貴方の為に生まれた、これは運命 生まれは変えられない。ルノーは自分の生まれた家柄にも、立場にも何の不満も有りはしなかったが、それでも自分の生まれからくる宿命と憧れからくる仄かな夢とを天秤にかけて、夢を諦めたことがある。
「ルノー、ありがとう。俺を信じてくれて……」
戴冠式が終わって、夜。熱気の冷めない城下町と違って、グランコリヌの城にあるアレインの部屋にはしんとした夜の空気が満ち満ちていた。ルノーはベッドに腰掛けるアレインの頂きに窓から差し込む月明かりが反射して、天然の王冠のような煌めく輪があるのを、立ち尽くしたまま、見ていた。
「アレイン陛下……」
アレインの部屋、とは、呼ばれの通り、彼の自室であった。急遽運び込まれたキングサイズの天蓋付きのベッド以外は、アレインがこの城から去った日のまま、子どもサイズの椅子や、勉強机などが放置されていた。埃は、積もってなかったのだと言う。何も減ったり、増えたりしても居なかったらしい。それはガレリウスの中にいたイレニアが、存在を奪われて尚、最愛の息子の帰る場所を護り続けたのか、それともガレリウスがグランコリヌ城自体にはなんの執着もなく、維持を侍女たちに任せきりにしていたのか。今となっては、もう知る術もない。ガレリウスはアレインが討ち倒し、その過程でイレニアは魂だけではなく、姿形をもこの世から失くした。
アレインは王の冠を戴きながら、その事実を受け止めきれていないように、ルノーは思う。当たり前なのだ。一番救いたかった人を、その手で斬った。正義の剣と信じて、母を手にかけた……。
「ルノー、少し傍に居てくれないか」
アレインがルノーを呼ぶ。ルノーは頷く。傍に寄り、目の前に跪いた。
「ルノー……」
アレインがルノーの頭に手を掛けて、頬を寄せた。母が幼い子にするように、優しい力で頭を抱いて、ルノーはアレインの纏う香りが鼻先をくすぐるのを感じながら、きっとイレニア女王はこうやって我が子を抱き、撫で、愛したのだろうと考えている。
「俺を信じて欲しい……これからも、ずっと……」
ルノーはアレインの手を優しく解き、その目が涙に濡れているのを見て、眉を下げた。城を追い出された王子が、在るべき場所に戻ってきた。それはアレインが彼の生まれた時から背負っている宿命に真摯に向き合い続けてきた証明でもある。彼は宿命から逃げない。この城の王になる為に生まれてきた子どもは、遠回りをして、それでもこの城の王になる。決まり事のように、粛々と。逃れられない枷のように重く、或いは加護や祝福のように優しくそこに在り続ける、宿命。
ルノーはアレインをベッドに押し倒し、その上に折り重なって、彼の頬に優しいキスをする。アレインは心配そうに口を尖らせてルノーの唇が頬を撫でるのを、髪を探るのを、首筋をくすぐるのを黙って受け入れている。
「……陛下、私は幼い頃、騎士になりたかったのです」
月明かりがルノーの顔を照らす。泣いているのが、バレただろうか。ルノーは鼻をすんと鳴らして、またアレインの身体に顔を擦り付ける。
「私は領主の元に生まれた……一人息子でしたので、それは叶わぬ夢でした。騎士であることは出来ますが、城仕えの騎士になることは出来ません。私は国の為に槍をふるいながら、私の守るべき領地の民たちが飢えないことを第一に考えなければならなかった」
アレインはされるがままになっている。
「ジョセフ殿が、私の憧れでした。年若い頃の青い夢です。私の生まれを考えれば、彼に憧れること……それ自体が儚い夢です」
「ルノー……」
「アレイン陛下、どうぞこのルノーに此度の活躍に対する褒美を下さいませんか。私のかつての夢を叶えて下さい。王を護る、騎士になれと。生涯、王の隣を離れるなかれと、私の……私の……私の願いを叶えては頂けませんか……」
ルノーの髪が、アレインの顔に落ちて、それは夜の色の優しい雨だった。アレインは愛しい男に包まれて、陛下と呼ばれながら、子どものようにあやされていた。
ルノーの目は爛々と光っている。月よりも明るく、夜よりも静かに、炎のように燃え、波よりも激しく、或いは凪いでいた。アレインはほろほろと泣きながら「ああ」と返事をした。
「貴方の言う通りに。何もかも、望むものを与えるよ、ルノー」
今夜、ルノーは生まれに背を向けた。悪に翻弄され、操られ、生き様を歪められたからではない。愛した民草に石を投げられ、疎まれたからでもない。月夜に隠れ、ルノーの腕の中で泣く、この優しく、強い、愛する人の行く道を共に生きるためにだ。