Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    qa18u8topia2d3l

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 🍒 🍮 💛 🍑
    POIPOI 68

    qa18u8topia2d3l

    ☆quiet follow

    风情
    原作軸 完結後
    「南方神官的故事」にかかわる話です。
    初めて公開する部分(実際には五の途中からです)〜完結まで。
    南方〜ここまで本にします!

    はっきりしたネタバレはないと思いますが、なんとなく匂わせあります。妄想捏造もたくさんありますが、気になっても調べないでください…!

    パスワードはお品書きにあります。

    海誓山盟《五〜六(完結)》五、一日三秋

    「寝た」
     がたつく寝所の扉をできるだけ静かに閉めながら風信はそう言い、慕情は狭い台所を片付けながら、とくに返事をしなかった。
     慕情が食事を準備して、三人で食べて、南揺は限界まで遊んで寝る。慕情がこの家に来る時とあまりにいつも通りの時間が過ぎた。昨日のことも、数時辰前のことも、慕情が思い出さなければただいつも通り。
     そして背後からすり寄るような気配に慕情は気づかないわけではない。
     ここしばらくは互いに忙しく、こんな時間を過ごすことがなかった。久しぶりのそれは昨日だったかも知れないが、昨日慕情は帰らなかった。風信にしてみれば一日余計に待ったということになるのだろう。
    風信は背後から慕情の腕を引き、まだ濡れた慕情の指先から雫が落ちて床を濡らした。
     強く、しかし慎重なその腕に慕情は抵抗せず、導かれるままに従う。風信は慕情の腕を引いたまま床に腰を下ろした。
     支えるように伸ばされる手に誘われて、それを受け入れて、慕情は風信の胡座の上に向かい合わせに跨るかたちになる。
     透き通るような琥珀色の瞳が、慕情を見上げている。薄明かりをきらきらと反射して、真っ直ぐに真っ直ぐに慕情を見ている。
     ここには図体の大きな子どもがまだいるのだと、慕情はおそらく目を細めている。風信がなにが欲しいかわかっているから、慕情はすぐに与えようとはしない。
     まばたきが繰り返されるたびに、その琥珀色の上で凛々しい眉が寄せられていく。
    「……慕情」
     結局風信は焦れて、慕情の後頭部を髪に指を挿し入れてぐいと引き寄せた。ぶつけるように口づけをして、先に唇を開くのは風信だ。慕情の唇に歯が触れて、慕情もついに風信の輪郭をきつく掴んだ。もちろんわざと力を込めて。
     慕情は喰らおうとばかりに、尖らせた舌を挿し入れて、歯列を裏からなぞり、口蓋の波を辿る。風信の呻きに似た吐息に笑い、やり返そうとする厚い舌を押し返す。
     はじめの頃はされるがままでも次第にやり方を覚えた。そうなればたまにはこうやって風信を困らせることは、慕情にとって自分が雄であるという矜持を感じられて気分が良いのだ。
     疼く腰をどちらからともなく擦りつけて、しかしあまりに中途半端でもどかしい。
     漏れ出る吐息の荒さに気づいて、脳が警鐘を鳴らす。声にならない、だめだ、だめだという台詞は回を追うごとに力をなくしていく。
     苦しくて思い切り息を吸い込んだ、その瞬間。
     がらがらと扉が無遠慮に開けられる音がふたりの鼓膜を叩いた。一瞬で背筋が冷え、一気に意識を引き戻される。
     扉の隙間からは南揺が目をこすりながら現れた。
    「かわや……」
     蕩けた声で呟き、とぼとぼと歩く途中で南揺は足を止めた。まじまじと床の上のふたりを眺めて問う。
    「…なんでふぉんしんはむーちんをだっこしてるの?」
     慕情は見下ろす風信の眉がぴくりと動くのを目撃する。
     風信に巧い言い訳は期待しない。慕情はさりげなく唇を拭って思考を素早く巡らせるが、慕情より先に風信が口を開いた。
    「そりゃあ、いい子だからだ」
     そう言って風信は慕情の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
     南揺はそれに、素直に合点したように頷く。
    「そっか。じゃあ、おれもいいこにしなきゃ」
    「ははっ、じゃあいい子ははやく厠に行って寝て、早起きしないとな」
    「はあい」
     まだふにゃふにゃとした声で答え、南揺はゆらゆらと厠のほうへ向かって行った。
     南揺の姿が見えなくなったあとも、風信の温かい掌はまだ慕情の頭の上にある。
     結局それだけのことが慕情の心を絆してしまうのには充分で。
     慕情は息を吐きながら、風信の手をどかせて代わりにその肩口に頬をつけた。南揺が戻ってくるまで、まだほんのすこし猶予があるだろう。
     風信の腕の中はやけに温かい。
     ここに安息を見つけてしまった。
     そんな自分を欺くことはもう困難で、誤魔化しようもない。もう手放したくない――一生の伴侶でありたい、家族でありたい。こんなことで嘘のように、ぼろぼろと想いが溢れてくるのだからと慕情は笑いそうになる。
     あれこれ考えていたのはなんだったのか、風信は温かくて、悔しいが心地よくて、慕情は手放したくない。それだけでどうでもよくなった。敢えていうなら、あの日慕情は風信に足りないものを埋めてやりたくて、家族になってやってもいいと言ったはずなのに。風信は慕情に足りないものを造作もなく、埋めてしまう。慕情はただそれが欲しい。
     慕情は、誰にも言えなかった想いもいまならもう認めることができる気がした。
     ――あの穢れない慶びで染めたような、紅い衣装を着てみたい。


    **


    『阿謝が阿揺と遊びたいと言っているから、遊びに来させてくれないか? たまにはきみたちふたりでゆっくりしてもいいじゃないか』
     謝憐のその気遣いは、慕情にとってあまりに面映いものだった。あんな姿をみせてしまった所為で、いやあんなことを言ってしまった所為だというのはわかりきったことだ。
     溜まった公務がないわけでもなく、手が空いたからと玄真殿に戻っても悪くはないが、謝憐を無碍にするのも気が引ける。ゆっくりふたりきり、は本当に久しいが、しかしお膳立てされた時間を先日の続きに費やすのは更に気が引けた。どう過ごしたのか、訊かれても訊かれなくても嫌だと慕情は思った。
     慕情が悶々と考えている間に、謝憐が連れてきた牛車の荷台に乗せられてはしゃぐ南揺と花謝の姿は随分と小さくなっていく。
     もしも自分たちがもっと幼い頃、なんのしがらみもなく出会っていたら、こうなれたのだろうか。
     慕情はそんなことが頭に浮かんで、考えるのも無駄なことだと首をふった。ああでも荷車を引く風信を見て、謝憐と大笑いしたことはあった、こうして一千年近い歳月を経て、まだここにいる、と何気なくふり向くとちょうど風信と視線が交わる。
    「なあ、一緒に行きたいところがあるんだ」
     風信は平坦に、まるでいつもと変わりなくそう言い、慕情は肩透かしをくらった気分になった。全くこいつはなにも考えていないなと、呆れと気楽さが相まって、ふたつ返事で頷いた。



     慕情が風信に連れて来られたのは隣の村の反物屋だった。
     店に入るなり、風信は出迎えた店主になにか告げ、店主は頷いて店の奥へと入っていく。
    「……お前、本当に商人だったんだな」
     慕情は笑みを含んだ声で風信の背に向かって言った。無論、半分以上は揶揄である。ふり向いた風信は強く咎めるわけでもなく、ただすこし眉を寄せている。
     慕情は組んだ腕を指先で弄りながら、その困ったような表情を愉快に眺めた。そんな余裕も儚く、店主が抱えてきた反物を目にした慕情は、一気に胸の内を掻き混ぜられた。
     鮮やかな真紅、ふくよかに艶めく絹の織物。
     色や艶や厚みがそれぞれに違う、数種類が慕情の前に並べ広げられる。
    慕情はなにか口にする前に、眼差しで風信に問うた。
     風信はやはり眉を寄せて襟足を掻き、何度か無言で唇を動かしたあと、ゆっくり選ぶからと店主にすこし外してくれるように頼む。店主が快諾しまた姿を消してからやっと、低く落ち着いた声で、慕情を真っ直ぐ見て、風信は言った。
    「お前はきれいな衣が好きだろう。自分に合わせて繕うこともできるんだろう?」
     いっそ慕情は腹立たしかった。いつもこうだ、風信は無神経に、無遠慮に、慕情の心の内を暴くようなことをする。
    「……なぜ」
     慕情の鋭い視線を浴びた風信は、ひどくきまり悪そうに視線を泳がせた。逡巡してから、歯切れ悪く返答を口にする。
    「……お前、本当に、絶対に俺の前以外で酒を呑むな。酔っているお前は……きっと誰にも聞かれたくなかったようなことを言う」
     慕情は、胸の奥のざわめきを無視することができない。普段から滅多に酒は呑まない。呑んだとしたら風信と一緒以外あり得なかったが、つまりは慕情は風信になにか言ったということだろう。
     なにを、言ったのか。
    「……殿下の婚礼のあと、宿をとったのを覚えてるか? お前はあの時酒に酔って……言ったんだ。“あれを着てみたい”……と」
     慕情はカッと胃が熱くなるのを感じながら、酔っていたんだ、正気じゃない、冗談だと反論の言葉を脳内に巡らせた。
    「私は」
    「いいじゃないか」
     慕情の否定を風信は遮る。
    「あれはすごくきれいだと思う。着ればいい。……それで」
     他人事のように軽々しく、風信はそう言った。慕情に灯った怒りを、しかし風信はすぐに吹き消した。
    「俺が隣にいてもいいんだろう?」
     そんなふうに笑ってみせるのは、卑怯だ、狡いと慕情は思う。そして、そんなことは決して、村はずれの小さな反物屋の店先で言うべきことではないだろう。
    「俺たちやっぱり、儀式をしないか」
     風信はそう言ってから、真っ直ぐに慕情を見た。
     慕情は心の中ではこんな時にこんな場所でそれを言うかと揶揄するのに、またもその視線は慕情の思考を塞いでしまう。答えるまでに生まれた一瞬の躊躇いのうちに、どうですか、と店主が店の奥から戻ってくる。
     風信はちらりとそれを一瞥して、反物をふたつ指差した。
    「これかこれ。どっちがいい?」
     その問いは慕情に向けられたものだ。悔しいことに、慕情は風信が選ぶ衣についてはその趣向に批判するところがない。逃げ道のない問いをしてくるのも憎らしい。昔はただの高慢だと思っていたが、違うのかも知れない。慕情は無言で一方を指差した。



    「ここでいいか?」
     ああ、と慕情が答えたのと風信が反物をどさ、と置いた音が重なる。ふたりぶん、それも上背のある男ふたりぶんとなるとそれもかなりの量だ。ひとまずそれは玄真殿の慕情の私室に運び込まれた。
     慕情は自分で仕立てることもできなくはないが、生憎そんなに暇ではない。仕立ての造形を決めたらどこかの仕立て屋に預けようと考えを巡らす。
     帯くらいなら、と、あわせて手にした厚みの織物を拾い上げると、慕情はふり向いて風信の腰回りに当てがってみた。風信がわずかに腕を上げ、慕情は結局ぐるりと織物を巻きつけるようにして確かめる。気づいた時には体温を感じられるほど近かった。風信は慕情がきちんと帯に印をつけるまで待ったが、譲歩したのはそこまでだ。
     慕情はきつく抱き締められたと思えば、首筋を甘噛みされたり、下衣を捲られたりするうちに脹脛が寝台にぶつかった。そこまで来ればあとは倒れるように腰を下ろすしかない。
    「待っ……」
     慕情が制止の声を上げると、風信は律儀にぴたりと止まった。こういう時、風信はむしろ理性的なのだ。
    「まだ、陽が高い……」
    「べつに、初めてでもないだろう」
     慕情の言い訳に風信は唇をわずかに尖らせ、声にも不満の色を滲ませている。
     ため息と共に逸らされた風信の黄金色の瞳が、不意に戻ってきて慕情を射た。
    「本当にやめて欲しいときは、他の男の名を呼べ」
     次の口づけで、慕情は寝台に背を押しつける。ギシ、と寝台が声を上げて、そんな音を聴くのはあまりに久しぶりだった。風信の掌も帯に手をかけたあと、手順を忘れたかのように彷徨っている。
     その手が素肌を掠めれば慕情は身体の芯ごとびくりと痙攣させて、まるで初心のように反応してしまう。そのくせ思考はとろりと溶けて、もうなされるがままに流されたい。誰の名前も呼べるはずがない、鼻にかかった声を漏らすだけだ。
     だというのに、風信はふと思いついたように顔を上げた。
    「なあ、返事を聞いていなかった」
    「…………何の」
    「儀式をしないか、って」
     答えはわかっているくせに、慕情が答えたくないのも知っているくせに。恨めしく腹立たしく、慕情は蹴りたいのを堪えて風信を荒々しく引き寄せると、答えの代わりに唇を塞いだ。素肌を擦り寄せる感覚が、ひと息に脳内を支配する。



     尽きてしまった香では隠しきれないほどに、雄の匂いが室の中に色濃く漂っている。
     まだ胸を大きく上下させながら、慕情はぼんやりとまだ明るい窓の外に目を遣った。
     色づき始めた銀杏の葉が風に揺れている。
     それから再び室の中に目を向ければ、風信が乱れた髪を再び纏め直していた。その背の古い傷痕に混ざった真新しい爪痕が、慕情の頬をカッと熱くさせる。
    「阿揺のところには俺が……」
     言いながらふり向いた風信は怪訝に首を傾げる。
    「大丈夫か?」
    「……茶道具を貸してやる」
    「……はいはい、まかせとけ」
     風信は慕情にふわりと上衣をかけると、自らも内衣を引っ掛けて迷いなく茶道具が仕舞われてあるほうへと向かって行った。
    風信の姿が消えた慕情の視界の隅にはきらびやかな真紅の反物が佇んでいて、それはやけに鮮やかに見えた。
     慕情がそれをぼんやり眺めているうちに風信が茶杯を載せた盆を手に戻って来て、慕情はゆっくり身体を起こしてそれを受け取った。
     立ち上る茶の香を吸い込みながら、その視線の先はまだ真紅にある。
    「……なんで、今更」
     慕情が零したことだとしても、謝憐の婚礼はもう十年も前のことになる。慕情が再びこのことを意識したのはあの少女に出会ったからで、謝憐はこのことを知っていても、風信に話したのではないかとはいまはもう慕情も疑わない。
     立ったままだった風信はぐしゃぐしゃの敷布を半分引き剥がしてから寝台に腰を下ろし、慕情と同じ方向へ視線を向けた。
    「……別に特別な理由はない。気にはなっていたがなんとなく後回しにしていたし、お前が家族になってもいいと言ってくれた時には思いつきもしなかった。でも……俺もまだ恋愛成就の祈願をされることがあるんだ、たまたま聞いた時にふと思い出した。それに……阿揺にも、家族の証はつくってやれなくても、せめて俺たちは、誓いをしたんだと言ってやれたら」
     そこまで言ってから、風信は言葉を切ると首をふった。
    「いや、違うな……そう言ったら聞こえはいいが、結局のところ、殿下の婚礼の時、お前があれを着たらどんなにいいかと思ったよ。嫌がるんだろうなとも思った。だから意外だったんだが……でもとにかく、俺も着て欲しいし、そういう証が欲しい」
     風信はそう言い終えると茶杯を呷り、「じゃあ、またあとで」と立ち上がった。
    「……お前が望んでもできなかったことを、叶えてやるのも悪くない」
     慕情はいつもの場所に縮地千里を描くその背中にぽつりと言い、風信は眉を顰めながらふり向いた。
    「……? どういう意味だ?」
    「…………わからなくていい」
     慕情はため息混じりに首をふった。風信は結ったばかりの髪を掻きながら、縮地千里を描き上げてやがて去っていく。
     残された視界の中で、やはり紅は穢れなく鮮やかだ。


    **


    「謝憐」
     慕情が諌めるように声をかけると、謝憐は眉を下げて笑ってふうと息を吐き出した。
     風信は鞠を手にして立ったまま覗き込んでいたが、「ふぉんしん、はやくー」と花謝に手を引かれ南揺に脚を押され、慕情には手で払われるようにして表に出ていく。
    「緊張するなぁ……」
     その手には金の絹糸を通した針があり、もう片手には慕情によってきらびやかに刺繍が施された紅い帯がある。
     その端にはまだ刺繍のない空白があり、『身近な人にほんのすこしでも刺繍をしてもらうと、その人の想いも衣に宿って、末永く天の祝福を得られると言われている』
    という願掛けに、祝福を授ける側であるのに、という嘲りを慕情は今度は自分たちに向けながらあやかろうというわけだ。
    「べつに、難しい図案を刺してくれなくていいです。なんでも……ああ、じゃがいもはやめて欲しいですが」
     慕情が思わず口角を上げると、謝憐はパッと顔を上げて苦い顔をした。
    「じゃがいもの刺繍をしたことはない!」
    「そうでしたか?」
     なおも慕情は笑みを含んだ眼差しを謝憐に向けている。
    「私の大切な友人のためなんだから、最善を尽くすよ」
     謝憐は腕まくりをして意気込む。その腕で若邪もそわそわしているように見え、慕情はそれにひっそり目を細めた。
    「よかった、本当によかった」
     謝憐は慕情を見ずに微笑む。
    「……ご存知の通り。私は打算で物事を選んできました。……だから、自分に都合の良い選択をするだけです」
     慕情はそう言って、危なげな謝憐の手許から目を逸らし、外から聞こえる笑い声に耳を傾けた。



    「なあ、これ、なんなんだ?」
     風信は竈の前に立つ慕情に歩み寄ると、紅い帯の端を指差した。風信の目にもわかる歪な模様に、慕情は半笑いで答える。
    「本人に訊いてみたらどうだ」
    「…………」
     風信は床の上で花謝と南揺と一緒に松毬を積んでいる謝憐をふり返ると、すこし思案してから彼らに歩み寄った。
     数秒後には、風信の遠慮のない笑い声が菩薺観に響きわたる。
     慕情は鍋の中身をかき混ぜながらそれを背に聞き、密やかに肩を震わせた。


    六、海誓山盟


     冬を越し、春の訪れを待ってもよかったのだが、あの太蒼山の紅葉のような、燃えるような景色に溶け込んで紅を身につけることを彼らは望んだ。
     その山の上にはすこし遅れて色づく紅葉が生い茂っていて、辺りを紅く染めていた。崖からは海が望めるその場所の、浅い洞窟の中の祠に土地神は祀られていた。まさに海に誓い山に盟う、と崇められた頃もあったが、いまや参道の険しさに辟易され近寄る者もすくなくなった。
     久方ぶりに現れた参拝人に、土地神はひどく驚いた。なんと後光が眩し過ぎて、辛うじてふたりだとわかるほかは、顔を見ることも叶わない。燈を灯してくれたようだが、必要ないくらい眩しいのだ。
    『な、なんの御用で』
     土地神は恐縮しきって問いかけた。
    「ただ三拝の儀をしに来ただけだ」
    「見届けてくれればそれでいい」
    『は、はあ……』
     土地神にしてみれば、幸運どころか災厄に遭った気分である。しかしともすれば向こう数百年はこの祠も守られるかも知れないと、わずかな期待を灯らせてそれを見守った。
     天地に向かい一拝、遠くを見遣り、父母への一拝、双方向かい合って、一拝。
    最後の一拝はすこし長く、しかしどちらならともなく、最後はぴたりと息が合って向き直る。後光眩しくとも美しいとわかる作法でそれを終えると、ふたりは祠に向かっても軽く礼をした。
    「ありがとう」
    『め、滅相もございません! どうぞ末永くお幸せに!』
     慌てふためき答える土地神に、もはや神らしき威厳もなにもない。ふたりはそれぞれに小さく笑って、燈を吹き消し去っていき、また薄暗い洞窟に残された土地神はしばらく呆然とすることになる。



     洞窟の薄闇から外へ抜けると、眩しい陽光に紅葉の紅が透けて、言葉にいい表せない、と風信は思った。知らずのうちに足が止まり、前を歩いていた慕情がふり向く。その整った面が柔らかに綻んで、風信は苦しくなって、呼吸を忘れていたことを知る。
     風信が身につけた衣は典型的な男の型をしているが、慕情のものはすこし違っていて、しかし女の型ともまた違う。同じ龍の紋様の絹で、慕情の身体つきに沿うように美しく仕立てられていて、とにかくよく似合っている。
     風信が贈った髪留めをつけ、髪の結い方もいつもとはすこし違う。いままで見たどんなものよりきれいだなんて、安っぽい言葉しか浮かばないが風信は心からそう思った。
    「こんな時でも間抜け顔だな」
     慕情はこんな時にも皮肉を欠かさないが、紅葉の色を映しているだけなのか、ほんのり染まった頬をしてそんなふうに言われても、風信は怒る気にもなれない。
     それどころか、気を抜けば目の前がぼやけてしまいそうなのだ。二拝めを行った慕情の、吐く息が震えていたのに気がついた。三拝めを終え頭を上げた時、慕情と南揺と一緒に笑う自分を思い描いていた。
     ほんのすこしの間でも、指を絡めて歩きたい、そう手をのばしかけた視界の先で、あらぬものを目にした風信は一気に身を固くした。
    「はははっ、南陽、目が赤くないか?」
     裴茗。
    「玄真、ひどい形相だ美人が台無しになるぞ」
     そう粘着質に笑う男の傍には、霊文、権一真、郎千秋、裴宿、半月、引玉に師青弦まで、縁深いと言って過言ではないだろう面々がそれぞれに笑みを浮かべて立っていた。
     そして当然謝憐も花謝と南揺を連れて微笑んでいる。南揺は余り布で仕立ててもらった袖なしの紅い羽織を着込んで、どこか緊張した眼差しでいる。
     今日この場所を訪れることは、謝憐以外には伝えていなかったのだ。ふたりは謝憐に視線を向けた。慕情の表情はといえば、ひとことでは言い表せない。
    「いやあ、すまない、通霊陣を間違ってしまって喋ってしまった」
     悪びれもせず謝憐はそう言った。裴茗もまた堂々と割り入る。
    「水臭いじゃないか。お前たちが互いに好きでたまらないのは何十年も前から周知の事実なのに、痴話喧嘩にも何度も巻き込んでおいてこんなめでたいことを黙っておくつもりだったのか? とにかく忙しい職務の合間を縫ってでも同僚の門出を祝いたいというわけだ。なあ傑卿?」
     裴茗に同意を求められ、相変わらず顔色が良いとはいえない霊文も微笑んだ。
    「まあ、そうですね。……おめでとうございます」
     それに倣うようにそれぞれの祝福の言葉が続き、風信はどんな顔をすればいいかわからないし、慕情がどんな顔をしているか考えれば空恐ろしい。師青玄はといえば怖いもの知らずで、言葉だけに留まらず風信と慕情の肩をそれぞれパシリと叩きにまで来た。風信が恐る恐る慕情を見遣ると、思いの外怖い顔はしておらず、立ったまま魂が抜けてしまったかのように呆然としたままだった。
    「はあ、太子殿下、全くこんなところまで呼びつけて……」
     がさがさと落ち葉を踏む音に混じったその声に、皆の視線が集まった。慕情もやっとぴくりと眉を動かし、現れたその人も、あからさまに顔を苦く歪ませる。
    「国師!」
     謝憐だけがにこやかに呼びかけて、梅念卿は苦い顔のまま謝憐と慕情と交互に視線を巡らせた。
    「……同門からふたりもこうなるとは、私の教えとは……」
     その呟きに、風信の目にも、慕情の表情がみるみるうちに暗くなっていくのがわかる。風信が抗議の声を上げるより早く、謝憐が返した。
    「同門からふたりも飛昇し、ひとりは西南を長く統治する武神です。それぞれに意志を持って自らの道を切り拓き、人に与えるだけでなく自らも幸福を掴んだ。素晴らしいことではありませんか?」
     謝憐が堂々とそう言い、梅念卿が閉口するという姿は風信にすこし懐かしい気持ちを湧き上がらせる。梅念卿はごほんと咳払いをして、謝憐を見ていた目を細めて慕情に向き直った。
    「……まあ、お前の逆境に負けず、望むものを手に入れる意志の強さとたゆまぬ努力は、評価に値すると……素晴らし、いのだと、言っていいでしょう……玄真」
     歯切れ悪くその名を呼んで、それから彼は風信に目を遣る。
    「おい小僧。私の門弟に悪いようにしたらただじゃおかないからな!」
     風信は突然に白羽の矢を立てられて面喰らった。そもそも小僧という歳ではとうにないが、彼に比べればそうかとも思いながら。
    「わかってますよ!」
     そのやりとりに謝憐があははと笑い、その和やかな空気にやっと落ち着いたらしい南揺が「あ……」と声を出した。
     皆の視線が急に集まり、南揺は一度きゅっと身を強張らせたが、意を決したように風信と慕情を見上げる。ふたりと交互に見つめ合って、興奮気味に再び口を開いた。
    「ふぉんしんも、むーちんも、かっこいい。……すごくかっこいい!」
     風信はそのきらきらと無垢な眼差しを照れ臭く思うが、吸い寄せられるように歩き出した南揺に同じように歩み寄っていく。
    「神様に誓ってきたんだ。俺たちは家族なんだって」
    「うん……」
     南揺は頷き、風信の傍に慕情も並んで屈み込む。それから南揺の紅い羽織をなぞった。
    「同じだ」
    「おなじ……」
     南揺は自分が身につけた羽織とふたりの衣を見比べた。ふたりは本来なら山を降りたあとにこうして話をしようと思っていたのだが、これは嬉しい誤算というべきか、謝憐の策略に嵌まったというべきか。
    「ふぉんしんとむーちんは、おれのおとうさん、になるの?」
     見比べるその瞳には、戸惑いと、期待が入り混じっているように見える。
    「違うな」
     風信はそう言って、さらに南揺の憂いた顔にたたみかけるように言った。
    「大事な父さんと母さんのことは忘れるな。……だけど、俺たちはお前の家族だ」
     南揺の瞳はいっそうきらきらと輝き、真っ赤な色を映し出した。いまにも流れ落ちそうに涙が溜まっていて、横から伸びた慕情の白く長い指がそれを掬ってやる。風信はその髪をくしゃりと撫でてやり、それから辺りを見回した。燃えるような紅葉と漏れ出る陽光を背に、彼らは立っている。
    「誓って嘘じゃない。誓いの証人なら、ここにたくさんいる」
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👏😭😭😭👏👏👏👏💒💒👏👏👏😭😭😭👏👏👏👏👏💞💞💞💒🙏😭😭🙏🙏💒💒💖💖💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works