雪が溶けたら何になる?溶けた雪になる、グスン 素敵だ、と思った。眩しいな、と思った。ずっと傍にいて欲しい、と思った。でもお母さんだったらいいのにとは違うな、とも思った。だから恋なのかもしれない、と悩んだ。諦めた。恋なんだと決めて、勝手に傷ついて、耐えきれなくなった。片思いの話としてはありきたりで、ドラマだったら古臭いと笑われるかもしれない、でもキバナにとっては劇的で、ドラマチックで、辛くて、甘くて、やめたくて、やめたくなくて……。
「そんなに砂糖を入れたら、甘すぎて飲めないんじゃないですか」
細いスティックシュガーの紙袋の端っこを、ちぎっては中身をカップの中に捨てる。キバナはいつもと同じようにへらりと笑って、勝手に向かいの席に座ったマクワにソーサーごとカップを押し付けた。
「いりませんよ、うわ、すごい量。もったいないな、何してるんですか、もう」
言いながら、スプーンでコーヒーをかき混ぜかき混ぜ、溶けきらない砂糖に顔をしかめるマクワのことを、キバナは良い男だなと思う。優しくてよく気がつく、友達思いの良い男。
「飲まなくていいぜ。返して」
「いや、いいですよ。ちょうど甘いのが欲しかったところですし、喉もかわいてますから」
さっきまで飲めたものじゃないとぶつくさ言っていたのに、キバナが飲むと言い出すと途端に手のひらを返す。マクワは良い男、良い奴、良い子だ。
「……何かありましたか、その……母と」
「うーん、マクワ、びっくりしちゃうからなあ」
「しませんよ、母とぼくは別の人間ですし……ぼくとあなたは同期で、同業者で、友達でしょ」
「んー」
テラス席にはキバナとマクワの他は誰も座っていない。当たり前だ、11月のこんなに寒い日に好き好んで外でコーヒータイムと洒落むわけがない。キバナだって、普段ならしない。暖房の効いた店内でコーヒーとオペラなんぞを食みながら、ゆったり午後の一時を過ごすことはあっても、誰がこんな寒い中、砂糖塗れのコーヒーなんぞを好きで飲むものか。
「母にキツいこと言われたんじゃないですか」
「キツいかキツくないかで言われりゃ、キツいけど。でもマクワの考えてるようなのとは違うしなあ」
「そんなにぼくに気を遣わなくてもいいんですよ。吐き出して楽になってもいいんです」
「あ、そぅ……」
気の抜けた声が出た。聖母の如き慈愛の笑みを浮かべる友人が、彼の母親にそっくりだったからだ。げに恐ろしきは遺伝子かな、そう言えばなんだかんだで世話焼き気質なところもよく似てる。男の子は女親に似るとはよく言ったもので。
「じゃ、言うけど。先に言っとくな。別にマクワのお父さんにどうこうって気持ち、一切ないし、申し訳ない気持ちもずっとあったし」
「はい?はい……」
「あと謝っとくよ。ごめん。オレ、メロンさんに告った。んでフラれた。玉砕だった」
「はい……はい!?」
「ほらぁ、びっくりしたろー」
「しましたけど!えっ?」
マクワの大声が届いたのか、店内のウェイトレスがこちらを見ている。ちょうど良いので手を上げて呼び、追加注文をいくつか。それから山になっているスティックシュガーの袋の分、お詫びのチップも何枚か。
「あ、それ飲まないでくれよ。ちゃんとコーヒーは頼んだから」
「いや、もったいないので……」
「アイス頼んだから。冷めちゃったけどアフォガートにしようぜ」
「こんなに寒いのに!」
「オツだろ?」
ケタケタ笑っていたら、ふいに頬を涙が伝った。マクワは驚いてハンカチをぐいぐい押し付ける。当のキバナはというとくすぐったそうにハンカチを顔で受けながら「気にしないでくれよ」と言う。これは本当の気持ち。
「ごめんな、怖いよな。友達だと思ってたやつがさ、自分の母親に懸想してたなんて、しかも告白とかもして。はは、サイアクだよな」
「最悪って言ってほしくて、煽るのやめてくださいよ。ていうか、友達が自分の母親を好きだったことより、自分の母親に告白してフラれて泣いてることに、狼狽えてるんです、ぼくは!」
「お前良い奴だよなあ……」
キバナはハンカチを受け取って、えぐえぐしゃくり上げながら、心配してくれる友達の顔を見る。眉を下げて、申し訳無さそうに目をうるませて、本当に彼の母親に似てる。彼女もキバナの想いにお断りを告げる時、そういう顔をしていた。頬に手をあてて、首を傾げて「申し訳ないんだけどねえ」と、キバナを出来るだけ傷つけまいと言葉を選んで。
「オレさぁ……ずっと……メロンさん……ずっ、ず、す……すきでさっ……マクワは友達だし……メロンさんっだ、旦那さんとラブラブだしっ……こんな……こんな……おかしいって……思ってたんだけどさあ……」
キバナが顔を真っ赤にして泣きはじめたら、マクワはむしろ落ち着いて、椅子に座り直し、時々ウンウンと相槌をうって聞いてくれる。母親にそっくり。母親とそっくり。当たり前か。あの人に育てられた子だもの。あの人の息子だもんな。
「ど、どうにかなりたいわけじゃなかっ……でも……オレっ、おれさまっ……あっ……キツくてッ……だ、ダンデも負けちゃうしぃ……」
「そうですね、びっくりしましたね」
「だ、だんで負けちゃうと、思わないじゃん〜……!」
「思わなかったですよね。本当にね。辛かったですよね」
「おぇ、お、おれ、だんでに、負けてほしかったんじゃなくてぇ……おれっ、おれ……だんで、勝ちたくてぇ……」
「うんうん」
コーヒーとアイスを運んできたウェイトレスが目を丸くして、それから何事もなかったかのように黙って店内に戻ってくれた。道行く人も子どもみたいにわあわあ泣くトップジムリーダーを一瞥しても、立ち止まって冷やかしたりはしない。マクワはアツアツのコーヒーをアイスにかけてキバナに渡し、自分はアイスと、アツアツのまだ苦いコーヒーと、すっかり冷めた甘すぎるコーヒーとを順番に腹に収めていく。キバナは冬のアフォガートに「さむいぃ……」とまた泣いた。そりゃそうだ。
「……だから、告白、して……告白しよってなって……でもやっぱりメロンさんがいいよって言うわけないから、分かってたんだけど、いいよって言われたら、オレ嫌なんだけど、でも……」
「悲しいですね」
「そ……悲しくて……」
泣きすぎて、高い鼻先のてっぺんが赤くなってる。マクワはかわいそうなこの友達の話を聞いてあげながら、今日の夜は暖かくてきれいな店の美味しいものを食べに連れていこうと考えている。悲しい時は温かくて美味しいものを食べるべきだ。こんな風の冷たいテラス席なんかで、アイスを食べてる場合じゃないのだ。
「悲しくて……ぐすっ……」
「うん、うん」
「マクワ……ごめんな……」
「なんでですか?」
「……なんか、ぜんぶ」
「なんですか、それ。おかしなキバナさん」
マクワが吹き出したら、キバナも少しだけ笑った。マクワはコーヒーカップを傾けて、中身を飲み下す。砂糖のどろりとした感触も、残ったアイスとコーヒーを口に入れたら直に消えてしまった。