六月「もう今年も半分過ぎたんですね」
「早いッスねえ」
うららかな晴れの日、プロデューサーと円城寺さんが、緑茶を啜りながら窓の外を見上げた。緑茶はいつのまにか温かいものから冷たいものに変わっている。暑かったり寒かったりと忙しい気温の日々だが、着実に時間は前に進んでいるようだ。
「店のカレンダー、捲らないとな」
円城寺さんが思い出したように呟き、俺はその言葉にはっと気づく。貰い物の卓上カレンダーを捲らないと。俺の家だけ季節が止まったままになってしまう気がして、帰ったら一番にやろうと思った。たかだか紙一枚なのに。普段は見もしていないのに。
「師匠、日数が少ない月、どうやって覚えてました?」
「えー、西向く士、かなあ」
「それが一般的ッスよね」
「……なんだ、それ?」
円城寺さんは拳を作り、手の甲を指でなぞった。ごつごつした指の付け根を俺に見せながら、懐かしそうに目を細める。
「三十までしか日にちがない月と、三十一まである月。こうやって、人差し指の根元から小指に向かって、でっぱりと窪みを交互になぞるんだ。でっぱりがある方は三十一まである月で、小指の付け根は折り返しだから二回触る。そうすると、一月から順に、日数が多い月と少ない月がわかるって寸法だ」
俺は言われるがままに、拳を指でなぞった。いち、に、さん……確かに、でっぱってる方が、三十一まである月だ。
「私は、西向く士、小の月と言って、に、し、ろく、く、じゅういち、の語呂合わせでした。十一は上下に書いて、侍という意味の漢字になるんです」
「にしむく……本当だ。二人とも詳しいんだな」
俺はすっかり感心してしまった。月日の流れの話から飛んだ話題だったけれど、二人の教養の高さを垣間見た気がする。俺はこういった些細な知識に触れる度、世界の広さを目の当たりにしたように思えてソワソワする。この世界は、知らないことだらけだ。
「さて、打ち合わせにもどりましょうか。漣君、起きてください」
ソファを占領するコイツに、今言ったことを教えたらどんな反応をするだろうか。そんなの知ったこっちゃねーとか、どうでもいいとか言いそうだけれど、案外知っているかもしれない。コイツはたまに、妙なところで博識だったりする。それが悔しかったり不思議だったりするが、それでもやっぱり、俺は知らないことに出会えるとソワソワしてしまう。
「オイ、起きろ」
鼻を摘まむと、ぐ、と変な声が漏れた。眉間に皺を寄せているコイツの顔は面白い。
「今から帰るから、チェーン開けとけよ」
「あー」
ソロの仕事の帰り道、スマホでアイツに電話を掛けると四コールで出た。LINKにすると、既読になっても本当に読んでるか読んでないかわからない。電話の方が手っ取り早い。電話は、いつのまにか俺たちの間での習慣になっていた。アイツが俺の家に寝泊まりするようになって、もうどれくらい経つだろう。
「牛乳あるか? パンは?」
「どっちもある」
不機嫌そうな声のわりに、ちゃんと確認してくれるのは、明日の自分の朝飯になることを理解しているからだ。それなら買い物せずに帰っていいか。時間を確認しようとして、スマホの待ち受け画面に六月の文字が見えた。
「……なあ、ひとつ頼んでいいか」
「ああ? んだよ」
「カレンダー、捲っといてくれないか」
「……はあ?」
昼、事務所で休憩している時のことを思い出す。にしむくさむらい、と呟きながら、己の拳を見た。六月は、小指の一つ前の窪み。
「今日から、六月だろ。捲るの忘れてて」
「自分でやればいいだろ」
「なあ」
街は、どこか忙しない。下半期に入ったからだろうか。人々が改めて時の流れに気付いて、振る舞いを正そうと軌道修正しようとしているからかもしれない。
「三十日までの月と、三十一日までの月があるだろ。どうやって違いを覚えたとかあるか?」
「違い? そんなん、交互にくるだけだろ」
交互に来るという概念はあったのか。くすりと笑って、伊達メガネのズレを直した。
「覚え方があるんだ。プロデューサーと円城寺さんに教わった。後で教えてやる」
どうでも良いって言うかな。やっぱり知ってるって言うかな。アイツもソワソワすることってあるのかな。足早に歩きながら、味気ないカレンダーを思い出す。あの紙の上にも、等しく時は流れてる。
梅雨の時期が、始まろうとしていた。通りすがりの家に咲いている紫陽花が、青とピンクに笑っていた。