「ゴメーン!翔陽くん、ないわ〜〜」
一世一代の告白は、侑さんの「やって俺ノンケやもん」というマイク越しの一言で砕けて散った。あ、こんな盛大に振られることってあるんだー。ショックといえばショックだけれど、ここまで派手に振られるといっそ清々しさすらあった。
*
プロデビューして最初の2年をブラックジャッカルに所属したのち渡伯。成人してからはブラジルで過ごした時間の方がもう長い。そろそろベテランに足を踏み入れる今だからこそ、もっと新しいことに挑戦したい──。ということで、籍はアーザスに残しつつ今季限りの契約で日本のリーグに戻ってきた。所属チームにこだわりはなかったけれど、今この国で一番強いセッターがいる場所を希望した結果、古巣に戻ることとなった。
この数年でメンバーも大きく入れ替わり、若い後輩も沢山増えチームは以前に増して勢いがある。それでも主力メンバーは別格で、木兎さん、臣さんのプレーはますます洗練され、毎日新しい発見がある。本当にいいチームに来れてよかったと思った。ちなみに明暗さんはコーチに就任して今のキャプテンはワンさんだ。というかこの人をおいて他に適任者はいないだろう。
そして、俺がここに帰ってきた理由こと日本最強のセッターの侑さんは、相変わらずコートでは誰よりもスパイカーに献身的で、その外では壊滅的…とは言い過ぎだけど、相変わらずかなりの人でなしを振り撒いているようだった。そして相変わらず、なぜか侑さんは俺には甘い。甘いっていうか、俺にだけあたりがマイルドというか…とにかく他の人とは対応が明らか違うと思っていた。
侑さんは以前と変わらず公私共に散々俺のこと構い倒して、自身のSNSに俺とのツーショットの写真をあげまくり、いたるところに思わせぶりなアイテムが写っているとかでファンの間では『♯今日の匂わせ侑日』というタグまでつくられて、よくバズっているのも密かに知っている。
そんなの絶対俺のこと好きって思うじゃん。だからネイションズリーグで勝利した、そのテンションのままMVPインタビューで愛の告白をしてしまった。結果は前述の通り惨憺たる有様。あまりにあっさり手ひどく振られたので、失恋のショックすら吹き飛んだ。今となってはあんなに期待で盛り上がっていた会場のお客さんにだけ、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
ジャージのポケットに入れてたスマホが振動する。ホーム画面に【新年会のお知らせ】の文字が浮かぶ。研磨からだ。
今日は諸々の手続きのため親会社に来ていた。あらかたやるべきことが片付いたので休憩をとる。自販機で飲み物を買おうと専用カードをかざすと、
「日向さーーーん!!」
ドスドスと茂部くんが駆け寄ってくる。彼は一つ下の総務部所属の後輩で、昔から経費処理やら手続きなどでなにかとお世話になっている。元ラガーマンらしく縦にも横にもでかい。
「茂部くん久しぶり〜!なに飲む?おごるよー」
「おごるってそれ会社の無料やつじゃないですか!」
ワハハと笑う。出会った頃はまだ彼が入社したばかりでデカい身体を縮こめオロオロしつつ毎日一生懸命仕事を覚えようと必死だったのを覚えている。今では主任も任され皆から頼られているが人懐っこい性格は変わらず。なんだか高校の部活の後輩たちを思い出す。みんな元気にやっているだろうか。
かわいい後輩に好みを聞いてカップを渡すと、その手をガシッと握られた。オッどした〜と思った瞬間
「俺!日向さんのことがずっと前から好きです!!まずは友達からお付き合いしてもらえませんか……!!!!!」
「え…………?!」
フロア全体に響き渡るんじゃないってくらい大きな声に、何事かとドアから人の顔が出てくる。巨体を小さくかがめ、真っ赤な顔で真剣そのものの。カップを握る手から震えが伝わる。
俺も、その感情をよく知っている。
*
翔陽くんが最近冷たい気がする。
冷たいっていうか、付き合い悪い?みたいな。
…という話を本人不在のロッカールームでしたら、キャプテンのワンさんに「アホか!」とどつかれ、トマスには「侑、ジゴージトクってシッテル?」と肩を叩かれ、ぼっくんには「ツムツムって〜けっこー空気読めないってよく言われなーい?」と侮辱され(ぼっくんだけには言われたないて!)、臣くんに「死ね」で〆られた。
みんなひどすぎひ〜ん?人の心がないんかっちゅーねん。
わかっとる。皆が俺に当たりがキツイんはあんな公衆の面前で翔陽くんを振ったから。いや、元々なんでか俺にだけキツイ気がせーーへんでもないけど。でも最近になって翔陽くんに避けられてとるのは解せんのよな。やって告白されたあとも結構普通に話しとったし?だいたいアレもう半年くらい前やで??急につきあい悪なったんはここ3週間くらい。今?!って思うやん。平日の帰り一緒に帰ろって誘っても、オフの日にメシ誘っても「スミマセン!先約があって!」ってビャーって走って行ってまう。なんやねん。俺が誘ってやってんねんぞ!
あんなにずっと一緒におったから、隣にちょうどいい腕置きがなくなって、ちょっとさみしい。
じゃああんとき翔陽くんの告白をOKしたらよかったかというと、それはまた別の話。やって俺はノンケもノンケ、超がつく超ミラクルハイパーどノンケやもん。そらーそういうヤツらもおるんのは別に否定はせーへんけど。俺にはノットフォーミーやねんて。
*
「ご新規さんが増えたね」
毎年恒例となった孤爪家での新年会。数年前のスペシャルマッチ以降、ちょいちょい新顔も増えているとのこと。
「翔陽は全員と顔見知り…っていうかマブダチじゃん」
「あはは。さすがに全員はないよ」
会を仕切っているのは家主の研磨ではなく黒尾さんらしく、今もバタバタテキパキと音駒の後輩たちを使役して宴の準備を差配している。今ではすっかり売れっ子芸能人をやってる福永さんとリエーフも黒尾さん指導の下、パニーニ作りに精を出している。ていうかなんで新年会でパニーニ?美味いからいいけど!
研磨の周りを太った三毛猫がのそりとまとわりついてニャアンと鳴く。猫用のカリカリを与えるとそれは要らんと振られた。この猫の顔には見覚えがある。聞けば研磨の飼い猫というわけではなく、冬の間だけこうして居候をしているそうだ。
この新年会はだいたい17時くらいからゆるっと人が集まりだして、18時くらいに乾杯。ワイワイ交流を深めて22時くらいにお開きになる。二次会をしたい人はそのまま泊まっていくスタイルだが、宿泊が許可されているのは研磨の厳正な審査を通った人だけらしい。今年の会には影山と木兎さんの姿が見当たらない。影山は今イタリアで、木兎さんは実家の新年会と被っちゃった〜と残念そうにしていた。そちらの新年会にも一度招かれたことがあるが、帝国ホテルの孔雀の間を借り、木兎一族と世界のセレブが集結する異次元のパーティが開催されていた。
余談が過ぎたが、今年の孤爪家の新年会はいつもの音駒のメンバー以外に、角名さん、古森さんまで来ていた。夜久さんも混ざって3人はレシーブ談義で盛り上がっている。ちなみに臣さんがこういう会に参加することはまずない。
侑さんはひとりすみっこの方でスマホをいじっている。指の動きからしておそらくパズルゲームをしているのだろう。こういう場でも我関せずのマイペースにいられるところは彼の美徳の一つだ。
「日向ーちょっとこっち来なよーー」
夜久さんチームの古森さんからお声が掛かる。研磨に一言断ってそちらの卓へ向かう。
「オウ日向久しぶり。また育ってんなー」
「チワッス!お久しぶりです!」
夜久さんは肩をパンパン叩きながら隣の座布団を勧めグラスにビールを注いでくれた。音駒時代から何かと気にかけてくれるこの先輩は、誰よりも男らしく頼もしく、ますますその伊達男ぶりに磨きがかっている。
「そういえばこの前牛島と影山とメシ食ったぞ」
「ウケる。なんすかそのメンツ。写真撮ってないんすか?めっちゃ見たいんですけど」
夜久さんの面白情報にバレー界最強インフルエンサーの角名さんが食いつく。
「ホレ」
スマホのカメラロールを見せてもらうと、ワルシャワらしき街中のモニュメントの前で夜久さんの両サイドに巨人…もとい牛島さんと影山がピースしている。惚れ惚れするような男ぶりが眩しい夜久さんと反比例するように若干2名、笑顔がかなりアヤシイ…。
「マフィアかよ!」
角名さんと古森さんが盛大に吹き出しながら同時にツッコむ。たしかに、言われてしまえばもうマフィアのボスと幹部にしか見えない。昨年ポーランドリーグに移籍した夜久さんは、牛島さんと試合でバチバチやりあいつつオフでは意気投合したらしい。押しも押されもせぬ日本代表キャプテン兼主砲と日本の守備のエースでOrzel Warszawaの現守護神。意外ではあるが妙に納得する組み合わせ。オジェウが元々牛島さんの古巣ということで共通の話題に事欠かないのだろう。そこに何故影山が合流したのかは謎だが、夜久さん曰く「アイツ牛若にめちゃ懐いてたぞ」だそうだ。影山が友達?に会うため国境を超えるなんて!相棒の成長を遠くからうれしく思う。
「やー笑ったわ。夜久さんその写真エアドロで送ってくれません?俺のインスタに載せたい」
「おーいいぞ」
「ダメダメ。コイツに渡したら衛輔くんのアカウントパンクしちゃうよ」
古森さんのディグにより、相棒の渾身の笑顔が世界中に拡散される事態は水際で阻止された。最強インフルエンサーは大層口惜しそうにしつつ、もう次のネタ探しに余念がない。そんな角名さんはコートの上でもめちゃくちゃ厄介な存在だ。初めて飲みの席で一緒になったのはおにぎり宮での稲荷崎バレー部の会合だった。どんなスパイクが飛び出すのかと少し警戒していたのだが、実のところ気遣いとデリカシーに溢れた人だということをもう知っている。俺が盛大に振られた例の夜の打ち上げでも、そのことには全く触れずブラジルリーグの話やおすすめのアームサポーターなんかの話を振ってくれた。古森さんに至っては、会った瞬間からお互いピンとくるものがあり、今では結構な頻度で近況報告をしあっている。
みんな根っこがバレー好きのバレー馬鹿しかいないのでとにかく話が盛り上がる。侑さんは…相変わらずひとりでスマホゲームに夢中になっていた。あ、俺がいると角名さんとかと喋りにくいかな、と気がついて別の卓に移動しようと立ち上がったその瞬間…
「おそくなってゴメンねー!」
明るく爽やかな到着の挨拶が居間に響き渡る。ひときわ華のある声の主は…
「エッ及川さん!?」
「ショーヨーひっさしぶり〜!あ、オフではね。サプライズ成功?」
ウインクをしてハグ。あまりに自然。本当にこの人大王様っていうか王子なんだよな、なんて思いながらハグを返す。
*
「え?え?え?」
「は?は?は?」
賑やかな会の一角で一際賑やか…というか白熱しているのは及川さんと侑さんの机。熱すぎて他の人が入り込めない。殴り合いの喧嘩になるかと思いきや、いきなり握手して肩組んで歌まで歌い出す。あのふたりってやっぱり相性がいいんだろうな。
失恋の傷はとっくに癒えたはずなのに、さっきからどうしても侑さんを目で追ってしまう。単純にあの顔と声が好きなのだ。
侑さんを密かに盗み見してたら隣にいた及川さんと目が合った。
「おいで」と言って及川さんが手を広げるので同じく広げて対峙したものの、その腕の中にすっぽり収まってしまうのが少し心外。ヨシヨシと頭を撫でられるとふんわりとやたらいい匂いに包まれた。
「前からおもっとったんやけどーーふたりのソレなんなん」
訝しそうな侑さんを無視して及川さんをハグ仕返す。特に深い意味はなく、ただの親愛のしるしでしかないのだが、もしかすると周りにはそうは見えていないのだろうか。
「ショーヨー、聞いたよ!フラれちゃったんだって?そこのゴリラに」
「オイ」
「あはは、はい!それはきれいさっぱりと!」
「いやよかったじゃん!ていうかこんなゴリラやめて及川サンさんにしときなよ〜」
もちろん冗談。
しかしリアル及川さんの顔があまりに眩しく整い過ぎて、思わずボーっと顔が赤くなってしまうがこれは不可効力。今日は一段と王子が過ぎる。惚けついでにうっかり告白する。
「及川さん、ありがとうございます!ほんんっとうに嬉しいし、めっっちゃ勿体ないんですが…俺……この度彼氏ができまして…………」
「ハァーー?!」
その場にいたほぼ全員驚いてこちらを見る。研磨だけはマイペースに三毛猫と遊ぶ。
*
深夜の橋を渡る。息が白い。
蒲田でホテルを取っているという及川さんを最寄り駅まで見送るため外に出たら侑さんまでついてきた。
その帰り道。
「このあとどっかしけ込む?」
「冗談キツイっす」
「えーーつれない。前はこんなやなかったやん」
「知りません」
「俺、コヅケンくんにめっちゃ嫌われとるからあの家泊めてもらえへんのやって。このまま翔陽くんにも捨てられたら今夜は野宿になってまう」
「この時期の多摩川河川敷ってなんだか風情があっていいですよね」
「ひどない〜〜」
会話が途切れる。車も一台も走っていない。1月の夜にふたりが歩く音だけ響く。
「なぁ、俺のどこが好きやったん?」
「もう忘れちゃいました」
「さみしーなーー」
「……」
「彼氏ともう寝た?」
「……本当にデリカシーがない。俺、侑さんのそういうとこは苦手です」
「ごめんて」
「そういうの、そのうち誰かに訴えられるかもだから気をつけた方がいいですよ」
おん。気をつける。と素直に頷く。
「俺な、翔陽くんが俺のこと好きって言ってくれたんめっちゃ嬉しかったわ」
「終わったことです」
「そーか」
侑さんが立ち止まるので振り返ると頬を両手を掴まれた。
そのまま数秒無言で見つめ合う。
くしゅんとくしゃみをすると侑さんの顔が近付いて、カサついた唇を塞ごうとする。
唇が重なる直前で頬を叩く。
「俺…付き合ってる人がいるんです」
「知っとるよ」
「じゃあなんで。こんなこと…するんですか」
「……しらん」
「しらんて。侑さんは……ひどいひとです」
「せやね」
「………もう俺のことバレーやってる時と会社とあと今日みたいな集まりとかこういう人前以外で構わないでください」
「けっこう接点あるやん」
沈黙。
「……でも、翔陽くんが好きなんは俺やん」
一歩、距離を詰められる。
「もう好きじゃない」
「嘘やん」
もう一歩。橋の欄干に追い詰められた。
「顔も声も。俺のことが好きで好き好きででたまらんて顔しとる。今日だってずっと見てたやん?気づいてないと思ったんか」
「あ………」
雪が降ってきた。
白い丸が黒い川に落ちて音もなく消える。
この川に、この恋心だけ身投げできればいいのに。
何度も、何度も、捨てようとして捨てることのできなかった感情を抱えたまま 逃げ場を無くし、空を仰いで白い息を吐く。