でも僕の願いと裏腹にチャイムが鳴った。
奇妙だった。この家で本当の保護みたいな観察をされる間では初めてのことだった。食材を届けにくる業者はいつも時間通りに訪れ、注文通りの品をボックスに入れて、チャイムを鳴らすことなんてしない。それ以外にこの家に訪れる人なんていないのだ。ここは軍人が暮らす家で、ただの軍人ではなく大佐だとかいうとんでもない人が住んでいる。いつもスナイパーや護衛の目が差し向けられており、万が一許可や予定のない訪問者が訪れれば扉に手が触れるより前に的確に足元へ威嚇射撃が行われることだろう。こんな物騒な内情を知らない近所の家々も、本能的に危険を察知しているのか不用意に近づきはしない。
だからチャイムなんて鳴るはずがないのだ。
「無いとは思うが」と、いつだったかに彼が言っていた「もし誰かが家に訪れたとしても、君はなんの対応もしなくていい。チャイムも何もかも全て聞かなかったことにしなさい」
それが有り得ないことだと知りながら大人しく頷いた。監視対象を入れた家に来訪者などという脱走の機会を与えてくれるはずがない。だから念の為の警告だと納得して首を振ったのだ。
なのに、チャイムが鳴った。
困惑して硬直しながら思考し、聞き間違いかと納得しようとしたのにもう一度鳴った。いよいよ当惑して、思わず一度包丁を置いた。首を傾けて玄関の方を見た。どうすることもできない。「なにもかも全て聞かなかったことにしなさい」初めの日に受けた命令は今も撤回されていない。だからその通りにするはずだった。まな板から変わった視界に小さな液晶画面が映るまでは。
インターホンに備わったカメラから訪問者を映し出すドアホンは、正しい映像を表示している。それを解っているらしい人は、カメラ越しに僕を見ていた。僕が見つけたことを知っているみたいに。いや、知っているのかもしれない。あの人は人の機敏に敏かった。人間が音の何度も鳴る起因に目を向けないはずがないと知っている。気配に過敏な僕がそうせざるを得ないことも。
「開けなよ」
僕が小さな液晶を見て目を丸くしたことも、何もかも知っているのかもしれないその人の声が放たれる。扉の向こう側から機械を通じて、電子の配列によってよく似た音が作り出されている。機械交じりの声は、機械越しの顔は、やっぱり全部わかっているように口を歪めて僕に命じた。火傷の跡を隠しもしない軍服の男の声で。
「命令かもよ」