恋について考える話 1
その日は別役太一と村上鋼の二人きりだった。夜になると防衛任務があるので、それまで鈴鳴支部でお茶を飲んで時間を潰すことにしていた。
長方形のテーブルの上に一枚の丸い皿がある。その皿の上には煎餅やクッキーが置いてあり、別役がその中の煎餅に手を伸ばした。
「この煎餅、美味しいって有名らしい。」
「へぇ。鋼さん、よく知っていますね。」
「来馬先輩から聞いたんだ。この煎餅もクッキーも来馬先輩が持ってきてくださったんだ。」
「来馬先輩、いつの間に持ってきてくれてたんですね。おれ、全然知らなかったです。」
以前から鈴鳴支部長がお客さんが来た時の為にお菓子を用意しているのは知っていた。しかし、来馬辰也がお菓子を持ち寄ることを村上も知ったのはつい最近だった。
時々、来馬は大学やボーダー本部の帰りにお菓子を買う。そしてそのお菓子を鈴鳴支部に持ち帰り、長方形のテーブルの上に皿を置いてそれらを並べる。来馬は自分がお菓子を持って来たことについて何も言わないので、別役が知らないのは仕方の無いことだった。村上は、来馬がお菓子を皿に並べているところを偶然目にし、話を聞いたのだ。
「そういえば、来馬先輩と今先輩はどこにいるんですか。」
「二人は勉強会の為に出かけているんだよ。」
二人は勉強会をしている。と言っても同じ場所にいる訳ではない。来馬は太刀川慶の単位が危ういので大学で堤大地など何人か集まって勉強会している。今結花も同様に国近柚宇及び当真勇の成績が危ういので救済をする為に学校に残った。補習が近々行われるからである。
村上が鈴鳴支部にいる理由は別役が鈴鳴支部で一人にならないよう今から頼まれていたからだ。頼まれなければ村上は今の手伝い、つまり勉強会に参加する予定だったのだが、別役を一人にするのは村上も心配だった。
そんな事は露知らず、別役は「まぁ、そのうち来ますよね。」と言って次はクッキーに手を伸ばした。
「鋼さんって来馬先輩のことどう思っていますか。」
「急にどうしたんだ、太一。」
「鋼さん、来馬先輩のこと好きなんですよね。」
その言葉に村上は飲み物を吹き出しそうになった。そして前振りもなく突然のその質問に村上は狼狽した。
ボーダーの間で恋の話はあまり出ない。学校ではどの女の子が可愛いかという話はたまに出るが、誰が好きかという話題にはならない。ましてや鈴鳴第一の間で恋の話をする機会は滅多に無かった。
「太一が改めてそう聞くのは珍しいな。」そう言いながら質問の答えを考えた。
そして考えた結果、一つの結論を導き出した。太一はオレに来馬先輩のことが好きと言わせたいし自分も言いたいのだろうと。
そこで村上は「ああ、オレは来馬先輩のことが好きだよ。とても尊敬しているし、これからも鈴鳴第一のメンバーとして貢献していくつもりだよ。」と答えた。
おれも来馬先輩のこと大好きです、太一は嬉しそうに元気よく返事をするに違いない。
村上はそう考えていた。
しかし、村上の予想に反して別役は唇を尖らせて不満げな顔をした。
「おれ、そんな話をしているんじゃありません。」
村上は自分の予想が外れ、戸惑った。
「でも、太一はオレが来馬先輩のことを好きか聞いただろう。だからオレはその答えを言ったんだ。本当にそう思っているんだ。」
そう言うと別役はさらに口を尖らせ、「違うんですよ。」と言った。
オレは、何か太一に何か言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。頭を抱え、必死で村上は考えた。
しかし、いくら考えても理由が思いつかないので村上は別役に尋ねることにした。
「太一、教えてくれ。何を聞きたいんだ。」
村上は眉を下げ、困った顔をする。それを見た別役は大きく深呼吸をし、村上の目を見て言った。
「恋の話です。」
「えっ……。」
「おれ、鋼さんが来馬先輩に恋しているんじゃないかって思ったんです。」
別役のその言葉に村上は、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「そんなこと、考えたこと無かった。」
「え、意外ですね。てっきりそうじゃないかとばかり思っていました。」
「むしろその理由を知りたい。太一、どうしてそう思ったんだ。」
冗談で言っている訳では無いだろう。確かに太一は突拍子もないことを言うかもしれない。しかし、それには理由があるはずだ。そう村上は考えた。
それに対し、別役は「実はこの前、学校に漫画が落ちていたんです。」と手に持ったクッキーの欠片を床にポロポロ落としながら話し始めた。
2
学校の掃除の時間のことだった。笹森日佐人、半崎義人、佐鳥賢、そして別役太一の四人は校舎裏の落ち葉の清掃をしていた。笹森が一本の大きな木の下に木の葉が多く落ちていることに気づき、掃除をしようと木に近づいた。するとそこには一冊の漫画本が落ちていた。
「なんだろ、これ。」
笹森は漫画を読むことが好きなので、もしかしたら自分好みの本かもしれないと考えた。何のタイトルか調べる為に表を向けると笹森は思わずヒュッと、声にならない声を出してしまった。
それを見かけた佐鳥は笹森に駆け寄った。
「どうした。」
「あっ……。いや、これを見つけてしまって……。」
笹森は罰が悪そうな顔をした。佐鳥がその見つけたものを覗くと同じくヒュッと、声にならない声を出してしまった。
次に半崎が掃除を中断している二人を見かけて近づいた。
「サボってるのバレたら後々ダルいぞ。」
「いや、こっちもサボるつもりはなかったんだよ。でも、これ見つけちゃったから。」
そう言って笹森は見つけた本を半崎に見せる。
何かよからぬ本でも見つけたのかと半崎は考えたが、表紙を見た瞬間ため息をついた。
「あー、うん。これはダルいわ。」
「これ、どうする。」
「元の場所に置いておけばいいんじゃないか。持ち主だって探すかもしれないし。」
「いや、それはまずいよ。最近、先生の掃除のチェックが厳しくなってるし、それにここの掃除はオレら担当だから、先生がこの漫画本に気づけば『何で知らせなかったんだ』って怒られるかも……いや、オレらが怒られるのはいいんだ。むしろこれを先生に見つかったとして、この本の持ち主が可哀想だ。」
笹森の言うことに二人は最もだと考えた。確かに、半崎の言う通り元の場所に置くのも良かったのかもしれない。しかし、例の漫画の表紙を見たことで動揺し、普段ならボーダーでの経験を活かし冷静な対処が出来る三人も、今のこの状況で最善策を考えることは困難だった。
それではこの先、どうするかを三人で考えている矢先に別役が新品の大きなゴミ袋を右手で持ち、手を振って近づいた。
「袋、持って来たけれど……って何やってんの。」
別役の言葉に三人はギクリとなった。笹森は思わず漫画を後ろに隠した。
「落とし物があって……。」
「落とし物なら先生に届けた方がいいよな。おれ、先生に届けてくる。」
「あ、うん。そうなんだけれど……。」
「なぁ、何を見つけたんだ。」
別役が笹森が隠している物に興味を示し、後ろを覗こうとした。それを避けようとした笹森はバランスを崩し、木の葉の溜まった場所へ倒れた。
その瞬間、笹森の持っていた例の本は宙を舞い、別役の顔面に当たってしまった。
「痛っ。あれ、何だこれ。」
そう言って別役は本のページをパラパラとめくり漫画を読み始めた。
「さっきはごめん。顔、ケガとか大丈夫だったか。」
「おれは大丈夫。それより、この本……。」
三人はやってしまった、と言う顔をした。こういうのは知っている人数が少なければ少ない程、持ち主の傷が浅いと思ったからだ。そう思いつつ、漫画を同様に見始めた。
「男同士すごくくっついてるんだな。」
「うん、そうだね。」
「しかも壁ドンしてるし。」
「うんうん、してるしてる。」
「それにこれってキ……。」
「ストップ、ストップ。」
佐鳥が慌ててそう言うと自分の口の前に人差し指を持っていった。別役だけでなく半崎と笹森も佐鳥と同じことをした。
「まぁ、そういうことだ。この本は持ち主の名誉に関わる。だから先生に預ける訳にはいかない。このオレが全責任を持って持ち主に届ける。」
「持ち主、誰か分かるのか。」
笹森は目を見開いて佐鳥に聞いた。
「あそこ見てみろ。あの女の子を。」
現在、佐鳥達のいる一本の大きな木の下から数メートル先に女の子がいる。顔は青ざめ、下を見て何かを探しているように見えた。
「あの子が持ち主ってことか。」
「でも、どうやってそれを渡すんだ。直接渡したら、それこそ相手に恥かかせるだろ。」
「佐鳥にお任せあれ。」
そう言うと佐鳥は大きな木の下を離れ、女の子に声をかけた。ボーダーの顔だけあって佐鳥が声をかけてきたことに女の子は驚いた。何を話したかは木の下ではわからなかったが、女の子の表情は明るくなり、佐鳥に頭を下げてその本を受け取った。
「凄いな。」笹森は目を輝かせ、半崎と別役は拍手をした。
それに対し、佐鳥は「いやいや」と言いながら決めポーズをした。
3
「鋼、太一。お待たせ。」
優しい声が鈴鳴支部の部屋に聞こえた。
「来馬先輩。お疲れ様です。」村上と別役は立ち上がり、来馬を出迎えた。
「あれ、今先輩はまだですか。」別役は今の姿を探した。
「今ちゃんはもうすぐ帰って来るよ。さっき会ったんだけれど、買うものがあるから先に準備して欲しいって。」
テーブルには別役の食べた煎餅やクッキーを開けた際に出たゴミが置いてあった。他にも村上と一緒に飲んだ湯飲みや食べなかったお菓子などもそのままだったので、片付けを始めた。
「ぼくも手伝うよ。」
「ありがとうございます。」
別役が湯飲みを洗おうとするとそれを割ってしまう可能性がある。怪我をしては大変なので村上が洗うことにした。来馬は別役とテーブルを拭いてゴミを片付けた。
ちょうどテーブルの上が綺麗になった頃、今が「ただいま。遅くなってごめんね。」と言って部屋の中に入ってきた。
「今先輩、おかえりない。何を買って来たんですか。」
「今日の晩御飯の材料よ。」
今は別役に袋の中身を見せた。そこにはパスタの麺が入っていた。
「防衛任務が終わったら、太一の好きなナポリタン作ってあげる。これだけ無かったのを思い出したから、買って来たの。」
別役は目を輝かせて「いいんですか、ありがとうございます。」と言って喜んだ。
「さて、そろそろ時間だね。皆んな揃ったから行こうか。」
来馬達はトリガーを起動し、防衛任務に向かった。
本日の鈴鳴第一の担当区域は本部基地の西側である。村上と来馬はトリオン兵がいないかの見回りを、今は狙撃手に最適な建物をデータで分析して、別役に知らせる。今の知らせを聞いた別役はそこに向かった。
「門は今のところ開いて無いね。」
「はい。」
村上はトリオン兵がいつ出てきても良いように警戒しているが、別役から聞いた話が頭の中から消えなかった。
学校の掃除の時間に、別役が佐鳥達と漫画の本を見つけたこと。その本の内容が男性同士の恋愛物だったこと。佐鳥が持ち主である女の子に返し、なんとかその場は円満に収まったこと。そして、その後のことだ。
「なるほど、太一達も大変だったな。」
村上はそのような現場に遭遇した場合、自分だったらどうしたら良いか思いつかなかったので、佐鳥の対応に感心していた。
「鋼さん、その本を返した後の話聞きたいですか。というか、むしろここからが本題なんです。」
別役は、目を輝かせながら村上に言った。来馬のことが好きなのか、どうしてそのことを聞いたのか、経緯を知りたかった。
「太一、聞きたい。聞かせて欲しい。」
別役は両手を上げて喜ぶと、その後についてクッキーを手に取り食べながら話し始めた。
別役らがボーダー本部に向かう途中、例の本の話題になった。初めて見たその内容は彼らにとっては刺激的なものだった。壁ドンは勿論のことハグやキスもする。普段、少年漫画を読む彼らは恋愛物、特にこのような話を読むには早すぎたと思った。そして、この羞恥心は自分だけでは無いことを証明したいと考えた。
笹森は「初めて読んだよ。」と呟くと佐鳥は肩を叩いて皆同じだ、という顔をした。
すると別役が「この話、意外と面白かったよな。」と言って三人の前に立ち、後ろ歩きをし始めた。
「え、真面目に読んだのかよ。」半崎は驚いた。
内容は、主人公である騎士が主君、つまり主人公の好きな人を守る話である。その主君は守られることに罪悪感があった。主君は、騎士の為に出来ることを考え、出した結論は騎士が危険な目に遭った場合は、主君が庇うことであった。騎士が呪いをかけられた時、主君は望んで身代わりになった。しかし、騎士は主君が身代わりになったことを悲しんだ。という話だ。
そこまで話すと別役は渋い顔をして首を傾げた。
「ただ、わからないことがあって。」
「どうした。」
「大切な人を守ることが好きって感情なら、おれは来馬先輩が好きってことになりますよね。」
「あぁ。そうなるな。」
「でも、おれは恋愛感情とかよくわからないけれど、なんか違うなって思ってて。でも、鋼さんはきっとそれに当てはまると思うんです。」
「オレが……。」
「おれは鋼さんが来馬先輩を好きで、来馬先輩も鋼さんが好きなら嬉しいのになぁ。」
別役は、煎餅を食べ始めた。
4
「鋼、顔赤いけれど、もしかして体調悪いのかい。」
来馬が村上の方を向いて言った。
「いえ、大丈夫です。」
既に防衛任務は終了し、二人は別役と合流地点に向かっていた。その間、村上は別役の言葉を思い出しては顔をりんごの様に赤らめた。何か異変が起こると気づく来馬を村上は流石だと思った。
「大丈夫なら良いけれど、鋼は頑張り屋だから、無茶は駄目だよ。何かあったらすぐに言うんだよ。」
来馬が微笑むと村上も嬉しくなった。心の奥がキュッと締め付けられる感覚がして、思わず右手で抑えた。
「本当に大丈夫かい。」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。でも、オレは大丈夫です。行きましょう。」
村上は来馬より少しだけ速く歩くと、距離が出来た。村上は来馬に話しかけることも、顔を見ることもしなかった。
「鋼、待ってよ。」
来馬が何度か村上の名前を呼ぶと、ようやく立ち止まった。しかし、来馬の方を向かず、どこか遠くを見つめているように見えた。
「やっぱり様子がおかしいよ。もしかして、何かあったの。」
来馬は小走りで村上に近づくと顔を覗いた。村上は、本当に心配してくれているのに、自分は何で恋について考えているのだろうと思った。
来馬は、棒立ちする村上の頭を優しく撫でた。
「鋼……。もし、悩み事を言えるようになったら言って欲しい。ぼくは、どんな時も鋼の味方だからね。」
その瞬間、プツンと音がした。
頭の中であの雨の日が浮かんで、太一に対する答えがわかった気がした。
「来馬先輩……。」
「どうしたの、鋼。」
「オレ、ずっと悩んでたことがあって……。」
「うん、聞くよ。」
来馬は村上と同じ目線に立った。目の前に優しい眼差しを向ける来馬を見ると糸が解ける様に村上は話し始めた。
「昔、ある女友達がいました。恋愛感情とは違います。でも、その女の子と話すと楽しかったです。よく話しかけてくれました。
ある時、女の子と話していると、男友達がやってきました。その男友達は、オレに色んなことを教えてくれました。遊びにもよく誘ってくれました。オレのサイドエフェクトで沢山のことをすぐに覚えるので自然と離れる人が多いのに、その男友達は離れませんでした。だからオレは、その男友達といると自然と楽しい気持ちになりました。
でも三人で話した日以降、二人と話すことが全くなくなりました。自分からも話しかけましたが、態度が冷たくなりました。だけど、その二人は話している。廊下を歩くと『二人が付き合い始めたらしい』と聞こえました。実際に本当でした。そこで気付きました。二人はオレを利用したんだって。『オレ自身』には興味が無かったんだって。仮に利用したとしても、それなら一言オレに『付き合った』と言って欲しかった。何も言わず、冷たい態度をとられると辛い気持ちになります。そうやって色々考えたら、やっぱりそうかって思いました。自分は場を乱すから人に好かれないって。利用する時しか話しかけられないんだって。」
そこまで話すと村上はいつの間にか震えていた。それは気温が低いせいで寒いのか、辛い思い出を語ったことで震えているのか、村上には分からなかった。
「あの、でも、来馬先輩から『オレなりの方法で強くなっていい』と仰ってくれてからは、自分のせいで場を乱すと考えなくなりました。利用もされないし、沢山の友人に恵まれて幸せです。ただ、それでもずっと考えないようにしていました。恋愛のことだけは。面倒だなって思っていました。」
そこまで言っても驚きも呆れてもしない来馬に村上は戸惑った。自分の気持ちを伝えすぎて変に思われてないか、結局何に悩んでいるのかはっきりしない自分を情けなく思い、目を伏せた。
今まで村上の言葉を聞いていた来馬が口を開いた。
「鋼、ぼくは鋼が好きだよ。」
「え……。」
「実はね、聞いちゃったんだ。今日太一と鋼の会話を。」
罰が悪そうに話し始めた。
5
来馬は勉強会を早めに抜けた。鈴鳴支部で二人きりの村上と別役が心配だったからである。
勉強中、ソワソワする来馬の様子に堤大地は「先にいいよ。」と言った。
「え、でも……。」
「俺のことは気にするな。」太刀川は余裕を持った表情をすると二宮匡貴から舌打ちが聞こえた。来馬の顔から冷や汗が出ると加古望は「心配しないで。」とにっこり笑った。
鈴鳴支部に向かう最中、きっと二人は待っているだろうか、自分の持ってきたお菓子を食べてくれるだろうか、そう期待しながら早歩きをした。
ドアの前に立つと深呼吸をした。今からソッとドアを開き、帰ってきたこと悟られないようにしたかった。
「たまには、いいよね。」
予想より早く帰ってきて二人を驚かせたかった。だからゆっくりドアを開けて中に入った。すると太一の大きな声がこちらまで届いた。
「鋼さん、来馬先輩のこと好きなんですよね。」
その言葉に来馬は思わず体勢を崩しかけた。太一はいきなり何てことを聞いているんだろうと思った。ただ、来馬は村上が自分のことをどう思っているか知りたかった。だから、あえてこのまま聞いていようと決めた。
「ああ、オレは来馬先輩のことが好きだよ。とても尊敬しているし、これからも鈴鳴第一のメンバーとして貢献していくつもりだよ。」
その言葉を聞いて嬉しい気持ちになった。そして、村上の言葉の意味を理解した。
太一が時々、好きなものについて共有したい時この聞き方を自分にしていた。それを鋼は聞いて知っていたから同じように気持ちを伝えたのだろう、と。
しかし、別役は恋の話が聞きたかった。
「おれは鋼さんが来馬先輩を好きで、来馬先輩も鋼さんが好きなら嬉しいのになぁ。」
来馬はその場から動くことが出来なかった。別役が、そう思ってくれていたのが嬉しかったからだ。
少し時間をおいて、村上は口を開いて言った。
「確かに、来馬先輩みたいな人と付き合えたら幸せだな。」
「えー。『みたいな』じゃなくて『来馬先輩』じゃないんですか。」
「烏滸がましくないか。オレみたいな人が告白なんかしたら。」
その後の会話は聞こえなかった。別役と村上が話さなくなったからではない。来馬の頭の中は真っ白になり、混乱したからだ。
この姿を見られるのは良くないと思い、気づかれないように外に出ると全身から力が抜けた。
「あれ……。」
涙が止まらなかった。
もしかしたら、自分にチャンスがあるのかもしれない。そんなことを考えた。
村上に一度だけ、恋に近い話をしたことがあった。恋愛ドラマが放送されていて「こういうのに高校生は興味あるのかな。」と言った時だ。村上が一瞬、戸惑った表情をしたので、これ以上は触れなかったが、多分村上にとって良くない話題なのはわかった。
「皆は興味あると思います。だけど、オレはそういうのに興味が無いです。」
来馬は、村上に恋愛感情があった。だが、その言葉を聞いて告白せずにこのまま心の内に秘めることにした。
「どうしたの。」
今が目の前に立っていた。
「今ちゃん、おかえり……。」
「何があったの。何で中に入らないの。そもそも何で泣いてるの。」
今が質問攻めをすると、来馬は「待って待って」と言った。
「今ちゃん、あのね、違うんだよ。」
「何が違うの。」見えない圧があった。
「鋼が……。ぼくにもチャンスが巡ってきたかもしれないんだ。」
場所を変えて経緯を話した。
話を聞いた今は「やっと、この時が来たのね。ずっと悩んでいたもの。絶対に幸せになれる。」と言って喜んだ。
今と来馬は、恋の話を何度かしたことがあった。来馬の気持ちに気づいた今は告白しないのか聞くと寂しそうに笑った。
やっと、進展するかもしれない。そう思うと今の目頭が熱くなった。
今は時計を見て、財布の中身を確認した。
「よし、時間もお金も大丈夫。」
「どうしたの。」
「太一の好物のナポリタンを作るの。パスタの麺だけが無いのを思い出したから、買ってくる。」
「いいね。美味しそう。でも、どうしてナポリタンを作ろうと思ったの。今日の献立はシチューだったよね。」
「そうよ。でも、太一がよくやってくれたから。……いいかな。」
今は、決断したのはいいが、いざ本当に良いのかと思い、来馬の顔を伺った。
控えめな今の表情に、来馬は「勿論だよ。」とにっこり笑った。
6
これまで、自分の存在意義を考えない日がなかった。仲良くなっても離れていくし、やっと仲良くなれても都合の良い時だけ話しかけてくる。そういうことが多々あった。恋とは自分の我儘だ。そう考えていた。
しかし、今まで村上の考えてきたことは、来馬の告白一つで大きく変わった。そして心を射抜かれた。一度だけではない。銃手の弾で何度も何度も撃たれた感覚だった。
今、村上の目の前にいる来馬は顔を赤くしている。村上以上に目を伏せて、申し訳なさそうに今までの経緯を話した。
「ごめんね、軽蔑しただろう。」
「いいえ。」
「ぼくはね、鋼が思うような人間じゃないんだ。現に人の会話を盗み聞きして、自分の恋愛感情を鋼に押し付けている。」
「いいえ。」
「ぼくの気持ちは忘れて欲しい。忘れていいんだよ。」
「忘れたくないっ……。」
村上は来馬の両手首を掴み、来馬自身を壁に押し付け、逃がすまいとした。
「オレは来馬先輩の気持ちを忘れることはできません。忘れたくありません。」
ふと、村上は別役の話を思い出した。例の本の内容、つまり主君と騎士の話である。騎士にかけられた呪いを主君が身代わりになる話だ。
「オレは来馬先輩の告白が嬉しくて仕方ありません。でも、来馬先輩を苦しませたくないです。恋に怯えてずっと呪われている自分を見せたくないんです。まだ苦しんでいるのか、また思い出しているのかって何度も自分に問いかけて忘れようとしているのに。あの時の記憶を忘れたいのにまだ付き纏う。」
あの騎士はどんな気持ちで主君を見つめていたのだろうか。自分に呪いがかけられるはずだったのに。主君が呪いに苦しむ姿に、騎士は胸が張り裂けそうになったのではないだろうか。
「来馬先輩には、幸せになって欲しいんです……。」
「鋼……。」
来馬が名前を呼ぶと、ようやく村上は来馬の手首を強く握っていたことに気付いた。手を離すと来馬は右手で左手首を握った。
「申し訳ありません。痛かったですよね。怪我していませんか。」
村上は自分の行いを悔いた。しかし、来馬は優しく微笑んだ。
「今はトリオン体だから怪我してないよ。それに、むしろ鋼が感情的になって、ぼくのことをたくさん考えてくれたことが嬉しくて、幸福に思ってしまうよ。」
「どうして……。どうしてそんなにお優しいのですか。」
「言っただろう。ぼくは鋼が好きなんだ。鋼のつらいことを消すことはできないけれど、ぼくなら鋼を幸せにできると思うんだ。」
「えっ……。」
「鋼、つらいことがあったらぼくに教えて。溜め込んだら駄目だよ。鋼は頑張り屋だからね。すぐに過去を忘れる必要は無いよ。つらいことを話して苦しいなら、その分幸せなことも教えて。ぼくは、おまえが大好きだからね。何でも聞くのが楽しいんだ。」
まるでプロポーズに聞こえた。自分の人生を否定せず、何でも聞くのが楽しいという来馬の言葉に胸が高鳴った。
「オレは、来馬先輩を好きになっても良いんですか。」
思わず口にしてしまい、口を覆った。それを見て来馬は村上の手をソッと握って、覆った手を離した。
「もちろん。これほど嬉しいことはないよ。」
別役が二人の元にやってきた。あまりに二人が来ないので探しに来たのだ。来馬と村上は別役に謝り、今に対しても鈴鳴支部に戻った際に直接「遅くなってごめん」と謝罪をした。
「全くよ。どれだけ待ったと思うの。心配したんだから。」そう言ってそっぽ向いたが、心なしか声が軽やかだった。
「今先輩、何だか機嫌がいいっすね。」と別役は今の調理姿を眺めながら言った。トントンとピーマンを切る音が三人にとって心地よかった。
「ナポリタン、楽しみにしてて。」
そう言ってフライパンの中に切ったピーマンを入れた。
「太一。」
「はい、鋼さん。」
今の料理をしてる間、村上は別役に声をかけた。
「オレ、来馬先輩と付き合うことになったよよ。」
そう言うと別役の目は輝き、満面の笑みを見せた。
「本当っすか。嬉しいです。」
「ああ、本当だ。」
「で、分かりましたか。あの答え。」
大切な人を守ることが好きって感情なら、別役のこの感情は来馬が好きということになる。しかし、別役の感情は恋愛感情とは違うが、村上はきっとそれに当てはまると思う、という質問だ。
村上は別役に優しく微笑んだ。
「きっと、太一はの好きは『愛情』だよ。誰かを守りたいという感情がそれなんだ。オレは『愛情』だけじゃなくて、『恋』もしているんだ。『来馬先輩が好き』『誰にも渡したくない』そんな感情が恋なんだと思う。」
来馬の言葉一つひとつを聞くたびに、この人の一面を誰にも見せたくないと思った。その瞬間、これが恋なんだと気づいた。
偶々、例の本を見つけなければ。別役が本を読まなければ。別役と村上が鈴鳴支部で二人きりでなければ。来馬が早く帰らなければ。今と来馬がばったり会わなければ。村上が来馬への想いに気づかなければ。来馬が村上に想いを伝えなければ。
この今現在の未来は無かったかもしれない。
「太一のおかげだよ、ありがとう。」
終わり。