どうしたものかな。ナワーブは困ったふりをしながら思う。否、実際に心の内の半分程度は悩んでいた。しかしもう半分、それ 以上を上回る心地が身体中を満たして、顔にまで滲むものだから、悩みは苦悩とはならなかった。どうにか口元だけでも繕おうとして……見つめた先の青い瞳を前に出来なくなる。ここ数年で眼に馴染んだ瞳だ。何度見つけても体温が上がる愛おしい眼差し。普段は熱く柔く微笑むことの多い瞳が、今は目角を立てて……否、怒ったふりをして自分に向けられている。それが、可愛くてならない。
「こら」ちっとも叱るふうにならない声がナワーブに降り掛かる。「私は怒っているんだよ」
キスでもされたのか。叱る声に対しそんな錯覚を抱いていたナワーブは、続いた言葉に眉尻を下げて「悪かったよ」と返した。
「……悪いと思ってる顔じゃない」
「どんな顔だ」
「…………キスしたそうな顔」
解っているじゃないか。そう言って、拗ねたふりをする口を塞いでしまいたかった。ほとんど衝動的な感情を、けれどもナワーブは堪える。してもいいのだが、そうすれば今度は顔を逸らして目を合わせてもらえなくなるだろう。それは看過できない。ナワーブは断固としてそう思っていた。だからこそ悩んでいるのだ。折角嫉妬をしてくれているのだから、と。
というのも、ここまで至るのにふたりはそれなりの苦労を要した。嫉妬ひとつを現すにしては長い時間を掛けた。
ナワーブのパートナーたるイライは兼ねてよりナワーブに惚れ込んでいる。だからか、イライは全てを受容していた。何があろうとナワーブを責め立てるようなことを欠片も起こさなかった。イライ自身がどんなに傷つこうとも飲み下して微笑もうとした。これは彼の来歴や種族が大きく関与してくるもので、一筋縄で解けるものではなかったのだ。嫉妬はその一環で、根が深いひとつでもあった。淫魔がたったひとりのパートナーを選ぶこと自体が稀有なのだから、その抱く感情が軽いものであるはずがない。イライはナワーブのことを殊更愛していたので、存外なほど嫉妬深かった。それが見たいと、ナワーブは強請った。イライはそれに応えようとして……大変だったのだ。
まず、最初は泣かれた。ひどく泣き腫らしながら嫉妬を白状された。何事かと狼狽していたナワーブは呆気にとられ、同時に破裂的な愛欲を抱いた。可愛くて仕方がない。とにかく愛したい。そんな衝動のままに愛しては褒めそやした。「お前に妬かれるなんて夢みたいだ」と。「お前の全部を俺だけにおくれ」と。
そんなこんなを数年の内に幾度となく繰り返し、今だ。
頬を膨らませ、怒ったふりをした目で睨もうとするイライの、なんと可愛いことだろう。感慨と愛欲が溢れ、顔へと滲んでしまう。軍部ではあり得ない、イライの前だけで起こることだ。表情の取り繕いなど軍人が最初に覚えることのひとつである。自分がこんな風になるなど思ってもみなかった。けれども幸せだと、心底思う。
「イライ、イライ」
「…………」
「怒らないでくれ。俺にはお前だけだよ」
思うがままを伝えれば、イライは口を閉じたままナワーブの肩へ頬を擦り付ける。怒っている。そう言いながらも抱き寄せた腕から離れようとはしないのだから、内情が透けて見えるというものだ。解っていながら、ナワーブは顔を傾ける。腕の中にいっそう抱き寄せ、栗色の髪を頬擦る。許しを乞うように。さも、甘えるように。
「どうしたら許してもらえる?」
真赤い耳たぶに口付けるように言えば、抱き寄せるままの体が甘く揺れた。ごねるように擦り付けていた頬が甘えるように擦り寄せられ、体が傾けられる。先ほどの怒った振りとは一転、甘える上目遣いとなった青い瞳がとろりと蕩けてナワーブを映している。
「……いっぱい、キスして」
愛おしい体を抱き込んで唇を下す。幾度と触れても甘い唇に今日も触れて、舌で舐る。腕が首の裏に回され、ソファに頽れながらも互いに隙間なく抱擁を成していく。どうしたものかな。甘く熱い口付けの中、ナワーブは思う。可愛すぎて、止まれる気がしなかった。今日も。