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    GofaboCho

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    織笠響子と元カレの話

    ##あたしちゃんがロック

    初恋とは実らないものである「付き合ってくんね? ……あ、や、待って。付き合ってください」
     我ながら情けねー告白だったと思う。
     学祭の中日。中夜祭でのライブの片付けをしてる最中に、その笑顔があまりにも眩しくてうっかりそう言葉が出た。
    「は? ねえ、うちもいんだけど」
     ユキナが俺の脛を軽く蹴った。
    「んっ? 待って待って、今の誰に言ったん?」
     お前だよ! 叫びそうになったのを堪えた俺を見て、ユキナが声を上げて笑った。
    「やば。相手にされてなさすぎてウケる。きょーちん結構ニブいタイプかよ。あー、おかし」
    「笑うなってマジで」
     ヒーヒー言いながら腹を抱えるユキナが織笠の背中を叩く。
    「きょーちん、こいつきょーちんに告ってんだよ」
    「え? なに? お前とうとう告ったの?」
     ジュースを買いにいっていた充がストローの袋を破きながら戻ってきた。
    「おっせーな、やっとかよ」
    「んね。いつ告んだよって感じだった」
     充がニヤニヤと笑う。ユキナが同じような顔をしながらその肘のあたりを引っ張る。
    「ねー、行こ。うちらマジお邪魔虫だし」
    「だな。あとはお二人さんでごゆっくり~」
     ひらひらと手を振りながら、二人が機材倉庫を出ていく。
    「あ……えと……ごめん、あたし、察し悪くて……」
     織笠が困ったように前髪をいじる。
    「いや! 俺がちゃんとしなかったのが悪いし……!」
     首を振って否定して見せる。織笠はちょっと笑ってドラム用の椅子に座った。
    「……んと、告白……はマジなやつ?」
    「うん……取り消したりもしない。織笠のこと、好きだから付き合ってほしい」
    「そ、か……」
     織笠が床に足を投げ出す。なっが。三メートルはある。
    「……あたし、ケータのことそういう風に思ったことないや」
     でしょうね! さっきの反応からしてそうだと思ったよ。意識されてないのなんかとっくに察してた。
    「そもそも、さ。ライクとラブの違いとか、あんまわかんないんだよね」
     上履きの爪先を見ながら、言葉を選びながら織笠は言った。
    「まったく脈ナシってわけでもない、的な?」
    「うん……そうなる、かな」
     あ~ね?
    「お試し期間、やってみね?」
    「なにそのレンタル彼氏みたいの」
    「レンタルしてみて、嫌じゃなかったらお買い上げ~で。どうよ」
    「どうよって言われたって……」
     ふ、って。織笠が吹き出した。
    「いいよ、ねえ、面白いそれ」
    「っしゃ!」
     口を手で押さえて、控えめに笑う。女子にありがち。珍しくもなんともない。
     でも俺は、その笑顔をあ~かわいいな~って思う。
    「ね、手、繋ご」
     織笠が立ち上がった。目線の高さはおんなじ。タッパは正直デカい。でもかわいいんだこれが。
     初めは指先だけ触って、それから思い切って恋人繋ぎをする。
    「響子、って呼んでい?」
    「なんか恥ずいねそれ。全然いいけどさ」
     呼び方が違うって次の日から散々周りに冷やかされた。


     中学のときから響子は有名人だった。陸部の端っこの方で走りたくもない長距離を走ってる俺とは違って、いつも輪の中心にいるタイプ。教室の隅でオタク友達とボカロの話で盛り上がるような、そんな俺とは一回も線が交わらない相手。だったけど。
    「きょーこさぁ、アンタなんなわけ? なんでよ。次のオーディション譲ってって言ったじゃん」
    「で、でもあたしちゃん、うんって返事してない……」
    「そーじゃなくてさぁ……きょーこはどうせ次も選ばれるんだから、一回くらいあたしに譲ってくれたっていーじゃん」
     いや、えっぐ。
     吹部? たぶん吹部だよな? ってそんときの俺は階段のど真ん中で立ち止まった。テスト期間の、ワーク提出だけして帰るだけの放課後だった。
     響子に詰め寄った女子は、相手がなにも言い返さないのを見ると、響子の肩を少しだけ小突いてこっちに歩いてきた。
    「……なにアンタ。邪魔なんだけど」
     いや、こっっっっっっっっっっっっっっっっわ。
     陽キャ怖すぎ。女子ってこんなもんなのか。あの子泣きそうじゃんか。そんな感じで色々考えてから、めちゃくちゃ気まずくなった。俺から響子は見えてたし、響子からも俺が見えてた。
    「えーと、だいじょぶ?」
    「……」
     ふるふるって首を振った響子は近くの女子トイレに駆け込んでいった。
     次の日からたまに見かける響子はいつも通り輪の中心で笑っていた。なにあれ。女子って怖い。
     中学での接点はそれくらい。それ以降一回も話してない。
     次に話したのは高校の入学式……の次の日。
     同じ中学から高校も一緒になったやつはそんなに多くなくて、同じクラスだと響子と俺だけだった。
    「俺、同じ中学だったんだけど覚えてる?」
    「あー……いた、かも? 顔はなんか……ふんわり覚えてる、的な? ……嘘、ごめん、わかんないや」
     ですよね! 知ってた。
     俺は所詮道端の石ころ。でも高校デビューで生まれ変わってみせる。そんな感じで意気揚々と軽音部の見学に行く途中、廊下で響子に鉢合わせた。吹部の見学をやってる教室の前だった。
    「……入んないの?」
    「……うん……」
     壁に寄りかかって、曇った表情で爪先を見る。その仕草で中学のあのときを思い出した。
    「……俺、これから軽音の方行くんだけどさ。一緒に行かね?」


     あんとき、俺が声かけなかったらどうなってたんだろう。今になってしみじみと思う。
    「きょーちんだいじょーぶ?」
     文化祭のときに告って、早四ヶ月。そんな女子の声が聞こえてきて、後ろを振り返る。
    「んー……へーきぃ」
    「そぉ? 飴あげるから元気出してね」
    「ありがとー……」
     別のクラスの女子だった。ばいばい。手を振った女子に響子も手を振り返した。
    「なに? 具合悪いの?」
    「うん……まあ……そんなとこ」
    「……セーリ?」
    「んー……」
    「そんなヤバいの?」
    「そこそこ……おなかいたい」
    「コンポタでも買ってくる?」
    「んーん……いらない……ありがと」
     俺とのやり取りを見ていた女子たちがわらわらと集まってくる。
     だいじょぶ? 寒くない? 膝かけ貸したげる。薬いる? カイロあるよ。ケータあいつデリカシーねーわ。きょーちんあたしと付き合おーよ。
     どさくさに紛れた俺ディス。こういうときの女子の連帯感はすごい。
     チャイムが鳴ると女子たちは散っていく。響子は授業中も机に突っ伏したままで、珍しく先生に注意されていた。
    「次どうすんの? 体育だけど」
    「出る。山ちゃん、生理って言っても休ませてくんないってE組の子がキレてた」
    「無理すんなよ」
    「がんばりま~す……」
     休み時間にそんなやり取りをする。顔色は最悪。マジで大丈夫か。
     着替えてグラウンドに出ると、同じタイミングで両脇を女子に固められた響子が前を歩いていた。
    「山下マジでありえんわ。見学ダメってマジなんかよ」
    「クソすぎん?」
    「もはやパワハラじゃね」
     キーキー文句を垂れる女子の一団に頑張って近付く。
    「あのー……」
    「は? なに?」
    「デリカシー無男じゃん」
    「あっち行けし」
     視線が痛い。切れ味鋭い言葉がグサグサと刺さる。
    「ちょっと……そういう言い方やだ……」
     弱々しい声で響子が言った。神。
    「いや、あの……ほんとヤバかったら呼んでほしいっていうか」
    「うん……ありがと。だいじょぶ」
     本当に大丈夫か。そう言いたかったけど、女子の威圧に負けて敗走する。意気地なし。
     授業中も響子のことが気になってどうしてもそっちに視線がいく。集中しろよ、なんて何回か茶化された。響子はふらふらしながらサッカーボールを蹴ってる。脚なっが。今日は十メートルある。
    「ケータァ」
     よそ見すんな、って名前を呼ばれるのと、女子の方から小さく悲鳴が上がるのが同時だった。案の定、その中心には響子がいた。俺は反射的にそっちに駆け出した。
     俺、こんな速く走れんだ。頭の冷えてる部分で冷静にそう思った。
    「きょーちん大丈夫?」
    「聞こえる? 立てそ?」
    「誰か山下呼んできて」
     女子たちが口々に話しかけている。
    「響子!」
     その輪を押しのけて、しゃがみ込んだ響子の顔を覗き込む。唇が真っ白だった。意識はあるけど聞こえてないみたいで、戸惑ったように瞬きをしている。
    「大丈夫か?」
    「え、け、けーた……?」
    「俺がおぶってくから君ら手伝って」
     こういうときの女子の連帯感はすごい。俺がおぶるのを手伝って、今頃やってきた山下をガン無視して保健室に駆け出す。下駄箱で靴を履き替えるのを手伝ってくれて、靴は片しとくから先に行けって送り出してくれた。
     正直重かった。女子とはいえ、自分と同じくらいの背の人間一人を運ぶのがこんなに大変だと思わなかった。
     保健の先生が言うには、まあ、単なる貧血らしい。よかった、と言うべきかどうかは置いといて、布団にくるまった響子の顔色がちょっとずつよくなってくのに安心した。
    「あら、擦りむいちゃってるね」
     保健の先生が響子の手の平を見ながら言う。
    「た、たぶん、倒れたとき、手ついたんだと思います……」
    「ああ、そう。……君、すごいね。こういうときって、大抵先生たちが運んでくるんだけど」
    「いや、あの……授業前に、たまたま生理だって聞いてて」
     先生は響子の手を消毒しながら笑った。
    「もしかして彼氏くん?」
    「い、一応……」
    「素敵じゃない。そういうのって、信頼関係があるから言えるんだよ」
    「えっと、ありがとう、ございます……?」
     急に気恥ずかしくなって俺は下を向いた。
     一人だけグラウンドに帰されると、王子だなんだと散々冷やかされた。後から思えば、これ以来俺に対する女子の態度が軟化したような気がする。山下は他クラスの女子からも総スカンを食らったらしい。えぐ。
     昼休みになって、響子が戻ってきた。わらわらとまた女子が集まってくる。
    「だいじょぶ?」
    「早退とかする?」
    「あーしがあっためたげよーか?」
    「は? どさくさに紛れてお触りすんなや」
    「つーかガチ王子にはかなわんかなわん」
     女子が俺をちらっと見てゲラゲラ笑う。
    「……君らさ、もうちっと静かにしようって気はないわけ」
     心臓が汗かきそうなくらい勇気を振り絞って言ってみる。女子たちは一瞬シラケた顔をして、でもそれもそうかみたいな顔をして散っていった。
    「……ごめん、ありがと」
    「いや、もう平気?」
    「うん、だいぶ」
     保健室でカイロもらった。そう言いながら、響子は弁当を出す。俺はコンビニの菓子パンをかじった。
    「きょ~ち~ん」
     ユキナが堂々と教室に侵入してくる。ぺたっと響子の背中にくっついて、よよ、と泣き真似をした。
    「うちマジで心配したよ~。数学ダルいから外見てぼーっとしてたらきょーちん倒れてんだもん」
    「あはは……ごめん、心配かけて。もう大丈夫」
    「そう? 無理しないでよ? なんなら今日練習なしでもいいし。ケータお前送ってけよ」
    「俺ぇ? 別に全然いいけど……」
    「おけ~。じゃあミッチーにも言っとくわ」
     ユキナがさっとスマホをいじる。響子は目をぱちぱちさせながらそれを見ていた。
    「……ほんとにいいん? あたしちゃん、もう平気だよ」
    「え~まだ顔白いからヤダ」
     響子の頬っぺたをユキナがつつく。
    「あ、ポッキーあげる。二人で食べなよ。辛かったらまた彼ピッピにおんぶしてもらうんだぞ~」
    「やめろや」
    「ふふ、そうする」
     口を押さえて笑うあの笑顔。ゲロほどかわいい。人類の宝。
     おんぶはしなかったけど、周りの女子からの後押しに負けて帰りは家まで送ってくことになった。俺のマフラーは追い剥ぎに遭って響子の首に巻いてある。恥ずい。
    「いや、ほんともう大丈夫なんだけど」
     響子は帰り道に何回もそう言った。
     そんで家まで行ったら流れで家に上げてもらえることになった。マジかよ。
     やっっっっっっっっっっばくね????
    「お茶いる? 麦茶だけど」
    「い、いる……」
     おい、やべーよ。好きな子の部屋て。いい匂い……まではいかないけど、響子の部屋だから当たり前に響子の匂いがする。は? 俺キモくね。
     部屋の中を見渡すと、一角に楽器が置いてあった。
    「え……すげ……コンガだ……」
     家の感じからして薄々察してたけど、結構金持ちなんだな。
     おそるおそる、音が鳴らない程度に叩いてみる。
    「普通に触っていいよ」
    「いや、大丈夫大丈夫!」
     急に現れるじゃん。汚したりしたら洒落にならん。床に座って大人しくする。
     響子はお盆を一旦勉強机に置いて、折り畳みの小さいテーブルを出そうとした。
    「待って、俺がやる」
    「え? いいよ別に」
    「いいから。俺にやらして」
     カッコつけても手際が悪いのが俺。相当もたついた。
    「彼氏みたい」
    「彼氏だっつの」
     組み立てたテーブルに麦茶が置かれる。
    「今日、さ……ほんとありがと。めっちゃ助かった」
    「……マジでもう平気なの?」
    「うん。ピークは超えたし」
     ピーク。ピークってことはまだ痛いのか。
    「きょーこ。……ん」
     名前を呼んで、腕を開いて受け入れる体勢をとる。
    「……ハグ?」
    「そんな感じ。キモい?」
    「ううん、全然」
     正面から抱きついてくれる。やっば。明日死ぬかな?
    「……今日マジで怖かった」
    「うん……ごめんて」
    「マジでビビった。死ぬほど焦った。……女子ってみんなそうなの」
    「さあ……あたしちゃんは重い方だと思う。今日はさ、薬飲み忘れちゃったの」
    「痛み止め?」
    「そう。今日もうめっちゃ反省した。みんなにいっぱい迷惑かけたし」
    「迷惑とかじゃなくて……心配した」
     これヤバい。響子の匂い直接嗅げる。俺めちゃくちゃ変態じゃん。
    「ほんと……ダメなときはダメって言え。ほんとに怖かったんだかんな俺」
    「心配しすぎ。ねー、かっこよかったから機嫌直してよ」
    「嘘つけ。見えてなかったろ」
    「あは、バレた?」
     か、かわいい~!
    「あ、ユキちんがポッキーくれたじゃん?」
    「食べんの?」
    「うん。ポッキーゲームしよっかなって」
    「ハ?」
     なにを言ってるのこの子は。
    「響子、マジで言ってる?」
    「うん」
    「で、でも……」
    「やだ?」
    「やじゃないです……」
     ……小悪魔?
     響子が慣れた感じでポッキーを咥えて俺に向ける。
    「……待って待って響子さん。なんかめっちゃ手慣れてない?」
    「だってユキちんとたまにやるし」
     距離感よ。女子ってそんなもんなのか。俺たち男にはできないことを平然とやるんだな。そういえば、響子の生脚を撫で回すおっさんみたいなやつも何人かいた気がする。
    「待って。その前に約束な」
    「ん?」
     こっちに向いたビスケットの方を摘んで放させる。
    「こういうのは俺だけにして。ユキナもダメ」
    「おお……嫉妬ですか、お兄さん」
    「そんなとこ」
    「でも女子だよ? キスもしてないし」
    「女子でもなんでも」
    「ふーん?」
     わかったって頷いて、響子はぱかっと口を開けた。
    「で、やる? やらない?」
    「やーりーまーすー」
     チョコの方を咥えて、響子に向ける。この時点で間接キス。我ながら思考がキモい。
     めちゃくちゃ贅沢なファーストキスだった。ポッキーゲームのついでて。陰キャオタクもよくここまで成長したもんだ。


     卒業後はさすがに別々の学校だった。
     けど、俺も響子も音楽学校に駒を進めたから似たようなもんだった。俺はロックバンドの道、響子はブラスバンドの道。お互いに昔からの憧れだったらしい。
     響子は実家に荷物が多すぎて家から出ようにも出られないって嘆いてた。俺は東京の端の方で一人暮らし。
    「俺とバンド組まね?」
     一回だけ聞いてみたけど断られた。ま、そりゃそうか。高校で組んだバンドなんか、青春の一時的な思い出でしかない。響子が人生を捧げるのはロックじゃなかったってだけ。
     バイトしつつ、デートしつつ、遊びつつ。陰キャオタクくん、無事に陽キャデビュー(笑)。自虐も自虐。まあでもクソかわいい彼女がいるし文句ねーわ、って。イキって舌ピなんか開けてみたりして、響子に引かれた。
    「ご飯のときどうすんのそれ」
     ツッコミズレとるわ。キスのときに気になるのか、ピアスを探るみたいにしてくるのがエロいからやめろって言ったら、開けた方が悪いって軽くはたかれた。まあ別にお互いどっちも本気で怒ってるわけじゃない。
     舌ピもソッコーで飽きて、やめたらソッコーで塞がった。代わりにお揃いのピアスを開けて、響子がインナーに入れてるのと同じ赤色の石を入れてみたりした。
     下北でバイトしてる響子が俺の家に泊まりにきたり、俺が自炊するのを面倒がって響子の家にお邪魔したりもした。響子の親父さんがいたことは一回もなくて、それでも響子の家からは公認の彼氏だった。童貞はいつの間にか卒業していた。
     いつも通りの日だった。
     学校から帰って、バイトに行く前、響子から電話があった。気付いたときには二回不在着信があった。
    「ど、どした? 緊急?」
     折り返したらすぐに通話が繋がった。
    「ケータ……ケータどうしよ、あたしちゃんちょっと……嘘、かなり自信ない……」
    「なん……なんの話? ちょい落ち着けって」
     ライブのバンドグループに欠員が出ちゃって、そこでドラムやってくんないかって言われて。どうしても出たいからって、力貸してくれないかって、それで引き受けちゃったけど、どうしよ、できなかったら……ユキちんに怒られたみたいに――。
     捲し立てる響子に、俺の方が慌てそうになる。
    「待て待て、落ち着け」
    「ごめん。……深呼吸した」
    「響子」
    「……うん」
    「できるよ、お前なら」
     お前は知らないかもしんないけど、響子って天才なんだ。ユキナも充も俺も、正直響子なんかいなかったらもっと楽だったって思ってた。もっと適当に練習して、ほどほどで満足して、ほどほどの評価をもらって。
    「響子ならできる。俺の彼女ってすごいわけ」
     そう、すごいんだ響子って。俺たちみたいな適当なやつらを必死にさせたんだ。だって楽しかった。響子のドラムがあったから俺たちは頑張れた。
    「最高のパフォーマーになるんだろ? みんなを楽しませたいんだろ? ……だったらお前が、響子が楽しまなきゃダメじゃんか」
     電話の向こうがしばらく沈黙した。息を吸って吐く気配が一回、二回。
    「……ごめん、大丈夫。弱気だった」
    「だろ? イケんべ、響子なら」
    「うん。ありがと、めっちゃ……もうめっちゃ気合い入った」
    「おう。頑張ってくれや」
    「うん、行ってきます」
     電話は切れた。
     その夜から伝説は始まったんだ。
     俺は適当にバイトをこなして、明日が休みなのをいいことに家で酒盛りをしていた。「今日うち来いよ」なんて彼氏面したLINEを響子に送って、響子が落ち込んで帰ってきたら慰めようと思ってコンビニでケーキも買っておいた。
     日付が変わりそうになってから、鍵が開く音がした。合鍵を渡してるのは響子だけ。やっと帰ってきた。出迎えに玄関まで行くと、響子が座り込んでいた。
    「な……え? どした?」
    「あ、ごめ……今更腰抜けちゃった……」
     照れ笑いをして顔を上げた響子の目は、俺が今までに見たことがないくらいキラキラしていた。
    「す、すごかった……ロック……これ、こういうのがロック……」
     ライブ終わりにそのまま軽く飲んできたんだろう。ちょっとだけ酒のにおいがした。
    「お前……え、なに? ほんと大丈夫?」
    「あ、うん……大丈夫大丈夫、立てる。大丈夫。ちょっと気が抜けちゃって」
     知らない。
     俺は響子のそんな目を知らない。一緒にバンドやってたときも、デートのときも、セックスのときもこんな目はしなかった。
    「あたしちゃん……バンドやるわ」
     水を飲ませて落ち着かせていると、放心気味の響子がそう言った。
    「バンド……? なんの……?」
    「今日組んだバンド……あたしちゃんのところに入る予定の人が階段から落ちて来られなくなっちゃったから、If Fall Down the Stairsって名前で出たんだけど」
     なんだそれ。文法めちゃくちゃじゃねーか。
    「すごかったんだよ。これがロック! って……ほんとにすごかった。ケータにも見てほしかった」
     俺だって見たかった。俺と一緒にいる響子がそんな目するところ。


    「おー……響子……」
     スクランブル交差点の一角に出た広告。期待の新星のニューシングル発売を知らせる、それはそれはもうデカい広告。そこに俺の元カノがデカデカと写っていた。
    「お、いーねぇ。IFDSの新曲じゃん。予約しよ」
     今のバンドメンバーが俺の横でそんなことを言う。それを無視して、俺は広告の響子の写真を撮った。
    「え、なに? ケータってキョーコ推しなん?」
    「いーじゃん。俺もキョーコに踏まれてみたいし」
    「は? 響子はそんなことしねーんだわ、死ねや童貞」
    「ヤッバ、こいつガチ恋勢かよ、引くわ」
    「ちげーわクソが。元ガチ恋勢だわ。こちとらとっくに現実見て散ってんだよ」
     薄々気付いてたんだ。響子が俺と俺以外を見る目、ずっと同じだったんだよ。響子は男にも女にも、誰にでも同じように接する。俺はずっと、他より距離の近い友達のままだったんだ。なにも特別なんかじゃなかった。ただそれだけ。
     あの後、響子と別れて、響子はどんどんロックバンドとして有名になっていって。俺の知らない響子の顔がゴロゴロ掘り返された。高校のとき、ニコニコで生主をやってたらしい。俺には一言も言わなかったし、俺はそんなことこれっぽっちもわからなかった。わかる気がなかったのかもしれない。
     楽しそうに笑う顔を、テレビで見るようになった。楽しそうに話す声を、動画で聞くようになった。俺には一度も向けられなかった顔が、俺には一度も引き出せなかった顔が、毎日どこかしらのメディアで垂れ流されている。
    「キッツいわ、マジで……」
     いや、今でもかわいいよ。かわいいですとも。それでも自分が友達以上彼氏未満だったのをこうも毎日突きつけられたら落ち込むなって方が無理だ。
    「すげ~……今日も脚五十メートルある……」
    「さては脚フェチだな、お主」
    「なんとでも言えや。かわいいだろうが」
    「それはそう」
    「限界オタクじゃん。ウケる」
     道端の石ころ。俺は結局そんなもんだ。これくらいでちょうどよかった。
    「つかそろそろ行くぞー、集合時間間に合わんくなる」
    「うーい」
     他のメンバーの後ろをだらだら歩く。
     インディーズと言えば聞こえはいいが、所詮どこからもお声のかからない弱小バンドだ。いつかは自然消滅するだろう。
     それでも俺は。
    「充」
    「あー?」
    「新曲浮かんだ」
    「お前まーた失恋ソングじゃねえだろうな」
     この声が枯れない限り、地下のライブハウスから歌い続けるんだ。
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