大当たりをもう一度 持たされていたスマートフォンは部屋に置いてきた。中学の入学祝いに買ってもらったもので、6年間大事に使い続けたが、とうとう卒業までアドレス帳には2人しか登録がないままだった。
『……獪岳?』
電話口には、善逸が出た。そうなるように、慈悟郎の居ない時間に、狙って掛けている。
「電話の取り方も忘れたかよ、カス」
『公衆電話からかけてくるのなんて、獪岳だけだよ』
「そぉかよ」
『今爺ちゃん居ないよ、ねえ、獪岳……?元気してるの?爺ちゃんも声、聞きたがってるよ』
元弟弟子の、泣きそうな声に獪岳はふんと鼻を鳴らす。手元にはしわくちゃになったメモ用紙と数枚の十円玉。メモ用紙は子どもの頃、自分を引き取った桑島が何かあった時のために……と持たせた桑島家の電話番号が彼の達筆な字で書き付けられたもので、獪岳はこれを言い付け通りに大事にしていた。小学生の時はランドセルのポケットの一番奥深くに入れて、中学に上がってからは財布の中に、高校生になってからはスマートフォンのケースの中に隠すみたいにして、ずっと、ずっと。
『獪岳、聞いてる?ねえ、本当に……どこに居んの?たまには帰ってきなよ、お正月とかさ』
「時間が空いたらな」
『お正月だよ、空いてないわけないでしょ。家族に会いにくるくらい出来るじゃん。勝手に大学決めてさ、奨学金も……ね、爺ちゃんとさ、獪岳が帰ってきたらお寿司取ろうって話してるんだけど……』
「寿司ぃ?」
『だって、まだお祝いしてないじゃん。獪岳、さっさと黙って引っ越してさ。爺ちゃんもびっくりしてたよ。住所も全然、教えてくんないし……保証人とか、どうしてんの?危ないこと、してない?ご飯とか……ちゃんと食べてんのかよ……』
カシャン、と十円玉を追加する。善逸の鼻を啜る音が微かに聞こえて、獪岳はほんの、ほんの少しだけ、良い気分になる。善逸は覚えてないけれど、桑島も覚えて、ないけれど、前に獪岳が勝手に黙って彼等の元を離れた時、善逸は怒った。
『ねえっ、聞いてる?心配してんだよ……』
桑島は、腹を切った。
「あー……」
獪岳は、公衆電話ボックスの透明な壁にもたれかかって、善逸の声を聞いている。桑島の声は聞きたくない。本当の祖父になってしまった彼は、前と同じように、本当にそっくりそのまま、同じように、獪岳と善逸を育てて、獪岳は彼の元を離れて、そうして今度は、もう腹を切ってはくれないのだ。
「なあ、善逸」
『なに?』
「お前の大事な爺ちゃんはさ、俺の為に腹切ったんだ」
『は?』
「くくっ……お前に言わずに、腹切ったんだよ。羽織りはお前にも渡してやがったが、あの人に死に装束着させてよ、腹切らせたのは俺だけだ!」
『なに、どうしたの、どういう……』
「ははっ、あは……は、はは……ざまあみろ……」
ガシャン、と受話器を置いた。そのまましゃがんで、大事な、大事なメモ用紙を抱いて、透明な箱の中で、都会の喧噪に紛れて、また何の特別な人間にもなれない人生を、同じように繰り返してる。
「鬼になりたい……」
賭け事は、今はもうしていない。あの夜の恐怖を、待ち続けているのだ。今度こそ、今度こそと願っている。何にもなれないまま、何になりたいかもまた分からずに、生きて、生きて、生きて、今度こそ、今度こそ、今度こそ。
手の中のメモ用紙は、カサリともいわない。