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    GofaboCho

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    特になにかしらのげんみ❌もない音無くんが悪夢を見ている話です

    ##長めの怪文書
    ##優しくしないで

    ⚠️自殺とか子供がひどい目に遭う描写があります 夏の、空気が肌に張りつくような雨の日だった。
     休み前の最後の登校を終えて、みんなが昇降口に向かっていく。朝は薄く雲が出ていたくらいだったのに、時間が経つにつれて黒々とした雨雲が空一面に広がっていた。終業式が終わる頃には、そこからひとつ、ふたつと雨粒が落ちてきて、すぐに校庭に池を作った。
     ざあざあと。
     地面に、屋根に、誰かの傘に落ちてきたその、大きな雨粒の音が心地よかった。みんなは駆け足で水溜まりを派手に踏みつけながら帰っていく。傘を片手に。
     僕にはなにもなかった。僕の手には、なにも。
     明日から夏休みで、いつもならロッカーに入れっぱなしの折りたたみ傘も、つい昨日持って帰った。空っぽのロッカーには、今日の大掃除のお陰で埃ひとつ落ちていなかった。
     そういえば、お母さんが朝なにか言っていた気がする。もしかすると、あれは傘を持っていくように言っていたのかもしれない。僕はお母さんが幸のこぼしたスープを拭くのをぼうっと眺めていた。幸は口の周りと左手をケチャップまみれにしながら、オムレツを食べていた。お父さんはそれよりずっと前に家を出発していたと思う。僕は、幸が先の丸いフォークでお皿を叩く音を聞いていたから、その時のことはよく覚えていない。
     ばすっ、と傘の開く音がして、僕は飛び上がるほど驚いた。音の方を見ると、二人組の女の子が僕を見ていた。二人は驚いた顔をしてから、くすくすと笑いながら体を寄せ合って、二人で一つの傘に入る。そうして少し早歩きで大きな水溜まりの間を縫っていった。
     相合傘だ。女の子同士だから大したことでもないんだろう。たぶん、どっちかが傘を忘れたから、それで。
     雨は止みそうにない。周りには誰もいなかった。傘に入れてくれそうな友達も思いつかない。お腹は減ったし、喉も渇いた。お母さんも、僕が傘を忘れたことには気付いていないかもしれない。それに、はやく幸の顔が見たかった。かわいくて、ちっちゃい幸の顔が。
     雨が弱まるのを待って、僕は走り出した。水溜まりを避けるなんて気は利かなくて、靴が足の甲からも濡れていくのを感じた。夏とはいえ、びしょ濡れで外を走ったせいで暑さと寒さが混じったような変な感じだった。手と足の先が冷たい。雨は少しだけ強くなって、服の中までびしょびしょだった。
     がっ、と爪先が引っかかったような感触があって、僕は勢いよく前に倒れた。手の平と膝が地面に擦れる。痛いと思ってから、やっと自分が転んだことを理解した。手の平を見れば、案の定血が出ていた。コンクリートの細かい凹凸で、平行な傷ができている。膝も同じで、雨粒がよく沁みた。
     お腹の上の辺りが痙攣するのを必死で堪えた。泣きそうになった。雨が目に入るせいで、泣いているのかどうか自分でもわからなかった。
     なんとか家まで辿り着いて、インターホンを鳴らす。返事はなかった。もう少し待っても、返事はない。不思議に思って手の平の血がつかないようにドアを開けると、鍵はかかっていなかった。家の中は冷房が効いていて凍えそうだった。下駄箱に引っかけられた僕の傘が少しだけ揺れていた。
    「……お母さん?」
     返事はない。幸の声もしなかった。リビングに電気がついている。寝ているのだろうか。
     ひとまず血を洗い流そうと思って、お風呂場まで爪先立ちで歩く。脱いで丸まったびしょびしょの靴下を摘んで、ランドセルはとりあえず玄関に置いた。薄暗い洗面所でお風呂場の電気をつけた瞬間、不思議なものが目に飛び込んだ。
    「……さ、ち?」
     幸がお風呂に浮いていた。顔を下向きにして、腕はだらりと力が抜けて。
     僕はしばらくその場に立ち尽くした。なにをすべきなのかわからなかった。なにが起こっているのかすら理解できなかった。冷房のかかった家で、自分の体温がなくなっていくのを頭の遠くの方で感じていた。
    「幸……? さち、さち……!」
     どういうきっかけだったのかはわからない。僕ははっと気付いて、幸の体に飛びついた。手の平に滲んだ血が幸の服に染み込む。引っ張り上げた小さな体は、体温がわからないくらい冷たかった。
     なんで、と言葉にすることもできなかった。ぐちゃぐちゃになった頭で精一杯考えて、やっとお母さんは、と振り返った。幸を抱えて、びちゃびちゃと床を水浸しにしながらリビングに向かう。足がもつれて転んだせいで、ほとんどなだれ込むようにしながらドアを開けて最初に見たのは、ふらふらとすぐ目の前で揺れる爪先だった。
    「あ……?」
     ぼたり。
     お母さんの顔から、鼻水が落ちた。鼻水、だろうか。涎、涙――全部かもしれない。とにかく、顔から落ちる液体が、床に滴り落ちていった。
     顔は黒く膨らんで。優しい顔は、表情もわからないくらい醜く歪んで。それなのに、ひと目でお母さんだとわかる面影を残していて。
    「あ……あ……っ」
     お母さんが僕を見下ろしていた。起き上がろうと床に手をついて、腕全体ががくがくと震えているのに気がついた。そのままバランスを崩して、頭を床にぶつける。一瞬目の前が真っ白になってから、幸と目が合った。
     かわいくて、人形みたいに小さい目が見ている。僕を見ていた。泥みたいに濁った目で、僕を、僕を――。


     悲鳴のような声が聞こえた。そんな気がした。
     布団を跳ね除けて飛び起きる。背中が汗で濡れているのがわかる。心臓はばくばくと動いて、何十キロも走ったような目眩と熱を感じているのに、背中から熱が抜けていく。すぐに体温がなくなって、それなのに汗が頬を伝う。
     ……汗、ではなかった。
    「……っ」
     ぼたぼたと目から落ちていく液体を袖で拭う。息が苦しい。寒い。頭の中に、夢で見た光景が――あの日見た二人の顔が、何度も何度も、交互に現れる。
     嫌だ。いやだいやだいやだいやだいやだ。苦しい。怖い。お母さんが見下ろしている。僕を見下ろしてじっと見ている。幸が僕の目を見ている。くりくりとあちこちを見るために動くはずの丸い目が、僕だけを映している。
     息が上手く吸えなかった。嗚咽で喉が塞がって、吐こうとした空気が喉のどこかで引っかかる。何度も繰り返してから、喉の蓋が取れて咳き込んだ。またぼたぼたと目から液体が落ちていく。
     くるしい。
     怖い。
     いやだ。
     あの日のことなんか思い出せない。僕は気付いたら何日か経ったあとの病院にいて、周りの大人が右往左往するのを見ていた。違う。僕は見た。見ていた。いやだ。僕は見ていない。なにも見ていない。知らない。見たくない。そうやってなにもかも忘れようとする。卑怯だ、意気地なし、薄情者。
     いやだ。もういやだ。僕を見下ろす目が、目の奥に染みついて消えない。抱きしめた体の冷たさが、いつまでも手の平に残っている。
     転げるようにベッドから出る。足先でなにかを蹴飛ばすのを感じながら、洗面所に行った。電気をつければ、強い光が目を刺した。一瞬目眩のような感覚を感じた。引き出しからカミソリを出して、手首に当てる。
     ひんやりと、金属の感触がした。
     また喉が詰まって咳き込んだ。頭がおかしくなりそうだった。目を閉じても開いても、二人と目が合う。二人が僕を見ている。
     手に力を込める。痛みが肌を裂いて、ぼたぼたと血が滴る。
     いたい。そう思ってからたっぷり一分くらいしてから、やっと頭の中が静かになり始めた。代わりに耳の奥でどくどくと心臓の音が聞こえる。やっと息を吸って、深く息を吐く。息が整わない。くるしい。お腹の上の辺りが引き攣って、その場に座り込んだ。
     血。血を、止めないと。そう思うのに。
     耳元でざわざわとノイズが聞こえる。すごく寒いのに、汗が首の辺りを流れていって気持ち悪かった。
     落ち着かないと。はやく止血をしないと。血を拭かないと。汗が気持ち悪い。あつい。違う。すごく寒い。視界の端の方が黒く霞んで、頭が痛い。手に持っていたはずのカミソリがない。落とした気がする。踏んだら危ないから、拾わないと。
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