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    asasuzuki

    世界をそっと切り取るように

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    asasuzuki

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    解像度を上げる話 1H2774字

    ##ドクター

    「なあ、お前さあ。絶対売れねえモンってなんかある?」

     手が伸びる。当たり前のように人の目の前に置いてある野菜スティックをバリバリと食べながら、目の前の男――ディーノは俺に問いかけた。ジェノヴァ大学食堂。午後2時47分のこと。
     ディーノ。ジェノヴァ大学の問題児。ディーノ・イルデブランド・フィノッキアーロ。勉学をゲームとしか思ってないタイプで、往々にしてなにかしらをゲームとしか思ってないやつっていうのはどういう場所だったとしても優秀なのが常だ。ディーノもその例には漏れない。飛び級お得意の天才なんて触れ込みで、学内では知ってる奴の方が多かった。

    「売れないものったって」

     ああ、なんらかの思考実験に付き合わされてるんだろう、とか、モルモットその1でしかないんだろうってことはわかってたつもりだった。
     でもなけりゃ、優等生の秀才様がわざわざ特筆することもないような――よくも悪くもない、ただいるだけの学生に話しかけるようなことはしなかったろうと思うし、今となってはそれは間違いなかっただろうな、と思ってる。これは、間違いなく。
     最初から最後まで、あいつは俺の名前を呼ばなかった時点で。間違いなくあいつにとっては「They」のうちの1人なんだろうなと思うし、それを悲しいとは思わなかった。
     そりゃあ、思うわけないだろ。ああいうタイプに気に入られでもしたほうが厄介だ。変に気に入られて、どこかで期待外れの返答をして勝手に失望されるほうが、よっぽど迷惑に決まってる。
     別に嫌いなわけじゃあないさ。そういうやつっていうのはいるもんだし、こうやってたまに話しかけられて対応するくらいは楽しくないっていえば嘘になる。……幽霊が見えるやつと話さないと、幽霊がいることすらスピリチュアルに縁のない俺みたいなやつはわからないんだからな。

    「そもそもの定義が広すぎないか? 一言でそんなこと聞かれたって、どう答えればいいかわかんないだろ」
    「なんだっていいから広く間口を取ってるんだよ」

     回答に詰まった瞬間に携帯見られるのは明確に嫌だったと今でも言えるけども。

    「売れないって……そりゃ、ほら、仲間とか、女とか」
    「売れねえの?」
    「売れないもの聞かれて答えたんだから売らねえだろ」
    「売らねえだけで売れるは売れるだろ。売りモンになるから売れねえんだし」
    「…………」

     思い返して一瞬イラついてきた。一瞬な。こんときの俺はああいう奴に対して――いや、正直に言えば。ああいう奴を少しは、頭の隅ではかっこいいと思ってたわけだ。だからなんか納得した。別にそこに論理的納得なんて一切なかったね。完全に、ただ丸め込まれただけだって今なら明らかにわかる。文句だって言える。
     まあ、意味もわからんでもない。説明があいつは苦手だったんだなと思う。単純に。頭いいやつが周りを常に見下してるなんてのは俺の被害妄想でしかない。好意的に解釈するなら、単純にコミュニケーション自体苦手だったのかもしれない。
     ……こう思っとけば俺の健康にいい。悪いことしたな、ドクターディーノ。俺はお前のことはわからん。

    「じゃあ売れないもんってなんなんだ?」
    「わかんねーから聞いてんだよ俺も」

     ディーノ・イルデブランド・フィノッキアーロが、明確に痛い目を見なかったのは外見のせいだろうと俺は思う。――まずあいつは身長が低かった。次に女にモテなかった。俺が男でよかったと思う。あのとき、俺は付き合ってる彼女がいた。いまの二人前の彼女で、身長が高めでスタイルのいい女だった。だから男としては負けるどころか、社会性動物の人間として勝った気分でいられたし――単純に奇人変人と自分は違う生き物だって思えたところもある。往々にして。

    「お前は売れるだろ」
    「お前って……俺?」
    「ISではキリスト教徒の女は10歳未満なら170ドル前後。20歳未満なら130ドル前後。30歳未満なら86ドル。例えばお前の母親でも売れば40ドルにはなる。女は消費するモンだからまあある程度安いが、お前くらいのガタイで年齢で健康体、なおかつ勉学にも励んだ男となればもちろん買い手はつく」
    「俺の母親の話をする必要は?」
    「趣味」

     人格に問題がある人間と同列に自分を並べたくないという感情は大いにあったし、俺は今も自分の防衛機制の働きの優秀さに大いに感謝している。むしろあいつはそういう防衛機制の存在を前提として人と(嫌われない、という言い方は不適切だが、一番近いのは)嫌われないような距離感をとるのがうまかったのかもな、と思う。18歳そこらのガキが24歳の同級生相手にそういうことやってたってこと自体が今思い返せば怖い話だが。

    「マジで価値がねえモンってなんかねえかなって思ったんだよ。1セントも払いたくねえような、誰がどう見たっていらねえモン探しててさ」

     そこで俺の目の前にあったニンジンのスティックは全て消えた。煙草の一本くらい年下の同級生にくれてやらんこともないとは思ってたが、あのときの会話の中で一番理不尽だったのはこれのような気がする。せめて許可を取れ、と俺は思った。言ってやればよかったかもしれない。人の野菜スティックを勝手に食っちゃいけないんだぞ、と教えてやるべ――いや、それはないな。どう好意的に解釈したってない。普通に考えて、食わねえだろ。名前も覚えてない相手の食ってるもん。
     それから、俺は――

    「誰にとっても価値がないもんなんて、存在しないだろ」
    「……ま、そうなるわな」

     こう答えて。返ってきたこの言葉を、俺は。

    「じゃあいいわ。助かった」

     当時の俺は、これをさっき言ったような――勝手な失望だと思ってたが。今となっちゃ、そんなこともなかったのかもしれないと思うくらいの余裕はできた。30のいい大人だからな。今になってしか気づけないのは俺の未熟が一番でかかった。その一点においては、謝れるんなら謝っておきたいと思わんでもない。
     ああ、でもあいつは多分こんなしょうもない話は覚えてないだろうから絶対謝らんが。

    「じゃあお前はどうなんだよ」

     忘れたこともないね。俺が勉強をしようと思ったキッカケみたいなもんだ。目から鱗だったね。見てろよ。今から完璧に再現してやる。
     こうやって、なんでか外さないサングラスをこうやって、賢さの記号みたいなジェスチャをしてからだ。Lサイズのドリンクをこんな具合で持ってから――こうだ。

    「何だって売れる」

     ……なんでそんな話になるのか、気にならねえ? 気になるだろ? 逆に探したくなるわけだ。一銭の価値もないものがどっかにあるのかってさ。
     ま、この話の面白くないところは――こんなことを言われた俺は、価値のないものを探すには一番向かない人間になっちまった、っつーつまんねえオチしか用意されてねえ、ってとこだな。
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    asasuzuki

    TRAINING動きにくい話 1H3492字「何をお探しですか?」

     珍しく休日らしい休日で何をするか悩んで、服でも買いに行こうかな、と思っただけだったから。回答には少しだけ時間が必要だった。

    「なんかいい感じの――おすすめとか、ありますか? 俺、服とかそういうの疎くて」
    「お兄さんかっこいいのに着飾らないと勿体無いですよ〜?」

     ははは、と短い笑いで誤魔化した。休みの日の過ごし方のおすすめを聞いた方がよかったかもしれないけれど、店員の女の子が楽しそうに話をしていたからそれでいいか、と思った。そもそも、多分――憶測でしかないけれど。俺、もしかすると一人苦手なんだな、なんてぼんやりと考えながらジャンパーに袖を通す。

    「派手じゃないですか?」
    「ワッペンくらいで派手なんて言ってちゃ、このあたり歩けなくなっちゃいますよ。今シーズンの新作で、国内外の作家とコラボしてるんです。このワッペンはイタリアのかなり若いデザイナーからの提供で、――」

     このあたり。ニューヨーク、ロウアー・マンハッタン。ダウンタウン。
     元、世界中の金融の中心地。いまは、それ以上の意味を持たざるを得なくなった街。国内外のファッションブランドも出展するアメリ 3590

    asasuzuki

    TRAINING解像度を上げる話 1H2774字「なあ、お前さあ。絶対売れねえモンってなんかある?」

     手が伸びる。当たり前のように人の目の前に置いてある野菜スティックをバリバリと食べながら、目の前の男――ディーノは俺に問いかけた。ジェノヴァ大学食堂。午後2時47分のこと。
     ディーノ。ジェノヴァ大学の問題児。ディーノ・イルデブランド・フィノッキアーロ。勉学をゲームとしか思ってないタイプで、往々にしてなにかしらをゲームとしか思ってないやつっていうのはどういう場所だったとしても優秀なのが常だ。ディーノもその例には漏れない。飛び級お得意の天才なんて触れ込みで、学内では知ってる奴の方が多かった。

    「売れないものったって」

     ああ、なんらかの思考実験に付き合わされてるんだろう、とか、モルモットその1でしかないんだろうってことはわかってたつもりだった。
     でもなけりゃ、優等生の秀才様がわざわざ特筆することもないような――よくも悪くもない、ただいるだけの学生に話しかけるようなことはしなかったろうと思うし、今となってはそれは間違いなかっただろうな、と思ってる。これは、間違いなく。
     最初から最後まで、あいつは俺の名前を呼ばなかった時点で。間 2825