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    ナンデ

    @nanigawa43

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    何でも許せる人向け 雑食壁打ち

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    ナンデ

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    「兄ちゃんが許せないのは悪じゃなくて自分自身じゃないの」
    大門兄弟について 弟の独白風小話

    悪を許せない、俺を許さないで 兄との面会は、行く時よりも会って話している間よりも、自分の部屋に帰り着いてからのほうが疲れる。五度目の面会の後、幸志郎はその事に気が付いて部屋の扉の前で立ち尽くしてしまった。鍵を開け、玄関で靴を脱ぐのが疲れる。電気をつけて手を洗い、うがいをするのが疲れる。シャツとスラックスを脱ぎ、部屋着に着替えるのも疲れるし、コンビニで買ってきたチルドのカツ丼を温めるために電子レンジのボタンを押すのも疲れる。
    『幸志郎、ごめん』
     透明な境界線の向こう、たびたび面会に現れ明るい声を出す弟を見て兄のほうは励まされるどころか、いたたまれなくなってしまったらしい。ぽつりぽつりと自らの、今までの行いと、弟を押さえ付けて兄に成ろう、成り続けようとしてきたことへの自覚とをこぼした彼に、幸志郎は頷く以外何ができたろう。
    「兄ちゃんは悪くないよ……」
     と、言ってはみたものの、兄はそれを一笑に付して、こう返した。
    『違うよ、幸志郎。悪いからここにいるんだよ』
     とんだブラックジョークだ。いや、ただの本心か。黙ってしまった幸志郎に『兄ちゃんは間違ってたけど、間違ってない……』と追い討ちをかけて、この日の面会は終わった。
    「兄ちゃんは悪くない……」
     今、一人になって、リュックの中に手を突っ込んで自宅の鍵を探しながら幸志郎はもう一度呟いてみる。兄ちゃんは悪くない。職場ではなく、「やまびこ」のカウンター席でほろ酔いの小戸川から聞いたあしながおじさんは多分ドブにもヤノにも関係している。それを聞けないのは、幸志郎が弟だからだ。あの日からずっと遺産をめぐる人と日々からなる雑事の煩わしさや、両親の死への感傷にくずおれた自分、面倒を見てくれることになった老祖母への気遣いを、片割れに背負わせていたのは紛れもなく、自分だからだ。
    『兄ちゃん、どうしよう』
     積み重なった日々で、肝心なところで、幸志郎は何度も兄に声をかけた。歳をとり、子どもの頃ほどの万能感を兄に感じなくなっても、スマートフォンで調べれば良い事も、職場の同僚に訊ねてみれば良かった事も、皆兄に聞いてきた。幼いころ、夕方のアニメを見終わって腹の虫の音を聞き、台所の母に聞いた、「今日のごはんはなあに?」の相手を兄に変えて、繰り返し繰り返ししてきた。
    (兄ちゃんが弟だったら、ちょうど良かったのかも)
     考えて見て、そんなことはないか、とすぐに思い直す。玄関は狭く、変わらずシンとしていて、独り身の寂しさを感じ入るのはこういう時だと柄にもなく落ち込む。
    (何が『ごめん』なんだろう。俺たちはもう、三十越えているんだぞ)
     シャワーを浴びようと服を脱ぎ捨て、コックを捻る。汗をかいて湿っていた髪が濡れていく。
    (『正義』をさ、子どもの頃の意味のままで使ってんのは、俺じゃない。兄ちゃんだろ)
     兄に言いたかったことが、兄を前に言えなかったことが、髪から落ちる水滴につられてぼとぼとと足元に溜まって渦巻き、排水溝に流れていく。これは前回も前々回も同じで、その前も、その前も同じで、だから多分次も同じように、後から言いたいことが溢れ出て、流れ落ちてくるのだろう。幸志郎はこの想いの洪水に疲れている。耐えられ、ない。
    『俺、悪い兄ちゃんだったよなあ』
     自戒のつもりか、謝罪のつもりか、笑って言った兄の横面を叶うことなら張り飛ばしたかった。
    『お前はさ、本当は頭がいいんだよ。人ともうまくやっていける。俺がお前に敵うのは五分早く産まれて来たってことだけだった、ずっと』
     物分りの良い少年のようにまぶたを瞑り、祈るようにして差し出された本音に「……そんなことないよ」としか言えなかった自分を、思い出すとイライラした。せめてこの場で悪態をつこうとして口を開け、何も言葉が出ないので泣きたくなる。
    『お前に馬鹿でいてもらわなきゃいけなかった。俺が馬鹿だから』
     泣いたら、もっと疲れる。分かっているのに涙がでてくる。のどの奥がぎゅうっと痛くなって、鼻水が垂れてくる。座り込んでシャワーの雨に当たっていると、怒りがわいてくる。兄ちゃんの知ったかぶりしたがるところ、直したほうがいいと思うって次こそ言おうと拳を握る。
    『でも兄ちゃんは間違ってるけど、間違ってなかった。ごめんな、幸志郎。兄ちゃんは悪だ。お前の言う通りだ』
    「兄ちゃんは悪くないよ……」
     立ち上がって、リンスインシャンプーのボトルから片手たっぷりに液を出し、乱暴に頭を掻き回す。どうせ泣くならその間も手を動かしておいたほうが、寝る時間が増える。明日も仕事なのだから、ようよううまくやらなくちゃ。
    「兄ちゃんは悪くない」
     言いながら、心の隅で兄が笑う。いや、悪いでしょ。ゼンゼン、悪でしょ。ハンザイシャだよ。警察官として、アルマジキだよ。悪だよ。脳内で笑っている兄が、やがて兄の顔をした自分になる。今度は自分が言う。大門堅志郎は悪だよ。犯罪者だよ。警察官として有るまじき、悪だよ。でも兄ちゃんは悪いの。本当に兄ちゃんは悪なの。ねえ、悪ってそんなに分かりやすいものじゃないでしょう。
     幸志郎だって、警察官だ。犯罪を見てきた。加害者と話した。悪を取り締まる仕事に奔走していれば、数年で悪と正義が分かたれることなんてないと身に染みる。病気の娘を病院に連れていこうとして、老婆を轢いた若い父親。深夜2時の駅前でたむろする中学生たちの家庭。歩道に乗り上げて、塀にぶつかってにっちもさっちも行かなくなった車の運転席には自分の息子のことも忘れてしまった老婆が座っていた。悪は悪いか?正義は正しいか?
     ハロウィーンやクリスマスに街に警備に出かけると、善なる全うな人達が浮かれてゴミを道端に捨てる。兄は「虚しくなんねえのかな」と揶揄したが、幸志郎は「悲しいな」と思っていた。捨てたゴミの半分も、拾わない愛すべき市民たちに、疲れて恨んで嫌いになって、一通りの片思いをし尽くしたら、ようやっと一人前の警察官になれる。清濁併せ呑んで、それでも出勤するのはやっぱり正義が正しくて、悪は悪いからなのだ。
    「でも俺だって、悪いやつじゃん。兄ちゃんが苦しんでたことも分かんなかったし、今だって兄ちゃんのことこれっぽっちも理解できないし、腹立ててるし、面倒くさいって理由でコンビニ飯ばっかだし、部屋汚いし」
     悪って悪いけど、分かりやすく出来てはいない。病気の娘のために半泣きで車を走らせたことと、老婆を轢いたことは別。家では飲んだくれの父が暴れているから帰れないっていうのと、中学生なのに深夜二時にコンビニで酒を買おうとするのは別。罪と人は同一じゃない。同一じゃないから取り締まって裁いて、改心を目指す。
    「兄ちゃんだけが悪じゃない」
     濡れた髪をタオルで拭いて、パンツだけはいて冷蔵庫からビールを取り出して、一気に煽った。疲れた身体にアルコールがじわじわ染みて、カツ丼をフィルムを剥きながら「ちょっと多いな」と舌打ちをする。それから鼻で笑う、自分を。
    「でも良いやつでもないよ、兄ちゃんってさ」
     悪いからここにいるんだ、俺も。レンジで温め過ぎたカツ丼はぼそぼそして、カチカチで、ビールはとっくになくて。コップに注いだ水道水をのんだらカルキ臭かった。ささやかな罰だと思うと、心地が良かった。
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