父親が最低になった記憶というのは僕の中でちっとも消えないでいる。誕生日とクリスマスには必ず僕と母に笑ってそれぞれプレゼントをくれたあの男は、ある日を境に気が違ってしまった。母に暴力を振るうようになり、その手は止めてと泣いて縋った僕にまで及んだ。母は僕を守るのに必死で、特に性暴力からは僕を遠ざけた。いつもは僕が泣いて縋ってもただ謝って泣いてるばかりなのに、あの男が服に手を掛けたとたん僕を部屋の外に放り投げて鍵をかけた。僕がどれだけ泣いても喚いても縋っても部屋と扉は開かなかった。そんな日々がいつまでも続いていたら僕と母はとっくに死んでいる。母はある真夜中、僕を連れてあの男がいる部屋を出た。
かつて家と呼ばれた場所はもうそのときの僕にとっては拷問部屋でしかなかったため、母と共にそこを離れるときには泣きもしなかった。あの男とはそれっきり。引っ越し先の人々は僕と母しかいない状況を面白がり、父親は川に飛び込んで死んだんじゃないかなんて噂されてる。そうだったらいいと、僕はずうっとひそかに願ってる。
僕はもう人と顔を合わせて話をすることにすっかり疲れてしまって、引っ越し先では誰とも碌に喋らなかった。変な噂が立ってることには気づいていたし、母が相当気を揉んでいることにも気づいていたけど、でも駄目だった。口がちっとも開こうとしない。僕は元々ちょっとおかしなものが見えるきらいがあって、それを受け入れてくれるのは母だけで、そのおかしなものを口にすると誰でも僕を気味悪がるのが本当に面倒だった。思えばあの男が気が狂う前にもおかしなものが見えていた。危ないよって言ったけどあの男は僕のそういうところを信じていなかったので止まらなかった。もうどうでもいい話だ。僕は引っ越し先で誰かと話すのを止めた。家のそばにある森に行ってひとりで遊んでいた。このまま母意外とは誰とも話さずに生きていこうだなんて本気で思っていた。そんな願いは何年かは叶った。でも木から落ちたムクドリを助けるためにはどうしても子供だけじゃダメだって、他の子供よりずっと本を読みつくしていた僕はどうしようもなく分かって、だから薬局に行った。薬局のおじさんは喋る僕を見て目を真ん丸にしていた。本当に嫌だった。こうして僕の願いは潰えた。
あの男の記憶は僕をずっと苛んでいて、例えば僕は女性にうんと優しくなった。母を守れなかった事実は僕の心に深く重くのしかかり、その罪責感を他の女性でも埋めようとした。度を超すと気味悪がられるというのを僕は誰とも話したがらないという願いの経験で知っていて、だからあくまでレディファーストの範疇に収まる範囲に調整した。大学で同学年の女子が困っていたらすぐに声を掛けたし、老婆が会談の前で立ち往生していたら荷物を抱えて上に上がったし、道端で女の子が絡まれていたら助けに入った。レディファーストやフェニミストに見せかけた僕の奇行をいち早く見抜いた先輩は「馬鹿だねお前」と呆れた顔で僕を罵った。「そんなの金にならないよ」僕はこれが本当に馬鹿な行為だと知っていたので何にも言えなかった。笑ってごまかした。
なのに、そうこれが一番困ったことだったんだけど、僕は、女性と恋愛が出来なくなった。あけすけに言うと女性の肌に触れられなかった。抱けなかった。母に放り投げられた記憶は僕に強烈に基づいていて、幼い僕はわからなかったことを成長していく僕はわかるようになった。母が何故僕を放り投げて泣いても縋っても部屋に入れてくれなかったかを理解した日、僕は学校のトイレで嘔吐した。保健体育の授業でそうなる生徒は僕の他に誰もおらず、先生は心配して僕と個人面談までしてくれた。僕は何も言えなかった。告げるのは母が辱められることと同義だと無意識のうちに思っていた。この自覚のせいで僕は誰のカウンセリングも受けられなかった。だからこうなった。女性の柔らかな肌に触れると体が否応なしに強張った。冷や汗が背中をびっしょり濡らし、指先が震えて、そのうち吐き気までこみあげてくる。僕は震える息を吐いて「ごめん」と彼女に謝った。素敵な人だった。母とあの男の顛末を知っている僕がそれでも好きだと思えるだけの女性だった。僕は彼女と幸せになりたいと心から思って、没落して逃げ出した家柄の僕は到底彼女に不釣り合いで、もう既成事実を作るしかないとふたりで判断した。だから一世一代の素敵な夜にするはずだったのに、僕のせいで出来なくなった。「ごめんね」と僕は何度も謝った。彼女との未来よりあの男との過去が勝ることに耐えられなかった。彼女は優しく僕の頭を撫でてくれたけど、僕は到底僕を許せなかった。僕は彼女を手放した。彼女は泣きながら僕のもとを去って、数年後に家の都合で知らない男と結婚した。最悪だった。
この最悪な経験は僕の性体験を狂いに狂わせた。僕は男に走り、何人かと夜を過ごした。ひとりきりとのこともあったし、本当に多人数で過ごした夜もあった。僕は同姓との性行為ならなんとかすることができた。というより、してもらった。肌に触れられると恐ろしくて怖くてどうしようもなくて全身が震えた。肌の色がなくなっていくのを自覚できた。これが母の気持ちかと思い知る行為は本当に怖くって、その怖さが自罰的な僕にはぴったりだった。「泣いても喚いても吐いても止めないで」なんて希望に添えるのはそれなりに碌でもない男で、あの男を思い出させた。時々殴られることもあり、そんなとき僕はうんと泣いた。最悪の夜ばっかりだった。最悪なのが最高だった。
僕の自罰は僕の願いと同じように長続きしなかった。素敵な恋人ができたからだ。彼は幸いにも男の人で、僕が触れられることのできる人だった。夜の街で暴漢から女性を助けたときに知り合い、女性を庇って殴られ続ける僕を助けてくれたことが出会いのきっかけだ。「見上げた根性だ」と、暴漢をあっという間に蹴散らした彼は僕を抱き起して言った「スカウトしよう。少し耐えてくれ」そう言ってどこかのホテルに僕を連れ込んだ。スカウトというのは冗談で、彼は僕を手当てするために自分がとっているホテルまで連れてきてくれたのだ。というのは包帯を取り出されたときにようやく気付いた。「紹介状を書いておく。費用は気にせず明日にでも行ってきなさい」そう言って大きな病院が記された紙を僕に渡した。「何か困ったらここに連絡を」と、続けて小さなカードも僕に渡した。電話番号だった。彼の。このころ僕は怖いもの知らずだったので、翌日病院に行った後すぐに電話を掛けた。ワンコールでつながった電話の開口一番に僕は言った「貴方に会いたい」ありがとうございます。骨も内臓も全部無事でした。問題ありません。お礼をさせてください。言うべき言葉はちっとも舌に上らなくて、僕の欲望だけが口から出た「貴方が忘れられない」もう死んじゃったっていいと、結婚式のフラワーブーケを浴びたときからずっと思っていた僕はこのとき、断られたら崖にでも行こうかなと思っていた。自殺の名所は度々調べていて、こころの相談ダイアルだとかを蹴飛ばすのに僕は慣れていた。
「俺もだ」
と彼は言った
「気が合うな。今日の十九時……昨日と同じホテルでどうだ。あそこは飯も美味いんだ」
彼は僕を救った。