楽園 背中を見つめてると、置いていかれるような気がする。
ふと目が覚めて、ああ今自分は寝ていたのだと自覚するまでの数秒間、夢の余韻が過ぎ去っていく。温もりに満ちた夢だった気がする。なぜそんな夢を見たのか、理由はわかっていた。寝るまでの間、包まれていたからだ。
事を終えて、後始末をしているうちに眠ってしまったらしい。シャワーは朝起きたらでいいだろう。隣に枕を並べる彼の、剥き出しのままの背中を見ていた。俺もコイツも、全裸のままだった。
いつか、俺を置いて行ってしまうのではないか。抱きしめられた時の、繋がっている時の体温があたたかければあたたかいほど、夜中の寂しさは倍増する。かつて、ここは楽園だったはずだ。世界に二人っきり。愛している、この言葉だけが俺たちを繋いでいる。
身体を起こして、アイツの顔を覗き込んだ。長いまつ毛が影を落とした、薄い瞼に触れる。どんな夢を見ているのだろうか。その夢の中に、俺はいるだろうか。起きた時に、俺のことを覚えていてくれるだろうか。
しなやかな白い身体が、カーテンの隙間から漏れる月光に照らされていた。彫刻のように整った、無駄のない肉付き。首、鎖骨、胸板を指で辿り、心臓のあたりで止めた。どくん、どくんと規則正しく呼吸しているのを確かめて、何故か余計寂しくなるのを感じる。コイツはここにいて、でも、俺だけのものじゃなくて。
布団の下に隠れる、臀部と足も指で撫でた。いつも観客を驚かすアクロバティックな動きはなりをひそめ、静かに横たわっている。
この姿を知っているのは俺だけだ。世界中で俺だけ。
さっきまで繋がっていたのに、もう、彼が欲しくてたまらなくなった。
俺の中に残る彼の熱が、俺を急かす。彼と繋がりたい。一つになりたい。どこにも行かないと言って欲しい。俺を繋ぎ止めていてほしい。
彼の鼻筋と、唇を撫でた。酷く愛おしかった。そのまま顔を寄せたけれど、ここにきて恐怖が膨らみだす。
不愉快だとのけられたら。迷惑だと言われたら。
寝込みを襲うんだから、そりゃあそうなんだけれど、でも、存在を否定された気分になるだろう。俺は今彼が欲しいけれど、彼はさっきまで俺を食っていたわけで、もうとっくに腹一杯のはずだ。俺ばかり欲していて、バカみたいだ。
頬の匂いを嗅ぎ、そっと口付けした。本当はこのまま、もっと彼を貪りたい。でも、耳に入ってくる寝息を途切れさせたくはなかった。俺の欲望なんて、このまま闇にとけてしまえばいい。一人は、慣れている。
そう思い身体を離した途端、力強く腕を引き寄せられた。わ、と声を出しそうになった唇に、唇が触れる。
「お、起きてたのか」
「そりゃあ、あんだけ触られたら」
後頭部に添えられた手が優しく髪を掻き回す。再度触れた唇は熱くて、俺の欲しかったもの全てが吸い取られてしまいそうだった。
「意気地なし」
そう呟いて彼は、俺の首元に手を這わす。全てを見抜かれている。俺が彼を欲していたことも、どうしても我慢してしまうことも。
「どうしたいか、言ってみろよ」
優しい、掠れた声。この声を知っているのも、世界中で俺だけだ。俺だけのものだ。
「……オマエが欲しい」
今度は俺から口付けする。彼は舌で迎え入れた。繋がれた手の先から一つになっていく。
かつて、ここは楽園だった。世界に二人っきり。そしてそれは今も、これからも。朝日はまだ俺たちに気づかない。愛しているの一言を伝えるには、充分な長さの夜だった。