ゆめのかよいじゆめのかよいじ
「失礼のないようにな、史朗。年が近いのだから、おまえがご子息のお相手をだな」
「わかったよ……」
正直なところ、あまり気乗りはしない。父もそれは察しているだろうが。
何しろ、五歳も年下の、それも代議士の長男になど、何を話せば良いものか全く見当もつかない。それでもやらねばならないのが辛いところだ。などと十六のおれは思っていた。
正月から地元の有力者に挨拶することになったのは、なんでも、後ろ盾が必要だからだそうだ。それはおれがではなく、相手にとってもであるという。かなり良い取引になるのだそうだが……。
「すごい家だな……」
工場と同じくらい面積があるのではないかと思われるほどとにかく広いお屋敷の門にたどり着いた。
父が「春日先生」に挨拶をする。おれも一緒に頭を下げるなどした。
「こちらが、初瀬さんのご子息だ。夢殿」
「はっ、はじめまひて」
俺は緊張して噛んでしまった。
「こんにちは、はじめまして」
まだ変声期を迎えていない少年の、鈴の転がるような可憐な声が響く。顔を上げると、仕立ての良さそうな袴姿の少年が微笑んでいた。
少年のきれいな黒髪は、絵物語に見る姫君のようだ。長いまつ毛に縁取られた黒く大きな瞳は子猫のようだが、その上にはきりりと上がった眉が主張しており、甘やかさだけではない魅力を醸し出していた。この可憐さや凛とした美しさは、明らかに少年特有のものだ。
「春日夢殿です」
次に春日邸へ向かったのは、その年の夏のことだった。
「なんだなんだ、あの若君に取り入って、何をするつもりだ?」
「そんな邪な気持ちはありませんって!」
父は別の下心を勝手に想像しているようだが、おれの下心は完全にただただあの子に会うことだった。
「こんにちは、史朗さん」
「ああ、こんにちは」
そこにいるのは少年一人ではなかった。華奢な少年の手の中に、さらに小さな手がおさまっている。その小さな手の持ち主は、大きなリボンを二つつけて髪をまとめた女の子だ。その隣にもう一人、真っ直ぐな長髪の女の子。どちらも十歳にも満たない小さな子だ。
「ほら姫花も、ごあいさつして」
「こんにちは。よしのひめかです。こっちはみめや」
「はじめまして」
小さな女の子二人が揃ってあいさつをしてくれる。そういえばこの女の子たちも正月にもいたようなぼんやりした記憶がよみがえってくる。吉野というヒゲの男に幼い娘が伴われてきていなかったか。
「姫花、何歳になったんだっけ?」
「ごさい!」
「五歳かあ」
「かわいいでしょう?」
夢殿くんのやさしい笑顔は、年の離れた妹を優しく見守る兄……といった風情だった。そういえば、この家には夢殿くんの兄弟姉妹などはいないようだ。あれほどの父親だから他に兄弟もいるだろうが、これほど大きな家にひとりだと寂しいだろうな。
きみの方が可愛い、と言いたいのをグッと堪えて頷いた。もちろん五歳も七歳も可愛くないとは言わないが、おれは妹二人にもみくちゃにされて育ったので女児には慣れているのだ。
「あんみつでも食べて来いって言われてるんだけど、史郎さんも一緒に行かない?」
「え、おれも行っていいの……?」
女中や下男などを一人も付けずに行くようだ。夢殿くんはもう十二歳とはいえ、あまりにも可愛いので心配だ。一緒に行くことにした。
「ゆめどのおにいさま」
「どうしたの、姫花」
「どれがおいしいかしら」
おれは衝撃を受けた。おにいさま、だと。五歳の少女はてらいなくこの少年を兄と呼んでいるのだ。少年の可憐な横顔を眺めながらおれが願ったことはただひとつ、「おれもこの少年に兄と呼んでほしい」ということだけだった。だが、それが高望みであることも同時にわかっている。この子はおれより圧倒的に格上だ。
「お口にいっぱいついてるよ」
「んー」
幼児の口をぬぐってあげているのも、可愛い。
「ゆめどのおにいさまも、お口についてるわ!」
姫花ちゃんが小さな指で夢殿くんの口のあたりを指差す。
「こらこら、人を指差さないの」
「取ってもらってもいいかな?」
きれいな歯並びの、きれいな唇の右下に、小さな小豆の皮が付着していた。
長いまつげが頬に影を落としている。とてもじゃないが、そのきれいな肌に触れることなど出来なかった。おれは自分自身の口元、唇のした。
「このあたりについてるよ」
「おや、ほんとだ」
「ありがとう」
何のてらいもなく微笑む顔が、とてもかわいい。
春日邸まで幼い子たちを送る。女中に睨まれた気もするが、気の所為だろう。
最後に「また来てね」と笑ってくれた少年に、すぐにでも会いたくなっていた。おれはもう完全にあの可憐な少年の虜だ。