ゆるゆるまふぃあパロ後部座席に座っている簓が、不機嫌そうな顔で
「最近ここら辺で流れとる俺らの噂、零知っとる?」
と尋ねてきたため、運転席の零はバックミラー越しに簓のことを見た。
「噂?」
知らない、という意味を込めて語尾を上げ、零が簓の言葉をオウム返しにする。零の答えを聞いて、簓の隣に座る盧笙が
「零が知らんのならそんなに広く流れとるわけやないで。よかったな。」
と、簓を慰めるようなことを口にしたので、零にはますます二人が何の話をしているのか分からなくなったが、不満そうな顔を変えない簓が次に言った言葉で、次の瞬間思わず吹き出すことになった。
「俺らのドン、零やと思われとる。」
ひとしきり笑った零は、まだかすかに残る笑いを何とか収め、不満そうな簓をフォローするために
「ドンが車の運転はしねえだろ」
と、当たり障りのなさそうなことを口にした。
「俺やなくて噂しよる奴らに言うてや~どれもこれも零の顔がいかついからやで!?」
「そりゃ悪かったな、元々この顔だ。」
「…というか、顔でボスの判断しよるような奴らの言うこと、いちいち真に受けんなや」
呆れたように盧笙に言われて、簓は「せやってぇ」と納得してない声を出しながら座っていたシートの頭の部分に首を預けて、車の天井を向いた。
「むしろ好都合やろ。ボスが誰かはっきりわかってないなら、うかつに狙われることも少ないし。」
盧笙がなおも正論で簓をたしなめる。
「…ま、ボスの情報もまともに手に入れられない連中に狙われたところで…って感じだけどな。」
そんな盧笙の正論に運転席から零がツッコむと、盧笙からの『今なだめとるんやからいらん事言うなよ』と言いたげな視線がバックミラー越しに飛んできたので、零は軽く笑って口をつぐんだ。
簓が天井を向いたまま、ポツリと
「…俺がボスなんに」
と、呟く。盧笙は何度か頷きながら、子供でもなだめるように簓へむかって口を開いた。
「せやな。お前が俺らのボス。ドン。分かってるって。」
「よそから見たらそう思われてないんやで?」
「別によそがどう思っとったってええやろ。」
「良くない!」
ガバッと顔を上げた簓が、やはりまだ不機嫌そうなままで言葉を続けた。
「俺はお前らのボスやから、お前らのことには責任持つ義務がある。なのに、その義務の所在があやふやになったり、ボスが誰か分からんようになっとるせいで俺以外の奴が狙われたりなんかしたら、あかんやろ。」
めずらしく真面目なことを言う簓に、少しだけ盧笙が言葉を詰まらせて、黙って二人のやり取りを聞いていた零は
「良いボスだなァ、簓は」
と、からかうように…あるいは照れ隠しのように、笑った。
「でも零がボスやと思われとるのは、なんか負けたみたいで普通に悔しかったから、別の噂も流しといたで!」
「別の噂?」
盧笙が簓へ聞き返す。簓が思い出したように言った内容は盧笙も聞いていなかったことらしく、不思議そうに首をかしげていた。そんな盧笙相手に、簓はどこか得意げに話を続けた。
「そう。零の噂。」
「俺の噂かよ。」
突然自分の名が出てきて零が苦笑いをすると、簓は軽く頷いて、その流したという噂の内容を2人に伝えた。
「『オオサカのボスには実は娘がおって』…」
「は?」
「『その娘の名前が“れい”で』…」
「ん?」
「『その娘は事務所の本部で大事に育てられとるから、狙うならその娘がええ』…って」
「なんっでわざわざ襲撃されそうな噂流しとんねんお前はっ!!」
盧笙が簓の胸倉をつかみ、がくがくと揺らす。揺らされている簓が「だって~」と物理的に震える声を出した。
「おもろいと思わん?事務所に『“れい”って女はどこだ!』って乗り込み来たらさぁ」
「思わん!後処理するん誰や思うてんねん!!」
「いつもありがとうな~ろしょ~」
「ふーざーけーるーなぁ~っ」
後部座席の狭いスペースでつかみ合いを始めた二人をバックミラーで眺めていた零だったが、しばらくして
「ま、いいんじゃねえの」
と言ったため、二人は意外そうな表情で零のことを後ろから覗きこむように見た。零が顔をゆがめる。
「あぶねえからちゃんと座ってろよ。」
「だって意外で…零、もっと嫌な顔して文句言ってくるかと思いよった。」
「なんで文句言われそうなことやるんだよ」
簓の予測を聞いた零は苦笑いをしたまま、返答をした。
「いくら馬鹿っつっても、そんな突拍子もない噂じゃ、信じる奴も出てこねえだろ。」
「そう?」
「そーだよ。それに、酔狂なボスに文句言うだけ無駄だしな。」
「それは言えとるわ。」
零の諦めの色が滲む発言に盧笙が同意した。そして2人が同時にため息を吐く。いつも零と盧笙の二人に気苦労をかけている本人である簓は、車内に漂いだした2人分の呆れた空気に肩身狭く後部座席で縮こまった。
***
(…『そんな突拍子もない噂じゃ、信じる奴も出てこねえだろ』…って、あん時は確か言ってたんだけどなぁ……俺もまだまだ見込みが甘いか)
ほんの数日前の、自分が運転していた車内での一幕を思い浮かべながら、零は一人そんなことを考えてから内心ため息を吐いた。
なぜ今、零が簓、盧笙との他愛のない会話を思い出しているのかと言うと、つい数分前、零しか滞在していない事務所の本部に、アポイントメントのない訪問客が大挙して押し寄せてきたためである。ガラの悪い男たちがぞろぞろと、また物騒な武器をひけらかしながら事務所内に押し入ってくる様子は、とても『お話をしに来ました』というようでは無かったが、この件で零が一番頭を抱えたのはその部分では無かった。
「“れい”って名前のボスの娘がここにいるはずだ!どこにいる!」
事務所内に唯一いた零に武器を突き付けて、興奮した様子でそう叫ぶ知らない男を見ながら、一応両手を上にあげた零は数日前の会話を思い出し、そして内心ため息を吐いていたのだった。