ゆいあき同棲ネタ※由比大学3年生、明大学2年生くらいを想像して書いてます
※ふんわりした設定で書いたのでふんわりした気持ちでお読みください
「あれっ?」
暮らし始めて二年経った1LDKの見慣れたキッチン。お風呂上がりに飲み物を取ろうと冷蔵庫に向かい、何気なくシンクに目をやった瞬間視界に飛び込んだ光景に思わず声が漏れた。
ちょうどシンクの向こう側、カウンター越しのダイニングテーブルで夕飯を食べていた彼──恋人の猫屋敷由比に、驚きのまま声をかける。
「猫ちゃん、全部食べちゃったの!?」
俺の言葉を受けた彼はちょうど今晩の献立だった肉じゃがの最後のひとくちを口に運んでいるところで、俺が言い終わるのと猫ちゃんの口が閉じるのはほぼ同時だった。
むぐ、と閉じた口のまま、綺麗な姿勢と正しいフォームで箸を持つ手がぴたりと固まる。無言で見つめ合う俺たちの間に流れるしばしの静寂。しかしもう口に入ってしまったものを(ましてやとっくに胃の中に収められているものも)戻す訳にもいかず、ついでに口に物を含んだまま話すのは彼の信条に反するため、たいそう気まずそうにその口が咀嚼を再開した。
もぐもぐもぐもぐ、ごくん。
「…………すまん」
たっぷり時間をかけて返ってきたのはそんな言葉で、俺もいよいよ耐えきれずフハッと吹き出してしまった。
「いいのよ、別に怒ってるわけじゃないし。ただ結構な量作っておいたつもりだったから明日の朝ごはんにしようかな〜とか思ってただけよ」
言いながらシンクに置かれた空っぽの鍋に水だけ張っておく。
お風呂に入る前までここに入っていた肉じゃがは、確か四人前の材料を使って作っていたはずだ。俺は先に食べちゃっていたけど、少なくとも三人前は残っていたはず。二年の同棲を経ておそらく彼は一人前以上は食べるとまでは想定していたんだが、まさか三人前いくとは。
「今日サークルだったもんねぇ。体動かしたからお腹空いてたのかな」
一人納得しながらコップにお水を注いで、彼の座るダイニングテーブルに向かう。
心持ちしょんぼりしながらも食事を再開している猫ちゃんのお皿はほとんど空で、おそらく山ほど盛られていたであろう白米も残すところあと一口といったところだった。
「すまん、置いてあったから全部いいのかと思って……」
「大丈夫だって!明日の朝はパンにしようね。それより、今日はサークルどうだった?」
「あぁ、今日は参加人数が多かったから久しぶりに試合ができてな」
「そっか。猫ちゃんのチームは?勝った?」
「勝ったぞ!一年になかなか筋のいい奴がいてな。同じチームだったんだが、後半から俺のパスを読んで先回りしてくれて随分やりやすかった。試しにゴール前でパスを出したんだが……」
生き生きした顔で今日の出来事を話してくれる猫ちゃんの向かい側に腰を下ろしながら、俺も自然と目元が緩むのを感じた。
猫ちゃんは大学に入って、サッカーサークルに所属するようになった。
といっても活動は週一回、時間が合うメンバーだけが集まって、ミニゲームをしたりただパス練習をしたり…と、あくまでゆるくサッカーを楽しみましょう、という大学のサークルらしい気楽な活動内容ではあるが。そんなゆるさもあって、猫ちゃんはあくまで趣味の一環程度、足の調子が悪い時は参加しない、という約束のもと活動に勤しんでいる。
高校時代、ずっとサッカーを話題に出さなかった猫ちゃんが、今こうして再び大好きなサッカーを楽しめていることが、俺はたまらなく嬉しい。
本人曰く高校時代も避けていたつもりはなかったそうだが、今思い返せばまだ気持ちの整理がついていなかったんだろう。俺をはじめ周りのメンバーもそこら辺は暗黙の了解として意識的に触れないようにしていたし、誰かが発破をかけたり克服させようと動いた訳ではない。だからこそ誰に助けられた訳でもなく、自分の精神力と時間の力だけで自らの辛い過去を克服した猫ちゃんはやっぱり強いなとつくづく感じる。
今じゃシーズンになるとテレビにかじりついて試合を観てるし、時々は一緒にスタジアムにも行くようになった。俺はスポーツ観戦デートとか密かに憧れてたから、そういう意味でも結構嬉しかったりする。
「……という感じで、かなり白熱してな。おかげで予定より時間が押してしまって、帰りも遅くなってすまなかった」
「ぜーんぜん!楽しめたのなら良かった」
にーっと笑いながら、綺麗に完食した猫ちゃんがパチリと両手を合わせたので、俺も無言でペコリと会釈。ご馳走様でした、お粗末様でした、のサイレントバージョンだ。
今日は元から俺が料理当番だったし、いつもなら猫ちゃんの帰宅時間に合わせて一緒に食べるのを『遅くなるから先に食べていいぞ』なんて連絡を受けたからお言葉に甘えただけで、猫ちゃんに謝られることは一つもない。ちょうど俺が食べ終わった頃に帰ってきた猫ちゃんに、「お鍋に肉じゃが入ってるからあっためて食べてね」と言い残してお風呂に入って、帰ってきたら鍋が空になっていたというだけのことである。
「しかし本当によく食べるねぇ。もしかしなくても、炊飯器のご飯も……」
「……すまん」
「ふふっ、だよね」
もう一度気まずそうにした猫ちゃんに肩をすくめて笑いつつ、これは何となく予想していたので俺も特に驚かなかった。(俺からしたら二食分ほど残っていたが、猫ちゃんはとにかくお米の消費量が多いのでそんな気はしていた)
「猫ちゃんのおばあちゃんがいつもお米送ってくれる理由が分かったよ。いつも本当ありがたいよね」
「それはそうだな。……まぁ、『由比が半分以上消費するだろうから、これくらいは送ってあげないと』と言っていたが」
「昔からこんなに食べるの?」
「いや、むしろだいぶ減った方だが」
「あ、そう……」
これで減ったのなら最盛期はどんだけ食べてたんだろう。中学校時代の食べ盛りのサッカー少年を育てていた猫ちゃん家の苦労を想像して、俺は内心静かに平伏した。本当に、ご苦労様である。
「……いや、でも、最近また量が増えてきた自覚はある」
「へ?」
食べ終わった食器をシンクに持って行き、そのまま洗い物を開始していた猫ちゃんがおもむろにそんな事を呟いた。未だダイニングテーブルでのんびり水を飲んでいた俺はそちらに目を向ける。
「そうなの?サッカーするから?」
「いや、それもあるが」
腕まくりをして洗い物をする猫ちゃんの手元から、食器や鍋が触れ合うカチャカチャという音が響く。
「明の飯が美味いから、つい食べすぎてしまう」
生活音に紛れて、本当に平然と、当たり前のように発された言葉に、俺の手の中のコップの水面がちゃぷんと揺れた。
「昔ほど運動している訳でもないし、少し気にするようにしないといけないな。今までの感覚で食べていると、気づいたら肉が付いてそうだ」
「……ちょっとくらい太ってても、俺は別に、気にしないけど」
言いながら、いやどんなコメントだよと内心自分でツッコミを入れる。しまった、動揺して意味不明な返しをしてしまった。
俺のごにょごにょした言葉を冗談程度に捉えたのか、手元から顔を上げないままの猫ちゃんがふっと気安く笑った。
「あぁそうだ、この前作ってくれたナントカってやつがまた食べたい。カタカナの、外国の料理の……」
「んん?どれだろ?」
「混ぜ飯みたいな、ひき肉とパプリカが入った、目玉焼きが上に乗ってる……」
「パプリカ……あぁ、ガパオライス?」
「がぱおらいす。多分それだ」
カタカナと言ったくせに、猫ちゃんが発音するとどうにもひらがな表記に聞こえる。こういうところは相変わらずだなとくすくす笑って、俺はいつの間にか空になったコップを手にぴょいと立ち上がった。
「りょーかい!あれ美味しかったよね。意外と作るの簡単だったし、猫ちゃんも作れそうよ」
「そうか?じゃあ次は一緒に作ろう。その時にでも教えてくれ」
「うん、もちろん!あ、ついでにこれもお願いしまーす!」
「はいはい」
猫ちゃんの隣に並び立って、空のコップもシンクに追加する。わざとらしく甘えた俺に苦笑しながら、猫ちゃんがテキパキと洗い物を片付けていった。
今度は泡を流すために水を出し始めたことで、ざぁざぁと水の音が部屋を満たす。そこに食器の触れるカチャカチャという音も混ざって──なんか、なんというか、あまりにも平和だ。
んふふ、と急に不気味な笑い声を漏らした俺に、猫ちゃんが怪訝な顔をする。それを気にも留めずに、俺はおもむろに隣に立つ彼の腰に両腕を回してみせた。
「うわっ、こら、濡れるだろう!」
「んふふー、猫ちゃん、好きよ」
「お、お前のスイッチはよく分からないんだが……ほら、じゃれるな!暇なら机の上でも拭いてこい!」
「えへへ、はぁい」
名残惜しくてもう一度ぎゅうと抱きついてから、びしょ濡れの手での天誅が繰り出される前にサッとふきんを持ってテーブルの方に逃げていく。
背後から「何なんだ一体……」なんて呆れた声が、平和な生活音に混じって聞こえてきた。