side 慕情「……その彼女は、お前の負担になりたくなかったんじゃないか」
心を揺さぶった女の影。その全貌を聞いて、風信には悪いかも知れないが、どこかほっとした自分がいて。そして慕情は顔も知らないその彼女に共感すら感じてしまった。だからもう資格がないなんて言う律儀な男に、彼女の想いを伝えてやりたいと思うほどには。
最後の喧嘩の後、彼の連絡先を開くことのなかった慕情は、やはり同じ気持ちもあったと思う。それが綺麗事だったとしても。親友のために誠心誠意尽くす男の、そんなところがきっと好きだった。
ソファの上で丸くなる、気の抜けた寝顔。見慣れたようなその顔も、十年の間にもうすこし凛々しくなったと、慕情はしみじみと思ってしまう。
そっと唇を奪ったら起きるかどうか、賭けをしたい気持ちを落ちつかせるために、慕情はコーヒー豆を取り出した。
もし起きたら、風信はまだ眠たそうにしながらも上手く慕情を組み敷くだろう。そうなってしまってはだめだと、慕情は唇を噛んだ。
そうなってしまえば、全部うやむやなまま、この男しかいない、と思ってしまう。好きだとも言わず、言われることもなく、また喧嘩して、簡単に終わってしまう。終わるという表現すらおかしくて、始まってもいないから泡のように消えていく。
もし、ほんのすこしでも、風信がまたこちらを向いてくれるなら。今度は間違いたくない、と願った。
「……観たい映画があるんだ。夕方の回」
本当はまだ決まっていない。もし、どんな? と言われたら、それを聞いてから断るなんて失礼だ無理なら無理だって言え、とか、借りを返す気はないのかとか、返す言葉ならいくらでもある。そんなことを考えながらカップに口を寄せた。
「じゃ、じゃあ……泊めてもらった礼をする。どこなんだ? 何時?」
思いの外望んだ通りの言葉に、慕情は唇の端が吊り上がるのを止められない。