「お願いします。どうか弊社の商品を扱って頂けないでしょうか?」
「・・・うーん。」
今日の商談は、前からずっとオファーがあった会社の社長が直々に来店した。
何度か電話対応で話したことがあるが、腰の低いおじさんで俺にまで腰を低くして接してくれた人だ。
しかし、雑渡さんはその商談は断り続けていた。
今日のお昼が終わる頃にその社長がやってきて、「不躾で申し訳ないですが。」と無理やり来店しにきたという。
お茶をお出しして、少し会話を盗み聞こうとしたが大した話は聞けなかった。
だけど、声からでも察する事ができるくらい切羽詰まったような様子で、聞いてるこっちも居た堪れなくなる。
早々と出ようと、パーテーションの裏のドアに行き出ようとしたところに会話の続きが聞こえてきた。
「ダメですね。どう聞いてもうちでは取り扱いが難しい。」
「そこを、そこをなんとか。」
「無理なものは無理です。お引き取りください。」
「お願いします。お願いします。」
バタバタと音がして、冷たい床に何かが降りた気配がした。
ドアノブに手をかけていて、一瞬その音からどういう事が起きているか想像ができなくて固まっていると、ドアが開いて山本さんが腕を掴んで強く引かれ部屋から出た。
ドアが閉まり、少しそのまま引っ張られてしまい給湯室まで連れて行かれた。
その間も、あの音から想像を膨らませてしまい、手先から冷たくなるのを感じてしまう。
少し早歩きだからか、呼吸も浅くなっていく。
「お前な。早く部屋から出ろよ。」
「す、すいません。」
考えれば考えるほど、憂鬱になる。多分あれは頭を床につけたんだ。
あの気のいいおじさんが、そこまでして頼み込んでるのを無視できる雑渡さんが怖くなった。
雑渡さんが復帰したのは最近だ。
約半年、顔が包帯だらけで見れたもんではないが仕事には支障はない。
だけど、随分会社に顔をだす人が減った。
気を使っている人も中にはいるのは知っているが、「見たくないから。」という理由でこない人もいる。
社会というのは冷たいと思ってたが、どうもここもそうらしい。
「雑渡さん、あの社長さんの商品を扱わないのはどうしててですか?
見た感じ問題ないと思うんですけど。」
「尊奈門はまだ入ったばかりだからわかんないよな。…あの商品の似たような物を取り扱った事があったんだよ。」
「え?そうなんですか?」
「あぁ。でも欠陥品が多かったんだよ。結局その商品を海外にも出せず処分したんだ。
今後の決まりとして同じような商品はもう二度と取り扱わないと決められてるんだ。
多分、そこの社長も作ったがいいが在庫抱えてんだな。」
「そうだったんですか…。なんとかなりませんか?」
「なんとかって?」
「その、例えば欠陥ではない物だけ買い取るとか」
「それを調べるのは誰がやって、誰がその人件費を払うんだ。」
「…」
正論をぶつけられ何も言えなくなってしまった。
山本は給湯室にあるコーヒーサーバーに二人分のコーヒーを用意する。
コポコポとお湯を入れる音が響く中、山本は表情を変えずに尊奈門の顔を見た。
「お前の気持ちはわかる。痛いほどわかるがな、それはこっちだって一緒なんだ。
危ない橋を渡って利益が出なければ共倒れになってしまう。」
お湯が入れ終わり、ゆっくりとコーヒーの粒が落ちていくのを山本は黙って見ている。
尊奈門はまだ納得がいっておらず、どうにか自分の気持ちを組み立て、何度か口を
半開きになりながら、何か言いたいがどう言えばいいかわからずまた口を結ぶ。
山本はそれを見ないふりをして、溜まったコーヒーを尊奈門専用のコップに注いでやり、無言で差し出した。
「ま、若いからな。」
ため息交じりに呟いて、山本も入自分用のコップに注いでコーヒーを飲んだ。
なんでそこで「若いから」と言われる理由のがわからず、一瞬チリッと火がついた感覚になったが我慢した。
部屋に戻ると丁度社長と雑渡が出てきた、
「尊奈門、お客さん帰るから見送ってやってね。」
と言うと雑渡はすぐに部屋に戻ってしまった。それに続いて山本も「頼むな」と戻ってしまい、社長と尊奈門二人きりになって気まづい。
「あ、あの、では玄関まで案内しますね。」
「お願いします・・・。」
スーツがよれていて、表情は能面のように白い。尊奈門はその様子にゴクリと唾を飲み込んだ。まさにホラー。何を起こすかわからない恐怖を感じる。
先ほどの気の良さそうなおじさんの雰囲気が全くなくなっているのが恐ろしかった。
「あの、気を落とさないでください。」
「あ、あぁ。ありがとう。」
「…」
玄関まで送ると社長が尊奈門に向かって一礼をした。
顔を上げて少し尊奈門の顔を眺めてきたので、尊奈門の体が緊張で強張る。
ゆっくりと震える口で社長は尊奈門に語りかける。
「君は私の息子と同じ年だと思うけど、何歳なの?」
「あ、自分は20歳です。」
「そうか、やっぱり同じ年だ。偉いね。うちは大学に行く息子の為に頑張ってやってきたんだが、どうも、ダメだね。君には関係ないのに、ごめんね。」
「い、いえ。」
しゃがれた声でそんな事を言うものだから、より一層心が揺れてしまう。
尊奈門の父親も火事の影響で足が悪くなってしまい、その時の落ち込みは半端なかった。
それに加えて雑渡の顔の火傷は自分のせいだと精神を病んでいるのを見てる尊奈門にとって、その姿は父親を重ねてしまう。
(何も悪くないのに、なんでこんな…)
悲しいのか、怒りなのかわからない感情がぐるぐると回る。
「では、君はしっかり頑張ってね。」
「あ、ありがとうございます。」
そう言ってトボトボと帰って行った。
その後ろ姿に、尊奈門の中の何かが”動け”と言っている。
それは正義からくるものなのかはわからないが、我慢していた物が溢れてきた。
尊奈門は足に力を入れて歩いて近く。
丁度机の上で仕事をしている雑渡の机に手を力を込めて置いた。
「何?」
仕事中なんだけど。と冷たい声で返事を返した。
「雑渡さん!あんなに困ってたじゃないですか!どうにかしようと思いませんか?!」
「おい!尊奈門!!やめろ!」
山本が慌てて尊奈門を羽交い締めをする。それでも体全体を使いそこから動かなった。
雑渡はフゥン。とめんどくさそうに顔を尊奈門に向けた。
尊奈門から見て顔の右側の顔は包帯だらけで左目しか見えない状態でも、恐ろしい程冷たい目をしているのがわかる。その目は蛇のように鋭い。
「そうか、お前はあの親父を助けたい訳だ?」
「助けたいとかじゃなくて、あんた人の心がないのかって話してるんですよ!」
「「人の心」ね。」
「…。」
自分で言って後悔した、父親を助けてくれたのは紛れもなく雑渡だ。
そして、火傷の傷を負いながらも助けてくれた雑渡に向かって投げる言葉ではない。
それでも、あの社長に自分の父親が重なってしまってどうにか助けてやりたいと思ってしまった。
山本は尊奈門が抵抗を辞めたので体をゆっくりと離す。
「お前、さっきも言ったろ。情だけではどうしようもないって。」
「山本さん、すいません。」
大人しく山本に謝るが、雑渡には謝れなかった。
まだ雑渡に対して怒りがあり、処理が間に合わない。
「あの親父さんの商品を、尊奈門が買ってあげれば?個人で。」
「うっ。」
また正論を言われ身体が硬直した。
確かにそうなのだが、もちろん何万円と言う単位の話でもないのはわかっている。
うーん、と雑渡が何かを考え事をして尊奈門に問いかけた。
「今、海外出張に行ってる押都にその部品を買えるかどうか聞いてみるのはいいよ。
してあげよう、だけど、尊奈門は俺に何してくれる?」
「え?」
「ビジネスの話だからね。何か対価を払ってくれるならやるよ?」
「おい、昆。」
思わず普段呼びをしてしまった山本。
尊奈門はまだ入社して1年も経っていないのだ。お金も知識も何もない中で”対価”なんて話は酷だと思った。
(せいぜい給料引き下げぐらいだろなぁ)
山本はやれやれと助け船を出そうと口を開こうとした瞬間に、先に尊奈門が口を開いた。
「雑渡さんの言う事をなんでも聞きます。一つだけ。なんでも。」
「へぇ?なんでも?」
「はい、漁船に乗ってもいいし、海外に永住してもいいです。」
「お、おい。」
思わぬ提案に山本が動揺する、「なんでも」と言う言葉をこの男に言ってはいけないとわかっているからだ。
「んふふ、わかった。じゃあ取引成立ね。」
あ、一応書類も作るか。とその場で書類を作成する。
契約書を手書きで作成し、ペラっと尊奈門に手渡す。
「ここ、名前書いて。」
「はい。」
そして、確認もせずサインをしてしまった。
山本は頭を抱えてため息をついて、尊奈門に憐れみの目を向ける。
(どうなっても知らん。)
「押都に確認したら大丈夫だって。だから早速買ったよ。」
「そうですか。じゃあ何聞けばいいですか?」
「とりあえず、待ってて。取引が完了するまではその契約は保留でいいよ。」
「え?いいんですか?」
「うん、今日ね。社長が挨拶に来るって。」
「そうなんですか?」
「書類とか諸々しないとだからね。」
そうして社長がまたこちらに来たのだ。
以前よりも顔色は明るく、尊奈門を見つけると駆け寄って手を握りお礼を伝える。
尊奈門は一瞬何が起きてるかわからなくて丸い目をもっと丸くした。
ブンブンと手を上下に動かされて肩が痛くなり、辞めてくれと伝えるとまたギュウッと手を握られる。
かつて、父親の看病をしていた際に、手を握ったことが頭によぎった。
「ありがとう、雑渡さんから君が掛け合いをしてくれたと聞いてね!君にお礼を伝えたいと思ってたんだ!」
「あ、いえ、私は別に・・・」
「ありがとう、これで助かるよ!」
尊奈門はその言葉で顔を赤らめる。
人にここまで感謝されることはなかなかないので、どうにもそのお礼の言葉を素直に
受け取れなかった。
雑渡はその光景をただ黙って見ている。少し、ほんの少しだけ目元の皮膚がピクリと動いた程度だ。
「君のおかげだよ、ありがとう。」
その言葉に何か違和感を感じた。
一気に赤みを引いて思わず社長の顔を見るが、笑顔のまま尊奈門を見つめている。
(気のせいか)
それから一週間後。突然の雑渡の言葉で尊奈門が身体から血の気が引いた。
「夜逃げしたって、あの社長。従業員や会社をそのままにして。」
「…え?」
突然の、あまりにも突然の報告に一瞬尊奈門は頭が真っ白になる。
次に少しずつ息が吸えなくなっていき、心臓から血の巡りを感じて、嫌な汗がジワリジワリとスーツのシャツに染み渡っていく。
今まで感じたことがないくらいに鼓動が耳まで届いた。
その様子を眺めながら、ゆっくりと雑渡は話しかける。
「尊奈門。この損失はどうしたらいいと思う?」
ヒュっと息を飲む。手の震えが止まらない。息の仕方を忘れたように浅くなっていく。
頭がうまく回らない、目から動揺からなのか涙がうっすら出ている。
「す、すいま」
「謝ってもどうしようもないよね。この金額。」
「あ、あ」
「尊奈門、この契約書覚えてるよね?」
手書きの契約書を尊奈門の前に出した。
「なんでも、一つ叶えてくれるんでしょ?」
「は、はひ」
息がうまくできないので返事も間抜けな音となるだけだ。
尊奈門には、雑渡が恐ろしい人間に見えた。包帯が余計にそう見えてしまう。
得体のしれない、正体が見えない化け物にすら見える。
(きっと身売りとか肝臓とか売られるんだ…)
目を強く瞑って心で「南無三」と唱えた。
「じゃあ、私のお世話係よろしくね。」
「…へ?」
あまりにも、言われた言葉が思っていた物と違い目を開けて雑渡を凝視する。
ずいっと契約書を目の10センチ程持っていき読めとペラペラと動かされ、それを手に取った。
「え、ええと、…契約をするにあたり、商談が終われば願いを一つ叶える事。契約がうまくいかなった場合は…雑渡昆奈門の身の回りのお世話を「いい」と言うまでやる…こと?」
「そ。言うまでね。一生お世話になるかもだから大変だろうけど、頑張って。」
「な、え!?で、でもお金!」
「最初っからそんなの期待してないよ。」
「で、でも」
「いい勉強になったでしょ?会社の利益に感情を挟むとどうなるかわかった?」
「…。」
またまた正論。もう雑渡には頭が上がらない。
席から立ち上がり、深々と頭を下げて「すいませんでした。」と一言雑渡に謝った。
ふぅ、と雑渡がため息をついて姿勢を崩して、さーどうしようかなぁ。とそのまま
尊奈門から離れ自分の席に着いた。
お辞儀をしたままの尊奈門の肩を叩いたのは山本だ。
鼻に垂れてきた鼻水を啜りながら顔を上げて「なんでしょうか?」と聞くと、山本は肩を落とした。
「お疲れ様。お前ちょっと休憩行ってこい。」
「え?でもまだお昼じゃあ。」
「怒られるのは俺がやっとく、落ち着くまで休憩行ってこい。」
うっとそこから嗚咽をしながら泣いてしまい、山本がハンカチを差し出し部屋から出した。
すいません、すいません。と何度も謝りながら尊奈門が行ったのを見送ると、雑渡の席に山本が近づいた。
「お前、今回の件わざとやったろ?」
「バレた?」
「じゃなかったらあんな生温いやり方じゃなく、もっと他の方法でやるだろお前なら。」
「人聞きの悪い。まぁ、でもそうだね。」
「で?どうすんだ?」
「押都に確認したら、あの商品に入ってる部品が海外では高額で売られてるんだって。」
「何?」
「前に扱ってた商品いは入ってなかったが、この会社には入ってたのがラッキーだったよ。あの親父、下調べしてをしてこっちにきたんだと思うが、
私が一切応じなかったから尊奈門に情を売ったんだろうね。
あの演技力にはみんな騙されるよねぇ。」
「そこまでわかっててなんで尊奈門の誘いに乗ったんだ。」
「そりゃあ、社会勉強だよ。尊奈門のお父さんに頼まれてるからね。」
「それにしたって…」
「まぁ、こうでもしないとあの子ずっと気にしちゃうでしょ。」
「お前急に大人みたいな事言うな。」
「大人だもん。」
まだ開けてない缶コーヒーをカシュっと開けて、ストローを刺し雑渡はジュースのように飲んだ。
「お、お前変な飲み方するなよ。」
「仕方ないよ。顔の皮膚がまだ痛いんだ。」
「む、それなら仕方ないな。で、社長はどうすんだ?」
「なんかね、お世話になってる人に聞いたらあの社長、ちょっとやばい所からお金借りてるみたいだよ。こちらが何もしなくてもあっちで処理するだろうね。」
「そうか。奥さんも大変だろうにな。」
「ん?誰から聞いたの?」
「あ?尊奈門だが。」
「あの社長、独り身だよ。家族なんていないよ。」
「あんんの糞ダヌキ!!!!尊奈門がどんな思いで!!!」
「まぁまぁ、しっかり制裁されるはずだから。」
「ドウドウ」と手を下に下げて落ち着かせる。
「回収に向かうのはドクササコ組だって聞いてるよ。」
「え?あの?」
「うん、あの、へっぽこ部下を持った可哀想な凄腕のヤクザ。」
「うわぁ。」
山本は顔が青くなった。
なぜかと言うと、凄腕は確かにすごい。すごいが部下がダメだ。
その部下に刃物やらピストルを持たせると相手が必要以上に怪我をする。
噂では間違って…と言う話を聞いたりしていて、真っ当のヤクザよりも怖いヤクザだ。
「とにかく、もう回収の目処は立ってるからあとは山本。尊奈門のケアしてあげて。」
「わかった。すまんがここは任せた。」
「はいよ。」
山本はひとまずお財布を持って部屋をでた。何か飲み物か食べ物を買ってやるのだろう。
雑渡は鼻歌を歌う。
尊奈門は一瞬だが言葉に違和感を持った。本当の言葉ではないと気づいた。自分から。
人の言葉を聞ける子だ。これからもっと色々経験をすれば自分の右腕になるだろう。
もっと色々経験させてやらなければ。
そう心に誓った。