
    「なに、大門くん」
    「なにって……」
    「いや、マジで何?なんかあった?」
    「何もねえけど」
    「はあ?はあ、何、どうしちゃったわけ」
     ドブの声はベッドの中での甘さとは程遠く、大門はなぜかショックを受けた。受ける必要もないし、ここで甘やかされる関係性でもないはずなのに。
     ドブは大門が玄関から進まないのを、不思議に思ったのだろう。額に手をかけた。前髪をかきあげて、顔を近付ける。
    「熱でもあんの?」
     煙草の臭いと香水みたいな柔軟剤の強い香りがむわりと大門を襲ってくる。大門は息を止めようとして失敗して、ドブを突き飛ばした。思い切り。
    「はっ?はあ?」
     困惑する声に、それもそうだと思った。大門だって、こんなことしたくなかった。しゃがみこんで、ドブの靴の上にげえげえ吐いた。靴はたちまち吐瀉物で汚れ、ドブは悲鳴があげる。大門はげえげえ、げえげえ、吐きながら自分が「かわいいねえ」の生き物じゃないことを思い出している。ラーメン屋の女性とも、ドブの女たちとも違う、チビの、最近ふくよかになってきた、ただの中年男なのだという事実を飲み込んでいく。
    「おい、大丈夫かよ……」
     ドブが困り果てて、大門を見下ろしている。大門はまだ吐いている。
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