花の匂い“永遠のさよなら”をしても
あなたの呼吸が私には聞こえてる
別の姿で同じ微笑で
あなたはきっとまた会いに来てくれる
初めて口づけを交わした場所は、赤い彼岸花の花畑だった。
最初で最後の誕生日祝いに、当時は珍しかったビロードのように深い紅い薔薇をやった。
赤い花、アイツの着物からはいつも山茶花の淡い匂いがした。
お前を喪って、冷たくなった頬に手で触れて、唇に唇で触れて、それきり。
お前の存在がこの地上から無くなってしまっても、俺にはお前の呼吸が聞こえていた。
赤い彼岸花が花弁を震わす音、店先の紅い薔薇が水を吸う音、それと山茶花の匂い。
そうやって俺の生きる日常に、お前はいつだって居てくれた。
激しい雨音で、お前の呼吸が聞こえなくなる夜だけは、千寿郎から譲ってもらったお前の着物を抱いて眠った。
3人の嫁達も、それについて何も言わなかった。
俺の“初恋”は黎明に散り、永遠になったのだ
俺は初恋の記憶を残したまま、今の時代に生まれた。
煉獄は隊服に炎の意匠を施した羽織り姿ではなく、俺が通う学園の中等部の制服を着て、俺の前に現れた。
別の姿で、同じ微笑で。
煉獄は15歳、俺は18歳になる直前だった。
アイツは中等部の剣道部主将で、俺もまた音柱ではなく、絵を描くのが好きなフツーの高校生だった。
「フツー、ではないな!」
センセー達はいつからトモダチなの?と言う、女子生徒達の他愛もない質問に、創作活動の片手間に答えてやっていた。
始業のベルが鳴り、生徒達が廊下を駆けていく足音を聴きながら、俺は描きかけのキャンバスから顔を上げた。
「フツーじゃないって?」
「ー…バレンタインに50個もチョコを貰うなんて、フツーの高校生ではないだろう!君はあの頃から女性にモテてていたな!」
苦笑交じりにそう言って煉獄は部屋を出て行こうとする。
次の授業はアイツも空きコマだ、引き止めようと俺は立ち上がった。
「お前、次空いてんだろ?コーヒー淹れてやるよ。付き合ってくれたお礼だ、」
煉獄は振り返って笑顔で頷く、いつもはキリッと上がった太い眉が緩やかに下がり、存外小さな口元が可愛らしい。
アイツと出会ってから、もう何度この笑顔に心を奪われたことだろう。
バレンタインにチョコを50個貰っても、週1ペースで告白されて、月1ペースで付き合っても、結局未だ初恋を燻らせているのだ、俺は。
記憶ならある、アイツはそう言っていた。
「ー…ただ少し、曖昧なんだ。昔も今も、考えても仕方が無いことは考えなかったせいだろうか…?」
眉を下げて、戯けた様子でそう言って笑った。
はたして、それが真実なのかは判断がつかない。たしかにアイツは気持ちの切り替えが早いヤツではあった。
少なくとも皆の前では。けれど記憶力だって抜群に良くて、細かい事までよく憶えている一面もあった。
それきり、だから2人の間にあった“初恋”という、あの淡い感情について互いに口にはしないまま、俺たちは大人になった。
「今回は紫陽花か!君の絵はいつも花が描かれているな。主題も素晴らしいが、俺は君の描く花が好きなんだ!」
アイツの言う通り、俺の絵には必ず花がそこに描かれている。
いつの間にか、“花のアーティスト”なんて異名を世間からもらっていた。
キャンバスの向こうには、実家から持って来た紫陽花が花瓶の水を吸って、呼吸をしていた。
今生でもそんな音さえ聴こえる、眼の前で笑う親友で、片思いの男の心音でさえ。
煉獄の心音はいつだって、規則正しかった。
俺を想ってそれが跳ねたり、早くなる、そんな瞬間は手の指で数えられてしまう程しかなかった。
「ー…綺麗な色だな、」
かつては日輪刀を握っていた、短く爪を切り揃えた美しい指先が花片に触れる。
「気に入ったならやるよ、」
「…いや!こんな美しい紫陽花は高価だろう!それに、花とは男ではなく、美しい女性達に贈るものだ!」
俺はお前にやりたいんだ、と言う言葉を、今日も飲み込んで俺はキャンバスから顔を上げて立ち上がった。
「ー…贈る相手なんていねぇよ。」
アイツの傍らに立って、黄金色の髪の隙間から覗く横顔を見つめる。
煉獄が俺を見上げて、俺はアイツを見おろして、瞼の奥に彼岸花の花畑が映った。
「ー…宇髄?」
首を傾げたアイツが俺を呼ぶ。
「まだ描きかけだから、終わったらやるよー…捨てちまうよりいいだろ?」
なぁあの頃は、さ
花の匂いが、息遣いが、喪ったお前を感じられる全てだったんだ