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    komaki_etc

    波箱
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    北村Pの漣タケ狂い

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    komaki_etc

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    モブおじさんと、少年時代の漣の話

    タンポポ 一人になってからというもの、特に「恋しさ」というものは感じなかった。故郷や、暮らしや、親父に対して。
     あの頃はとにかく夕日が眩しかったことしか覚えてない。果てしない汽車に乗った時の、目を見張っていないと目的の駅を通り過ぎてしまうんじゃないかという焦燥感と、日々の感情は似ていた。しかし、この国は夜も平和だ。そこらじゅう明るく、道は整備されている。
     オレ様に貢ぎたいというヤツに任せておけば、寝る場所にも食い物にもそこまで困らなかった。毎日ストリートファイトに明け暮れて、汗を流した分、夜は眠るだけだった。いろんな大人に出会ったが、誰がどんな顔でなんて名前だったかも、もう覚えてない。だけど一人だけ、忘れていない顔がある。豪快に笑う男だった。
     ある日、風が随分と肌を冷やした朝。鼻を垂らしながらフラフラと街を歩いていたら、やたらと人が並んでいる屋台があった。店頭を見てみると、寸胴鍋から濃ゆい湯気が昇っており、忙しなく手を動かす割烹着の人間の輪郭をぼやかしていた。スープの炊き出しだった。紙皿を配る女性の顔は貼り付けたようににこやかで、鼻は寒さに赤く染まっていた。
     ぐう、と腹が鳴るのが聞こえ、途端、空腹感に襲われる。思えば昨日は野宿で、夜から何も食べていなかった。くらくらする頭でぼーっと寸胴鍋を眺めていたら、ポン、とオレ様の頭に誰かの手が乗った。慌てて振り払い、その腕の先を見上げる。
    「やあボーヤ、どうしたんだい?」
    「……ボーヤじゃない」
    「じゃあガキか!」
     がはは、と力強く笑う男がそこにいた。大きな口は灰色の豊かな髭に覆われており、目元は黒い帽子の影になって見えにくい。男はオレ様がいくら振り払っても構わないというように、ポン、ポンとなんども頭に手を乗せてくる。
    「腹すかせてんだろう」
    「ちげーし」
    「ガキが遠慮すんな、一緒に並ぼう」
     結局、オレ様はその男と一緒に炊き出しの列に並び、卵とワカメのスープを隣に並んで食した。熱々の汁で舌先をやけどしながら、それでも襲い来る空腹感をなんとか満たそうとしながら焦って食べるオレ様を、その男は愉快そうにずっと見ていた。
    「おいガキ、お前さん、風呂いかないかい」
    「風呂ォ? まだ昼じゃねーか」
    「まあまあ、おっちゃんの奢りだ」
     昼から入る風呂は格別だぞ、というのが、その男の言い分だった。オレ様は特に行く当てもなかったのと、昼から行く銭湯に興味を持ったので、気まぐれに着いて行ってやった。
     さすがに昼ともなると、銭湯に人は少ない。オレ様たち以外には、腰の曲がったじいさん一人しかいなかった。男はオレ様に小さな石鹸を買い与え、そのくせ自分の分は買わず、「ちょっと分けてくれ」とのたまった。
    「これはオレ様のだろ」
    「いいじゃねえか、使い切れねえだろ」
    「自分で買えばいいじゃねーか」
    「こういうのは、分け合うのがいいんだよ」
     結局その時は男に押し切られ、残りの石鹸を使われてしまったのだった。まあどうせ、持ち帰ることもなかったし。これもまた買ってもらったタオルで乱暴に身体を擦りながら、今日だけの石鹸の香りを数度吸い込んだ。
     湯船に身体を浸すと、途端、大きな安心がやってくる。巨大な力に覆われて無敵になったような、それでいて無防備で仕方のない気持ち。オレ様は隣に浸かる男の顔をしげしげと見た。髭はぼうぼうと生えているくせに、頭は随分と寂しい。
    「なんだいガキ、おっちゃんの顔に泡ついてるかい」
    「……髭がついてる」
     がはは、そりゃそーだ、とまた愉快そうに笑い飛ばした男の振動で、湯舟の水面に波紋が広がる。笑いって、目に見える形にするとこんな感じなんだな、と思った。
    「ガキンチョは、綺麗な髪してんなあ」
    「…………」
    「お前さんは、キレーな、かわいいガキだ」
    「かわいいとか言うな」
    「だからな、大事にしなきゃなんねえ」
     男が言ったものが、髪のことなのか、それとも別のことなのかは分からなかった。だけどオレ様はこの時、この男と会うのは今日が最後になるんだろうな、ということだけわかった。なんだか別れの挨拶だと感じたからだ。
    「そろそろ上がるか。しっかりあったまったか?」
    「あちい」
     それはよかった、と笑った目元の皺のなかに、小さなほくろがあることにその時気付いたけれど、そのことは指摘しなかった。
     男はドライヤー代まで出してくれた。オレ様が鏡の中の自分を忌々し気に見ていると、
    「自分のことは、自分が一番自信持ってなきゃダメだ」
     と肩を叩いた。オレ様はその頃、自分の顔を見るのが嫌だった。離れた親父を思い出させるから。鏡さえ見なければ思い出さない。この銀髪も金の目も、忌々しいものだったけれど。男にそこまで言う義理はない。それに男は、この髪を気に入ったようだった。相変わらずポンと撫でてはオレ様に振り払われることを繰り返している。
    「ああ、今日は良い日だ」
     銭湯を出て、明るい日差しの中を歩く。すっきりした肌で纏う冬の空気はピンと張りつめていた。
     どこに行くでもなく、オレ様と男は街中を歩いた。
    「なあ、なんでオレ様に声かけたんだよ」
    「そうだなあ」
     男は髭を撫でながら、愉快そうに目を細める。
    「お前さんは、昔の俺とよく似てるんだよ」
    「はあ? どこがだよ」
    「なんだろうなあ。言葉にはできねえ」
    「……オッサンも、ギンパツだったのか」
     そう言ったことを後悔するくらい、男は今日一番の大声で豪快に笑った。道行く人が振り返っては怪訝そうな顔をして去っていく。オレ様は居心地が悪くなり、男の袖口を引っ張った。
    「おっちゃんのはなあ、ただの白髪だ。今じゃすっかりつるっぱげだけどさ」
     ひいひいと腹を抱えて笑う男を見ているうち、オレ様もなんだか可笑しくなってきて、釣られて笑いが込み上げてきた。このオッサンに銀髪は似合わない。みごとなハゲに、そんな想像はできなかった。
     二人でひとしきり笑ったあと、どちらからともなく、大通り沿いの公園に向かった。大道芸人がよくいる場所なので、日中の暇つぶしにちょうどいい場所だった。
     ベンチに腰掛け、家族連れを視界に入れる。向こうからは、オレ様達はどう見えているのだろう。知らずのうちに溜息をついていたのを、男は気付かない振りをしてくれた。
    「おい、ガキ」
    「なんだ、オッサン」
    「今日、お前さんと会えてよかったよ」
    「……そーかよ」
     こういう時、なんと述べていいのか、オレ様は知らなかった。ただ、晴れ晴れとした空の下で、隣に座る見知らぬ男の、目元のほくろが笑い皺に隠れるのは、大変嬉しいことだということだけ、大事にしまっておこうと思った。
    「じゃあ、おっちゃんは行くから」
    「……どこに」
    「どこにだっていいだろ。好きな時に、好きなところに」
     ポン、と頭に手を乗せられる。振り払う気にはならなかった。今度こそ最後だとわかると、空の青さが眩しかった。
    「おっちゃんはな、タンポポが好きだよ」
    「タンポポ?」
    「その辺にたくましく生えてる。そんな風に生きたつもりだけど、どうだったかなあ」
     それじゃあ、と再度オレ様の頭を撫で、片手をあげながら去っていった男の名前を、オレ様はついぞ知らなかった。オレ様も名前を告げなかったから、もうオレ様たちを繋げるものは、銭湯の石鹸の香りしかない。
     オレ様はその日そのままそのベンチで昼寝をして、夕日の中ストリートファイトに向かい、泊めてくれる大人を見つけられず、遊具の中で眠りについた。明日の炊き出しには一人で行くのだ。きっと豚汁だと思った。
     次の日、昨日の炊き出し場を目指して歩いていると、青いビニールシートが倒れていた。それを囲む赤いコーンと、数人の警察。あ、あの男だ、と思った。
     昨日のあの男が死んだのだ、と思った。
     名前も顔も知らない大人に毎日囲まれて生きてきた。その中の一人にすぎないはずなのに。オレ様はしばらく呼吸が出来ずにその場に立っていた。視界がぼやけて、手が震える。
    「ボーヤ、大丈夫かい?」
     オレ様に気付いた警察に声をかけられる。その呼び方に、昨日の記憶が蘇った。『やあボーヤ、どうしたんだい?』
    「……ボーヤじゃない」
     そっと伸びてきた手を振り払い、オレ様はそのまま歩いて行った。生きていかねばならなかった。
     やっぱり炊き出しは豚汁だった。紙皿を配る女性は今日も笑顔で、舌先はやけどに見舞われた。
     紙皿を回収するためのゴミ袋のかげに、タンポポが咲いているのをみつけた。まさか。目を擦り再び見ても、そこに二輪、咲いている。いま、冬なのに。これは春の花じゃないのか。
     気付けば、その花を摘んでいた。青臭い匂いが手に付いた。石鹸の香りはとっくに指先から消えていたけど、行かなければ、と思った。
     男は最初から、昨日死ぬつもりだったんじゃないだろうか。さいごに美味いスープを食えて、身体を綺麗にできて、ガキに親切もできた。それで理由は十分じゃないか。ビニールシートの下の顔は知らないけれど、目尻の皺の奥のほくろを探すつもりで、昨日別れた公園に行く。
    『お前さんは、キレーな、かわいいガキだ』
     男の声が耳の中でこだまする。愉快で仕方ないといった様子の、豊かな髭の中の口。
    『だからな、大事にしなきゃなんねえ』
     ポン、と何度も頭に置かれた手の無骨さを思い出す。黒い帽子の下のハゲ、浅黒い肌。
    『自分のことは、自分が一番自信持ってなきゃダメだ』
    「…………」
     泣けなかった。泣いてたまるかと思った。勝手に声をかけてきたのはそっちだ。銭湯に誘ったのも、石鹸を買い与えたのも。
     墓前に添えろってことだったんだろう。ベンチの下に、タンポポを置いた。あのオッサンが結局どこに行ったかは知らない。だから、オレ様にとっての墓はここだ。
     一人になってからというもの、特に「恋しさ」というものは感じなかった。故郷や、暮らしや、親父に対して。
     だけど時たま、あの日の空の眩しさのことを思い出す。昼間に行く銭湯の不思議な心地や、笑いの波紋の形なんかも。
     最後にタンポポの話をしたのは、ある種の呪いだと思っている。
     この話を誰かにしたことはない。
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