回転寿司とかけて、ひらめいたギャグと解く窓の外から、子どものはしゃぐ声が聞こえて、うとうととしていた意識が浮上する。
寝転がった状態のまま、ソファの上でぐぐっと伸びをして、ふぅと力を抜く。
「あー…休日終わってまう……」
何気なく簓がそう呟くと、カタカタと聞こえていたキーボードを叩く音が、ピタリと止まった。
「…人ん家で休日終わらそうとすな。」
ギロと鋭い視線と共に、不満そうな声がソファに寝ていた簓に向けられる。
簓はソファから体を起こし、この部屋の家主に向かってへにゃと笑いかけた。
「盧笙ん家で、なーんもせずに休みの日終わらせるの好きなんやもん。」
「なーにが"なーんもせずに"や。そらお前はなんもしてへんやろうな。ここは俺ん家やから俺が掃除しとるし、昼飯も俺が作って出したし。」
「それはありがとう!…でも俺、昼飯気にせんでって言った…」
「アホか!家におる奴になんも食わせずに、俺だけ昼飯食うわけにもいかんやろ!」
頭のてっぺんに軽い平手が飛んできた。「暴力反対!」と文句を言いながら、思わず笑ってしまう。盧笙は真面目で、そして優しい。ちょっと優しすぎるくらいだ。
日曜日、つまり今日だが、朝に簓が突然自宅に訪れても、盧笙は一言二言文句を言った後、「俺は仕事あるから、邪魔するなよ。」と言いながら簓を家に上げた。
昼前、盧笙から「お前いつまでおるん?」と聞かれたときは流石に帰れコールかと思ったが、「昼飯なんでもいいな?」と簓に聞いた後、コンビを組んでいた頃たまに作ってくれたミートパスタを作って出してきたときはちょっと泣きそうになった。
「盧笙のミートパスタ久々に食ったわ。店で出るようなのとは違うけど、あれ好きなんよな~」
「機嫌とろうとすんな。」
「ほんまやて!…あ、仕事終わったん?」
盧笙が一日中触っていたパソコンを閉じたのを見て、話題を変えるついでに簓が尋ねる。
「一応な。」
「大変やね~学校の先生。日曜日も仕事て。」
「授業準備やから、俺が勝手にやっとるだけって言ったらそれまでやな。…どうしても授業中はあがってまうし、せめて教材くらいはしっかり作りたくて…」
「…ええ先生やな。」
その時、流し続けていたテレビで『秋の味覚祭!』という掛け声と陽気な音楽が流れ始めた。
テレビ画面に目を向けると、大きなマグロを、板前の格好をした男が切っている。有名な回転寿司のチェーン店のCMだ。
「『秋の』って言っとるけど、わりと年中マグロ祭とかしとるよなこの店。」
簓のヤボとも言える呟きに
「そうなん?」
と盧笙が返す。
「俺も店にはしばらく行ってへんけど、CMとかでよく聞く…あれ?それ別の店かな?」
「知らんわ、お前が言い出したんやろ。」
「でも最近ほんまに食ってないわ寿司…回転寿司ももう数年行ってへんなあ。盧笙は?」
「…あー……」
盧笙が微妙な顔をして言いよどむ。簓はその顔に、何故か既知感を覚えた。
「…俺、回転寿司行ったことないんよなあ…」
「あーそうなん?」
なんでもない風に返しながら、簓は既知感の正体を思い出した。あれは確かコンビを組んですぐの頃だった。
養成所の帰り、時間も遅いし、夕飯をどうしようかという話になり、「そこのハンバーガー屋でええ?」と提案した簓に「おう」と盧笙は答えた。が、いざ注文する直前になりメニューの前で固まっていた盧笙が、ちょうど今と同じような顔をしていた。
結局簓と同じものを注文して、慣れない様子でハンバーガーの包みを解いている盧笙から
「俺ん家、親が厳しくて…こういう店行ったらあかんって言われてたから、来たことなくて…」
という説明を受けた。
あの時と同じ顔。詳しく聞く気はないが、おそらくあの時と同じような理由だろう。盧笙にとって親のことはあまり話したくないことで、それならわざわざ詮索する必要はない。
「…あ!」
声を出し、既に別のCMに変わっているテレビ画面から、視線を盧笙の方に移す。
「なら今日、回転寿司行こうか?」
「いきなりやな。」
「俺も久々やし食いたい!あ、今日家でゴロゴロさせてもらったし、そのお礼ってことで!」
「その理由は後付けやろ。」
「ええやんなんでも!俺あそこが良いな、皿5枚入れたらミニゲームが始まる店!」
「行く前提やし…」
「零も誘おうか。皿多い方がミニゲーム当たる確立高くなるし!零結構食うし!」
話を聞かない簓に、はあと盧笙がため息をついた。
「勝手な奴やなあ。」
と呆れ気味に言う。
「行こうや~俺の口はもう寿司の口や~」
「分かった分かった。零に連絡せえ。」
「よしきた!」
スマホを取り出し、すいすいと零の名前を出す。メールだといつ見るか分からないから、電話で予定が無いか聞いた方が早いだろう。
呼び出しボタンを押す直前、出掛けるため服を着替えていた盧笙が「簓」と名前を呼んだ。
「なにー?」
「…ありがとうな。」
「えーなにが~?」
笑いながら呼び出しボタンを押し、スマホを耳に当てる。盧笙もそれ以上何も言わず着替えを再開した。
***
「よお」
「お、零来た。」
「50分って言ったのに、なんで当たり前のように10分遅れで来とるんや。」
「10分くらい良いだろ、待つの嫌いなんだよ。…つっても、お前らがまだここにいるってことは、順番来てないのか。」
「人多いしな~…あ、でも今呼ばれた番号の次やから、もうすぐやろ。」
日曜日の夜だからか、回転寿司屋は人で溢れていた。
簓の夕飯の誘いの電話に、二つ返事で快諾した零とは、店内で時間を決めて待ち合わせをしていた。予約した際は『18:50分頃に案内予定』となっていたが、じわじわと時間がずれ、今時計は19時を指している。
「今のミニゲームの景品あれなんやって。」
壁に張ってあるポスターを指差す。寿司ストラップと書いてあるが、可愛らしいマスコットなどではなく、どちらかというと食品サンプルのようなリアルな見た目をしているストラップだった。
「当たるかな?」
「3人いりゃ1回くらいは当たるだろ。枚数で確率で設定してあるだろうし。」
「夢ないな~3つ当てようや!」
「いや、俺はいらねえ…」
冷たい返事をした零になお簓が言い返そうとしたその時、従業員が次の番号を呼ぶ声が聞こえた。
「ん、360番!俺らや!」
「お~待ちくたびれたぜ」
「遅刻してきた奴がほざくな。」
盧笙が零の背中をべしと叩いた。
「パフェがある。」
タッチパネルを触っていた盧笙が驚いたように言った。
「なんでもあるで~茶碗蒸しとか唐揚げとか、プリンもない?」
「…『なめらかプリン』、あるわ…」
驚いたようにタッチパネルを操作し続ける盧笙に、零が言葉をかけた。
「ラーメン頼んでくれ。豚骨。」
「オッサン皿集める気ないやろ…」
皿のカウントにならない零の注文を聞いた簓が呆れた顔をする。
盧笙がタッチパネルにラーメンの注文を打ち込んでから、簓の方を向いた。
「簓はなんかいる?」
「えーじゃあマグロ!」
「マグロとかは注文せんでも流れてくるんちゃうか?」
「流れとるのより、注文したやつの方が、ネタの鮮度良さそうやない?」
「…それ回転寿司に来た意味あるんか…?」
首を捻りながら注文を一段落させた盧笙が、席に座り直した。
どことなくそわそわした様子で、レーンを流れる寿司を見ている。
「盧笙、回転寿司初めてなのか」
盧笙の向かいに座った零がそう言ってから、言葉を続けた。
「ま、そんなに来る店でもないか。飲み会とかにも向いてねえし。」
「零はよく来るん?」
「いや、来ない。寿司食うってなっても、馴染みの寿司屋があるからな。そっちに行く。」
「ブルジョアか。」
「今度連れてってやるよ。」
「零の奢り?…あ、えんがわ!取って!」
向こうから流れてくるえんがわ見つけ、簓が会話を中断する。
レーン側に座っている盧笙が、簓の言葉に軽く肩を揺らし、慣れない手つきで流れてきたえんがわの皿を取った。
取り上げた皿を簓に手渡しながら少し首をひねる。
「ネタの鮮度気にしとったんやなかったんか。」
「急に食べたいもんが出てくるのが回転寿司の醍醐味やから!」
「…なんやお前、テンション高ない?」
「えーそう?うーん…まあ、『すし』が『すき』やからな!なんつって!」
盧笙がものすごい顔をした。一瞬の沈黙の後、「ハハ」と零が乾いた笑いを漏らす。
「…なんや寒くなってきたわ。俺もラーメン頼もうかな…」
「うどんもあるぜ。」
「二人してひどない?そんで皿集めんとミニゲーム始まらんって分かっとる?ラーメンにもうどんにも皿、ついてへんよ。」
タッチパネルの横にあるスピーカーから突然音楽が鳴り、盧笙が驚く。
タッチパネルには、先ほど注文したマグロが表示されていた。レーンからマグロが流れてくる。
「あ、こうやって届くんや。」
言いながら、盧笙が届いたマグロを簓に手渡す。
受け取りながら、簓が盧笙に問いかけた。
「盧笙はなんか頼まんの?」
「もう頼んだ。プリン。」
「あれ、これ寿司食うの俺だけかな…?」
タッチパネルに、本日何回目かの『ハズレ』の文字がでかでかと踊った。
「………当たらんな。」
タッチパネルを凝視していた盧笙が首をひねる。
「当たらんなあ…」
「今何回目だ?」
「えーと…」
零の質問に、盧笙がタッチパネルを操作して確認する。
「今入れたのが25枚目やな。せやから、ゲームは5回目。」
「結構食ったと思ってたけど、まだそんなもんか。」
「いや25枚中10枚俺やし、零が結構食ったのはラーメンやろ。…2杯て。」
「ラーメン好きなんだよ。」
「そんで盧笙はそろそろデザート制覇した?」
「おう。プリンとアイスとシュークリームは、デザートやけど皿で来るねん。」
「せやね…」
嬉しそうに報告する盧笙に、隣で見てたから知ってる、とは、簓は言えなかった。
「そろそろ帰る?」
「俺はもういいぜ。」
「俺も…あ、でも…」
盧笙が、机の上に残っている皿を見た。
「あ、皿2枚残っとるんか。微妙な数やな…」
ミニゲームに必要な皿の数は5枚。こういう時に「じゃああと3枚」とさせるのが店の戦略なのだろう。
「プリン3つか…」
「盧笙食えるん?」
「食おうと思ったらまあ…でもちょうど3人おるし、1人1つ食えばええやろ。」
「せやな。ってことで、零も食べてな。」
「はいはい。」
注文を終えしばらくすると、そろそろ聞き慣れた音が鳴り、プリンが3つ同時に届く。
「うまいやろ?」
「ん、ほんまやこれ、結構うまいな。」
「お前が好きなの『固めのプリン』だったろ、なめらかはいいのかよ。」
「なめらかでもなんでもプリンは旨いやろ。」
「あっそ…」
ほぼ3人同時にプリンを食べ終え、残っていた2枚の皿と共に、皿の投入口に5枚の皿を落とす。
タッチパネルの中でミニゲームが始まった。
***
「いやー…当たらんもんやなあ。」
既に真っ暗になっている帰り道で、簓がぼやくように言った。プリン3皿追加で行われたミニゲームの成果は、『ハズレ』の文字だけだった。
簓の左隣に並んで歩く零が、ハハッと楽しそうに笑う。
「運わりーな。普通当たるもんだぜ。」
「いやー詐欺師のオッサンがおるわけやからな…そこで験が担げてなかったかもしれん。」
「失礼だな、俺は結構当たんだよこういうの。」
「アホな言い争いすな。うまかったし別にええやろ。」
簓の右隣に並んでいた盧笙が二人をたしなめた。
「簓、寿司ストラップ欲しかったん?」
「ちゃう!けど、ああいうのに当たらんと負けた気ぃせん?」
「せん。」
「俺は孤独や…」
ふっと盧笙が息を吐いた。笑ったのかもしれない。まだ秋だが夜の空気は冷たく、吐いた息は少し白く見えた。
白い息が消えない内に、盧笙が話し始めた。
「俺な、寿司あんまり好きやなかったんよな。」
「今言うのか。」
「え!?」
驚きの告白に思わず簓の声がひっくり返る。盧笙が慌てたように言葉を続けた。
「いや別に、嫌いやったわけやないで。ただ、俺ん家で寿司食うときって、テストでええ点取ったときって決まっとって。…寿司の出前取って、『次も頑張りなさいよ』とか言われながら食うもんやったから…あんまし良い思い出無くてな。」
「…」
「でも今日食ったの、うまかったわ。」
にこ、と笑いながら、盧笙はそう言った。
「盧笙、デザートばっかり食ってただろ。」
「ちゃんと寿司も食うたわ。マグロとイクラと、サーモンとたまご。」
「また行こな!」
「おう。」
「あ、でも次は零の行きつけの寿司屋やった!」
「どうかねえ。お前ら子ども舌みたいだし、良い寿司は早いんじゃねえの?」
「え~じゃあ子ども舌の俺らに本物の寿司食わせてや。」
「楽しみやなあ。」
「なー!」
「口の上手い奴らだな。」
零が言ったが、詐欺師に言われたくない。
足は駅の方へ向かっていた。盧笙の住んでいる家には歩きで帰れるが、簓の家には電車を使わないと帰れない。零は…どこに住んでいるのかもよくわからない。
「あー、でも今日飲んでねえのか。どうりで物足りないはずだぜ。」
零が思い出したように声を出した。
「今さらなにを言い出すんや。ビールなら寿司屋にあったやろ、頼めば良かったやん。」
「寿司は茶と食いたいんだよな。」
「知らんわそんなこだわり。」
「アッ!ちょっと待って!」
簓が唐突に両隣の二人を静止すると、二人は不思議そうな顔をして立ち止まり、簓の方に顔を向けた。
簓が咳払いをして、二人の顔を見つめる。
「零、今さらそんなこと言うても…」
一呼吸置く。
「時すでにお寿司…ってな!」
盧笙がデカイため息をついた。零が無言でタバコを取り出して、ふかしはじめる。
「さむ…」
盧笙が呟いたのを聞き、簓が頷く。
「せやなあ。最近急に冷えてきたよな~」
「アホお前のギャグの話や。」
「なんでや!おもろいやろ!」
「お前、発言する前に『これは本当におもろいやろうか』って考えた方がええで。」
「ツッコミ厳しすぎん?」
「いや、盧笙が正しい」
二人から口々に厳しい評価をされた簓が眉を倒した。
「だってなあ。めっちゃおもろいから、思い付いた瞬間、教えてやらなあかん!と思うんやもん。」
「おもしろくねえから冷却期間設けろって話だ。」
「あ!ちょっと待って。ここで一つ、謎かけを!」
盧笙がぎょっと簓を見る。
「ダジャレ言うんか謎かけするんか安定せえや。」
「えーコホン。『回転寿司』とかけまして、『ひらめいたギャグ』と解く。」
「…その心は?」
文句を言っていた右隣から、絶妙な間で相づちが届く。懐かしい感覚が嬉しかった。
「どちらも、『ネタの鮮度』が大事です!」
一瞬間を置いて、タバコの煙を吐き出す音と共に、零が「ああ」と声を出した。
「寿司の『ネタ』と、ギャグの『ネタ』な。」
「え、待ってそんなに冷静に解説するんはあかんやろ…」
「あかんのはお前の謎かけや。分かりにくい。やっぱり慣れへんことはするもんやないで。50点くらいや。」
「こっちは厳しすぎる!」
ハハハと零が笑う。盧笙も呆れたように笑った。
簓も笑い、口からは白い息が漏れた。
駅まであと少し。