バッドエンドを追いかけて(仮)Ⅱ
「東方天豺狼?」
「ああ、知ってるか?」
クルリと椅子の向きをこちらに回してそう尋ねてきた山田零を見つつ、俺は記憶の中の『東方天豺狼』の名前を探し出してから、頷いた。
「どっかの財閥のトップだろう?確か…娘婿が政治家で、最近政治に顔広げてる奴。」
「よかった、そこまで知ってるなら話は早い。」
「何が『早い』だよ、なんも伝わってねえっつの。」
山田零がいつもする自分勝手な話の進め方に悪態を吐くと、山田零はからからと笑って「悪い悪い」と謝った。シャーッと音を鳴らしながら、キャスター付きの椅子と一緒に、少し離れた位置にいた俺の元まで滑り来る。そして山田零は、そのまま俺に一枚の紙を手渡した。
「見ろよ、これ」
促されるままに読んだその紙には、要約すると『東方天豺狼が近々軍の本部に訪れるから、軍事開発技術部の代表である山田零も東方天豺狼に挨拶をしに軍の本部へ来い』という意味の、軍上層部からの通達が書かれていた。思わず掠れた笑いが喉から漏れてしまう。
「挨拶なァ…よっぽど上は政治家が怖いらしい」
「全く。軍事と政治の癒着の先に待ってるのは崩壊だけだよ。」
「軍の崩壊?政治の崩壊?」
「国の崩壊。ひいては世界の崩壊。」
答えた山田零はハアと深めのため息を吐いた。そして、憂いているような、焦っているような視線を紙切れに向ける。
「間に合わないかもしれないな…」
山田零の言葉に含まれていた苛立ちや焦りの理由は分かっていたが、こればっかりは今すぐどうにかすることもできない。
「…そんで?見せたかったのは、政治家にヘコヘコしてるうちの上層部だったのか?」
話題を変える代わりにそう尋ねると、山田零はパッと顔を上げて、忘れかけていたらしい話の本題を思い出した、という顔をした。
「違う違う!そっちじゃなくて、連絡の内容の方!」
「内容?『軍の本部に来い』ってやつか?」
「そう!」
「それがどうした」
聞いた次の瞬間、山田零は椅子に座ったまま、自らの顔の前で両手をパンッと大げさに鳴らし合わせた。それから俺に向かって勢いよく頭を下げて、下げた頭のまま大きな声を出す。
「お願い!俺の代わりに軍の本部行ってくんない!?」
「……はあ~?」
突拍子のない山田零からの頼みに、顔をしかめて声を上げると、頼んでいる立場であるはずの山田零は「だって」と不満そうな声で説明を始めた。
「俺、本部に行くの嫌いなんだよ。見た目ですぐ舐められるし、嫌味言われるし。」
椅子に座って唇を尖らせている山田零は、別段身体が小さいというわけではない。身長だけなら平均程度にはある。それではその身体のどこを見て舐められるのかというと、筋肉量の少ない体つきや、地毛であるのにピンク色がかった髪の毛などである。
頭脳明晰で数々の軍事開発の中心人物となった『山田零』という名前だけが軍内を一人歩きした結果、背だけが微かに高いピンク色の髪をした山田零は「実際に会うとひょろっちくて大したことなかったぜ」などとと評価されることが多かった。
「その点お前はさ、そういうので舐められることないじゃん?」
山田零はうらやましがるように俺のことを見ながらそう言った。
山田零と比べて俺はというと、身長も高いが筋肉量も並みの軍人程度にはあり、また「老け顔で不愛想」と評価されることも多いため、見た目で舐められた経験はない。
しかしそれとこれとは話が別である。
「だからってな…そんなに行きたくねえなら行かなきゃいいだろ。適当な理由つけて『行けなくなりました』って連絡しちまえよ。」
「そういうわけにもいかない」
「どうして?」
「接触しておきたい人間が、その日は本部に来るんだ」
「は?…東方天豺狼か?」
まさかと思いつつも山田零にそう聞くと、山田零は首を横に振ったので、とりあえず安心して胸をなでおろした。が、そんな俺の安心は、次の山田零の言葉で打ち消されることになった。
「東方天豺狼の娘、東方天乙統女。その日、東方天豺狼と一緒に軍の本部に来るらしい。彼女に会っておきたい。」
「………なんでまた」
思いもよらなかった名前が出たことで混乱しつつも、何とかそう声を出すと、山田零は不思議そうに首をかしげた。
「東方天乙統女、知らない?『言の葉党』って小さい政党の党首なんだけど」
「いや…そいつも言の葉党も知ってるが……何が目的でそいつと会う必要があるんだって聞いてんだよ」
東方天乙統女。東方天豺狼の一人娘で、先ほど少し話にも出した東方天豺狼の娘婿の、“娘”の方である。
東方天乙統女のことも、言の葉党のことも、その政党が女のみで構成されていることも、その政党が掲げているお綺麗な理念のことも、知識としては一応知っていた。知識はあるうえで、山田零がなぜその女と接触する必要性を感じているのか、俺には全く分からなかった。
山田零がにこと笑って口を開く。
「俺は彼女の考え方に結構賛成なんだよ。まあ俺も男だし、男性排除の極端な政策には賛同しかねるけど。」
「賛成って…理想論だろありゃ。実際に出来もしない理想論を述べるのは、誰にだってできる。
…あの女が言うように女が政権を握ったとしても、こんな世界じゃ根本を変えねえとすぐにガタがくるぜ。絵に描いた餅は食えねえんだよ」
「…絵に描いた餅なあ……」
少し考えるような間を取った山田零は、視線を上に向けてポツリと
「絵に描いた餅って言うなら、今俺たちが目指しているのも餅になりそうなもんだけどね」
と呟いたので、続けようとしていた東方天乙統女に対する言葉は俺の喉元で詰まった。
俺と山田零の二人しかいない研究室に、数秒間の沈黙が流れる。その沈黙が長く続けば続くほど、山田零の言葉に信憑性が増していっている気がして、沈黙を切るためにとりあえず口を開いた。
「その女とお前は違うだろ。目的が似てるだけで、その目的に向かって進んでるかどうかは全く違う。お前は進んでる。」
「んんー…なぁお前さ、なんで軍に入ったんだ?」
「…」
俺の言葉には答えず、山田零はそんなことを尋ねてきた。
脈絡のない言葉に「突然なんだ」と返す気力すら湧かず、せめてもの反抗にとため息を吐いてから、俺は山田零の新たな質問の答えを用意した。
「…軍に入った方が便利なことが多いからだよ。」