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    qa18u8topia2d3l

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    qa18u8topia2d3l

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    风情
    原作軸 完結後
    「南方神官的故事」にかかわる話です。
    既出ぶん。(実際は五の途中まで公開していますが、都合上ここで切りました)

    はっきりしたネタバレはないと思いますが、なんとなく匂わせあります。妄想捏造もたくさんありますが、気になっても調べないでください…!

    海誓山盟《一〜四》一、花の婚礼

     謝憐と花城が婚礼を挙げた。
    その宴は鬼市で三日三晩続き、より煌びやかに仕立て上げられた千灯観へは何十人もの神官が祝辞を述べに来るという、極めて異様な事態にまでなっている。しかしそれも仕方ない、いまや仙京は、誰の掌の上に成り立っているのかということだ。
     慕情の隣に立つ風信の眉間には、いつもより深い皺が刻まれている。
     裴茗と霊文の――主に裴茗による長い長い祝辞がやっと終わると、紅い婚礼衣装を纏った謝憐が大きく手を振った。
    「慕情! 風信!」
     慕情がこんなふうに真紅を身に纏った謝憐を目にするのは二度目だ。婚礼衣装でそんなに大きく手を振るべきではないと嘆息したいところだが、あの時も屋根の上まで駆け上がり、大立ち回りをしたものだ。すこし違うところがあるとすれば、あれは明らかに女物の花嫁衣装であったのに対し、今日謝憐が着ているものは、花婿とも花嫁ともつかないもので。ただ、謝憐によく似合っている。そういったところだけは、血雨探花を評価せざるを得ないと慕情は思った。遠目にも仕立ての良さがわかるほどで、細かな金糸の刺繍も美しい。その袖口で、菊と梅の花の模様が揺れている。
    「殿下、…血雨探花。おめでとうございます」
    「…おめでとうございます」
     それぞれに述べる祝いの言葉に、謝憐はにこやかに、花城はせせら笑うような笑みでふたりを見ていた。
    「誠にお綺麗で…、いや、違うな、ご立派で…?」
    「あはは、風信、そうかしこまる必要はないよ。鬼市の皆が張り切ってくれただけで、私たちはこんな…ねえ三郎?」
    「まあ、仕方ない。いずれこうなるとわかっていたこととはいえ、あいつらにとっては向こう百年祝っても足りないくらいのことでしょう。好きにやらせればいい。俺はそれより、哥哥の美しい姿はあまり見せびらかせたくないと思っていたけど、仙京の奴らに見せつけてやるのは悪い気はしないね」
     慕情の視界から煌びやかなふたりの姿は消える。
    「もう、三郎……ああ、慕情、そんな顔しないで…!」
    「おい、今日ばかりは白眼をやめろとあれほど……」
    「うるさい、お前に指図される覚えはない!」
    「いや賭けただろうが⁉︎ クソッ、しかし俺の勝ちだな!」
    「喚くなら帰れ」
     ぴしゃりと言い放った花城の声が、その場をしんと冷たくした。謝憐だけが困った顔で微笑んでいる。ふた呼吸ほど静止したあと、風信と慕情は拱手して深く首を垂れた。
    「「……おめでとうございます」」
     再びそう述べて、揃って衣を翻す。
    慕情は深いため息を吐く合間に、風信が一度ふり向いたのを見た。それから風信は眉間を押さえて、絶え間ない祝いの音楽の中をしばらく無言で歩く。
     鬼市は全体が宴の会場だと言わんばかりに盛り上がり、そこかしこで怪しげな食べ物や酒、娯楽の類が提供されている。そこに立ち寄る見知った顔もあった。
    「……今日は仙京には帰りたくない」
     慕情がぽつりと言い、風信はすこし驚いたが同意だった。
    「どこか宿をとるか」
    「……もちろん人間界の、そう遠くない、静かな場所で、小綺麗な」
    「注文が多い……廟よりはましだと保証してやるよ」



     謝憐に慕情がこのことを聞いたのは、半年ほど前のことだった。
    「慕情、お願いがあるんだけど、いいかな」
     そう言って謝憐が慕情の目の前に広げたのは、真紅に金糸の刺繍が施された艶やかな絹の衣だった。それは婚礼衣装だと、一目見ればすぐにわかった。
    「……取り敢えず聞きます」
    「うん、ここに、刺繍をして欲しい」
     謝憐が示したのは袖の一角で、その周りには申し分ない刺繍が施されていた。おそらく腕の立つ職人が最高の糸と針で仕上げたものだろう。花冠武神の衣装を管理していた慕情の目にも、その図案と作業の質の良さはよくわかる。
    「……なぜです? 柄も申し分ないでしょう」
     慕情も自分の腕に自信がないわけではないが、わざわざ手を加えなくてはいけない代物ではないだろう。眉を顰める慕情に、謝憐は曇りのない笑みで答えた。
    「村の女子に教えてもらったのだけど、身近な人にほんのすこしでも刺繍をしてもらうと、その人の想いも衣に宿って、末永く天の祝福を得られると言われているんだそうだ」
     あなたは本来天の住人で、それを与える側なのに、なぜそんなことに頼ろうとするんですか、という嘲りは、慕情の口を出る前に、謝憐の言葉によって掻き消された。
    「本当は母親に頼むものらしいけど、頼めないし、どうせできるはずもなかったと思うし……こんなことを頼める相手は、慕情、きみしかいないんだ」
     それは、刺繍ができるという意味で? それとも、家族のように身近だという意味で? という問いも、やはり声にはならなかった。
    「……わかりました」
     慕情は目の前の真紅に視線を落とす。
    「……母の図案を使ってもいいですか?」
    「もちろん!」
    その笑顔は花冠武神の、いやただの仙楽太子だった頃のように朗らかで清々しかった。



     酒に付き合ってやってもいい、と慕情は言い、風信はべつに呑まなくても構わないと返したが、慕情はあれやこれやと苦言を積み重ねて、つまり引かなかった。
     そして、風信の右肩にしなだれかかっている、それがいまの状況だ。
     まだ三度注いだだけの小ぶりな酒杯を弄び、卓の上にころりと転がした。なみなみと注がれていた酒はみるみるうちに広がり、卓の上からも零れ落ちる。
     どうせ聞かないのだからと風信は諫めることも諦めた。じっと黙って自分の酒杯を呷ると、慕情が零すように小さく言った。
     どうせ明日には覚えていないだろう、だから真意はわからない、だというのに、その言葉で風信は一瞬にして酔いが醒め、酔いとは違う理由で鼓動が早く強くなるのを感じている。



     あれが、もう十年ほど前のことになる。
    稀にみるような、めまぐるしい十年だった。


    二、輪廻邂逅

     慕情は菩薺村のはずれに降り立った。
     謝憐に預かってもらっている少年、南揺を引き取りに行くために。
     南揺は風信が山中で拾った身寄りのない子どもだった。正確に言えば、彼の父は牢に囚われ、母はおそらく彼との心中を試みたが独りで亡くなった。
     風信はどうしてもその子の面倒をみたいと言い、しかし神官との二足の草鞋がそう簡単に成立するわけがない。慕情は手伝ってやってもいいと言った。謝憐のところには同じくらいの年頃の子、花謝がいるのだし謝憐も助けてくれるだろうと言った。
     花謝は謝憐によく似ている。半年かそれ以上か、慕情が謝憐に会わないうちにそんなことになっていた。なにがどうなってそうなったか問い正したかったが、慕情は訊くのをやめた。命は命だ。例えあの絶境鬼王がどんなに恐ろしい手を使ったのだとしても、あの男が謝憐へ身勝手に不利益も無理も強いるとは思えない。出生に何があったとして、その命に貴賤も優劣もない。あの女鬼が異形の我が子を愛したように。慕情はそれについては非難するどころか、一目置いているくらいだ。
     とにかく、慕情は南揺を引き取り今度は風信の元に送り届けるために菩薺村に降り立った。
     そこにシャラン、シャランと美しい音色が響き、慕情はそっと誰の目にも映らぬよう姿を隠した。
     それは花嫁行列だった。その音の正体は華やかな駕籠からぶら下がる装飾の打ち鳴らす音で、数人の担ぎ手に、真っ赤な駕籠の傍には侍女がふたり、ついて歩いている。
     決して豪勢過ぎない、慎ましやかな花嫁行列だが、目を引くものがあった。
     まだ年若い少女には尚更なのだろう、畦道の途中で、十二、三といったくらいの齢の少女は足を止め、一緒に歩いていたのだろうと思われる家族と距離が開き始める。
    その花嫁行列に慕情は思うところがあった。
     あれはもう何十年前のことなのか、鮮明だが朧げだ。あの時、あの男はどんな顔でそれを見ていただろう。そして謝憐の婚礼を目の当たりにした時、なにを思い出したのか。一瞬でさまざまな想いが駆け巡る。
    「すてきですね!」
     届いたきらきらと弾んだ声に、慕情は少なからず驚いた。花嫁行列が消えてしまうのが名残惜しいというように、つられるように歩いて慕情の前を横切ると思われた少女の声は、眼差しは、慕情に向かっている。
     彼女には慕情が見えている。
     慕情は驚きながらも、姿を消すのをやめた。ちょうど、少女の家族が娘がついて来ないことに気がつきふり向いたところだ。しかし、彼女が見ている景色に変わりはないようだった。柔らかな微笑が慕情に向いている。
    「ええ、そうですね」
     慕情はできるだけそつなく、平坦に言葉を返した。稀にそういった敏感な類の人間がいるのは、決して珍しいことでもない。 少女は気にせず話を続ける。
    「あなたは…あんな風に奥様を迎えましたか? まだこれからですか?」
     少女はただ憧れに心弾ませているというふうに、慕情に訊ねた。しかしすぐに、その無垢な笑顔が急に曇る。
    「あ、ごめんなさい」
     慕情はそれを、彼女が初対面での不躾な問いを悪く感じたのだと思った。
    「いいえ、かまいません。……迎えたこともないし、その予定も決してないですが」
     慕情は自分のその声に自嘲が混ざるのを聞き、少女からは視線を外し、気がつけば腕を組んでいる。視界からはついに花嫁行列は消えた。
     修行の道を選んだから、色恋に興味はない。いまではもうそれも嘘くさく、しかし自分は蒼生の誰もが描くような当たり前の幸福からは道を踏み外したのだと慕情は強く自覚した。
     ――母は息子があの赤い駕籠に手を差し出し、着飾った花嫁の手を引く姿を夢見ていたかも知れないのに。
     慕情の胸の奥にいつからか刺さったままの針が、思い出したようにわずかに痛んだ。気狂いだと罵った、その想いはやはりまだふらりと姿を現すのだ。
     ほんのわずかなことで、次から次へと考えが巡る、自らの性質を慕情はすこし恨めしく思う。そのため息に、少女の声が重なった。
    「……あなたが大切な誰かをみつけたのなら。胸を張るべきです。わたしは、あなたの幸せを祝福します」
     慕情は眉を顰めた。その少女の発言には脈絡がないように感じたからだ。
    「あ……ごめんなさい、わたし、これを言わなければならない気がして…」
     少女はわずかに瞠目して、首を数度ふってから頭を下げた。
    「別に……」
     ため息混じりに視線を下げた慕情の瞳は、少女が握り締めた手巾に留まった。その刺繍が慕情の視線をまるで文字通りに、縫い留める。絡まるように離せなくなった。
    「……その……刺繍……」
    「え? ああ、わたしが考えて刺したんです!」
     えへへとはにかんで、少女はその手巾を慕情に広げてみせた。
    「……考えた? なにかを見たのではなく……?」
     慕情は少女を揺さぶり問い質したい衝動をきつく腕を抱いて抑えている。
    「そう! ぱっと浮かんできたんですよ!」
     慕情の脳内はまっさらになり、そのうちにおそらく先の道で少女を待っていた家族が少女の名を呼んで促したのだろう。
    「行かないと!」
     少女特有の奔放さで、彼女は慕情に手を振って駆けて行った。
     この出来事はまるでつむじ風のように慕情の前から過ぎ去った。しかし鮮明に鮮烈に記憶に残っている。
     あの刺繍。あの言葉。
     慕情はついにその場にうずくまってしまった。肩を震わせるのも止められない。止められない。すぐにまた姿を隠して、ひとしきりの思考と感情の波が収まるのを待とうとした。ただじっと、きつく歯を食い縛って、誰にも何にも邪魔されずに平静を取り戻そうとした。
     そんな慕情の耳に、間の抜けた声が届く。
    「慕情? ……どうかしたのか?」
     慕情の脳は途端に最悪だと毒づいた。声の主は慕情を見つけることができるのだ。
     全くこの人は、いつも最悪の機会に現れる。


    三、残映 夜深し

     慕情があんなに取り乱した姿を見たのは、きっと初めてだと謝憐は思った。
     通霊を終え、盆に載せた茶杯を手に、増築した菩薺観の客室の扉を開ける。
     ゆっくりと視線を向けた慕情はあからさまに表情を引き攣らせ、謝憐は唇を尖らせた。
    「私だって湯くらい沸かせる」
     白湯を満たした茶杯を慕情は受け取り、じっとそこに視線を落とす。謝憐が傍に腰かけると、やっと口を開いてぽつりと言った。
    「……嘘だと思うかもしれませんが」
     慕情が次の言葉を躊躇しているうちに、謝憐は自分の白湯を飲み干して言う。
    「きみは嘘を吐くかも知れないが、案外あんまり上手くないから、嘘は嘘だとわかる。心配しないで」
     慕情はぴくりと眉を寄せて謝憐を見、それでも言い返すことなく再び視線を落とした。
    「……あれは母でした。……母の魂に会いました。少女の姿をしていた」
     謝憐はわずかに驚くが、あの誰よりも疑り深い慕情が言うのだから、謝憐も疑いもしなかった。よりよく生き、次の生でも幸福に生きられると、輪廻転生を説いてきたうちのひとりはほかでもない謝憐だ。
     しかし慕情は重ねて言い訳のように紡ぐ。
    「あなたの……衣装に。刺繍をしたでしょう。母が私に……どの花がいいか聞いてつくった母の図案です。……あの少女は自分で考えたと言いました。……信じてはだめですか? 彼女に私が見えたのは、だからだと思ってはいけませんか」
     謝憐はゆるゆると首をふった。しかしすぐには、そうか、としか言えず、短く息を吐いた慕情がどう受け取ったのかはわからない。それから慕情はやっと手の中の白湯を流し込んだ。
    「……追わなくてよかったのか?」
     訊いたが謝憐にはその答えはもうわかっている。
     そこに勢いよく扉を開ける音に幼い笑い声が重なって届く。笑い声はふたりぶんだ。
    「むーちん!」
     駆け寄る花謝と南揺は衣の裾を持ち上げて包袱(風呂敷)のように広げ、走ったものだからそこに載せていたものが跳ねてころころと転がり落ちた。
    「あ、わ、」
     そのまま拾おうとするものだから、見事に大量のどんぐりが床にばら撒かれる。
    「あはは、いっぱい拾ったね」
     謝憐が笑うと、慕情は足許を気にしながらも歩み寄る南揺のために腕を広げながら呟く。
    「笑いごとですか……」
     床を四方八方に広がっていく不揃いのどんぐりを眺めながら、しかしやはり慕情もすこし笑った。
    「いっぱいひろったんだ」
     南揺ははにかみ、慕情を窺い見る。色が白く、子どもながらに目鼻立ちは整って、風信より慕情と並んだほうが、親子に見えると皆笑う。
    「ああ、すごいな」
     慕情は多すぎるだとか虫が湧くかもだとか言いたいことはなくもないが、南揺がたくさんのどんぐりを抱えて来た想いがわからないわけではなかった。慕情も同じように衣の裾を広げてやる。
    「阿揺、今日も泊まっていって。慕情も一緒に」
     両手いっぱいにどんぐりを掬い上げた謝憐がそう言うと、慕情の衣の上にどんぐりをがらがらと落としていた南揺はぱっと顔を輝かせた。
    「ほんとう⁉︎」
     南揺は謝憐と慕情を交互に見、慕情もまた謝憐を見る。
    「本当だ。ね」
     謝憐はまたにこりと笑い、慕情は眉を顰めながらも小さく頷いた。
    「やったあ!」
     そう先に声をあげたのは花謝で、衣の裾を広げたまま慕情のもとに駆け寄ると、その中身をがらがらと慕情の広げた衣の上に勢いよく流し込んだ。
    「むーちんあげる! あーやお、おそといこう!」
     謝憐によく似た顔立ちの少年は嬉しくてたまらないというように、すぐさま南揺の手を引いてまた走り出す。南揺は一度窺うようにふり向いたが、謝憐が頷くと顔いっぱいに笑みを広げて一緒に走っていった。
    「夕陽が見えたら帰ってくるんだよ!」
     そう言って謝憐は衣の裾を広げたままの慕情に目を遣った。
    「あはは、大漁だ」
    「……笑いごとではないでしょう」
     そう言いながら視線を落とす慕情が優しく微笑んでいることに、謝憐はいっそう目尻を下げた。



    「きみとふたりだなんて、もう何百年ぶりなのかもわからないな」
     並んで敷いた寝床はもう茣蓙よりは上等で、掛布を引き上げながら謝憐は感慨深そうに言った。慕情は手持ち無沙汰に、おろした髪の毛先を編んだり解いたりを繰り返している。
    「……そうですね」
     謝憐は最後の灯りを消さない。
     静かな無言の時間は、急かすわけでもなく、閉じるわけでもなく、ただ慕情を受け入れてくれるようだった。まるで慈悲深い神の廟そのものだ。
    「……風信には明日の朝迎えに来るようにと。それだけ言ってある」
     謝憐のその言葉に、慕情は礼の言葉のかたちで口を開き、思い留まって、はいと短く答えた。
     正直なところ慕情はすくなくとも今晩は、風信の顔を見たくなかった。
    「……あなたは……私が風信と共にいることを受け入れているのかも知れませんが……正直なところ、私はまだ、そうではないのかも知れません」
     慕情は謝憐を見ずに、掛布の波だけ眺めて言った。
    「今日、花嫁行列を見ました。あの少女と一緒に。彼女は私に問いました。私もそうやって花嫁を迎えたことがあるかと」
     慕情は法力を使って、彼から離れたところにある最後の灯りを消した。
    「そう思うのは普通のことでしょう。他意はないはずです。でもずっと思っていたことを掘り起こすには充分でした。……あなたの婚礼を目にしたあと、風信がどんな顔をしていたか教えましょうか? なにかを思い出すのを必死に抑えようとしているようでした。……当たり前でしょうね。あいつにはあんな婚礼を夢見たことがあるのでしょうから」
     謝憐は口を挟まず、まるで促されるように慕情はつらつらと言葉を吐いた。
    「……べつに。言っておきますが、あなたを非難するつもりはありません。……私はあなたのようにはなれないと……つくづく思います。どうひっくり返しても、私は男です。……家族になってやってもいいと言ったのに、二の足を踏んでいるのは私のほうだ。結局あいつが失ったものは埋められない。あなたは、花謝は…………いえ、なんでもありません……結局のところ、私は子を産むこともなければ、花嫁の駕籠に乗ることもあり得ない。あなたは……、あなたは」
     続きを言えなかったのは、きっと自分が惨めになることを悟っているからだと、慕情は思う。自尊心を守ってやりたくないと避け、できない悔しいと嘆くのはあまりに醜い。
    「すみません。なんでもありません。忘れてください。……今日は泊めてくれてありがとう、ございます」
     慕情は謝憐に背を向け横になると、薄い質素な掛布をめいっぱい引き上げて、爪先が外に出るのもかまわず潜り込んだ。
    「ねえ慕情」
     返事はなくとも謝憐は続ける。
    「きみは私より、風信のことをよくわかっているんじゃないか? 私たちが離れた八百年も、きみたちは近くにいたんだから」
    「……いつも顰め面で、声が煩い、気が短くて、考えなしで、頑固で、言葉が汚い、字も汚い、片付けができない、すぐ物を壊す、間が抜けていて、すぐ騙される……とにかくなにも変わっていませんよ。…ああ、眉間の皺はついにとれなくなったかも知れません」
     謝憐は堪えきれなかったとばかりに、あはは、と噴き出した。しかしそのあとは、落ち着いた声音で返す。
    「じゃあ、きみの知っている風信と私が知っている風信が同じだとして、例えばきみは彼が阿揺に錯錯を重ねていると思う?」
     慕情はその問いに答えなかった。
     すこし置いて、謝憐は「それに」と続ける。
    「前世で近い場所にいた魂は、後世でも引きつけ合うことがあるのは知っているだろう。彼女はなにか伝えたくて、きみに引きつけられたんじゃないだろうか」
    「……わかりません」
     慕情はうつ伏せに近いほど背を丸めると、全てを遮断するように目を閉じた。



    『……あなたが大切な誰かをみつけたのなら。胸を張るべきです。わたしは、あなたの幸せを祝福します』

     久しぶりにみた夢の中で、もう一度、やはり彼女はそう言った。


    四、風信爸爸

     夜が明けて、風信は菩薺観を訪れた。
    空気はひんやりと冷えて、どこかから甘い金木犀が香ってくる。
     その門に背を預けてつまらなそうに立っている、紅衣の男の姿に風信は思わず眉を寄せた。その冷ややかな視線が風信に向けられている。会話をするような距離になってから風信は思わず、気づいた時にはもう「悪い」と口にしていた。
     風信自信は花城に謝らなくてはいけないことがあると思わない。が、『お前のところの餓鬼ともうひとりの保護者が居座っている所為で、哥哥との時間が奪われている』という非難が、他人の心を読むことにあまり長けていない風信にもなぜかはっきりと伝わる視線だった。
     風信が眉を顰めながらもその横をすり抜けようとする瞬間に、花城は気怠げに口を開いた。
    「……輪廻転生は確かに存在するものだ。前世で近かった魂は、引き合うことが多い」
     その脈絡のない台詞に、風信は何の話だと訊ねかけて口を開く。しかし花城は大仰なため息を吐いて風信を見ようともせず、風信はそれを諦めた。
    「……覚えておこう」
     風信がその意味を悟るのは、まだ随分と先のことだ。



     結局風信はひとり南揺を連れて、彼らの住まいのある村に戻った。慕情は朝早く公務で呼び出され、もう出て行ったと謝憐に聞かされたのだ。彼らが居を構える村は菩薺村からほど近く、しかしそこそこに大きな集落で、新しい住人にもそう神経質でない。風信は下界の人間と関わるのも苦手でなく、自分は行商人だと人々に説明して適当な土産話とともに酒を飲み交わしたりした。かつて下界を拠点にしていた頃と同じようなものだ。
     そして、自らその集落に南陽廟を建てるように仕向け、そこに学舎を設けさせた。そうすれば、風信が傍にいない間も南揺を預ける場所ができ、常に自分の加護の下に置きやすくなるというわけだ。それを知った時、慕情はまさかというような顔をしていたが、風信の神像はだいたい誰が作ろうとも本人に似ていない。それは幸いなことだった。
     不幸なことがあるとすれば、巨陽将軍といった間違った通り名が、やはりそこでも広まっていったことだ。頬を赤らめた若妻が南陽廟から出て行くのを見て、慕情は腹を抱えて笑った。よくも何百年も同じ話で笑えるものだと、風信は怒るのも飽きて嘆息した。
     とにかく此処は、南揺が成年するまでの十年を共に過ごすために風信が持てる知恵で用意した場所だ。
    「じゃあ、阿揺。今日もしっかり学んでくるんだぞ」
     そう言って風信は一度しゃがみ込んで、阿揺の肩を叩いた。一日中外にいてもあまり日に焼けない色白で、以前よりましだが線が細く、整った顔立ちに切れ長でやや吊り気味の、中央に黒曜石の瞳。共に暮らして一年ほどが経ち、風信は幼子の成長は早いものだと知った。
     うん、と頷き、同じ目線で南揺は風信を見つめる。
    「むーちん、きょうはくる?」
    「……来るように言おう」
     風信がそう答えると南揺はぱっと表情を明るくして頷いた。風信が立ち上がるとひらひらと手をふって、くるりと背を向け元気に駆けて行く。



     その日ぶんの公務を片付け風信が集落に戻ると、南陽廟の前で駆け出してくる少女が目に入った。
     ふと少女がこちらを見たものだから目が合って、途端に頬を染められれば風信はあまりに気まずい。
    「ち、違います違います! ええと、南陽将軍は恋の悩みもきいてくれるかと思って!」
     十二、三といった齢だろうか、少女は慌てて両手をふって弁明した。
     それはやめておいたほうがいい、というかやめてくれ、と風信は思うがもちろん口にはしない。
    「それなら明光将軍のほうがいい。この近くにもあるだろう」
     風信がそう言うと、少女はまたもや慌てた様子で頬を押さえた。
    「そうなんですね? わたしは、両親と旅の途中で……ええとでもわたしじゃないんです、ここに来る前に会ったお兄さんがいて、なんだか、好きな人と一緒になりたいのになれないような、そんな感じがしたんです! だからお兄さんのために祈ろうと!」
     その必死の弁明が可笑しくなり、風信は思わず笑ってしまった。
    「ああ、なんで笑うんですか?」
    「いや、すまん……きみは優しいな。ひとつ助言があるとすれば、祈りは細かいほうが届きやすいだろう。きみにも南陽将軍の加護がありますように。旅の道中気をつけて」
     廟の門をくぐれば多少の加護は纏えるようになっている。風信は少女に会釈だけして別れると、廟の裏手にある学舎のほうへと向かった。


    **


     子どもの荒々しい声が聞こえ、誰か喧嘩をしているのだなと何気なく見遣った慕情は、そこに身体の大きな三人の少年に囲まれた南揺の後ろ姿を見つけた瞬間に歩みを早めた。
     少年の揶揄が慕情の耳にも飛んでくる。
    「おかしいだろ! あれはおまえの父ちゃんじゃないんだろ?」
    「うちの母さんもいってたぞ! もうひとりむかえにくるの、あれだれだよ?」
    「ああわかった、しょうにんなんだから、おまえはかわれたんだ! 母さんにすてられたんだろ!」
     書物を抱きかかえてじっと堪えていた南揺も、遂には弾かれるように顔を上げ、ぐっと拳を握り締めた。
    「南――」
     だめだ、まだ堪えなければ。そう止めようとした慕情の声を、天を裂くような怒号が遮る。
    「おいお前ら!!なんだ寄ってたかって!!聞いていれば…」
     大股で歩いてくる風信を見つけ、慕情は内心これは厄介な事になると眉を寄せた。
    「うわ! 父ちゃんじゃないヤツがきた!」
     ひとりが言えば残りの少年も笑い、ますます風信は肩を怒らせる。
    「ああそうだよ俺は父ではない!」
     風信を止めようとしていた南揺も、状況を見守っていた慕情も、その言葉には眼を剥いた。すぐに風信は怒号を続ける。
    「こいつの父ではないが保護者だ! 親だ! わからないなら他人を揶揄うのはやめて、真面目に勉学に励め!!」
     わけがわからずぽかんとしているのはその少年たちだけではない。南揺も固まってじっと風信を見ていた。
     勉学を積んだはずの慕情にもその意味はよくわからないが、『父ではないが親だ』という理論はなかなか気に入った。
     声に驚いた人々に駆け寄られるのは今度は風信のほうで、少年たちの母親だろうか、金切り声をあげて女たちが集まってくる。
    「ちょっと! 大きな声をあげて! うちの子がなにかしましたか!」
     それは風信が最も苦手とする部類の女たちで、傍から見ているかたちの慕情は思わず口を押さえるも、唇の端が吊り上るのを止められない。
     風信はますます気が立って、噛みつく勢いで女たちにも声を荒らげる。
    「ああそうだ! うちの家がなんとかって言いやがった! クソッ、家がなんだ、出自がなんだ!……玄真将軍を知っているか! あの人は恵まれた家の生まれでないが、一生懸命に努力して神にまでなった! 自分の道を決めるのは自分であって、決して生まれがすべてではない!」
     風信はひといきに言い放って、最後に大きく息を吐いてから南揺の袖を引いた。
    「俺が言いたいのはそれだけです……失礼する」
     再びの金切り声を封じるように風信は荒々しく拱手をして、足早に踵を返す。
     残された親子たちがひそひそと話し逃げるように去っていくのを、慕情は思わず最後まで見届けてしまった。
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